明かされし秘密
熱に浮かされたルーは、夢をみていた
暗い、冷たい道を一人で歩いている夢だ
自慢だった長い金の髪を失い、身を飾るアクセサリーも、美しいドレスもない
裸足の足は長い道で傷み、流れ落ちる血が蕀となって絡み付く
何度も何度も転んでは立ち上がる
つらくて苦しい旅の道
行く先は闇に包まれ、何も見えない
後ろを振り返ると、歩いてきたはずの道は崩れ落ちている
細い長い道を目隠しで歩くよう
一歩でも踏み外せば底のない谷へとまっ逆さまだ
怖くてつらくて、孤独が身に染みる
それでも、立ち止まることは許されない
ただただ前に向かって進むしかない
痛む体を引きずり、弱る気持ちを奮い起たせ、倒れる度に立ち上がる
何度も何度も立ち上がってきたが、服も顔も髪も泥にまみれ惨めだった
足が、動かなくなってしまった
もう、限界などとうに超えていた
身体に力が入らず、絡み付く蕀が肌に食い込む
背後に、重く冷たい死の気配が近付いてくるのがわかっていたが、蕀を振りほどいて逃げる力など残っていない
もう、ダメかーーー
そう、諦めかけた時、不意に光の存在に気が付いた
柔らかな光は真っ白で、夜雪の放つ光ににていた
道の前方に灯った光が、ゆっくりと近づいてくる
光が目の前で止まると、その中に人がいるのがわかった
優しくて暖かな光を纏った手が頬に触れると、冷えきった身体に温もりが広がっていく
動くこともできなかったさっきまでが嘘のように、力がわきあがる
つきまとっていた痛みも消え、翼が生えたかのように身体が軽い
差し出された手を取って立ち上がると、金の髪が肩から流れ落ちる
惨めな泥だらけの服は空色のドレスに、足元は飾りのついたミュールに変わっていた
谷で皆の庇護の元にいた、美しい姫の姿を取り戻していた
驚きを持って光の中の人を見つめた
背が高く、年若い男であるらしい
何処か懐かしい気持ちになり、知った人なのだと感じる
しかし、放たれる光が眩しくて、目を細めて見ても顔は見えなかった
柔らかく抱き締められると心地好くて、心が落ち着く匂いがした
髪をすく手が、背中を撫でる手が優しくて、ずっとそのままでいたいと思った
何もかも忘れ、すべてを捨ててその胸に身を委ねれば、きっと楽になれる
気持ちの良さに目を閉じ、そのまま眠りにつこうとした
しかし、遠くで呼ぶ声があった
名を、呼ばれている
無視しようと思ったが、声はどんどん近付き大きくなる
何人もの声が重なり、名を呼び続けている
ひどく切迫した声だった
ルーは呼び声の主達を思い出した途端、正気にかえった
谷に残してきた民達が、自分の帰りを待っている
道の先には不当な扱いに苦しみ、助けを待っている民達がいる
そして今、自分を仲間と呼んでくれる者がいる
まだ、ここで立ち止まってはいけない
ルーは男の胸に手を付いて、そっと体を離した
不思議そうに首をかしげる男の両腕は、すぐに抱き締めてくれるように開かれている
ルーは頭を振って甘えてしまいそうな自分を振り払った
サラサラと音をたてて揺れる髪が、男の光で輝く
「あたし、まだ止まれない。まだ、しなきゃいけないことが残っているの
するべき事がある故に始まった旅
今はまだその途中、何一つ目的を果たしてはいない
滅び行く民の為に何かしたくて、守られるだけの自分が嫌だった
自分でも、何かの役に立てることを証明したくて、自分の存在意義を知りたくて、この旅に出た
こんな半端なままでは終われない、否、終わりたくない
「なんの力もない、弱いあたしだけど・・・こんなあたしを待ってくれている人達がいるの」
自分に言い聞かすように、一言一言を噛み締める
「あたしが、きっと救いの力を見付けてくると信じてくれる、その人達が大事なの。父や兄達が、命をかけて守ったものを、あたしの手で守ってみせる!だから、もっと強くなりたい・・・まだ、止まらない!!」
ルーが、はっきりそう口にすると、男は静かに腕を下ろした
恐る恐る見上げた口元には、穏やかて優しい微笑みが浮かべられている
大きくて骨っぽい手が、優しく頭を撫でる
暖かい手は、父を思い出させた
その手が頬をなぞり、心地好さに目を閉じると、唇が重なった
触れている身体からは想像もつかないような柔らかな唇
唇を通じて、光が自分の中に流れ込んでくる
身体の芯が熱くなって、自分の知らない何かが生まれたのを感じた
今まで身体の奥で眠りについていたものが、産声をあげている
男は唇を離すと、ルーの長い髪を指に絡ませて唇を落とした
背筋が粟立つ感覚に身体が震える
愛されている
はっきりと感じられる
言葉にされるよりもずっとはっきり感じる
そして、自分もこの男のことを愛している
優しい優しい空気を纏った、顔の見えない男
目を凝らしても見えないのに、不思議と少しも怖くない
懐かしくて、ずっと探していた男
会いたくて仕方がなかった男
ずっと探していた・・・片割れ
目を開けたルーは、夢の余韻が覚めずボンヤリとしたままだった
数度瞬きを繰り返し、視界の曇りが消えると、ようやくそこが朽ちかけた家の一室であることを思い出した
