1-10 始まり(終わり)の始まり
遅くなりました。これから年末に掛けて連載が滞るかもしれませんがお待ち頂けると幸甚です。
ドッペルゲンガー:内なる自分の存在の事。魔術師が魔術を使うためにはドッペルゲンガーを顕現させることが第一歩となる。顕現させるには才能の一面もあるが、特殊な訓練や薬物が必要となる。仮想的な「魂」と表現されることもあり、人工的な存在とされている。
朝の新鮮な空気を吸い込みながら空を見上げれば、雲がまばらに見える程度には晴れ渡った空。遠くには微かに朝焼けの名残が伺えて、よく朝焼けだと天気は悪くなるとはいうけれど、そんな話が信じられないくらいには快晴だ。
「行ってきまーす、高校生のおにーちゃん!」
「いってらっしゃい! 車には気をつけるんだぞーっ!」
僕は今日もまた朝から小学生の通学路で、ご近所の体調を崩してしまった権田さんの代わりに交通整理員をしていたわけで、元気に小学校に向かって走って行く子どもたちの背中を見送っていると朝特有の気怠さもどこかに吹き飛んでいってしまいそうだ。
もう一度瑞々しい空気を吸い込みながら大きく背を伸ばせば、バキバキと骨が鳴って何とも気持ちいい。さて、今日も一日頑張りますか。
「いつも悪いねぇ、ヒカリくん」
「あ、おはようございます、村上さん」
定番の「交通安全」と書かれた黄色い旗を片付けてると、ここのところ一緒に交通整理をしてる村上地区長さんに話し掛けられた。目元に深い笑い皺が刻まれたその顔は好々爺然としていて、まるで福の神みたいだ。だからか、失礼ながら村上さんと話してると知らず知らずのうちにこっちまで笑顔になってきて、僕は彼と話すのが結構好きだ。
「本来なら儂らみたいな爺がやるべきことで、君みたいな若者に頼むことじゃないってぇのは解ってるんだが……」
「そんな事ありませんよ。子どもたちの元気な様子を見てると元気を貰える気がしますし。それに、権田さんだってまだ若いじゃないですか」
今は体調を崩してしまってるけど、確か権田さんはまだ四十代半ばだったはずだ。元々は魔術師だったらしく、世界が混乱してる時期には戦場魔術師として活躍したってこの間も自慢してたっけ。今は当時のケガが原因で自衛隊を辞めて、のんびり過ごしてるらしいけど、昔とった杵柄でまた何か魔技に関する仕事を始めてみようかって言ってたな。もう体調崩して一週間になるけど、大丈夫だろうか。
「そうそう、その権田さんなんだけどね……」
「どうですか、権田さんの様子は? もう一週間になりますけど、その、そんなに悪いんですか?」
「亡くなったらしいよ」
「え?」
死んだ?権田さんが?一週間前はあんなに元気に振舞っていたのに?
信じられずにオウム返しに問い返してしまった僕だったけれど、それは村上さんも同じだったらしい。私も信じられないんだけどね、と前置きして話し始めた。
「特にそれまで何処かが悪くなったとかじゃないらしいんだよ。突然倒れて病院に担ぎ込まれたみたいでね。人伝に聞いた話だからどこまでが本当かは分からないが、そのまま意識が回復する事無く昨晩息を引き取ったいう話だ。それに原因も分からない様でねぇ……まったく、怖いねぇ。まだまだ若い権田さんでさえこうなっちまうんだから、儂もいつ天に召されてしまうか分かったもんじゃないな」
そういえば権田さんに交通整理員を進めたのも村上さんだって言っていたし、新しい仕事をするよう勧めてくれたのも彼だって生前に権田さん自身が言っていた。どうも村上さんは権田さんに色々と世話を焼いていたみたいで、だからか、話している村上さんはひどく気落ちした様子だ。
「ああ、すまないね。朝からこんな話をしてしまって。ただヒカリくんも権田さんとは一緒に交通整理をしてくれてるからね、教えておいた方が良いと思って」
「いえ、教えてくれてありがとうございます」
人が亡くなるのは誰であれ悲しい。ましてそれが言葉を交わした事がある人であるなら、またその人の為人、希望、願い、これまでの人生に一端であっても触れたことがあるのであれば尚更。胸中に去来する寂しさと悲しさに軋む感情を胸の奥に押し込めて僕は学校へと向かった。
今日は、良い日にはなりそうにも無い。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
権田さんの訃報を聞いた僕は陰鬱な気持ちのまま学校に向かった。時折、始業時間ギリギリで大急ぎで駆けて行く小学生とすれ違う。初夏が近づいてるとはいえ幾分肌寒い風が僕の首筋を撫でた。
魔技高専の朝は比較的遅い。始業時間は八時四〇分だけど、近くの小学校は八時始業だから交通整理の手伝いをしてるとどうしても小学生の生活リズムに合わせないといけない。必然、まだ人気の少ない校舎で僕は過ごすことになる。
