長い夜
夜の闇に飛び出したレオは、村の家を手当たり次第に探し回った
ここは砂漠に囲まれた村、毒虫に対する処方を心得ているに違いない
きっとどこかに解毒剤を持っているはずだ
折しも今夜は新月の晩
暗黒の闇が全てを呑み込む夜だ
物を探すのに、小さなライトと星明かりでは暗すぎる
本来ならば絶望的状況だが、レオに限っては味方した
いつものサングラスは置いてきた
暗がりで、うっすらと放たれる光
一つも見逃さないように目を走らせる
暗闇の中でも、人に関わったものの放つ光はしっかりと見える
心底嫌っている自分の特殊能力が、こうして役に立つ日が来るとは思わなかった
今、この状況でルーを救えるのは、レオただ一人
この時ばかりは力を持って産まれたことを感謝した
幾つもの廃墟を巡り、十数件目にしてようやく診療所らしき建物を見つけた
外れかかったドアを蹴破り、砂の積もった待合室を走り抜ける
診療室と調剤室を見つけ、隅々まで目を配る
風化してラベルも読めない薬ビン、錆び付いた鉗子、空っぽの戸棚
何処にも目的のものは見当たらない
こうしている間にもルーの身体を毒が駆け巡る
ぐったりと力の抜けた熱い身体の感触が、腕に甦る
ルーを包む黒いモヤが、青い光を蝕んでいた
弱った光は、そのままルーの命を表している
人の身体から放たれる光は、生命力の形だった
体調や感情によって強さが変わり、その人が関わった無機物にも光は移る
レオの目にはそれが見える
物心が付いた頃には、すでに感じられていた
光は何時でも側にあった
自分にとって光が見えるのは当たり前のこと
しかし、他の者には決して見えることのない世界を見ているのだと悟った時、自分が異質な存在なのだと知った
人は皆、異質な者を恐れ、排除したがる性を持つ
家族もなく、施設で暮らすレオにその悩みを相談出来る人も、守ってくれる人もいなかった
光はその人の感情をありのまま表す
表面をいくら取り繕っても、その本音は隠すことはできない
人の心が見えてしまう後ろめたさと、本音と建前の差に対する絶望
幼いレオにはつらすぎた
繰り返される落胆の日々に他人と距離を置くクセが出来てしまった
人の側にいるのが怖くなり、誰にも心を開くことが出来なくなってしまった
自分の本当の姿を明かされた時、人々はきっと恐れ蔑む
バケモノ・・・と
何よりも異質な存在である自分自身が怖かった
人の心を読むことなど、望んでいなかった
いっそなにも見えなくなれば良いと、目を潰そうとも考えた
しかし、目を潰せば一生そこから動けなくなる気がして、やめた
それだけは、嫌だった
その代わりに、隠すことを覚えた
暗く視界を遮るサングラス
フィルターを通した世界に色はない
だから、人前では決して外さないことにした
見たくないものなら、隠してしまえばいい
自分の弱さを隠し、自分でも気付かない振りをする為の仮面
強い自分でいるために、全てを拒絶するしかなかった
拒み、忌み嫌っていた力
それが、今、たった一つの綱になっている
ルーを救うたった一つの希望
解毒剤は自分にしか見付けられない
絶対に死なせたくない
何がなんでも助けたい
心から、強くそう思った
焦りと苛立ちから、レオは側にあった四角い箱を思い切り蹴りあげた
大袈裟に大きな音が響き、砂埃が舞い上がる
全てを壊してしまいたい衝動に駆られ、手当たり次第に蹴って投げつける
荒く息をついていると、ふとそれまでとは違う光を見た
砂埃を払いながら、ゆっくりと近付いていく
四角い箱だと思っていたものは、錆び付いた金庫らしかった
蹴った拍子に蝶番が壊れ、中身が転がりでていた
割れたビンや書類の中に、探していたものがあった
ライトでラベルを照らし、探していた解毒剤と知る
