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Shopping Mall Grave Town

プロローグ


「ある寒い冬の日、おじいさんは町へたきぎを売りに出かけました。すると途中の田んぼの中で、一羽のツルがワナにかかってもがいていたのです。・・・・さてさて、じゃあゆうすけならこんな時どうする?」

「絶対助ける!」


ゆうすけはお母さんに読みきかせしてもらう鶴の恩返しが大好きだ。

優しい声で読んでくれるお母さん。


「ねぇ、おじいさん、あの娘は一体どうしてあんな見事な布をおるのでしょうね。・・・ほんの少しのぞいてみましょう・・・」

「ゆうすけならどうする? 覗いちゃう? それとも覗かないでおく?」

「うーん、覗いちゃうかも。だって気になるし、心配になるんだもん。」


ゆうすけのお母さんはそうやって時々絵本の読み聞かせをしながらも、ゆうすけを楽しませようと、自分がもし物語の世界にいたならどうするか、よく尋ねてくれる。

ゆうすけにはそれがまるで自分も物語の登場人物の一員になれたような気がして、考えるのがとても楽しかった。

そして鶴の恩返しを全て読み終えたあと、お母さんはゆうすけにこう言った。


「この物語を読んでね、お母さんはゆうすけに覚えておいて欲しいことがいくつかあります。」

「何?」

「まず一つ目。これから先、絵本のワナにかかった鶴のように困っている人がいたら、助けてあげれる人になってほしいということ。」

「うん。絶対助けるよ。」

「それと二つ目。私たちの家にはね、先祖代々ずっと受け継いでいる服のおり方があるの。それは小さい頃から一生懸命練習しないと、身につかないほどのとても難しいおり方。それをもうゆうすけには教えるつもりなんだけど、これは覚えておいて。」


お母さんが息を軽く吸ってそして続ける。


「それはそのおり方は家族以外の人には絶対に教えちゃだめってこと。鶴野家つるのけだけの秘密。さっき絵本の鶴がおっているところを知られてしまったからもう家族でいられないって帰ってしまったでしょう?

そのくらい私たちのおり方も鶴のように知られてはならないの。そしてゆうすけはもし自分がおばあさんだったら約束を破ってのぞいてしまうって言ってたわよね、でも、約束だって破ってはいけないものなの。だからこの家族以外の人には教えてはならないっていう約束は絶対に守ってね。」

「分かった」


そうしてこの日からゆうすけはお母さんに、鶴野家だけに伝わる服のおり方を教えてもらうことになった。


ゆうすけの家は先祖代々服屋を経営していた。

お母さんは、いつか生まれてくるゆうすけの弟や妹の服をまだ生まれる前だというのに、よほど楽しみにしているのか毎日大事に大事におっていた。

そして一人っ子だったゆうすけも弟や妹が生まれてお兄ちゃんになるのがすごく楽しみだった。

ある日、その特別なおり方をお母さんに教えてもらいながら、ミシンを幼き手で動かしている最中、ゆうすけの横顔を見ながらお母さんは言った。


「お母さんは弟や妹が生まれて、いつかゆうすけがお兄ちゃんになるの、すごく楽しみよ。・・・ゆうすけも弟や妹に、自分がおじいさんとおばあさんだったらどうするか、いっぱい考えてもらって・・・いろんなこと、教えてあげてね。」

「うん!僕、いっぱい絵本読んであげて、いろんなことを教えてあげたいんだ。僕の弟や妹は困っている鶴を助けてあげれるいい子かな、約束守れるいい子かな。」

「きっとそうだといいわね。」

「それに僕もお母さんみたいに服をおる人になって、僕の服をいっぱい着せてあげたい!あとね、いつか弟や妹と鶴野家の服屋さんをするんだ!」

「うふふ。ありがとう。ゆうすけならきっと、その夢叶うわ。」


でもそんな夢が現実になることはなかった。


とある夏の海での出来事だった。その日は波が高く、ゆうすけは大きな波に完全に流されてしまい、お父さんお母さんよりも早く、楽しみにしていた弟や妹が生まれるよりも早く、あの世へ旅立ってしまった。

鶴野ゆうすけ、亭年9歳だった。


ゆうすけには、幼きながらも未練が残ってしまった。


火葬の日、お母さんはゆうすけの棺に、鶴野家の秘密のおり方を纏めた本と手紙を一緒に添えた。

あれだけ、おり方を教えると一生懸命になって練習していたゆうすけなんだ。

弟と妹のお兄ちゃんになって服屋さんをする、そんな夢は叶わなかったけれども、その代わり鶴野家の服屋さんのお兄さんになる夢をあの世で叶えてくれたらな。

そんな分かりもしない死後の世界でゆうすけの健闘と冥福を祈って。



「Shopping Mall Grave Town」


あの日、あの夏の日、ゆうすけは遊泳中に波に飲まれて死んだ。

必死に荒狂う波に抵抗し、もがき続けたこと、最後に走馬灯のように、今までの過去を思い出して、その隙に意識が遠のいたこと。


記憶を辿ると、死んだことはかろうじて自覚としてそこに存在していた。

今自分自身の体を見てもほぼ透けていてまるで幽霊のようでさえあるのだから。下半身は透けているどころか透明で、足すら目を凝らしても目視できない。


しかし納得のできない、よくわからないことが一つ、ゆうすけの脳内を掠めていた。死んでしまったゆうすけだが、なぜ自分が今、超巨大ショッピングモールの廊下を彷徨ったり、行ったり来たりしているのかということだ。

