皇女の旅立ち
頼りなく細い三日月が空に浮かぶ夜、ルーは占の洞に呼ばれた
隠れ里の“白い谷”の最奥には、占の洞と呼ばれる洞窟がある
そこには盲目の老師グィディオンが座し、日夜神に祈りを捧げている
“虎目石”の“宝石人”である彼には未来を見通す力があり、人々に忠告と助言を与えるのだ
民は皆、彼の先見に絶望的な信頼を置いている
先見で下された神託により、ルーが呼ばれた
壇の前に座したルーは、老師グィディオンと向き合った
神託の内容はすでに聞かされており、心の内は驚く程に静かだった
「・・・姫様、つらく厳しい旅になりましょう。覚悟はおありですね」
神は失われた“魔法石”が“宝石人”には必要であると告げ、それを探し出せるのは王族の血を継ぐ者だけだと語った
王族によって隠された“魔法石”は、王族にしか見つけられないと言う
国が滅びた今、王族の血が流れているのはルーただ一人である
当然、その役目はルーのものとなる
「覚悟はできています。それが私に課せられた運命なのでしょう」
淀みなく紡がれた言葉に嘘はない
どこか、こうなる事がわかっていたからなのかも知れない
「老師っ!何も姫様にその様な役を与えずとも!」
「そうですわ!蒼玉王家は先の戦で王を亡くし、紅玉王家はとうに滅んでいるのです!!今となっては姫様だけが我々を導く王になられる方なのですよ!」
周りを取り囲む大人達が騒然となる
秘密裏に行われる神託の為、居合わせたのは里の上層部の者だけだ
彼等は口を揃えてルーが里を離れることに反対した
滅びかけた国にとって、たった一人残った純血の姫君は未来を支える大切な神輿
弱った民には心の拠り所が必要だった
能力はどうであれ、明確な指導者の象徴が必要だ
奇跡的に生き延びた皇女をまつりあげることで、民の心をまとめているのだ
もし、旅先で姫君が命を落とすことにでもなれば、民は暴動を起こしかねない
それ程に、里は不安定になっているのだ
老師はゆっくりとルーに向き直った
「姫様、聡明なそなたなら、お分かりじゃな・・・」
ルーはしっかりと頷いて見せると、深々と頭を下げた
口々に意義を申し立てる臣下達一人一人と眼差しを合わせ、洞窟を出て行った
その目に宿っていた揺るぎない固い決意を目の当たりにし、皆は口をつぐむしかなかった
実際、国を失った里は少しづつ弱り続けている
神託が下された以上探しに出ないわけにもいかない
残された大人達は、少女の細い肩に全てを背負わせ、黙って見ていることしかできないのだ
“宝石人”は二柱の王が互いを補い合うことで均衡を保っていた
戦と火を司る紅玉王族と、癒しと水を司る蒼玉王族
二つの王族の中で最も力のある者を王とし、二人の王が国を治めていた
その二つの力の間には常に“魔法石”があった
何にも属さない“魔法石”によって相反する二つの力の均衡を保っていたのである
ところが、二十数年前のある日、“魔法石”が消えた
次期“紅玉”王となるはずだった者が、石と共に忽然と姿を消してしまったのだ
“魔法石”は“宝石人”の象徴であり、全ての源
それを盗み出した罪は重い
紅玉王族はその咎で王の座を追われ、女子どもなく幽閉されたまま滅び去った
国は残った蒼玉王族によって統治されることとなった
だが、元々二つで一つとして治めていた国である
片方だけでは均衡を保てないのは当然のこと
戦の力を失った国に戦う術はなく、あっという間に他者の圧倒的な力にねじ伏せられてしまった
統治して十年を数えるまでもなく、蒼玉王族は悲劇的な末路を辿り、“宝石人”の国は滅びた
生き残った蒼玉が王になったところで同じこと
結果は目に見えている
“宝石人”が存続するには“魔法石”が必要不可欠なのだ
“魔法石”を取り戻す以外に生き延びる術はない
全ては姫君一人の肩にかかっている
ルーは自室に戻ると、静かに座して目を閉じた
自分の肩に、民の運命が重くのし掛かっているのを感じる
重くて重くて、息苦しくなる
泣き言も弱音を吐くことも許される立場ではない
全てを受け入れるしかない
立ち上がって、壁に掛けてある刀をとる
スラリと鞘から抜くと、ずしりと重い刀が手に乗る
鋭い刃に映るのは、青い瞳
長い長い髪は、太陽の光を移したような蜜の色
先代の蒼玉王であった父から受け継いだ美しい髪
一束ねにして掴むと、躊躇いなく刀を立てた
「ッキャアアアァッ!!お、お止めください姫様っ!!」
お茶を持ってきた侍女が慌てて止めようとするが、もう遅い
床に届くほどに伸ばされていた髪は、床の上に散っている
