表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Jewel  作者: 下川田 梨奈
砂が知るラピスラズリ
13/26

森の天使

煌びやかなシャンデリア、高価な美術品の数々、窓に掛けられたカーテン代わりの羅紗が風に揺れる


通された王の私室は広く、豪華な調度品に飾られていた


部屋に焚き染められた香の甘い香りが、風が吹く度に鼻をくすぐっていく


遠くに音楽の響く、静かで落ち着ける空間だった


ルーは勧められるまま柔らかなソファーに腰を下ろし、テーブルの上に並んだデザートに目を見張った


赤や黄色の色鮮やかなフルーツはどれも艶々として新鮮そのもの


棗やプラムの蜜漬けやヨーグルト、翠色が美しいピスタチオのアイスもあれば、プディングもある


そこにあるものは全て、ルーがこの国に来て気に入ったものばかりで、お茶の時間に出されれば喜んで口にしたものだ


「甘いものが、お好きなのですか」


「そなた、酒はあまり好まんのだろう?」


王は何時ものように歯を見せて笑うと、自分用に酒を注いだグラスを持って向かいのソファーに腰を落ち着けた


好きな物を食べるよう言われたが、ルーは手を付けなかった


王の真意が図りかねる


双方黙ったまま、時が流れる


ふと、王が視線を動かし、ルーもつられたように目で追った


その先にあったのは壁に掛けられた大きな肖像画だった


その画に思わず声を上げそうになり、すんでのところで飲み込んだ


森を背に、白い鷹を肩に乗せた美しい少女


長い長い金の髪を高い位置で一つに束ね上げ、飾りの着いた空色のリボンを結んでいる


淡い青色のドレスから伸びるむき出しの腕は白く細く、大人になっていない少女特有の儚い線を持っている


勝ち気に微笑む大きな双の瞳は深い深い海の色


その顔つきは比べるまでもなくルーによく似ている


少女の耳には、ルーと同じ小振りの青い石が飾られていた


言葉を失ったルーに、王はにっこりと微笑んだ


「森で出会った少女だ。思い出せる限り忠実に描かせたものだが・・・こうして見るとやはりよく似ている。本人としては鏡を見ているようではないか 」


「・・・まさか。別人ですよ、髪の色が全く違う。第一この子は女の子だ」


ルーの声は平たく、渇いていた


王はそれを愉快そうに笑う


「まぁ、良い。オレがこの少女に出会ったのは、ここより遠く海を越えた“アヴァルギン”と呼ばれる土地だ。人が足を踏み入れることを許さない、深い手付かずの森。森には異形の者が住むと言い、地の人間は決して近付こうともしないところだ。生憎オレは砂漠の民、緑に惹かれはしても恐れはしない。あの時も見たことのない木々に触れたくて森に入り、珍しい白い鷹を追って迷い混んだのだ」


