アラビアン・ナイト
三人の楽士は、今までになく丁重にもてなされた
各自に広すぎる個室と付き人があてがわれ、王の友人として賓客の扱いを受けた
その大仰さに戸惑ったが、一時の王族気分を充分に味わうことにした
フカフカのベッド、仕立ての良い服、豪華な食事
日中は国の中を自由に見て回り、砂の国独特の文化や風習に触れる
王が政務を終え、時間が取れた時などは側にいるよう頼まれた
王といえどまだ二十と少しを過ぎた年、同じ年頃のレオとガルダとは気が合った
レオと剣技でじゃれ、ガルダと狩りに出掛けるその表情は生き生きと輝き、年に見合った顔を見せる
レオとガルダも宮殿の中では畏まった態度を崩さないが、プライベートの時間にはくだけた態度で接した
年嵩の大臣達は王が旅芸人と仲良さ気に振る舞うことに良い顔はしなかったが、政務をそつなくこなす王に免じ、目をつぶっているようだ
「頭の固いじいさんに囲まれていては、オレまで老け込んだ気になる」
「年寄りは説教すんのが生き甲斐だ、言わせてやんなよ」
ガルダの他人事ならではの気安さが、王を笑わせた
王と旅芸人達の身分違いの友情は、日に日に深まっていくのだった
宮殿では毎夜のように盛大な宴か催された
他国との交易が盛んな為招かれる客は多く、王は忙しく対応に追われる
三人は宴では必ず演奏を請われ、王の外交に華を添える
演奏を終えた楽士は普通下げられるものだが、王は三人も賓客扱いにしており、華やかな宴に同席させた
ガルダは美しい女達に囲まれて鼻の下を伸ばし、片っ端から口説いていく
レオの方は例の一件で武人達に一目を置かれていたらしく、彼等の輪に引き込まれている
学者も舌を巻く様な専門知識を持っており、大臣達の難しい政治の話にも加わっていた
二人はどこにいてもすぐに溶け込める器用さを身に付けていた
連日の宴に疲れていたルーは、そっと抜け出してバルコニーへと移った
中の熱気が嘘のように、外の空気はひんやりとしている
甘い花の香りを乗せた風が、そっと頬を撫でていく
瑠璃色の空には満天の星が美しい輝きを放っている
視線を下げれば街の灯りが地上の星となって煌めく
砂漠の夜空は深い色で、砂をも青く染めるようだ
「美しい空だろう。夜空は特に」
不意に声をかけられたが、耳覚えのある声に驚きはしなかった
振り返った後に立っていたのは、アレガテ王だった
宴の席で身に付けていた王の長衣は脱ぎ、寛いだ格好をしている
金やラピスラズリで飾られた長衣は王の象徴であり、面と向かって来られると思わず身構えてしまう
しかし、街の若者と変わらない姿であれば、自然と空気も和らぐ
「ええ。空も街も、とても美しい国ですね。人々も皆明るくて活気があって。あなたがとても良い王なのだと、皆が口を揃えていました」
街に出掛けると、方々から声をかけられ人懐っこい笑みを向けられた
三人が王に召し上げられた楽士であることは街中に広っているらしく、と何処へ行っても手厚い歓待を受けた
チャイやケバブ、自慢のヨーグルト等を振る舞いながら、自分達の王がどれ程素晴らしいかを熱く語って聞かせてくれた
ルーが素直に誉めると、王は心底嬉しそうな笑みを浮かべた
まるで子どものように無邪気な笑顔に、良王たる所以を見た気がした
しかしふと、遠くを見る目になった
壁に背を持たせかけ、腕を組んで深く息をつく
紫の瞳に、夜空を吸い込んだような深みが加わる
「この国は美しい。オレの父も祖父も、歴代の王達も皆、自分の命をかけて愛し、守ってきた国だ。オレは彼等からその全てを受け継いだ。この国を愛する気持ちは誰よりも強い。国と民を守る為なら、鬼にだってなる」
アレガテ王は良王として遠くの国にまでその名を知らしめるが、その一方で恐れられている存在でもある
私利私欲の為の戦はしないが、自国に害をなすものには一切の容赦をしない
他国との交易が盛んでありながら自国の文化や血統を守り続けているのだからその徹底ぶりは目を見張るものがある
王には鍛え上げられた護衛兵の大部隊があるが、戦になれば必ず王自らが先頭に立つ
その戦闘能力は恐ろしく高く、戦略にかけてはどんな参謀にもひけをとらない
突撃槍の名手で、“剛鉄の狼”と異名をとる
一突きで十人を薙ぎ倒すと言われ、戦では負け知らずだ
「しかし、自然の力にはオレも勝てない。この水の豊かな国でも、少しづつだが確実に砂が迫っている。民はいつも砂に埋もれる恐怖に怯えているんだ。だが、それを見せずに明るく暮らしてくれる・・・民は強い」
遠く街を眺める目には慈愛が満ちている
国を愛し、民を愛し、その為に命を懸けることのできる強さ
年若くあっても王は、王として最も大切なものを持っている
父を思い出させる広い背中と、兄を思い出させる深い慈愛に満ちた目が在りし日を思い出させ、胸が痛んだ
「民が強くいられるのは、強い指導者がいるからです。王が心から民を想い、その身をとして守るから、皆がそれに応えてくれるのです。・・・砂に埋もれても、また掘れば良い。何度だって甦るだけの力がある。あなたは王として、自分のすることを信じて進めば良いのです。民は必ず応えてくれます。民もまた、あなたと同じくらいこの国を愛しています・・・良い国ですね」