よく、死んだら幽霊は未練のある場所に彷徨う、とは生前よく聞いた話だが、別にゆうすけはショッピングモールに未練など覚えていない。

そもそもこのショピングモール自体見たことないのだから、未練を覚えるというのもお門違いな話だ。


しかし死んだ絶望からここに来たゆうすけはそんなことを少し考えるだけで、ずっと俯いてショッピングモールを行ったり来たりしている。

俯いているせいで誰かすれ違う人にぶつかりそうになると、その直前で人の気配に気づき、必死に避けてから、自分が肉体のない幽霊だからそもそもぶつかるなんてことはありえない、すり抜けてしまうんだと気づき、我にかえる。もうずっと俯いておこう。そうしたって誰かにぶち当たることもなく勝手にすり抜けてくれるのだから。


ショピングモールには本当にたくさんの店が並んでいた。

服屋さんに、化粧品店、雑貨店に楽器店、書店、映画館、フードコート。

と、そこまで考えてから、ゆうすけは頭に何か柔らかいものが当たった感触を覚え、反射的によろめく。

同時にけっして幽霊の身でありながら何かにぶつかることはないと考えて行動していたゆうすけだが今の一瞬でその考えはゆうすけの思い込みに過ぎないこととなった。


顔を上げると、大層上品な顔立ちをしたお姉さんがこちらを見下ろしていた。

お姉さんにはゆうすけのことが見えているのだろうか。もしかして、超能力でも持っているのだろうか、それとももしかしてゆうすけと同じく、もう死んで幽霊になった人でゆうすけのことが見えているのだろうか。そんな可能性の数々を考えて、もし幽霊だとしたら、という自分と同類が見つかった親近感すらおぼていたところで、次にお姉さんが発した言葉にゆうすけは度肝を抜かれた。


「あんた、なんで服着てないの?」


さらっと言い放ったその言葉。

確かに周りを見てもすれ違った人を見ても、みんな服を纏っていた。

しかし、ゆうすけは見ての通り透明である幽霊の身だ。

ただの空気でしかないのだから物理的に服を纏うことはできないだろう。

お姉さんがゆうすけと同じく幽霊だとしたら、尚更それがわかるだろう。

なのになぜ、この人はそんなことを言ったのだろうか・・・

何も答えないでいると、お姉さんはまた矢継ぎ早にゆうすけに尋ねた。


「だから、なんで服着てないの? 今みたいにぶつかったら危ないから服着なきゃダメでしょ。」


お姉さんのその言葉にまた驚愕する。その言葉に違和感を覚えた。

【ぶつかったら危ないから服着なきゃダメでしょ。】

どういうことだろう。その言葉だけが反芻される。

今のを言い換えれば、逆に服を着ないとぶつかってしまう。ということになる。

ずっと黙っていると、お姉さんがますます困ったような顔を見せて、

ゆうすけに言った。


「ここは死んだ魂が集まる世界なの。・・・」


気づかなかった。完全にやられた。

その瞬間、顔を上げて自らの横を通っていく人たちを改めて観察する。

やはりみんな服を纏っている。


「あの・・」


喉に絡んだ大層情けない声で、言葉を発そうとするが、勢いのあるお姉さんの言葉にかき消されてしまう。


「ちょっとここで立ち止まったらあんたなら尚更危ないからこっちに寄って。」


そう言ってお姉さんに手を引かれて、廊下の隅に寄っていく。


お姉さんはゆうすけの自分がどこでどういう状況に置かれ何をしているか気づいていない様子に少し呆れながらも、この世界の正体をゆうすけに語ってくれた。

お姉さん曰くこの世界は未練を持った死んだ魂が集まる世界で、このショッピングモールの正体は生前にゆうすけが見えていた棚田みたく8段になった近所の墓地らしかった。だから、このショッピングモールも八階建てなのだ。

無限に区画されたお墓が無限に区画されたお店になっており、墓石に刻印された家紋はそんなお店のロゴマーク。

一見お墓の敷地は狭いが、肉体のない魂は人間のように自らの肉体を基準にして感じる物の大小の感覚なんてものはない。だから広く見えるお店でしかないのだ。

もちろん肉体を持つ人とぶつかっても、空気である魂はすり抜けてしまうが、魂と魂同士がぶつかったら、同じ空気同士であるが故に、衝撃を感じるらしい。ゆうすけには物理的で煩雑な話はよくわからないが、それが先ほどお姉さんとぶつかった原因らしかった。

だから、この世界では自らの透明の魂の輪郭を服で型取って周りに示さなければ、周りの人からすると何も見えなくて、結果さっきみたいにぶつかってしまう。といった具合だ。


そこまで話してもらってやっとゆうすけは自分が死んで、お墓に埋められたことだけはようやく理解する。

そして、記憶を辿ってこの世界で目を覚ましたいわばスタート地点に逆戻りしてみる。そこにゆうすけのお墓があるはずだから。

お姉さんもついてきてくれた。

しばらく歩くと、本当にゆうすけのお墓が姿を現した。

賑やかなショッピングモールのお店に紛れて静かに立っている殺風景の墓石とその敷地はゆうすけの心を更に不安にさせた。


「・・・?」


と、その時、お墓の敷地に一冊の本がそっと置かれているのを見つける。

拾い上げてその表紙を思わずまじまじと見る。


【ゆうすけへ。あの世でも織り方をたくさん練習して、いつか本当に鶴野家の服屋さんのお兄さんになる夢を叶えてくれたら、お母さんは嬉しいです。ゆうすけならきっと大丈夫よ。お母さんより。】