アレガテ王がまだ皇太子だった五年前のことだった


国の伝統により、皇太子は十八になった日から諸外国を巡る旅に出される


他国との違いを知り、外交の基礎を学ぶ為の長い旅


若く恐れを知らない皇子にとって、大勢の供を連れての旅は窮屈で、いささか退屈だった


幼い頃から共に高めあいながら育ってきたヘロトスも一緒にいたが、頭の固いお付きの目を盗んで何処かへ行くには骨がおれた


皆が寝静まった頃に二人で宿を抜け出し、土地の若者に混じって騒ぐのがやっとだった


それすらも綿密な計画が必要だった


王族としての振る舞いも、きらびやかな宴も、もう飽き飽きしていた


毎日皇子としての仮面を付けながら、その心の内では刺激を望んでいた


白い鷹み見たのは、丁度そんな時だった


砂の侵食を奇跡的に免れている“ユグドラシル大陸”の小さな国に立ち寄った


王が開いた豪華な宴よりも、鬱蒼と生い茂る木々に心が惹かれ、こっそりと抜け出した


手近な馬を拝借し、目に優しい緑の中を気分よく駆ける


ふと目を上げた空に、雲を切り取ったように白い影を見つけた


目を凝らし、それが見たこともない純白の羽を持った鷹だと気付いた


悠々と空を舞う姿に見とれ、知らず知らず森の深いところまで進んでいた


はたと気づけば道を反れており、帰り道はおろか自分の今いる場所すらわからない状況に陥っていた


ナビも無線も圏外を示し、頼れる人の気配もない


追っていたはずの鷹も、影も残さず消えており、見渡す限り木々ばかりだ


広い砂漠で生まれ育った皇子にとって、視界を遮る木々は邪魔であり、深い緑蔭は自分の体をも染めていくようで気味が悪い


響く葉ずれの音や、不意にあらぬ方向から聞こえる鳥の声が不気味だった


跨がる馬のぬくもりと息遣いが心強く感じられたのは初めてのことだった


とにかく戻ろうとさ迷う内に、突然地の裂け目に出くわした


気付いた時にはもう遅く、馬もろとも崖下に滑り落ちていった


少しの間気を失っていたせいで、目が覚めた時自分の身を置く状況が把握できずに戸惑った


見上げると、自分のいたはずの場所はかなり高く、なんの装備もなく登るのは難しそうだ


落ちた拍子に足の筋を痛め、満足に動けない


その上意識を失っていた間に、馬も何処かへ走り去っていた


深い深い森の中、叫んでみたところで誰の耳にも届かない


絶望的な状況に、大きな溜め息をついた


身体中の痛みと疲れで意識が薄れ始めた頃、茂みが揺れた音が聞こえたのも気のせいかと思った


頭を振って耳を澄ますと、音が近付いてくるのがわかった


異形の者が住むと言う深い森、何が出るかわからない


手負いの人間は格好の獲物だ


腰の剣を抜き、ゆっくりと息を整える


例え命を落とそうとも、一矢報いてやらなければ死にきれない


一国の王になろうと言う者が、見知らぬ土地で人知れず朽ち果てることになろうとは・・・


情けなくも呆気ない最期に自嘲の笑みがこぼれる


全ては自分の甘さが引き起こしたこと


邪念を払い、身構えた


茂みの揺れる音が近づき、影が現れる


剣を向け、薄れそうな意識を奮い立たせて待ち構える


しかし、現れたものを見て目を見開いた



風が金糸を散らす


現れたのは、まだあどけない少女だった


その細い肩には、先程追っていた白い鷹が留まっている


鷹が警戒するように羽を広げると、まるで少女に翼が生えているかのようだ


異形の者と呼ぶにはそぐわない、清らかな美しさ


少女は鷹の喉元をそっと撫でて落ち着かせると、真っ直ぐに歩み寄る


淡い青色のドレスと耳を飾る青い石が、白い肌に映える


自分の国にはない、明るい色を持つその少女は、この世の者とは思えなかった


美しい青の瞳が皇子の顔を覗き込む


背にした太陽の光が、少女の長い髪を輝かせていた


「天使・・・か・・・?」


呟いた言葉は母国語であったが、少女に通じたのだろうか


少女は目を丸くした後、笑った


花が咲いたようなその笑顔は、今でもはっきりと思い出せる


フワリと柔らかな手が視界を遮ったかと思うと、小さな痛みを首筋に受け、意識を失った


異形の者が住む森で出会った美しい少女


天使なのか、それとも悪魔なのか・・・


どちらであったとしても、自分はもう最期の時を迎えているのだと悟った


