海辺の街
強い日差しが照り付ける
波間で反射した光が眩しく煌めいている
“ラグナレーク”を出て1週間、ようやく砂漠を抜けた
目の前には海が広がり、呑気な海鳥が青い空を漂っている
“ヤルドナ大陸”最西端の港町“スキュテス”
当初の目的にしていた町に辿り着いた
これより先に進むには船が必要となる
三人は船の手続きを済ませると、出航時間までの空き時間に食事をとりがてら町を見て回ることにした
貿易拠点として栄える町なだけあって、様々な国の文化が混ざりあっている
立ち並ぶ店や看板の文字も多国籍で、売っているものも多種多様で賑わいをみせている
見たこともない珍しい品々に、目を奪われる
休日でもないのに通りは賑わい、どの店も人が多い
肌の色も言葉も違う人々が互いに親しく、店先の品を眺めたり値引き交渉をしている
彼等が見ているのは、何も店先に並ぶ商品だけではない
「おーおー、視線が痛いねぇ」
ガルダのおどけた口調に、ルーは閉口した
町に入った時から視線を感じていた
これ程様々な人種が集まる町といえど、若く容姿の良い三人組は自然と他人の目を集めてしまう
三人はその視線の中を歩くしかなかった
レオとガルダはショーで演奏することを生業とするため、他人の目に触れることには慣れている
ガルダに至っては反対に愛想を振り撒く始末だ
ルーもまた、人目に晒されることをさほど苦痛には感じていないらしい
立ち居振舞い、食事の仕方、歩く姿一つとっても洗練されており、一切の綻びもない
それは常に他人の目に見られることに慣れ、自然と優雅な振る舞いを演じるよう訓練された者でしか持ち得ない姿だ
本人は隠しているつもりだろうが、見るものが見ればすぐわかる
育ちの悪さが隠せないのと同じに、育ちの良さもまた隠せるものではないのだ
幼い頃から厳しく躾られてきたに違いない
それも生半可ではない
こんな時代、それを身に付けるのは高い家柄の貴族か、下手すれば何処かの王族ということも考えられる
とは言え、レオもガルダも全く興味のないことだった
ルーにとっても、それを追求されずにいられることは幸運だった
声をかけ、言い寄ってくる女や男達を適当にあしらい、無事に食事を済ませた
まずまずの料理と抜けるような晴天
町の至る所に咲く白い花の甘い香りと潮風が、気分を高揚させる
店を出ると、ガルダは時計を仰ぎ見た
「ん~、まだ結構時間あんな。オレ食糧とか調達してくるわ。出航十分前には戻るから、ここ集合な」
ガルダがそう言って人混みに消えると、レオは逆方向に足を向けた
少し歩いたところで、思い出したかのように振り返る
「オレも弾を仕入れに行く。お前はどうする、来るか?」
「いや、いいよ。せっかくだしブラブラしてみる」
「そうか。出航には遅れるなよ」
遠ざかる背中を見送り、ルーも通りに沿って歩き出す
一人で歩くのは久しぶりだ
しかし、今までの一人とは違う
今は、一緒に旅をする仲間がいる
誰かが側にいるというのは、心強くて暖かい
町を眺めるにも、今までにない余裕が持てる
空が青く、海も青い
空気がのんびりしている
ここに来てようやく、ルーの本来の好奇心が首をもたげてきた
初めての国、初めての町、初めて目にする物、物、物・・・
これだけ大勢の人が溢れているのに、自分のことを知る人は誰もいない
誰の目を気にすることもない
そう思うだけで心が軽くなる
ルーは足取りも軽く、店先を冷やかして歩いた
はたと気づけば、そこは人気のない裏路地だった
浮かれて歩いていたせいで、いつの間にか繁華街を抜けてしまったらしい
戻ろうかと考えたが、賑やかな町の裏側に興味を覚え、そのまま進んでみることにした
付けっぱなしのネオンの白けた光、日溜まりで昼寝をする猫
表とはうって変わって、生活感の溢れる静かな世界