ゆうすけはそれを見た瞬間、涙が枯れるほどにその場で崩れた。




「・・・服、どうやって買うんですか?」


自分のお墓の前で、泣き止んだゆうすけはお姉さんに尋ねてみる。


「え、お金で買うに決まってるじゃん。」

「でも僕お金、持ってないよ・・・」


ゆうすけが心細そうに目を三角にしながら、不安げにそう告げる。


「じゃあこの世界にいる家族や親族にお金稼げるようになるまで、買ってもらうしかないね。誰か家族いるんでしょ?」


聞かれてゆうすけは考える。

この死後の世界に家族がいるとしたら・・・五年前に死んだおばあちゃんくらいだろうか。でもおばあちゃんはいるのかどうかはわからない。こんな人混みの中からみつけだすのもかなり時間がかかるだろう。

黙っていると、お姉さんの顔がだんだんグラデーションのように驚きを隠せないといった表情になっていく。


「え、モールの電光掲示板に毎日その日新しく墓石を建てた人の名前が表示されるから、普通自分の家族や親族がやってきたらまずお墓まで迎えにいくはずだけど・・・」


そうきいてゆうすけは仰天する。自分の元には誰も迎えに来ていない。

そもそもこの世界に来て初めて関わりを持ったのが家族でもなく親族でもなく、ぶつかってきたこのお姉さんだ。


「誰も迎えに来てないよ。」


そう言うとお姉さんは更に驚いた表情を見せて、急ぐように早口でまくし立てた。


「念の為インフォメンションカウンターで呼び出してもらおう。家族や親族がいなければほんとどうにもなんないよ、この世界。」


【家族や親族がいなければほんとうどうにもなんないよ、この世界】

体言止めで発された最後の言葉が恐ろしいくらいに心の中でおもしとなって、ゆうすけの顔の表情までをも強張らせていく。

自分一人ではどうにもならない、その言葉だけが耳にこびりついたまま、ただ今は自分の存在をこの世界で唯一知っているお姉さんに縋る思いで、インフォメンションカウンターへの足取りを早めた。




「本日もショッピングモールグレイブタウンにご来店頂きまして、誠にありがとうございます。お呼び出しを申し上げます。鶴野ゆうすけくんの、ご家族様、ご親族様。鶴野ゆうすけくんのご家族様、ご親族様。お連れ様がお待ちでございます。一階インフォメンションカウンターまでお越しくださいませ。この後もショッピングモールグレイブタウンで、楽しいひと時をお過ごしくださいませ。」




派手なピンポンパンポンと言った音と上品な声がモール内に響き渡る。

お姉さんがインフォメンションカウンターの人にゆうすけの事情を伝え、店内放送にまでこぎつけてくれた。

【この後もショッピングモールグレイブタウンで、楽しいひと時をお過ごしくださいませ。】

そんな呼びかけとは真逆にゆうすけは楽しくも何も、ただただ不安げに自らの家族、もしくは親族が来るのを今は待つのみだ。


「誰か、来てくれたらいいね。会えたら生前以来の再会でしょ。なんだかんだ感動の再会になると思うよ。」

「うん・・・おばあちゃん来てくれるかな・・・」


お姉さんまでも、ゆうすけの家族・親族がやってくるのを気長に待ってくれた。

途中、落とし物を届けにくる人や、道しるべを聞きにくる人がいた。

みんなショッピングモールで過ごすひと時は充実していて大層楽しそうだ。


結局、その日は閉店の時間になるまで、それらしき人は誰もやってこなかった。




「今日、うち来る?」


お姉さんにそう尋ねられたのは閉店後のシャッターが閉まったショッピングモール街を重い足取りで歩いている時だった。

静かに頷いたゆうすけは今日は自分のお墓があるにも関わらず、お姉さんのお墓に泊まらしてもらうことにする。

ゆうすけはこの世界に来てから何も食べておらず、お腹が空いていた。

自分の墓で眠れたとしても、食べるものは一切何もないのが現実なのだから。


お姉さんに連れてこられたどり着いたお墓は、大層立派なまるで家に例えると豪邸のようなお墓だった。

たくさんの花が供えられていて、お姉さんが生前どれだけ愛されていたかを物語っていた。でもお店が大きく見える分、供えられたどの花もとても大きく見える。


「あんた、明日服買いに行きな。」


お姉さんのお墓の中に入って、思いの外の豪華さに、たじろいで緊張していると、お姉さんがお金を持たせてくれた。どうやらこの世界のお金は「キューロ」というなおも変な単位らしい。


「・・・ありがとうは?ちゃんと言わなきゃ。」


お金を持たされあまりの唐突さに驚いていると、お姉さんに注意された。


「あ・・・ありがとう・・・ございます。」


自分の喉に絡んでなかなか解けないか弱い声が情けないな、そう思っていると、またお姉さんが言った。


「あ、でもその前にパーソナルカラー診断ってわかる? 」


パーソナルカラー診断?

ゆうすけにはなんのことか全くわからなかった。

わからずに戸惑っているとお姉さんが得意そうに続けた。


「簡単に言うと自分の似合う服の色がわかる診断。私生前そのアナリストだったんだ。せっかく服買うんだったら、それ受けてみてもいいかもなぁって。」


そう言われて、ゆうすけはお姉さんが指定する椅子に腰を下ろした。

するとお姉さんが周りにあった大きくみえる花の花びらを驚くくらいに次々に千切ってはゆうすけの魂にまるで服をコーディネートするかのように、あわしていく。


パーソナルカラー診断、とは、こちらもお姉さん曰く、自分に似合う服の色がわかる診断だ。

スプリング・サマー・オータム・ウィンターの季節名で4分割された色のグループをさらに黄みと青み・明るさ・鮮やかさ・清濁感で4分割し、最終的に16タイプとなった色のグループの中から自分を引き立ててくれる、つまり似合うグループを探していく、と言った具合だ。