静かなのは良いことだけど、僕はどちらかと言えば多少賑やかな方が好きだ。人がいればそこに僕という存在は埋没はしてしまうのだけれど、それでも僕を認識してもらえるのは嬉しいものだ。だから一人で教室に居れば何となくもの寂しさを感じてしまう。
下駄箱で靴を履き替えながら権田さんの事を考える。
僕と権田さんとは特別仲が良かったわけじゃない。と言うよりそこまで接点があったわけじゃない。数カ月前から時々朝に顔を合わせて、挨拶を交わしたり、小学生の列が途切れた時に世間話をした程度だ。元軍人らしく立派な体格で、強面だから迫力はあるんだけど、真面目な性格らしくあまり無駄口を叩いたりはしない。けれど時折小学生に向ける笑顔が魅力的な人だった。魔術師に特有の人を見下したりはしない、人をありのまま受け入れられる人でも在り、気を遣うのが上手い人でもあった気がする。缶コーヒーをおごってもらったのも記憶にまだ新しい。
「村上さんの言葉じゃないけど、何があるか分かんないもんだよね……」
いつか魔術についても教えてもらおうと思っていたし、彼が亡くなってしまったのはとても残念だ。それと同時に、こんなことを思うのは不敬とは思うのだけれど、なんだか不吉な予感がしてしまう。
何か、何かが終わってしまう様な、そんな予感。特に根拠も何も無いのだけれど、そんな不安を抱いてしまう。いつもと違う出来事があったら、それを何かの予兆の様に感じてしまうのは誰だってよくある事だし、今日は悲しいことがあったからそう思ってしまうんだ、と一笑に付してしまうのは簡単だけれど、何となくそれで済ませてしまうのはダメな気がする。それに昨夜だって、昨夜だって――
「あれ?」
そういえば昨夜も何か違う事があった気がする。気持ち悪い、何か恐ろしい事があった気がする。いつも起こってるのに、いつも起こっていない。日常的なのに非日常的な何か。何を言ってるのか自分でも分からないけれど、そんな矛盾に満ち溢れた何かがあった気がする、の、だけれど。
「……思い出せないな」
何という使えない脳みそだ。たった一晩経っただけでまともに記憶に残っていないなんて。まあ、そんなすぐに忘れてしまうのならばたいした内容じゃないのだろうし、もしかしたら変な夢を見て、その時の感情が残ってるのかもしれない。悪い夢を見るのは今に始まったことじゃないのだし。
とは言え、全く昨夜の事を思い出せないのも気持ちが悪い。だから一人廊下を歩きながら記憶を探っていけば、すぐに思い出せた。昨夜は見回り当番でスバルたちと行動してたんだっけ。そうだ、確か霧島さんが指導員という形で付き添ってくれて、魔物もあっさり倒せて霧島さんや雪村さんに評価を改めてもらうことに成功したんだ。ちょっとやり過ぎのところもあったけれど。
「そういえば――」
その時も、何かいつもと違う事があった気がする。見回り自体は特段目新しい事は無かったと思うけれども、何だっただろうか。
はっきりと思い出せなくて、歯の隙間に食べ物が引っかかったような気持ち悪さを覚えて首をひねりながら教室に入る。そこで僕はその違和感の正体を突き止める事ができた。
この時間に教室は基本的に人は少ない。けれども、必ずしも僕一人というわけじゃなくて、何らかの理由で早めに登校してきたクラスメートもいる。
そして、必ず僕より早く教室で座っている人も。
「おはよう――君代さん」
教室の窓際、最後列。その席が彼女、君代・ヤヨイの定位置だ。僕らが入学したその日から。
魔技高専の特任コースは学年で一クラスしかない。だからクラス替えは無いけれども、定期的に席替えは行われる。にもかかわらず、彼女は常に同じ席だ。席替えはクジで行われるけれども、どんな強運かはたまた何か不正をしているのかそれは判然としないけれども、一度足りとも今の席から動いた事は無い。何が楽しいのか、一日の殆どを窓の外を無表情に眺める事に費やし、授業もまともに聞いている素振りも無い。今もまた長いストレートの黒髪を窓から入り込んでくる朝風にたなびかせながら、黒いアンダーフレームのメガネの奥の瞳を外に向けている。
かと言って話を聞いていないかと言えばそうでは無いらしく、教師に当てられたら逡巡すら見せずに応えてしまう才女。そのくせ、定期試験だと及第点ギリギリの点数しか取らない。実技も問題ないみたいだし、ハッキリ言えば謎めいた女性と言えるだろう。自発的に言葉も発しないし、表情の変化も乏しいから彼女が何を考えているのか分からなくて不気味だからか、クラスメートも誰も近づこうとしない。
「……おはよう」
