託宣
乾いた干し草の匂いと、温かな空気が体に染みる
警戒しつつ足を踏み入れた三人を迎えたのは、家庭のぬくもりだった
老婆の独り暮らしらしい、余計なもののない質素な暮らしぶりがうかがえる
ソファーの上掛けやクッション、壁に掛けられたタペストリーに施された刺繍がどこか懐かしい気持ちにさせる
今までの人生で全く馴染みがないものなのに、心の底から寛げる
「さぁ、食事の支度をしようかね。お前さん、手伝っておくれな。そっちのおちびさんは風呂にでも入っておいで。ひどく疲れてるようだ、ゆっくり浸かっておいで」
老婆はガルダを納屋に食材を取りに行かせ、ルーを風呂場に追い立てた
レオの前に立つと、曲がった腰のまま真っ直ぐに見上げた
見えていない筈の白く濁った目が、真っ直ぐにレオを捉える
全てを見透かされるような目に、胸がざわつく
自分でも知らない何かを暴かれてしまうような、言い知れぬ不安
思わず身構えるレオを尻目に、老婆は結局何も言わなかった
一人居間に残されたレオは、どうにかして自分を落ち着かせようと苦心した
本を開いてみたが一向に文字が頭に入ってこない
苛立つ気持ちを押し付け、タバコに火を着ける
吸い込む煙がやけに苦く感じられ、灰皿にもみ消した
「・・・お先」
頬を上気させたルーが、ほのかに甘い香りを伴って戻ってきた
いくらかすっきりした表情なのは、旅の疲れが少しは癒えた証拠だろう
本人は絶対に弱音をはかないが、かなり疲れが溜まっていたはずた
「温泉が涌いてるんだって。気持ち良かったよ。暇ならレオも入ってきたら?」
食事の支度を手伝って来るというルーの背中を見送り、レオはまた本に目を落とした
しかしすぐに、本を閉じて風呂場へ足を向けた
どうせする事もない、ゆっくりと風呂に入ることにした
温泉だというのなら尚更良い
廊下を歩いていると、知らずに苛立ちが消えていることに気付いた
それが、なんのせいかは気づかない振りをした
レオが風呂から出て30分程で、食卓に食事が並んだ
並びきらない程に用意されたのはいかにも田舎料理といった風だった
素朴な味は食べ飽きず、たっぷりとした量は食欲旺盛な若者達の胃袋を十分に満足させた
後片付けの間にガルダが風呂へ行き、三人は揃って老婆の話を聞くことにした
出された珈琲は香ばしく深いコクがあり、寛いだ気分になれる
老婆は名をシビュッラといい、島に残る唯一の語り部、巫女だった
少女時代に流行り病で視力を失い、巫女としてこの森に入ったらしい
長い修業の果てに、目でものを見る代わりに人には見えないものを感じられるようになったと言う
魔女だと思ったのは、あながち間違いではなかったようだ
「大変な人生を送ってこられたのですね・・・」
深くて静かな森の中、盲目の少女が一人で暮らすなど、大変な苦労があったことだろう
ルーの声とは裏腹に、シビュッラはあけっぴろげに笑った
町の人々が相談や差し入れに来たりするので、普段は意外と賑やかなのだと言う
目が見えなくとも耳はよく聞こえる
森の中は案外騒がしいらしい
楽しそうに語る年老いた巫女に悲観的なところは一切なく、強い人間なのだと感じた
いつの間にか降りだしていた雨が、森の木々を震わせる
冷え始めた空気に、暖炉の炎が暖かい
シビュッラは薪をくべながら一人一人を見回した
「お前さん方とて、各々複雑な道を歩んできたようだね」
「そりゃこんな時代だもん?平凡な人生なんて、そうそうないでしょ」
ガルダがおどけてみせると、シビュッラは静かに笑った
人生経験を積み重ねてきた者の持つ余裕だ
彼女からすれば、三人などまだまだ子どもにすぎない
「お前さん・・・ガルダじゃったね。遠い国の火の鳥よ。お前さん、稀に見る才に恵まれておる。機知に富み、それに見合った行動力、そして深い知識。時代が違えば大成を成しただろうね。それによってつらい思いもした。だがね、真の才はその頭ではない。他人の全てを有りのままに受け入れることのできる器だよ。誰を否定する事もなく、全てを受け入れる柔軟な心を持っておる。そんなお前さんに救われる人間は少なくない」
シビュッラの穏やかだが張りのある声は、胸に響くようだった