「うちの墓、あ、店はね、ショッピングモールで唯一パーソナルカラ―サロンをしてるの。」

「うん・・・」

「この世界で誰かに認めてもらう上で、なければならない、服。

せっかく買ったのが自分に似合わない服かもしれない時だってある。そんなの、存在を周りに示すのが私たちには服しかないのに似合わないって存在が否定されてるような気がして、嫌じゃん。

だから、まずは服を買う前に私のパーソナルカラー診断、受けてみて。ってこう言うことよ。」


ゆうすけにはお姉さんの言っていることが半分、わかって、半分、わからない。

でもなるべく耳をそばだてる。


「私の家族ね、もういらないって思うほど頻繁にお墓に花を供えに来てくれるの。

だからいろんな色の花があるでしょ。花びらだって同じ花の花びらでも自然のものだから絶対にどこか色が違ってる。葉っぱそう。

そんな微妙な色の違いを活かしてできること、それがこのパーソナルカラー診断だったの。」


そうやって嬉しそうにお姉さんは話す。

確かに言われた通り、黄色一色の花でもピンク一色の花でもその花びらの色はどれも薄さや鮮やかさ、明るさなどがまるで違っていて一概に同じ色とは言えない。

そう言われてみれば見方自体もかなり変わってくるもので、ゆうすけは自らを囲んでいる、花の一つ一つをまじまじと面白そうに観察した。

お姉さんに言われるがままに鏡に映る自分を見つめてみる。

ほら見て、濃い色より薄い色の方が自分の顔にしっくりくるでしょ、そんな形で話しかけてくれるお姉さんだ。


「私たちの魂って透明でしょ?

どんな色をあわしても透明は色じゃないんだから、あわした色によって引き立てられることも、何もない。最初はみんなこう言ったよ。でも・・・でもね、私、透明も立派な色だと思うの。例え透明でも、あわせる色によってその人の魂が一番引きたてられる、似合う色が絶対あるんだ。その色こそがその人のパーソナルカラーであり、魂の色。」


今の言葉は、わかったようで、よくわからない。

でも当のお姉さんは「子供にこんなこと言ってもわかんないよね。」

と、独り言のように笑って、そんなゆうすけの戸惑いを気にすることもなく、さっさと次の工程に進んでしまう。

その姿が子供ながらに、ゆうすけにはとても寂しそうに映った。


しばらくして診断が終わったんだろうか、お姉さんの手が止まったタイミングでお姉さんは嬉しそうにゆうすけに微笑みを見せてくれた。


「あんたのパーソナルカラーはライトスプリングね。私と同じスプリングかぁ」


そう言ってお姉さんは四つの花びらがついた花が、菱形の形に四つ配置されたバッジを渡してくれた。


それぞれの四つの花の中央に、Spring、Summer、Autumn、Winterと描かれていて、Springの花のLightと描かれた花びらに色が塗られていた。Summer、Autumn、Winterの三つの花の花びらにもまた英字でvividだとかwarmだとかcoolだとか書かれている。

花びらは全部で16つだ。

自分が16種類あるパーソナルカラーの中の何タイプかをこのバッジの色が塗ってある花びらで示しているのだろう。


「このバッジ持っていたらブティックのお兄さんお姉さんもそれを見て一目であんたのパーソナルカラーがわかるから、あんたに似合う服をきっと提案してくれるわ。」


そのお姉さんのお墓の墓石には


【Personal color salon God Mother(日本語訳 パーソナルカラーサロン名付け親)】


と刻まれていた。


その文字の下に刻まれた家紋にも不意に目がいく。

見てからゆうすけはハッとした。

バッジの柄が、お姉さんのお墓の家紋であることに気づいたのだ。

ゆうすけのそれに気づいたのか、お姉さんはさらに得意げになって続けた。


「それ、うちの四つ花菱紋よつはなびしもんっていう家紋なの。可愛いでしょ。」

「うん、可愛い。」


得意げになっていたお姉さんはそこで、急に顔つきが変わって何か言いたげな表情になる。

何を言い出すのかと怯えていたら、次に発された言葉にゆうすけは何か心が温かいものに包まれた。


「もし良かったら、あんたうちの家族にならない?・・・今日あれだけ放送で呼び出してもらったけど、誰もあんたの家族来なかった。おそらく残念だけどこの世界にはもういないんだと思う。だから、もしよかったら、私があんたの家族になるよ。」


ゆうすけはとても嬉しかった。ゆうすけもできることならぜひお姉さんの家族になりたかった。だけど、どう答えたらいいかわからない。

ここは「ありがとうございます」なのか「これからよろしくお願いします」なのか。でも何か言わないと、それを拒んでるみたいになってしまう。

そう思って頭に降ってきた言葉をとりあえずは咄嗟に言葉にする。


「ありがとう・・・」

「こちらこそ。その家紋のバッジはあんたのパーソナルカラーを表すけど、これから高島家たかしまけの証ってことでもあるからね。」


ゆうすけは素直に嬉しかった。五年前に死んだおばあちゃんを初め、自分の死んでしまった家族にまた再会できるのではないか、そう少し期待していただけに、その可能性がなくなって残念ではあったけれども、でも嬉しかった。

思えば今日、あの時、ぶつかってからゆうすけはお姉さんにたくさんお世話になってばかりだ。一緒に自分のお墓までついてきてくれたり、インフォメンションカウンターで放送を頼んでくれたり、その後もゆうすけの家族を一緒に待ってくれたり。そしてパーソナルカラーを診断してくれ、最後には家族にまでしてくれた。