興味の赴くまま歩いてみる
ここにも、甘く香る野バラに似た白い花が咲いている
初めて見る花だが、優しい香りが心を和ませてくれる
「その花、気に入ったのかい?」
不意に降ってきた声に驚いて顔を上げると、向かいの建物の二階から恰幅のいい女が笑って見下ろしていた
そこに住んでいるらしく、洗濯物を干し始めた
「旅人さんかい?」
ルーが頷くと、女はおおらかな笑い声をあげた
港町の女を代表するかのように開けっ広げで人懐こい気質が伺える
「だろうと思ったよ。その花は“ロマネア”って言うんだよ。この土地の花さ。土地の人間には珍しくもなんともないからねぇ」
気に入ったのなら持っていってもいいと言われたが、旅の途中なので断った
再び歩き出したが、花の香りは町中に溢れている
女の話では“ロマネア”は古くから愛の花とされているらしい
ロマネアで花冠を作り、髪を飾って嫁ぐのが風習なのだと聞いた
甘やかな香りをまとった花嫁はさぞ美しいだろう
想像を巡らせながら歩くうちに、屋台を連ねる場所を見付けた
表通りから大きく離れたそこは、正規の売り場ではない
普通の市場には出せないような安くて形の悪い粗悪品がほとんどで、一目で偽物とわかる美術品が並ぶ
中には場にそぐわない超一級品もあるが、こちらの方が危ない
出所は決して明らかにされることのない盗品に違いない
この場所は観光気分で足を踏み入れて良い場所ではない
慌てて引き返そうとして、人だかりが出来ているのを見付けた
いけないと頭でわかっているが、好奇心は大人しくしてくれない
足はそちらに向かっていた
屋台の感じや看板の文字を追ってみると、そこは見世物小屋だった
鉄製の檻の中には世にも珍しい動物達が閉じ込められている
双頭の狼に見せかけて偽の首を着けた犬、七色に染め分けられたたてがみのライオン、かつらを被せて人魚と偽ったジュゴン・・・どれもひどい出来だ
場末の見世物小屋だ、こんなものかと鼻白んで眺めていたが、一つの檻の前にだけ大勢の人が集まっていた
皆興味深そうに見つめている
妙に気になって、懸命に首を伸ばすが見えるのは人の頭ばかりだ
一目見てやろうと躍起になっている内に、屋台が揺れ動き壇がせりあがった
小さな舞台の上には座長らしい、腹の出た男が立っている
脂にテカらせた顔に張り付けたような笑顔で観客を見回す
濁った目に嫌悪感がつのる
イカサマの珍獣を見せびらかすような人間だ、まともな神経ではない
「Ledy,s and jentlemen!お待たせいたしましたっ!これより当方自慢の見せ物が始まりますっ!!時間のある人もない人も、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!見なけりゃきっと損をする!見ればきっと得をする!!」
軽快な口調が高らかに響き渡る
ドラムロールに続いて壇上に上げられたのは、先程まで人だかりが出来ていた檻だ
その中には鎖に繋がれた女が一人、力なく座っている
「見るもみすぼらしいこの女!しかしてこの女は何よりも高い価値があるのです!それもそのはず、これは世にも珍しい特異体質をもつ宝石人、かの伝説に聞く悲劇の人種“宝石人”の生き残りなのです!!」
ルーは驚いて人を掻き分けて前へ進んだ
非難の声を無視してようやく前に出ると、檻の中で踞る女を見た
擦りきれて薄汚れた服、傷だらけの肌には血が滲む
十分な食事も与えられていないのだろう
ひどく痩せ細り、弱りきっている
「流す涙が真珠となるその神秘、さあ、とくとご覧あれ~!」
男の合図で女は檻から引き摺り出され、その体に鞭が振り下ろされる
ところが女の目からは真珠も涙も溢れず、弱々しい悲鳴があがるばかりだ
涙など枯れるほどに泣かされたのだろう