迎えがこれ程に美しい乙女ならば、行く先はそう悪くはないのかもしれない


あの美しさは曇りがなく清らかで、悪しき気配などは微塵も感じられなかった


きっと天の御使いだったに違いない


短い人生だった


志半ばでこの世を発つのは悔やまれるし、心残りも沢山あるが、悪くない人生だった


国のことは心配ないだろう


現王には自分の他に十指で足りない程子どもがいる


弟達の誰かが継ぐことになるだろう


もう、考えても仕方のないことだ


ただ一つ、思うことがあるとすれば・・・


あの少女に、また会えるだろうかーーー



静かな気持ちでいるところを、激しく揺さぶられた


心地好い眠りに身を委ねようとしていたところに入った邪魔に、気分を害した


『皇子っ!起きて下さい皇子!!っ、起きろってんだ!ルグ!!』


美しい乙女からは想像もつかない野太い声


それも耳馴染みのある声だ


渋々目を開けると、暑苦しい家臣達が覗き込んでいた


傍にはヘロトスの姿もあり、呼んでいた声も彼のものだった


驚いて周りを見回すと、そこは森の中ではなく、少女の姿もなかった


「気が付いた時には森の外へ運び出されていたというわけだ。家臣達の話によれば、オレは半日姿を消していたらしい。夕日の沈む丘の上で発見されたオレはケガ一つない体で、傍の木には逃げたと思った馬まで繋がれていた。確かに筋を痛めていたというのにな」


「きっと夢でも見ておられたのでしょう」


ルーの言葉を、王は一笑に伏した


真っ直ぐな目が向けられている


「戻ったオレにその国の王が乙女の正体を教えてくれた。あの森の奥には伝説の“宝石人(ジュエル)”が隠れ住んでいるのだ、とな。青の石は王家の証。生き延びたと噂される“宝石人(ジュエル)”の王族最期の一人である皇女。それがあの日出会った少女の正体。そして・・・そなただ」


一時として反らされない王の目には、どんな嘘も誤魔化しも通用しない


耳にあるピアスまで暴かれ、顔も覚えられていた


どうあがいても逃れることはできそうもない


ルーは目を閉じて深い溜め息をついた


実のところ、アレガテ王のことは思い出していた


だからこそ近付かないようにしていたのだ


隠れ里から出ることを禁じられていたルーの、ほんの一時の散歩の時間


口喧しい教育係の目を盗み、森で遊ぶのが一番の楽しみだった


里の子ども達と遊ぶことを許されないルーにとって、鷹のラムポスだけが唯一の遊び相手だった


あの日も森へ入ってラムポスを呼んだがなかなか現れず、ようやく現れたと思ったらひどく興奮していた


そして、アレガテ王を見付けたのだ


ごくごく希に人が森に迷い込んでくることがあるが、その男は初めて見る異国の者だった


見たこともない褐色の肌に興味が惹かれて近付いた


ケガのせいで意識を失いかけているらしく、ぼんやりと見つめてくる


その瞳の色は、兄と同じ色


それだけで助ける理由には充分だった


ラムポスで助けを呼び、護身用に隠し持っている睡眠薬の針で眠らせた


ほんの僅かな接触だった


まさか顔を覚えられるなど、思いもよらなかった


それが今になってこうして、自分を窮地に追いやった


自分の甘さを呪ったところでなにも始まらない


ルーは顔を上げて立つと、王を見据えた


心の中に、亡き父の悠然とした姿を思い浮かべる


あの姿に憧れ、少しでも近付きたかった


たが、もういない


今は自分が国を守って立つ身なのだ


この窮地も、自らの力で切り抜けなければならない


「仰るとおり、確かに私は“宝石人(ジュエル)”の王族の血を継ぐ者。私の正体を暴いて何をお考えかは存じませんが、“宝石人(ジュエル)”を手に入れようというのなら無駄な事。私はこの命を奪われようと、決して民を売りません」


何人たりとも民を傷つける事は許さない


自分の命をかけて民を守る覚悟を決めてある


それが、ルーの王族としての責任であり、血族に課せられた運命(さだめ)なのだ


民を守る為に、この旅が始まった


何が起きようと、その気持ちは変えられない


ルーの目に、強い光が宿る

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