なんでそこまでしてくれるのだろうか。

尋ねていいことなのかどうかはよくわからなかったけれども、

それが不思議に思えて仕方なかった。


不意に尋ねるとお姉さんは嫌な顔一つ見せずに、今ゆうすけを助けるに至るまでのいきさつを教えてくれた。

その時のゆうすけは、お姉さんの本当の過去がどんなものかまだ何も知らずに。

___________________


私の名前は高島美香。享年二四歳。死因、子宮癌。


私は高校生の時、容姿について激しく虐められていたせいで青春時代がぶっ壊された。

ブス、ブス、毎日浴びせられるその言葉はもう耳にタコができるくらい聞いたほどで、私はだんだん心を閉ざしていき、いつも教室の端でずっと本を読んでいる毎日だった。本を読んでも本の中で青春を楽しんでいる主人公、私には例えそれが作り話でも許せなくて本すらも読むのも辞めてしまった。


私は自分のこの醜い顔が大嫌いだ。

いつか絶対に、自分を虐めてきた奴らを見返してやりたい。そんな思いに縋りながら毎日毎日家に帰ったら、メイクやファッションの研究に明け暮れた。

そんな時に、参考にしていたメイクの上手いユーチューバーがパーソナルカラー診断というものを受けた様子の動画にたまたま出くわした。

自分の似合うメイクやファッションの色を診断してくれる、と言うもので、診断を受けた後に、自分のパーソナルカラーに合ったメイクや服を纏っているユーチューバーを見ると、その変化が一目で分かった。


「すごいな・・・」


そう思い、気がついたら、自分もそのユーチューバーと同じサロンの予約をとっていた。

サロンは高級マンションの一室だった。

自分の顔の下にいろんな色のドレープが当てられて、似合う色のドレープが消去法のように選別されていく。顔に当てられているドレープで変化する自分の顔を見て、私は思う。

(色だけでこんなに変わるものなんだ・・・)

診断結果はスプリング、サマー、オータム、ウィンターと四つあるタイプの中のスプリングで、その中でも特に暖かい色味の、ウォームスプリングというタイプだった。


「お客様はウォームスプリングのお色が大変よくお似合いですね。」


そう言われた時に私は思った。

こんなブスな自分がウォームスプリング(暖かい春)だなんて、と考えたら自嘲した。

でも、そう診断してもらったからには、暖かい春にふさわしい、女の子になりたい。そう思う気持ちの方が明らかに優っていた。

長い長い人生の中で、垢抜けの人生というものが別に存在するのだとしたら、今はその人生で生きていく名を命名された瞬間だ。

それからというもの、私はウォームスプリングの服やコスメでさらにメイクやファッションの研究を続けた。

そして、ある日、小学校からの親友の美咲と、久しぶりにご飯に行こう、そう誘ってもらい、美咲と会った時、美咲は私を見て仰天した。


「美香、なんかすごく可愛くなったね。なんだろ・・・前よりも女の子らしくなったっていうか。」


そう言ってもらった時、心から歓喜した。

自分のこの努力が報われたのかと思うと嬉しくて嬉しくてたまらなかった。


あの日、サロンのお姉さんに優しい声で言ってもらった、ウォームスプリング。その言葉は垢抜けという人生で命名された名前だなんて言ったが、でも私は本当にまるで自分の名前のように大切にしてきたつもりだった。

だから、決して名前負けしまい、と頑張ってきたのだ。




高校生も最後の春がやってきた。春。それは高校生として迎える、私の最後の季節だ。

その頃にはもう私をいじめてくる奴なんて決して怖くはなかった。

どれだけブスだと言われようが、私はいじめれた分、可愛くなる。そう思った。


「あんた、大学どうするの?」


ある日、お母さんに聞かれたその言葉。

私は今までファッションやメイクに夢中になり、自分の将来のことなんてこれっぽっちも考えていなかったから少したじろいだ。

大学は、正直面白くなさそうだ。

自分とはかけ離れた分野を持つ学科の集まりのような気がしてならない。

このままメイクやファッションを究めてもっと可愛くなりたい、ただその思いだけが自身の頭を掠めていた。


「じゃあさ、美容系の学校行けば?結構いるよ、大学じゃなくて専門の学校行く人。」


そう教えてくれたのは、親友の美咲だった。

確かに、高校を卒業して、自分の好きなことを学んだり、仕事にできるのは魅力的に映るものだ。

でも、自分のこのファッションやメイクに対する情熱はただの趣味でしかないのではないか、そう思う気持ちもどこかあったのだ。


「もうさ、あんたはメイクもファッションも十分頑張ったよ。

次は自分がその楽しさを教えてあげる側なんじゃないかな。」


美咲のその言葉は私の核心をついた。

まさしくその通りだ。次は自分が、世界中の人にファッションやメイクの楽しさを教えてあげる側なんだ、と。



そう思って、自分をここまでメイクやファッションで変わるきっかけをくれた、あのパーソナルカラーサロンのお姉さんを思い出す。

自分もあのお姉さんのようになれたらな、そう思ったのだ。


そして私はパーソナルカラーアナリストになるため、高校卒業後、専門の学校に進学した。

「大学どうするの?」

おそらく大学に行って欲しかったであろうお母さんも、快くその夢を応援してくれた。

パーソナルカラーアナリストになるのは思った以上に甘いものではなかった。でも私は必死に頑張って、晴れて、二二歳の時にアナリストとして、自分のサロンを開くことが叶った。