流石のガルダも何時ものようなふざけた言葉を返せない
「人を惹き付け、心に入り込む才は神から与えられたもの、うまく使いなさい・・・ただ、お前さん、女難の相が人一倍強く出とる。皆に優しくしようとするのは立派じゃが、その優しさはあまりに多くの娘を泣かせる。早いとこたった一人の娘を見つけんとのぅ・・・」
軟派で軽くてお調子者
三拍子揃ったガルダは、目に写る全ての娘を幸せにしてやりたいと思う
その気持ちに嘘はなく、実際に娘が笑顔を見せるまであらゆる手を尽くす
しかしその優しさが娘達に誤解を招き、結局は傷つけてしまうことになる
娘達に責められ、その涙を見るたびに胸を痛め反省をするのだが、女を追うのはやめられない
やめようがないのだ
それは、ガルダが心のどこかでたった一人愛することの出来る娘を求めているからに他ならない
血の流れに組み込まれたものは抗いようがない
今ここで、もう二度と女の子を泣かせないと誓ったとしても、無駄なこと
そこに女がいれば声をかけずにはいられないのだ
本人も自覚していること
シビュッラも忠告が意味をなさないことも知っている
愉快そうに笑うと、ルーに向いた
「お前さんは・・・また人と違う道を歩いているね」
深く皺の刻まれた顔を、真剣な面持ちで見つめた
予言をする者や、託宣を行う者、神に仕える者は特有の威圧感を持つ
隠れ里にいた占い師も盲た老人だった
ルーはその老人の託宣によって、この旅に出ることになったのだ
シビュッラの醸し出す雰囲気が彼に重なり、デジャヴを見ているような気がした
「古い・・・血族の宿命に翻弄されておる。同族を守る為なら自らの命をも惜しまぬ強い意志と慈悲の心を持っておられる・・・癒しの、力じゃな。そなた、自分の真の力を知らぬのだね」
「真の・・・力」
シビュッラは深く頷いた
「他者に押し出された道の下に、真の道が重なっておる。そなたは自然と己の道を歩むじゃろう。しかし、真の力を目覚めさせるにはそなた一人では足りないよ。この世界の何処かにそなたと対になる者がおる。二人が出会った時に初めて、真の力が目覚めるじゃろう」
「対になる、者・・・?」
ルーの声の震えは他の二人にも伝わった
明らかに動揺している
「そなた等は、元は同じもの。小さな違いが二つに隔てたのじゃ。もう一方の者もそなたを必要とし、探しておるじゃろう。求め合う者は引き寄せ合う定めにある。二人が互いを解放した時、新たな世界の幕開けとなるじゃろう・・・」
ルーの心臓が、どくんと大きく打った
対になる者、真の力・・・初めて聞く話だった
ルーをこの旅に送り出した占い師は、そんなこと一言も言っていなかった
先見をする“虎目石”の“宝石人”、グィディオン
谷で、彼の出す託宣は絶対だった
グィディオンの言葉は神の言葉
唯一正しく、真実に導く
そう、教えられてきた
その彼が見えなかった、言わなかった、ルーの対になる存在
シビュッラの言葉が、デタラメとは思えなかった
「・・・近く、そなたは大きな決断を迫られる」
「決・・・断・・・」
ルーは指先からどんどん熱が奪われていくのを感じていた
「それは難しく、辛い決断じゃ。しかし、答えはたった一つ。自分の気持ちに素直になること。それだけが最善の結果を導く」
自分の気持ちに素直になること
簡単なようでその実何よりも難しい
今まで、自分に正直に、思うままに歩んできたつもりだった
しかし、本当にそうなのかと問われると、自信がない
自ら望んで出た旅ですら、他人に歩かされていると言われてしまった
違うとは、言い切れない自分がいる
自分の意志は、全て国の意志であるという重圧
大きすぎる責任が、的確な判断の邪魔をする
ルーは、自分がその時本当に正しい答えを導き出せるのか、ひどく不安を覚えた
シビュッのめ目は、最後はレオに向けられた
ジッと見つめ、しばらく押し黙った後、深く息をついた
「お前さんのことは、婆にもよう見えんのぅ・・・誰よりも強い光を纏いながら、誰よりも己を知らん。強すぎる光が全てを隠しておる。お前さんの旅は自らを探す旅じゃね」