それとも、痛みにも苦しみにも慣れてしまう程に痛め付けられてきたのか・・・
男はむきになって鞭を振り下ろす
弱りきった女は苦痛に顔を歪めている
最初は興味本意で見ていた者も、その残酷な光景に顔を背ける
肌を打つ音が、痛みに唸る声が響く
一人、また一人と観客が減っていく
座長の男は必死になって客を呼び止めようと鞭を打つ
鞭についた血が、最前列にいたルーの頬に跳ねとんだ
拭った指先に紅い色がうつり、視界全体が紅く染まった
「っ!?何しやがるクソガキ!邪魔すんじゃねぇ!!」
突然壇上に上がったルーに振り上げた腕を捕まれた男は、苛立ちも露に声を上げた
「やめろ、それ以上傷付けるな」
「関係ねぇガキはひっこんでろ!泣かさねぇと真珠は採れねぇんだよ!!大体こんなこ汚ねぇ女一人おっ死んだところで誰が困るってんだ」
男はせせら笑って、踞って震える女に唾を吐きかけた
その瞬間、男の体が宙を舞った
観客の中に倒れ込んだ男の体は、誰に受け止めることもなく地響きと共に地面に沈んだ
小柄なルーが倍程もある巨漢を蹴り飛ばしたのは、皆の目に映っていた
「クソガキがぁっ!正義のヒーロー気取りかっ!」
見せ物小屋の男達がルーを取り囲む
どの男も凶悪そうな目をしており、そのまま楽に帰してはくれなさそうだ
ルーは隠し持っている棒を手に、襲い掛かる男達を一人残らず倒してしまった
ふうと息をつくと、割れる様な拍手が沸き起こった
口笛や歓声が混じっているのは、ルーの太刀合いが見せ物と思われたからだろう
一瞬驚いたものの、それを利用することにした
女の手を恭しくとって共に立ち上がると、大きく頭を下げて舞台を降りる
騒ぎに乗じて街まで逃げることにした
人混みにさえ入れば、いくらでも追っ手をまける
しかし、手負いの女を連れていてそう早く移動出来るはずもない
地の利がない分の悪さも手伝い、いくらも逃げないうちに行く手を阻まれた
小柄なルーに女を抱えて走ることなど出来ない
追っ手との距離はジリジリと縮まり、行き止まりに追い詰められた
ルーは女を背に庇い、追っ手と対峙した
「小僧・・・泥棒たぁいい度胸だ。覚悟はできてんだろうなぁ」
「泥棒?人拐いの間違いだろ。大体人のこと言えた義理か」
「坊主、口には気を付けろ。まだ死にたかねぇんだろ?いいか、その女は人じゃねぇ、宝石を作る道具だ!道具は物。物を盗るのは泥棒ってんだ!」
男達の嘲笑う声が薄暗い路地にこだまする
ルーの肩が、小さく震えていた
男達の笑い声が一層大きくなる
「怖ぇならイキがって首突っ込むんじゃねぇよ!帰ったらママに慰めてもらえよ。ただし、病院でな」!
馬鹿にしながらルーの肩に手をかけた男は、声を詰まらせて倒れた
体の下にじわりと赤黒い血がにじみ出る
「なっ・・・何しやがっ・・・!?」
ゆらりと、ルーの体が揺れる
手にした細い刀から血が滴り落ちる
「貴様等のような奴等がいるから・・・貴様等のせいで・・・」
ルーの体を、青い炎が揺らめいて包み込む
目の錯覚かと思う程にぼんやりと、しかしその場にいる誰もがその靄のような光を目にしていた
冷たく凍り付くような光を宿した目
睨み付けられた男達は、恐ろしい気迫に気圧されて逃げ出すこともかなわない
絶対的な敗北感に全身総毛立たせ、足をすくませる
あとはもう、成す術もなくやられるがままだ
真の姿を見せた ルーの武器は諸刃の細い短刀“鷹針”
一つの動作で攻撃も防御も出来る故郷の秘剣術
普段は鞘に納めたまま、棒の状態で相手の急所を突く
それなら命を奪うことなく、血を流すこともない
しかし、今のルーにそんな容赦はない
怒りと憎しみに突き動かされるその姿は鬼神の如し
美しい鬼は死の舞で次々と敵を地に沈める
動くものがいなくなってようやく動きを止めたルーは、肩で大きく息をしているものの怪我一つ負っていない