サロン名は「God Mother」

意味はつまり、名付け親だ。

あの日、まだ高校生だった私は、ウォームスプリングと名付けられた。

名前負けしないように努力して綺麗になって、気づけば性格も暖かい春のように性格になっていった。まるで診断がきっかけで新たな人生を歩むことができたかのように。

だから、私のサロンに来るお客様も名前負けしないくらいに輝いて、新たな人生を歩んでほしい。そう願って、サロン名は名付け親という意味にした。


二十四歳になった頃、幼馴染の美咲は結婚した。

子供の名前をどんな名前にしようかな、そう悩む美咲は、本当の意味での新たな人生を歩む人の名付け親だ。そんな誇らしい名付け親になった美咲が私にはとても羨ましかった。

今まで診断を通して様々な人の名付け親になったつもりでいて、その一心で頑張ってきた。

でも、美咲の赤ちゃんを見せてもらった時、私は思った。

今度は決して診断ではなく、本当の意味で新たな人生を歩む子供を産んで、そして名付け親として名前負けしないくらいに育ててあげる。幸せにしてあげる。

年齢も年齢だったので、それは簡単にいえば、結婚したいというごく普通の女の子の願望の現れだったのかもしれない。


でも私も、子供を作ろう。

そう思った。

そう思っていた矢先の時のことだった。

子宮に癌が発覚した。


運が悪く発覚した時はもう癌がかなり進んでいる状態だと医者に告げられ、私は入院することになったのだ。

サロンも閉め、ずっと病室で窓の外を眺めて絶望することしかできなかった。惨めだった。

高校ではいじめられて、垢抜けもアナリストになるための勉強もせっかく頑張ってきたのに、癌でサロンは閉めることになって、人生本当ついていないな、そう思ってやまなかった上に、私は元々ブスだったし、もうこういう人生を歩む運命だったんだ、と半ば生きることに諦めがついていた。


しかし、ずっとそうやってひとりぼっちの病室生活を続けていたある日のことだった。

同じく癌の治療室に自分よりも8つほど年下の十六歳くらいの男の子がやってきた。

名前は恵比寿和成えびすかずなり君。とても明るい子だった。

何もやることがない病室だからこそ、毎日毎日私たちは自分の趣味の話であったり、お互いの過去の話であったり、休日はどういうことをして過ごしているかであったり、そう言った他愛のない話題に花を咲かした。

パーソナルカラーアナリストをやっていた過去を誇らしげに伝えると、興味深かそうに目を輝かせていた和成君が今も忘れられない。


和成君は病気になっても負けまいといつも笑顔の明るい男の子だった。

和成君が病室で、病気を治したいという願いを込めて折っていた千羽鶴。

鶴を一生懸命に折る彼の姿を見た時に私は、自分もやっぱり病気に負けないように笑顔で頑張らないと、そう思わせてもらった程だ。


「病気が治って健康でいつまでも長生きできますように。美香姉ちゃんの分までそう願っているよ。」


千羽鶴を折っている和成君に、折って叶えたい願いを不意に尋ねたとき、和成君が言ってくれた言葉が今でも鮮明に心に残っている。私の病気が治ることも願っている、と。確かにそう言ってくれた。


一人っ子だった私にとって和成くんはいつしか本当の弟のようになっていった。


でも、どれだけ明るく振る舞っていても誰だって病気を患っている我にかえることがある。


「な、な、なんで俺なんだよ、母さんはなんでもっと俺を健康に産んでくれなかったんだ。」


もちろんそうやって顔をくしゃくしゃにして今にも泣いてしまいそうな震える声の和成君を病室で宥めた時だってあった。


「俺、美香姉ちゃんが、本当のお姉ちゃんだったらな、って思うんだ。」

でも最後はそういって笑ってくれる和成君が私は大好きだった。


「ありがとう。私も、和成君が弟でいてくれたらな。・・・千羽鶴もうすぐ完成だね。完成してお互い病気治ったら近所のショッピングモールに一緒に遊びに行こうね。」


そんな会話を交わした1週間後、私は永眠した。


気がつくと大きなショッピングモールにいた。天国かな、一瞬そう思ったのも束の間、そこは近所の墓地で、未練を持って彷徨っている魂にとってはショッピングモールに見える、というなんとも理解し難い話らしかった。

私の未練、【新たな人生を歩む子供を産んで、名付け親として名前負けしないくらいに育ててあげれる日が来ますように。】


それが叶わなかったこと。


そんな願いを叶えられず未練と化した私だけども、でも私は自分が死んでしまったことを卑下したくはなかった。どうせなら、和成君に教えてもらったように、いつであってもどこであっても、負けないように笑顔で過ごしたい。そう思った。


だから、この死後の世界に来たのも、垢抜けとは関係ないけれどでも別の意味での新たな人生の始まりなんだ。それはみんなもそう。そう前向きに捉えることができるようになっていった。

新しい人生の幕開けには、自分はやはり名前を名付ける親のような存在でありたい。

そう思って、私はまたこの世界で生前の頃と同じように、パーソナルカラーサロン「God Mother」を、再開した。

お客さんはみんな、この世界で新しい人生を歩む人たちだ。


死んだことは確かに未練がましいことだけれども、でも、これは新しい人生の始まりなんだよ、一人でも多くの人にそう思って欲しかった。

確かにお客様はみんな自分が死んだことにショックを覚えている人が多かった。

でも私と話すと、診断が終わる頃には、新しい人生頑張ってみるよ、そう言ってくれる。それがとても嬉しかった。


そんな中、和成君がとうとう癌に全身を侵され、永眠したことを知った。


永眠した和成君とこの世界で再会した時、和成君の姿が見えた瞬間、私たちは言葉にできない感情のあまり涙ながらに抱き合った。


「頑張ったね。」

「ありがとう。俺も病気に打ち勝つのは無理だったよ。」


私にはこの世界に家族は誰もいない。そしてそれは和成君も同じらしかった。だから、私たちは二人で病室で過ごした時のように楽しく過ごそう、そう決めた。生前話していた、和成君と二人でショッピングモールに遊びに行くという約束もここでちゃんと果たすことができるのだから。