レオは相変わらず眉一つ動かさずにいたが、カップを持つ手に知らず知らず力がこもっていた
薄暗い部屋の中、レオは窓辺に立って外を眺めていた
厚い灰色の雲からは糸の様な細い雨が降り続けている
降り続けてる雨は何処か暖かく、何者の侵入をも阻んでくれる様な、そんな気にさせる
三人には各々に個室があてがわれた
こんな夜には一人の時間が欲しいもの
手狭ながらも柔らかなベッドと清潔なシーツがありがたい
疲れているはずなのに、眠りは訪れてくれそうにない
外は雨のせいで夜更けだと言うのに灰明るい
視界を遮る雨は、まるで蚊帳の中にいるようだ
周囲から隔絶され、自分一人だけの存在を感じる
さざ波の様な雨音は、そっと寄り添うように荒れる心を慰めてくれる
頭の中に、シビュッラの言葉が巡っていた
自分を探す旅ーーー
誰にも言ったことのない、ガルダですら知らない、レオが旅をする理由
初めて会った老婆にあっさりと言い当てられた時、動揺を隠すので精一杯だった
レオは自分のことを、ほとんど知らない
両親の顔も、生まれた日も、場所も、自分が何者であるかすらも・・・
自分を示すものは、たった一つの紅玉だけ
装飾銃の柄に埋め込んだ、血の様に紅い石
最高級の“ピジョン・ブラッド”
施設に引き取られて丁度六年目の夜、園長から渡された物だ
親もわからない捨て子に添えられていたものだと言われた
ハンターになったのは、この石について知るためだった
美しい紅
燃ゆる炎の色、身体を流れる命の色
これが只の石ではないだろう事は、幼いレオにも理解できた
宝石の専門家であるハンターになって十余年
未だ何一つ手掛かりすら掴めていない
それでも、この道にいる限りいつか謎も解けるはずだ、そう信じている
レオはサングラスを外し、タバコに火を着けた
窓に映った鋭い眼差しの瞳の色は、深い琥珀色
この瞳に映る秘密を、他人に話したことはない
自分の身体を、ぼんやりとした光が取り巻いている
夜の雪が発光するような、無機質な白い光
装飾銃には紅い光が巻き付いており、ルビーからは一層強く発せられている
石に触れていると、その光が自分に吸収されているのがわかる
妙に気持ちが落ち着く
人の目には決して見えることのない光
人でも物でも、その回りには光がある
うっすらとしていたり、はっきりとしていたり、各々に異なるが、その光はしっかりと感じられる
ただし、自分のように色のない光を持つ人間には出会ったことがない
それが秘密の力のせいなのか、自分の知らない生まれのせいなのかは分からない
自分が異質であることだけは、よくわかっている
その理由が知りたいが為の旅だった
レオは、幼い頃から繰り返し同じ夢をよくみる
最近になって、細部まではっきりとしてきた
いつも同じ場所で、同じ女が出てくる
長い長い黄金の髪を持つ乙女、深い青色の瞳をした乙女が泣いている
頬を伝い落ちる涙が、キラキラと輝く
カラン、コロンと音がするのは、乙女の涙が透き通った青い石に変わるからだ
乙女の瞳と同じ、美しい青
容姿は霞がかかったように見えないのに、瞳の青い色だけははっきりとわかる
泉が涌き出るように涙は溢れ、全て石となって落ちる
何故そんなに泣いているのか、理由など知るよしもないがひどく悲しそうで胸が痛む
近づこうとしても指一本動かせず、自分がそこにいるのかも定かでない
無力さに焦る間も、乙女は涙を流し続けているのだ
最近になって、乙女の手の中で光るものの存在に気付いた
乙女の胸元でその両の手に包まれたそれは、血に濡れた大きな光る石だ
乙女の手も血に濡れ、白い肘を伝ってドレスを染める
紅い染みはゆっくりと広がっていき、乙女自身をも染めていくかのようだ
乙女の手から滴り落ちる血は、紅い石となって落ちる
床に、涙の青い石と血の紅い石が散り広がっていく
美しくも恐ろしいその光景は、正しく悪夢と呼ぶに相応しい
この夢をみると、決まって朝方に飛び起きる
静まり返った部屋を見回して、夢だと自分を落ち着かせる
額に浮かんだ汗をぬぐい、大きく息をつく
夢が何を示しているのかは分からない
しかし、あの乙女の涙を止めてやりたいと思う気持ちは年々強まる一方だ
