1-12 誰がために鐘は鳴る
魔銃:対異形生命体の主要武装。ドッペルゲンガーの発現濃度が低い者や魔術の適正の乏しい物でも使用できるため、警察等にも支給される一般的な武器。銃身に魔素を集約し、弾丸に付与することで魔物にも攻撃力を発揮するが、剣に比べて威力は乏しい。
「四之宮ユズホは近い未来に死ぬ」
「ふざけないでっ!!」
「タマキっ、よせっ!!」
椅子に座っていた榛名さんにタマキが掴みかかって胸ぐらを掴みあげようとするけど、何とか後ろから羽交い締めにして抑える。タマキは必死でもがいて僕の腕から逃れようとするけれど、ここは離すわけにはいかない。
僕がタマキを抑えてる隙にスバルが二人の間に割って入って、絞りだすようにして榛名さんに尋ねる。
「……助ける方法は無いの?」
「スバルっ! アナタまでそんな戯言を信じるのですか!?」
「落ち着きなよ、タマキ。胡散臭い人だけど、たぶん言ってる事は真実だ。タマキだってそれが分かってるからそんなに怒ってるんでしょ?」
「そ、んなことっ……!」
信じない、信じられない、信じたくない。信じてしまったら、それが真実だと認めてしまったらそれこそ取り返しの付かない現実が襲ってきそうで、だから頭ごなしに否定する。だから声を張り上げて、榛名さんの発した言葉それ自体を無かった事にしたい。
タマキの気持ちはよく分かる。僕だって信じたくない。ユズホさんが、死んでしまうなんて理解したくない。
死は孤独だ。究極的に独りだ。声も温もりも何もかもを失って、何も残らない。例え想像であっても、考えるだけで抉るような胸の痛みに襲われるし、イキを吸うことさえも難しい事の様に錯覚してしまう。
だけども、眼を逸らしちゃいけないんだ。
「大事なのは否定することでも喚くことでも無くて、現実を直視して、ありのまま受け入れて、その上で彼女を救う方法を考えることじゃないの? 違う? それとも榛名さんに食って掛かって喚き散らしたらユズホちゃんの眼が覚めるっていうの?」
「分かってますわ、そんなことっ! ですけれど、ですけれど……」
「スバルもそうタマキを責めるな。お前の話は正論だが、かと言って理屈で感情を全て制御できるほど人は強くない。だからタマキの気持ちも汲んでやれ」
ユキヒロがスバルを宥めると、スバルは珍しくバツの悪い表情を浮かべた。そして、頬を右手で何度か掻いてから口を開いた。
「……そだね。ゴメン、タマキ。どうやらボクもちょっと余裕ないみたいだ。ユキヒロもありがと」
スバルが素直に謝ったら、今度は僕の腕の中のタマキの方がバツが悪く表情を歪める。
スバルが言った通り、今、この場にいる誰もが平静じゃない。僕もユキヒロも平静であろうとは努めて、表面上は繕ってるけれどもそんなものちょっとした事ですぐ剥がれ落ちる安物のメッキだ。今回はスバルのそれがたまたま剥がれただけで、僕だって表皮を少し剥がしてみれば感情が荒れ狂ってる。
恐怖、喪失、悲しみ、そして怒り。それはタマキの感情には及ばないけれど、感じてるものはみんな同じだと思う。
「いや、俺はまだ彼女とキチンと話したことは無いからな。言葉は悪いが、まだ赤の他人でしか無いし、どちらかと言えば他人事な感覚が強いから落ち着いてられるだけだ。
それよりも榛名さん」
「何だい?」
「今もスバルが尋ねましたけど、彼女を回復させる方法に心当たりは無いんでしょうか?」
「『ある』……って専門家だから断言してあげたいところではあるんだけどねぇ、ドッペルゲンガーを奪われた、もしくは失ってしまった患者はまだ彼女で七人目で、事例が少ないんだよ」
七人も。
榛名さんは「まだ」って修飾したけれど、僕からしてみればそんなにもう被害者が出てるのか、という感覚だ。原因や治療法を探る上では事例数としては十分じゃないのだろうけれど、その感覚の違いが僕はやり切れない。かといって僕の感覚が正しい訳じゃなくて、そんなのはあくまで感性の問題だ。僕が不快に思ったからって榛名さんを責めるのもお門違いで、でも普段ならそういう結論のままスルーできるけれど、今の僕は冷静じゃない。八つ当たりで榛名さんを責めてしまいそうで、だけれどもそうすれば後で悔やむのは僕だって事を知ってるから僕は何も言わずに口を噤む。
「魔素エネルギー庁でも原因究明と治療法を探ってるけど正直芳しくない。残念ながら今の段階では何も分かってないに等しいね」
「何か、何か分かってる事はありませんか? もちろん僕らに話せない事があるのは承知していますので、差し障りのない程度で構いませんので教えて下さい。不確かなことでも結構ですから」
こういう時にユキヒロが居てくれるのは心強い。コイツは僕らの中で誰よりも自制心が強くて、誰かに求められる役割を察して買って出てくれる。たぶんユキヒロが居なかったら話を中々進められなかっただろう。