そして、やがて和成君は自らの墓をブティックにしてオープンした。


「美香姉ちゃんのサロンで、新たな名前で人生を歩み始めた人たちに、その名前に負けないくらい似合う服を纏って欲しい。そうやって生前の美香姉ちゃんみたいに笑顔になって欲しいんだ。その思いは俺も同じだから。」


そう言われた時、私はとても嬉しかった。

和成君なら、きっと、きっと、名前に負けないくらいに似合う服を、提案してくれるはずだ。


そんな日が続いたある日のこと、私は服を纏ってないとある男の子に廊下でぶつかった。聞けば、その子は親がいない、ということだった。

家族や親族がいない。

その姿がどこか私がこの世界に来たばかりの頃と重なった。

それに、生前子供を作れなかった美香、死後親を作れない男の子。似ているようでどこか違うけど、不安そうなその男の子の気持ちが私にはわかる気がする。

その子を見放すわけにはいかなかった。気づいたら、家に呼んでいた。気づいたら、家族になろうと言っていた。

___________________

全て話し終えたお姉さんは涙を流していて、嗚咽していた。

やはりいろいろと思い出すものや後悔があるのだろう。

お姉さんの未練。

【新たな人生を歩む子供を産んで、名付け親として名前負けしないくらいに育ててあげれる日が来ますように。】

それが叶わなかったこと。


「ちょっと暗い話かもしれないけど、でも聞いてくれてありがとう。私、わかってるんだ。もうこの世界は、死んだ人たちが流れてくるだけだから、子供なんて産めない。だからそんな未練も叶うはずがないこと。」


ゆうすけは何も言えなかった。


「なのになんで、未練を叶えるための世界に放り込まれているんだろう。」


そう自らに問いかけるようにお姉さんは言った。

お姉さん曰く、この世界は未練を背負って成仏できない魂が、未練をなくすための世界らしかった。


ゆうすけの未練。

いつか生まれる弟や妹に、いっぱい絵本読んであげて、いろんなことを教えてあげて、自分がおった服をいっぱい着せてあげて。そして一緒に鶴野家の服屋さんをすること。

どれもお姉さんみたいにこの世界では叶いようのない未練だ。

そう言われてみればゆうすけもなぜこの世界に放り込まれたのかやはりよく理解できない。


でもここでそれを口に出していくら嘆いても誰もどうにもできない。

ゆうすけもお姉さんも、この世界にいる以上、ここで生き抜く他ならないのだから。


「お姉ちゃん。一緒に頑張ろう。」


気がつくと、ゆうすけは咄嗟にそう言っていた。

「うん、ありがとう。」


お姉さんもそう優しく返してくれた。


「明日、和成君のところに服買いに行こう。優しいアパレルのお兄さんだから。笑顔工房って名前でやってるよ。」




次の日、ゆうすけは早速、上に着る服と下に着る服を、お姉さんと一緒に4階にある笑顔工房まで買いに出かけた。


本当にこのショッピングモールは広く、お店が無限に広がっている。

お姉さんのサロンは最上階の八階にある。だから、エスカレーターを何回か下がって十分ほど歩くと、笑顔工房に到着した。


「いらっしゃいまぇええ!ご利用ご覧くらさいやせぇぇぇぇ!」


初めてみた笑顔工房の恵比寿和成は、とても背が高く、笑顔でテキパキと接客していた、という印象だった。

昨日お姉さんから聞いた通りの人柄だ。


「お、美香姉ちゃん、久しぶり! ってその子は一体・・・」


そう言って和成はゆうすけを怪訝そうな顔で見つめる。


「久しぶり。この子ね、昨日何も服着てなかったの。聞いたら家族も親族もこの世界に誰もいないんだって。だからとりあえず何か服着させてあげて欲しいの。」


そうお姉さんがいうと、和成は昨日のお姉さん以上に驚いたような顔を見せた。


「え、親族もいないの。君、名前は?」

「鶴野ゆうすけです。」


すると和成は何か思い出したような顔で続けた。


「昨日、確か店内放送で呼ばれてた子だよね。」


ゆうすけが答えようとするとお姉さんが言った。


「そうなの。あの後、インフォメンションカウンターで私、この子と一緒にずっとこの子の家族がくるの待ってたんだけど、見事に誰も現れなくてさ。」


和成は、なるほど、と言った面持ちでお姉さんと話を進めていく。


どうやらお姉さんと話しあった結果、ゆうすけには無料で服を着せてくれるらしかった。お姉さんから聞いた通り優しい人で良かった、そうゆうすけは胸を撫で下ろす。


「ゆうすけ君、パーソナルカラーわかる?」

「ライトスプリングです・・・」

「お、俺と同じスプリングタイプじゃん。ちょっと待っててね。」


そうやって和成はたくさん陳列されている服の中から、まるで掘り出し物の古着を探し出すかのように、ゆうすけに似合う子供用かつライトスプリングの上下を探して出してくれた。