天井から吊るしたランプの光が、髪に艶を与えている
それはまるで、秋の枯野が夕日に輝くようだ
肩より短く髪を切り落としたルーは刀を納めて振り返った
ショックにおののく侍女とは反対にすっきりとした表情だ
「エイルをここに」
侍女はもつれる足で部屋を出ていくと、すぐに戻った
その後ろに、飴色の巻き毛を持つ美しい女を連れている
シャンパン・イエローのドレスが、その淡い水青色の瞳によく似合う
ルーの変わり果てた姿に驚いて言葉を失って立ち尽くすエイルに、真っ直ぐに視線を合わせる
「私はこれより“魔法石”を探す旅に出る。この谷に戻れるその日まで、姫であることも女であることも捨てる。私の留守中、蒼玉の姫はそなたが名乗れ」
ルーの言葉にエイルは息をのんで後ずさった
「姫様っ!わ、私にそのような大役が勤まるはずがございませんっ!!」
「エイル・・・そなたにかような役目を押し付けるのは、私も胸が痛む。しかし、この谷においてそなた以外には勤まらない。そなたならわかるであろう」
エイルはルーの乳姉妹で、物心がつく前から共に育った
心優しく穏やかな彼女は数少ない話し相手であり、姉のように慕っている存在だ
男勝りで活発な姫君とは対照的で、女らしく刺繍や花摘を好む彼女の方が余程姫らしい
アクアマリンの“宝石人”であるエイルには、蒼玉王族と似た癒しの力がある
蒼玉の姫の影武者として、これ程に相応しい人間はいない
民の混乱を避ける為には姫が不在であることは悟られてはならない
姫は必ず同じ場所にいなくてはならないのだ
尤も、ルーの身代わりであれは実のところ誰だってかまわない
ただし、蒼玉の姫の影であれば、エイル以外にはあり得ない
そのことはルーと今は亡き家族、それとほんの一握りの人間しか知らない秘密
エイルはルーの手をとると、大粒の涙を流した
涙は澄んだ水青色の石となってこぼれ落ちる
悲しい色だった
「何故・・・何故神は姫様にばかりそのようなつらい試練を・・・」
ルーは苦く笑った
神など、もうとうに信じるのを止めた
神にいくら祈っても、なにも変わらなかった
神は助けてはくれない
全ては人の手に委ねられているのだ
その夜の内に、里を出た
男の服に身を包み、人目を集める金の髪は黒く染めた
里を出るのは初めてだった
何もわからない日々はつらく、幾度となく危険な目に遭った
森では猛獣に追われ、街では暴漢に襲われた
その度に幼い頃から兄弟に混じって鍛えた武術に助けられた
鷹針で急所を突く秘術
人形遊びや裁縫よりも、馬を駆ったり剣術、武術の訓練をする方が楽しく思えた
実際、秘術の腕前は兄弟の誰よりも上で、武術でも負け知らずだった
高貴な姫君であるはずのルーの、そんな行動に元老院のお偉方は良い顔をしなかった
そこを王である父が、好きなようにさせてくれていたのだ
今思うと、父には何か予感があったのかも知れない
全てはこの旅の為の準備だったのではないかとすら思える
旅は長く、先の見えない闇の中
いく先々で売られていった同族達を探した
見せ物として扱われていた者、慰み者にされていた者、宝石を採る道具として使われていた者、実験材料にされていた者・・・
生きてはいても、その暮らしは悲しみに覆い尽くされていた
その彼等を、ルーは身を呈して救い続けている
身体に傷を追っても、助け出すことを諦めなかった
助け出せた者達はすぐに里から迎えを呼び、里で手厚い看護を受けている
離れていた家族と無事に会えたと連絡を受けたときは心の底から安堵した
しかし、全てを助け出せたわけではない
間に合わなかった者も、いる
目の前で首が落とされ、その血から生まれた宝石が売られていった
痛め付けられ、辱しめられ、自ら命を絶った者もいる
助けてくれと伸ばされた手に、届かなかった
理不尽な暴力によって命を奪われた者達
血の涙を流した彼らの目が、頭の中に焼き付いて離れない
救うことの出来なかった無力な自分を責め立てる
夜な夜な夢に現れては、ルーを責める
暗い部屋の中、汗もしとどに飛び起きる
無力な自分が情けなくて口惜しくて・・・
自らを傷付けたくなる刃を押し止める日々
まだ、立ち止まるわけにはいかない
民を救える希望はルーただ一人
他の誰でもなく、ルーにしか国の未来を切り開けないのだ
「私は民のためならば喜んで悪魔になろう。あなたを殺めることだっていとわない」
鷹針を手に持ち、姿勢を低く落とす
威嚇などではない
いざとなれは、刺し違えてでも王を殺す覚悟がある
自分も死ぬことになろうとも、国は守れる
王も一歩も引かず、にらみ合いが続く