「そうだねぇ……今ハッキリと言えるのは……おっと、これは吹聴しないでくれよ? 特に彼女のご家族にはね。ドッペルゲンガーを失った人が生きていられる期間は、今のところ――」
言いながら榛名さんは人差し指を立てた。
「一週間だ」
「一週間……」
タマキが感情を失った様に呻いた。
たった一週間。それがユズホさんに課せられたタイム・リミット。なんて、なんて――
「短いね……」
「言っとくけどこれは平均値だからな。もしかしたらそれよりも長く保つかもしれねーし、逆もまた然り。一応、仮のドッペルゲンガーを定着させて延命させるって試みもあることはあるんだが……」
「上手く行ってないんですね?」
「ていうよりもまだ問題が多すぎて実験すらまともに行えてねー段階だな。ドッペルゲンガーは魔技的なものだから恐らくは魔技、魔術で解決できる問題だとは思うから時間さえ掛けりゃ何とかなるってのが今のところの見解。とは言っても今は時間との勝負だからな。さっさと解決策を見つけなきゃならんがさすがに人道的な問題を無視すりゃ方々から総スカン。少なくとも机上では問題ね―事を確認しなきゃな」
「問題というのはなんですの?」
「人工的な存在とは言え、本人の本質を表すからな。他人が仮のドッペルゲンガーを与えたところで人格的に同じ人間になるのか、定着させた後でより作りこまれたドッペルゲンガーが出来た場合、付け替える事ができるのか、そもそも一度引き剥がされたドッペルゲンガーをもう一度定着させることができるのか……」
ドッペルゲンガーを顕現させる技術は確立されてすでに数年が経ってるけれど、その視認技術はまだ開発されて間もないし、人の本質であるドッペルゲンガーを「切り離す」ことが可能だなんて今の今まで誰も想像だにしてなかった。「顕現」じゃなくて「再定着」の試みも例は無かっただろうから、この進捗状況は当然といえば当然だ。おかしいところは無い。だけども、それじゃダメなんだ。
「……一週間じゃとても解決できそうに無いですわね」
「悔しいし面目ねーがその通りだ。こっちも別に遊んでるわけじゃねーんだけど、まだ被害者も少ねーからこの研究に人も予算も掛けられねーしな」
「……っ!」
腕の中でタマキの体が強張った。
こんな事件が世界各地、あるいは日本各地で起きてるなら、あるいは局所的であっても何十人何百人って被害が起きてるなら国だって迅速に対応しようとするだろう。でも、これは特殊な事例だし、決められた予算内で何かを為そうとするなら優先順位が当然あって、まだ被害がそれほど大きくないのなら優先順位が下がるのは至極当然。一方に人もお金も掛ければどこかを削らないといけなくて、その分対処が遅れて何かの被害が増すのは避けられない。
でも当事者からしてみればそんな都合なんてどうでもいいんだ。身近な人が傷ついてるならすぐにでも手を差し伸べたいと思うし、助ける力を持ってる様に見えるのに手助けをしてくれない人を恨みもする。お門違いと理解しても、感情のはけ口をどこかに求める。それが当たり前で、堪えることができる強い人はそうはいない。
「……そんなに力込めなくても大丈夫ですわ、ヒカリ。もう掴みかかったりはしませんわ」
でもタマキはどうやら強い人だったらしい。感情を吐き出すみたいに肺から息を思いっきり吐き出して、「よしっ」と気分を変えるかのように頬を自分で叩いた。
「お話は分かりましたわ。納得はできませんが、納得せざるを得ないのでしょうね」
「俺としては別に殴り飛ばされて済むくらいなら構わねーんだけどな。商売道具の手とか頭にダメージさえ残らなきゃ」
「それはユズホが助からなかった時まで待ってあげますの。もっとも、その機会は永遠に訪れないのでしょうけれど」
「って事は何か手立てでも思いついたのか?」
ユキヒロが尋ねるけれど、タマキは頭を振って、でも口を真一文字に結んだ厳しい表情で宣言した。
「別に何も。単なる決意表明ですわ。必ずユズホを助けるという。その為にワタクシができることは何でもやりますの」
「協力してくれるんなら構わねーが、できれば法に触れる方法は止めてくれよ?」
少し渋い顔をしてる榛名さんがそう言うけれど、タマキは曖昧に笑うだけだ。
それからタマキは僕らの方に向き直った。
「というわけで、ワタクシはこれからユズホを襲った犯人探しを始めますわ。ああ、危険ですし、ヘタすれば退学処分になりかねませんから別に協力しろとは言いませんわ。でも、できれば止めるような真似をするのは控えて頂けると嬉しいですわ」
「……ま、結局それが一番早いんだろうな。乗りかかった船だし、俺も手伝うさ」
「ボクも手伝うよ。せっかくの数少ない友達だからね」