けれども、彼女が印象通り冷たい人間か、と言えばそうという訳では無いらしく、今もこうして挨拶の声を掛ければ確かに返事を返してくれる。まあ、返事をした後にはすぐにまた窓の外を向いてしまうんだけれども。
僕は来る者拒まず去る者追わずな人間だから特に用も無ければ話し掛けたりはしなくて、いつもならこの朝の挨拶の後には僕も席についてのんびりと朝の時間を過ごすのだけれど、でも今日は彼女に聞きたい事がある。
何故、昨夜に僕らの見回りコースに居たのか。それも遠く離れた家の屋根の上から僕らを監視するかのように。
きっと昨日あの場にいたメンバーで僕の他に誰も気づいていない。僕でさえ気づけたのはきっと偶然であって、しかも彼女はすぐに僕の位置からは視認できない位置に移動してしまったから気づけ無いのは仕方ない。だけれど、僕に気づかれて姿を隠したという事は紛れも無く僕、もしくは僕らを目的に監視していた証左であり、また気づかれたく無かったということだ。だから、彼女は偶然見つけた僕らを何となく見ていた訳ではなく、何らかの目的があって見ていたということ。
……いや、もしかしたら本当に偶々僕らを見つけたから見てたのかもしれない。彼女が立っていたのは自分の家の屋根かもしれないし、夜空を眺めるのが趣味なのかもしれない。夜の屋外は危険だけれど、魔術師でもあるわけだし、彼女なら何とか出来るだろうし。こっそり遠くから見ていたのを気づかれたらついうっかり隠れてしまうなんてこともあるだろう。いけないな、どうも権田さんの件があるせいかナイーブになってるらしい。何の根拠もなくクラスメートを疑うなんてあるまじき事だ。
とはいえ気になるのも事実だし、それにこれは彼女と交友を深めるチャンスだ。これまで殆ど彼女と挨拶以外の会話をしたことは無いし、せっかくだから話し掛けてみよう。冷たくあしらわれたら、その時はその時ということで。
「えっと、君代さん。ちょっと良いかな?」
「……なに?」
近づいて声を掛けると君代さんは無言でこっちに振り向いて見上げてくる。今までマジマジと彼女の顔を見たことが無かったけれど、こうしてみると結構美人だと思う。だけれど、そんな美人な彼女から無表情で見られると、ちょっとたじろいでしまう。
「用がないなら話し掛けないで」
少し言葉に詰まっただけで何とも冷たい返答を頂いてしまった。これが彼女以外なら「嫌われてるんだ」とすごすごと下がってしまうのだけど、彼女の対応はこれがデフォルトだ。たぶん。そう信じたい。
腹の下に力を込めて挫けそうになる心を叱咤。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだと繰り返してもう一度話し掛けた。
「いや、用はあるよ。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「そう。なら早く言って」
……少し挫けそうだ。だけどもここでまた口ごもってしまうとまたそっぽを向かれてしまう。
「えっと、あのさ、昨夜……」
「ヒカリっ! ヒカリぃっ!!」
やっと聞きかけたというのに、今度は廊下から僕を呼ぶスバルの声に邪魔されてしまった。何と間が悪い。別にスバルが悪いわけじゃないんだけど、ちょっとこのタイミングにイラッとしてしまった。まあ、グズグズしてた僕が悪いんだけれど。
しかし、この時間にスバルが来るなんて珍しいな。いつも始業時間ギリギリに駆け込んでくるのに。それに、声の様子も何だか切羽詰まってるみたいだったし、何かあったんだろうか?
「居たっ! ヒカリっ! 大変だよ!」
そんな事を考えてると、慌てた様子のスバルが教室に駆け込んできた。勢い余って入り口のドアにぶち当たって「イテッ!」なんて声を上げてるけど、それどころじゃないらしくてそのまま僕にしがみついてきた。
「落ち着いて、スバル。どうかした?」
「どうかした、じゃないよ! 大変だよ、大変なんだよっ!!」
「分かった、分かったから。だから何がどうしたか教えて」
朝からホント元気だなぁと思いながらスバルを落ち着かせる。まるで今朝も見送った小学生みたいだ。スバルくらいの体格の子も居るし。
さて、それにしても何が起きたのか。ついにタマキが小学生に手を出して捕まってしまったとか。……十分ありそうで怖いな。一応「淑女」を自称してるからそんな事は無いとは思うけれど、否定出来ない。
そんな風に気楽に考えてた。だけど、スバルの言葉を聞いた途端、周囲から音が消えた。
「ユズホちゃんが……意識不明だって……!」
日常が崩れる音が、聞こえた。
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