美しい青の瞳に惹かれるのは、夢の乙女に重ねてしまうからなのだった
朝になって顔を合わせた三人は、互いにろくに眠ったいないことを悟った
眠れなかった理由など聞くまでもない
朝食を詰め込むと、シビュッラに礼を述べて出発することにした
漠然とながらも進むべき道は示された
立ち止まって考えている暇はない
今はただ、前進あるのみだ
「さ、これを持ってお行き」
シビュッラは、ルーの手に小さな石の飾られた十字架のペンダントを握らせた
白っぽい半透明の石だった
「“月長石”・・・か」
ガルダが石を陽に透かして呟くと、シビュッラは小さく笑って頷いた
「そんな高価なもの頂けません。泊めていただいた上、お土産まで・・・」
朝、食卓でシビュッラがルーに分けてくれたのは、瓶に詰まったミモザの花の砂糖菓子だった
庭のミモザで作ったというそれは、ほんのりと甘くて優しい香りが口の中に広がる
夕べ口にした時にルーが気に入った為、分けてくれたのだ
「それはそれ、これはこれじゃ。良いから持ってお行き」
返そうとするルーの手を、シビュッラは優しく包み込む
「“月長石”は“導きの石”。古くから旅人のお守りとされておるのじゃよ。わしが持っていたところで役にはたたん。お前さん方が持つに相応しい。きっと良い方へ導いてくれるじゃろう」
三人が歩き出してすぐ、シビュッラはレオを呼び止めた
躊躇する様な様子を不思議に思ったが、レオは二人を先に行かせると、一人戻った
「太陽の獅子、レオグリオン。そなた、女を一人探しているね」
「何だそれ、大体なんで俺の名前を・・・」
「悪いことは言わん。その女を探すのはお止めなさい」
レオはサングラスの下で眉をひそめた
シビュッラの表情は夕べとは違い、緊張しているのが見てとれる
「そなた、その女の為に命を落とすことになる。夢は夢、意味を求めてはならん。女を泣かせているのはそなたの死じゃ」
その言葉には流石のレオも驚いて目を見開いた
夢の話は誰にもしていないし、自分の本名も名乗ってはいない
恐らく、シビュッラが夕べ何も見えないと言ったのは嘘だ
見えていても言わなかっただけだろう
今になってレオ一人に語ったのは、他の二人に配慮してのこと
あの二人のことだ、そんな話を聞けば各々のやり方で青い瞳の女を遠ざけようとするだろう
未だ何も分からない人探し
この上邪魔が入るなど冗談じゃない
二人を傷つけたくはないが、邪魔をするのは許さない
シビュッラの配慮に感謝した
しかし、自分の中で答えはとうに出ている
「何も知らずに生きていくよりは、全てを知って死ぬ方がましだ。だが、俺はそう簡単にくたばったりしないさ」
自らの意志に殉ずる頑なな決意
シビュッラは大きく息をついた
「そう、言うと思っておったがね。年寄りの小言と思っても、どうか心に留めておいておくれ。・・・あの二人を、決して放してはいけないよ。炎の鳥神と光の神はきっとそなたを助けてくれるだろう」
レオは不敵な笑みを浮かべると、先を行く二人を追いかけた
若者達が去っていった森を、シビュッラの見えない目が見つめていた
レオは、自分の過去がシビュッラに見えていると気付いても、結局聞こうとはしなかった
あくまでも、自分自身で解き明かすつもりなのだ
誰の声も彼の強い意志を揺るがすことは出来ない
「時の流れは神のご意志。誰にも抗うことはできぬ・・・か」
シビュッラは少し昔を思い出した
二十数年前、ここを訪れた少女のことを
燃えるように激しい光を纏った美しい少女
細い肩に全てを背負い、強く気高い心を持っていた
彼女にも辛い予言を伝えた
見えてしまった、辛い運命を語り聞かせた
少女は顔を上げ、微笑んでいた
レオと同じように・・・
「自らのご意志で、厳しく険しい道をお選びになられた・・・強いお方じゃ。ゼノビア・・・よく似ておいでじゃよ・・・」
空を見上げたシビュッラの目から、一筋の涙が流れていた
なかなか先に進めません
拙い文章で、遅筆ですが読んでくださる方がいると嬉しいです
とりあえず、ここで一区切りになります
続いて舞台が変わり、ルーの秘密を紐解いていきます