大きく息をついて鷹針を収めると、体を取り巻いていた光が消えた
ルーが振り返ると、女は蒼い顔で震えていた
ゆっくりとした足取りで近付くのだが、女は身をこわばらせる一方だ
膝をついて手を伸ばすと、悲鳴をあげて身をかばう
「いやあぁぁっ!殺さないでっ!!」
よほどひどい目に遭ってきたのだろう
女はすっかり怯えきっている
今の彼女にとってはルーも見世物小屋の男達もかわらない
どちらも自分を傷付ける存在だと思っているらしい
やりきれない思いに唇を噛んで手を引いた
「あなたに危害は加えません。それに・・・彼らだって殺したりしてない」
女はおそるおそる手をどけると、周りを見回した
確かに、倒れている男達は誰一人死んでなどいなかった
血は流れているものの、皆ちゃんと息をし、情けないうめき声を上げている
怒りに全てを忘れている様に見えて、実はちゃんと急所は外していたのだ
ルーは、自分の上着をそっと女の肩にかけた
「辛い目に、遭わせましたね・・・」
絞り出すような声
突如として現れ、自分を救いだす為に悪漢に立ち向かっていった少年
見知らぬ少年なのに、まるで自分に非があるかのような沈痛な表情をしている
女は不思議に思って眉根を寄せ、ルーを見つめた
それから弾かれたように身を起こすと、ルーの腕を掴んだ
その目に涙が盛り上がったかと思うと、次々に溢れだす
流れた雫は、光沢のある青白い珠となって転がり落ちた
「バルドル・・・様・・・?」
ルーは小さく首を振る
久し振りに耳にしたその名は、胸に突き刺さるような痛みを与えた
「兄は・・・もういません。あなたは城で侍女をしていたのですね?」
「・・・バルドル様のお側でお仕えしておりました。フェルセティ様もフレイ様もよく存じ上げております。先の戦乱で捕らえられ、各地を転々として参りました。あぁ・・・よくぞ御無事で・・・ですが・・・なんというお姿に・・・お辛うございましたでしょうに・・・」
女は大粒の涙を流す
ルーの髪に躊躇いがちに触れると、更にむせび泣いた
自分こそひどい目に遭ってきたというのに、ルーを心配している
今はない故郷で、献身的に仕えていたのだろう
ルーは悲し気な笑みを浮かべると、女の手をしっかりと包み込んだ
「姿など、あなた方に遭わせた目に比べれば取るに足りません。もう大丈夫です、安心なさい。すぐに迎えを呼びます。仲間と共に安全な場所へ隠れ、ゆっくりと休みなさい」
「仲・・・間・・・?」
女が目を見開くので、ルーは安全させるように微笑んだ
「生き残った者は“白の谷”へと逃げ延びました。あの場所なら安全です」
女の目に見る見る間に活力が戻る
辛い生活から解放され自由になれる喜びと、仲間が生き残っているという知らせに、生きる希望を思い出したのだ
「谷へ行き、体力が戻りましたなら、どうか私をあなた様のお側でお仕えすることをお許し下さい!このご恩、この命が尽きるまでお仕えしてお返しいたします」
女の目から、大粒の真珠がこぼれ落ちる
今度は先程とは違い、優しくて柔らかな純白の真珠だ
涙を石に変える宝石人は、嬉しくて涙する時に最高の石を生む
ルーは嬉しそうに微笑んだが、首を振った
「申し出はありがたく思います。ですが、わたしはまだ戻るわけにはいきません。それに、この事を恩義に感じる必要などありません、当然の責任なのですから。どうか、ゆっくりと体を治すことだけを考えなさい。私には、気持ちだけで十分です」
「何故ですっ!?何故あなた様がそのような・・・」
「全ては私に課せられた運命なのです」
何人たりとも曲げることの出来ない、強い意志を宿した瞳
女はルーの手を取って、声をあげて泣いた
周りに散らばる真珠は、まるでロマネアの花弁を撒いたかのように見えた