自分でベッドに入った覚えはないが、深い眠りについていた
何かすごく良い夢を見ていたはずだが、思い出させない
のろのろと身体を起こすと、その拍子に額のタオルが落ちた
完全に覚醒していないルーには、何故タオルが額に乗せられているのかわからない
濡れた感触はまだ新しく、温くはなっているが、一時間も経ってはいないだろう
タオルをベッドサイドのテーブルに置こうとして、視界の端に何かをとらえた
秋の麦畑を思わせる、明るい金茶の髪
不思議に思って身を乗り出すと、ベッドに持たれるようにして床に座ったレオの姿があった
驚いて身を引いたが、ピクリとも動かない
そっとベッドからおりて覗き込んでみると、レオは眠っていた
立てた片膝に腕を置き、そこに額を付ける少々苦しい格好で静かな寝息をたてている
ルーは、出会ってから一度も見ることのなかったレオの素顔に見いっていた
暗いサングラスに隠されていた素顔は、思っていた以上に美しい
窓から差し込む柔らかな太陽の光に、長いまつ毛が光る
男を見て、心底綺麗だと思ったのは初めてだった
「ん~・・・」
不意に聞こえた声に目をやると、ガルダが床に転がっていた
起きたわけではなく、ただの寝言らしい
体の向きを変えて、また動かなくなった
二人がこれ程に深く眠り込んでいるのを見るのは初めてだった
ふと、左手に包帯が巻かれているのを見つけた
ほどいてみると、紅く内出血をおこした甲の中心に小さな傷がある
ベッドサイドのテーブルに水を張った桶や、残り少なくなった薬の瓶を見つけた
瓶のラベルには解毒剤に使われる薬品が記されている
ようやく、自分が蜘蛛の毒に倒れたのだと理解した
時計を見れば丸二日寝ていたことになる
レオとガルダは付きっきりで看病してくれていたのだ
迷惑をかけてしまったことを悔やみ、情けなさに気が沈む
砂漠を甘く見ていたルーの過失だ
自分の体調一つ管理出来ない弱さに項垂れた
旅に出て、強がってばかりいるくせに、その実里で守られていた頃と少しも変わっていない
大きく溜め息をついて髪をかきあげる
太陽の光が、金糸をキラキラと輝かせている
顔にかかる髪を鬱陶しく思い、結ぶ紐を探そうとして、はたと思い出す
今、自分の髪は短くて黒いはず
この手で切り、染めたのだ
ところが、その手に掴んでいるのは紛れもない、長い長い金の髪だ
引けば痛みを感じる自分の髪
眠っていたたった2日で元の長さに戻っている
夢が現実になるという、非常識な事態が起きてしまった
ルーは叫び声をあげそうになって、口を押さえた
心臓はうるさく、頭の中はパニックで考えがまとまらない
レオが動く気配を感じ、慌ててベッドに飛び込んだ
頭から毛布を被り、背を向けるので精一杯だ
心臓は早鐘を打つようにうるさい
一体何が起きたのか検討もつかない
すぐにでも逃げ出したいが、もう遅い
すでにレオは目を覚ましている
「ルー、目が覚めたのか」
寝ている振りをするにはあまりにも不自然な体勢だ
「う・・・ん」
「具合は、気分は悪くないか?熱は?」
「だい・・・じょうぶ。もう、平気」
「そうか・・・良かった。2日も眠ったままだった」
その声は驚く程に安堵感を含んでいた
いつも無関心で無表情なレオの声とは思えず、驚いて聞き入った
サングラスを外している今なら、その表情も見れるかもしれない
振り返って確かめたい衝動に駆られるが、どうにかそれを押し止めた
今の姿を人目に晒すわけにはいかない
きちんと礼を言えないことに良心が痛む
こんな砂漠の真ん中で2日も足止めを食わせてしまった上、大切な水を使わせてしまった
それに、あのレオにこんなに心配をかけてしまったことが心苦しい
「ごめん・・・その、ほんとにごめん」
「気にするな。だが、今回はたまたま薬が見つかって運が良かっただけだ。二度とないよう気を付けろよ」
毛布越しに撫でられた手は、大きくて優しい
何かを、思い出しかけた
「お前、苦しくないのかソレ」
「い、いいんだ、これで!も少し、眠りたい、から」
「ふうん?まぁ、いいけど・・・」
レオが離れる気配を感じ、密かに胸を撫で下ろした
一難去ったらしい
「お前は寝小便隠してるガキかっつーのーっ!!」
弾んだ声と共に、一気に毛布が剥ぎ取られる
気付かない内にガルダまでもが目を覚ましていたのだ
止める間もなく毛布が剥ぎ取られ、風圧で髪が散る
流れるような金の髪を纏うルーの姿は、しっかりと二人の目に映ってしまった
大きく見開かれた目が、ルーを凝視している
ルーは見られたショックで身動きが取れなかった
水を打った様な静けさが、部屋の中に満ちている
なんとかして誤魔化そうと思うのだが、何も頭に浮かばない
沈黙を破ったのは、レオだった
琥珀の瞳が、真っ直ぐに向けられている
「具合は、本当に大丈夫そうだな。腹減ってるだろう、メシにしよう」
「え、レオ・・・」
「メシだ」
レオはガルダを押し出すようにして出ていった
一人残されたルーは、しばらくの間動くこともできなかった