ルーの口調には強い確信が含まれていた
身近で王を見て育ったが故に言える言葉だ
王は少し驚いたようだったが、フッと笑みに崩した
「そなた等の音色のおかげで、皆久しぶりに心から寛ぐことができた。素晴らしい廻り合いに感謝する」
王は優しい微笑みを浮かべた
多くの責任と守るべきものを背負い、その全てを守る決意を秘めた目
眠りにつく者を静かに見守る夜空の色
その瞳に宿った光は星のように優しく、太陽のように激しい
この先、幾多の試練を乗り越え、人としての深みを増すだろう
歴史に名を残す、立派な王となる確信を持った
ルーはふと、アレガテ王と何処かで会った気がすると思った
兄に似たその瞳には、見覚えがあるような気がする
しかし、彼は故郷から遠く遠く海を隔てた国の王
会ったことなどあるはずがない
気のせいだと、自分でかたをつけた
「お褒めにあずかり光栄です。ご所望とあらば、もう一曲・・・」
微笑みを持って頭を下げ、足を踏み出した
王の横をすり抜けようとして、腕を掴まれた
意外なほどに強く握られた手はほどけず、動きを止められてしまった
払いのける訳にもいかず、怪訝な目を向けると、王はにっこりと笑っていた
口許に笑みは形どられているが、その目は真摯で、意図の掴めないルーをたじろがせた
王は時折、そんな目でルーを見詰めていることがあった
宴で歌を披露する間も、その目は真っ直ぐに向けられたまま動かない
城に来て以来、王の目は常にルーに向けられており落ち着かない思いをしていたのだった
何か言いたそうな目に不安を覚え、出来る限り二人きりにならないように避けていたのだ
王もルーが避けることに気付いていたからこそ、掴む手の力を抜けないのだろう
こうなっては逃げることも叶わない
向き合うと、王の体から発せられる見えない火花に焦がされそうな気がした
「その青い瞳を、オレは昔見たことがある」
わざとはっきりと一語一語区切るように発音される言葉
王の目は反らされることなく真っ直ぐにルーを見据えている
「青い目なんて、私の故郷では珍しくない。何処にだっていますよ」
ルーは笑って身を引こうとするが、王の手はそれを許さない
一刻も早くその場から逃げ出したいのに、叶わない状況だ
助けを呼んだところで相手は国王であり、この城の主だ
誰もが黙認するだろう
レオとガルダに助けを求めることは出来ない
あの二人ならきっと相手が王であろうと助けてくれるだろうが、何分することが荒い
王に傷でもつけようものならば、その場で三人共命を失うことになる
二人を危険に晒すわけにはいかない
「数年前のことだ、オレは旅先で深い森に迷いこんだ。北も南もわからない、異国の森の中を一人さ迷った。その森で美しい青い瞳を持つ者と出会ったのだ」
「へぇ、ロマンチックなお話ですね」
ルーは然り気無く離れようとするが、王の手はしっかりとルーの首筋を捉えた
距離が一歩分、近くなる
指の長い、大きな手がルーの髪をかきあげた
髪で隠してある耳に、美しい青い石のピアスが光る
大きくはないが最高級の品であり、深い海を思い起こさせるその青は、ルーの瞳と同じ色
「その者もこの青い石のピアスを身に付けていた。そなたと同じ、な
ルーは思わず身をこわばらせて王の手を払った
その反応に満足そうな笑みを浮かべると、王はようやく腕を掴む手を放した
その目は真っ直ぐ向けられたままで、逃げ出すことは叶わないと悟った
「少し、聞きたいことがある。オレの部屋で話そう」
「・・・お断りすることは?」
「広間で話しても構わんが?」
王は広間を見やった
賑やかな宴はまだ続いており、その中心にはレオとガルダがいる
広間で王と込み入った話をしようものなら、周りに全て筒抜けになる
レオとガルダが気にしないはずがない
特にレオはどこかまだ王を警戒しているらしく、王がルーに近付くのを然り気無い仕草で遮った
それに助けられていたと、気付くのが遅すぎた
王はすでに目の前にいる
王が含んでいる話は、今はまだ二人には伏せておきたいもののはず
拒もうとすれば、広間の中央で暴露されかねない
王は全てを計算に入れた上で、こうして目の前に立っているのだ
自分の浅はかさう恨んだところで後の祭りだ
ルーは唇を噛んで項垂れた
「・・・王の、部屋で」
苦虫を噛み潰したような声に、王は一瞬悲しそうな顔をした
てっきり勝ち誇った笑みを浮かべるものと思っていたルーには、意外な反応だった
「でわ、参ろう」
王は広間のヘロトスを呼び寄せ、少し退座する旨を伝え、ルーを伴って廊下へ出た
客達に気取られないよう音を忍ばせて出たのだが、その姿はレオとガルダの目にしっかりと映っていた
「レオ・・・」
少し慌てた様子で声をひそめるガルダに、レオは無言で首を振った
今はまだ手の出しようがない
ルーに任せるしかないのだった
広間で二人が見ていたことを、ルーは気づく余裕がなかった