ユキヒロもスバルも間髪入れず協力を表明した。でも、最初にタマキが言ったように手伝いを頼んでくることも無ければ、スバルたちも僕に要求してくることも無い。あくまで自然体で、手伝っても手伝わなくてもどっちでもいいよ、と言わんばかりだ。
でも、僕の答えは決まってる。ユキヒロみたいに知識があるわけでもないしスバルみたいに情報収集力があるわけじゃない。タマキみたいに強力な魔術が使えるわけでもない。魔物と遭遇した時に壁役くらいにはなれるかもしれないけれど、それだって別になくちゃいけないわけでもない。僕が居なくたって三人なら何とでもするだろうし、結局のところ僕は必ずしも居なければならない程の存在でもない。
それでも僕にだって出来る事はきっとあるはずだと信じたい。無かったら探し出したい。僕はスバルたちに助けられてばっかりで、迷惑を掛けてばっかりで、だからこういう時にこそ少しでも手伝って恩を返したい。
僕も、とタマキに応えようと口を開きかけたその時、トントン、と病室のドアがノックされた。数瞬の間を置いて少しだけ扉が開かれて、黒ずくめの一人が顔をのぞかせた。
「患者に面会を希望の方が」
「OK。こっちは大体話は終わったから入れていいよ」
榛名さんが許可を出して大きくドアが開かれた。開いたそこから入ってくるのは一人。綺麗な黒髪をタマキみたいにツインテールにまとめた少女だ。
「……ユズホちゃんの妹さんだよ」
耳元で小さくスバルが教えてくれた。まだ小学生低学年くらいに見える彼女は病室にオドオドしながら入ってきて、キョロキョロと誰かを探してるみたいに見回してる。でも結局探し人が誰か分からなかったんだろうか、不安げに歪めた顔を少し伏せて、そして声を張り上げた。
「あ、あの! この中にヒカリさんっていますか!?」
「僕?」
ユズホさんの妹さんが僕に一体何の用があるんだろうか。疑問に思いながらも彼女の方に進み出て、顔の高さを合わせるために屈みこんだ。
「えっと、僕に何か用かな?」
「え、あ、男の人……」
名前の響きからたぶん女の子だと思ってたんだろうか。彼女は僕が探し人だと認めると途端に怯えた様に口を噤んで、僕としては精一杯優しく声を掛けたつもりだったんだけれどこうも怯えられるとは少しショックだ。
そんな僕は他所にして、小さな彼女は意を決したみたいに顔を上げて、僕を真っ直ぐに見つめた。
「お姉ちゃんを助けて下さいっ!」
「えっ?」
「お願いします! 昨日お姉ちゃん電話で言ってました! ヒカリさんって新しい友だちが出来たって言ってました! 親切でとってもいい人だって言ってました! だから……だからお願いします! お姉ちゃんを、お姉ちゃんを助けて下さい……」
張り上げてた声は最後には涙声になってとても小さくて。だけど彼女の真摯なお願いはひどく僕の胸を抉った。
僕は何を考えてタマキを手伝おうとしていた?何の為に犯人探しをしようとしていた?
タマキはユズホさんを助けるため、スバルもユキヒロだってユズホさんの為だ。榛名さんだってユズホさんだけじゃないにしろ犠牲者を助ける為に色々と調べてる。この小さな妹さんだって姉を何とか助けたいから、勇気を振り絞って僕にお願いしてきてる。
だというのに僕は何だ?何の為に手伝おうと思った?僕はユズホさんの事を考えていたか?
断じて、否。僕はいかにスバルたちに嫌われないか、スバルたちの助けになるか。そればかりを考えて判断してた。そこに、「友達」だって言ってくれた、僕が最初に友達になったはずの彼女に対する想いは一切なかった。どこまで言っても僕は僕の事しか考えていなかった。
何て、自分勝手。何て、自己中心的。こんなだから僕は皆に嫌われる。こんなつまらない人間だから皆が離れていくんだ。そしてこの思考でさえも自分の事でしか無い。
「あの……ダメですか?」
不安げな声に僕は我に返る。ひどく落ち込んで、自己嫌悪に塗れた心を作り笑いで覆い尽くして妹さんの頭を撫でる。
「大丈夫。絶対にお姉ちゃんを助けてあげるから」
「本当ですか!? ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」
僕の内心を知らず、彼女は無垢にパアッと笑顔を浮かべて何度も僕なんかに礼を言ってくれて、それが尚も僕を苦しめる。
だけど、まだ良かった。まだ間に合う。まだ僕は僕の為じゃなくてユズホさんの為に動くチャンスを持ってる。それが救いだ。
僕はそう言い聞かせて僕を慰める。
「僕もユズホさんの為にタマキを手伝わせて」
スバルたちと同じように。けれども、胸の奥でうずく澱みはいつまで経っても取れてくれなかった。
お読み頂きましてありがとうございました。これにて本年の更新は最後になります。一年間お付き合い頂きましてありがとうございました。
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