レオはビンを握りしめ、一目散に走り出した
「レオッ!薬はっ!?」
青ざめた顔でルーの側に座っていたガルダは、ドアの開く音で立ち上がった
肩で息をし、話せる状態にないレオの手に薬があるのを認めると、ホッとしたようにルーの側から退いた
入れ替わりにレオが椅子に腰を下ろし、ルーを見る
相変わらず呼吸が浅く、熱が高い
顔色も蒼白で、熱で上気した頬がやけに紅く目にうつった
黒いモヤはじわじわと侵食を進め、今や身体中を覆っている
揺すっても声をかけても反応せず、時折苦しそうに呻き声をあげる
もう、時間に猶予は残されていない
一刻も早く毒を中和しなくては、このまま永久に眠ることになる
レオは薬を口に含むと、水を煽った
ルーの首の下に手を添えてそっと持ち上げると熱い唇を自分のそれで覆う
苦い薬に、ルーは反射的に顔を反らせようとするので、首筋と肩を押さえ付ける
舌でルーの舌根を押さえ付け、無理矢理喉に流し込む
全て呑み込んだのを確認してから唇を離す
椅子にどっかりと腰を下ろし、ようやく息をつく
額をぬぐうと、じっとりと汗に濡れた
後ろから濡れタオルを差し出され、ガルダのことを思い出した
彼は一言も話さずに、ずっと心配そうに見守っていたのだ
濡れタオルで汗を拭うと、いくらか落ち着いた
「大丈夫、薬は飲めた。朝までに熱が下がれば問題ない」
昔読んだ医学書に、毒虫の対処法が載っていた
うろ覚えだが、素人治療で出来ることなどたかが知れている
今、この状況でできる限りのことはした
あとはルーの精神力次第
生きたいと言う想いは何よりも強い
どんな病も強い意志の前では力を失う
とんな薬よりも有効に作用するはずだ
反対に、生きることに絶望しているのであれば、どんな健康体だって意味を失う
全てはその人の精神次第
はたして、ルーの気持ちは・・・
何も出来ない二人は、一晩中ルーの側にいることにした
どうせ他の部屋にいても気になって眠れないのはわかっている
それなら、側で見守っていてやりたい
会って日も浅く素性も知れないが、ルーは大切な仲間だ
細くて小さい身体が、今夜を乗り切れるのか心配だ
旅慣れていない分、疲労も溜まっていただろう
荒れ荒んだ街の跡で病に倒れては、まともな治療は望めない
解毒剤を手に入れられたこと自体、奇跡に近い
運良く薬が残されていたのでなければ、もうすでに事切れていたかもしれない
しかし、ルーは生きている
小さな身体で熱と痛みに耐え、苦しみと戦っている
その姿は、どんな言葉よりも強い励ましになる
レオは祈るような想いでルーを見詰めていた
ガルダは温くなった水を取り替えに、そっと部屋を出た
床の上に放り投げられたままのレオのサングラスが、灯りを反射していた
ルーが倒れた時に外され、そのまま置き忘れられたものだ
ルーが道連れになって以来、彼が灯りの下で素顔を晒すのは初めてだった
その事実に改めて気付き、驚きと共に後ろを振り返った
ドアの隙間に神妙な面持ちのレオが見える
端正な横顔
男の自分から見ても、綺麗な顔だと思う
他人に素顔を見せたがらず、長く生活を共にしているガルダにすら、あまり見せたがらない
だからこそ、あの瞳は印象的だ
鋭く磨き上げられた刃のような光を宿す、琥珀の瞳
どんな時でも崩れることのない表情と、静かで低く落ち着いた声
しかしそれは、どこか自分を押さえ込んでいるように感じられる
噴火寸前の火山のように、熱く激しいものを内に秘めている
それを解放すると、彼は暴走してしまうのだろうか
自分のことを、自分で理解しているがゆえに全てから関心を取り払ったのではないだろうな
それが・・・今夜はまるで別人だ
汗だくになって走り回り、有るかどうかも分からない薬を探し出してきた
声はいつも通り冷静だったが、内心の動揺は伝わってきた
ルーの側を離れようとはせず、じっと見守っている
祈るような、すがるような目で、少しの変化も見逃さないように目を見張っているのだ
一緒に旅をするようになって十数年、こんなレオは見たことがない
ハンターとして仕事の腕は確かであり、銃を持たせれば超一流
人並み外れた分析力に判断力、それに伴う行動力
料理の腕は別として、なんでもそつなくこなす
今、こうして生きていられるのも、レオの的確な判断によるところが大きい
誰よりも信頼のおける男だ
心からそう思う
しかし、時々不安になることがある
レオは冷静沈着な反面、かなり無鉄砲な行動をとる
危険だと知っていながらわざわざ猛獣の巣へ近付いたり、マフィアの抗争が起きている街中を歩き回ったり・・・
確かに彼は一度として大怪我を負うこともなく、血を流すことすらないのだが、無鉄砲な行動は自信の現れや、自分への挑戦と言った類いではない気がする
危険を無事回避した後、何故か妙に機嫌が悪くなる
まるで怪我をしなかった自分を嫌うかのように
レオにとって、自分というもののあり方が、他人とは違うように思える
わざと自分を危険に晒すような自虐的な空気が感じられるのだ
死にたいと思っているわけではないようだが、どこか生き急いでいる感がある
彼は他人に無関心である以前に、自分のことが嫌いなのかもしれない
時折、ぞっとする程冷たい目をしていることがある
目に映るもの全てを否定しているような、感情を持たない凍りついた目
どんな猛獣も凶悪犯もあんな目はしていない
その目には長年側にいるガルダでさえ、恐怖を覚えてしまう程だ
一体、何が彼をそうさせているのか、過去に何があったのか、知る由もない
レオの瞳は氷の刃だ
そう、思っていた
ところが、最近レオは少し変わった
相変わらず無表情、無愛想で、口数も少なくサングラスも外さない
しかし、彼を取り巻く雰囲気が、確かに変わった
今までの触れると切れそうな鋭さが、ほんの少し和らいだ気がする
少しだが、笑うようにまでなった
原因は考えるまでもない
ルーがレオを変えた
それは間違いない
ガルダには強い確信があった
レオの凍りついた心を溶かすことのできる人間を、ずっと探していた
レオはガルダのことを相棒として認め、信頼している
しかし、彼を救ってやることは出来ないのだと知っていた
自分にできるのは、彼が退屈をせずに済むよう、一緒に楽しく過ごすことだけ
自分に与えられた役割を正確に理解しているからこそ、無茶や馬鹿をやって引きずってきたのだ
ただし、ガルダにできるのはそこまで
レオの心の闇に光をかざし、燻っている焔を焚き付けてやれる人間は他にいる
その人を、ずっと待っていた
やっと、やっと希望が見えた気がする
「頼むぜ、ルー・・・多分、お前が鍵なんだ。だから、こんなトコでくたばったりすんじゃねぇぞ。まだ、何も始まってねぇだろ」
鮮やかな笑顔が頭に浮かぶ
「よぉ、神サマ、そこにいんならしっかり聞いてくれ。あの子はオレ等にとって、すげぇ必要な子なんだ。まだそっちにゃ逝かせねぇからな」
ガルダは柄にもなく神に言葉をかけた
ただし、祈るのではなく挑むところが彼たる由縁だろう
水を持って戻ると、レオがルーの髪をそっとなでていた
その姿を見て、自分の考えが正しいと確信が持てた
やはりルーは必要な人間だ
まだ何もしていないのに、こんなところでいなくなられては困る
ガルダはそっと額のタオルを取り替えた
先程と比べると随分呼吸が楽になっている
悪い夢から解放されたのか、うなされてもいない
静かに規則正しい呼吸を繰り返している
あとは熱さえ下がれば心配ない
二人は言葉を交わすことなく、長い夜を過ごした