「これとかどうかな?」


和成が提案してくれたのは、店のロゴマークの松の木が前一面にプリントされた水色のロングTシャツと白のハーフパンツだった。


「とりあえず試着してみようぜ。」


言われるがままに試着室に案内されて試着をする。

服に着替えて試着室の鏡に移った自分の姿を見て、ゆうすけは盛大に空気の塊を飲み込んだ。自らの服を纏った姿に驚いたからだ。

なるほど、自分が服を着たら、着ないのとではこんなにも異なるのか。


「お、似合ってるね。うん、やっぱ服着てる方がかっこいいよ。その松の木のロゴマーク、枝付き一つ松紋えだつきひとつまつもんっていううちの家紋。かっこいいだろ。」


笑顔で和成・・・お兄さんはそう言った。

でも笑顔になったのはゆうすけの方だった。

今まで透明の塊で、その存在は脆く、視線すら向けられないのも同然だった。それが今となっては、服を纏っただけで、ここまで人に存在を認めてもらえ、かっこいいとまで褒めてもらえているのだから。


【せっかく買ったのが自分に似合わない服かもしれない時だってある。そんなの、存在を周りに示すのが私たちには服しかないのに似合わないって存在が否定されるような気がして、嫌じゃん。】


昨日のお姉さんの言葉を思い出す。お姉さんの言う通りだ。

確かに自分は今、似合ってると言われて、どこかで願っていたかのように、自らの存在全てが肯定された気さえした。


それが嬉しかった。

そしてお姉さんに診断してもらったパーソナルカラーでお兄さんがゆうすけのために服を一生懸命に選んでくれたのも嬉しくて、ゆうすけはその二着を「思い出の服」としてお兄さんからプレゼントしてもらった。


お兄さんに素直にお礼を言う。


「あの・・・ありがとうございます。」

「おう、うちの家紋が描かれた服を着てるんだから、ゆうすけ君はもうこれから恵比寿家えびすけの大切な家族な。俺の弟だな。

美香姉ちゃん、姉ちゃんがゆうすけ君のこと、助けるなら、俺も一緒に助けたい。」


そう言ってお兄さんはゆうすけの頭をポンポンと叩いた。


「ほんと?ありがとう。じゃあこれからは三人だね。」


笑顔でお姉さんはそう言った。


その後、お兄さんが休憩に入ったタイミングで、三人でフードコートに入って食事をした。

ゆうすけはデミグラスハンバーグ定食を、お姉さんはカルボナーラのサラダセットを、お兄さんはお好み焼き定食をそれぞれ頬張った。


初対面のお兄さんにゆうすけは最初はとても緊張していたが、でも時折お兄さんが面白いことを言って、お姉さんがツッコむ。

そのやりとりがまるで本当の兄弟のように面白くて、気づいたらゆうすけの方まで笑顔になっていた。


「今日はいい買い物できて満足だね。ゆうすけ。」


お姉さんにそう話しかけられて、ゆうすけは頬張ったハンバーグを急いで飲み込み、咄嗟に頷く。


「うん。この服とズボン、すごく気に入った。」

「あのぅ買い物というかプレゼントしたんですけどぉ」


お兄さんがお姉さんの方を見て口を尖らす。


「あ、そうだったね。和成君のご好意だったね。」


お姉さんが笑う。


「ご好意って他人行儀な言い方だなぁ。困ってる人がいたら報酬をもらわずに助けるのが当たり前だろ。それにゆうすけ君はもう俺たちの家族なんだから。」


昨日のお姉さんの話を聞く限り、お兄さんは生前もとても明るかったという。

でも、そんなお兄さんの楽しそうな顔を見ていると、生前のお兄さんがまるで思い描けるくらいに、明るいっていうのがゆうすけにもよくわかった。


だから、こんな明るい人、にも未練がある、なんていうのが信じられないくらいだった。

お兄さんはどんな未練があるのだろうか。

あまり聞いてはいけないプライバシーに踏み込む気がしてならなかったけど、気がついたらゆうすけは尋ねていた。

するとそれまで、笑って楽しそうだったお兄さんの顔が一瞬で真剣な眼差しに変わった。

やっぱり聞かない方がよかったことを聞いてしまったかな。

一瞬そう恐れたけれども、でもお兄さんの真剣な眼差しからは聞いてほしくなさそうな感じは何故か一切しなかった。

お兄さんはゆっくりゆっくりと話してくれた。

自身の過去の話を。

_________________


俺の名前は恵比寿和成、享年一九歳、死因、皮膚癌。

俺は小さな頃から体が弱く、よく体調を壊していた。

小学生の時だって少し外で走り回っただけでも、すぐに体調を壊すくらいに弱かったから、他の同年代の男の子はみんな外で遊んでいる中、俺は一人教室の中で、本を読んだり、宿題をしたり、同じく教室にいる女の子たちと遊んだりしていた。

でも、中でもそんな俺を夢中にしてくれたのは、室内遊びの醍醐味とも言える折り紙だった。

たった一、二枚の薄っぺらい紙から、鶴や手裏剣、などいろんなものを作ることができる。その多様な面白さが俺の子供心を鷲掴みにした。


折り紙の楽しさを教えてくれたのは全て兄ちゃんだった。

外で遊べず室内でしか遊べない俺を見兼ねて兄ちゃんは自身が得意な折り紙の折り方をたくさん教えてくれた。

俺はそんな兄ちゃんが大好きだった。

家に帰っても放課後のほとんどは宿題を済ますとお母さんが作るご飯ができるまで折り紙に夢中になった。

兄ちゃんはサッカーをやっていて、体の弱い俺とは逆に体力もあり、とても溌剌とした少年だった。俺には兄ちゃんが羨ましくてたまらなかった。だから、体はこんなに脆弱だけど、周りから元気な子だと思ってもらえるように、いつも笑顔で、明るく振る舞おう。それが子供ながらの俺のモットーでもあった。


「和成、そろそろもっと難しいの折ってみないか?」


ある時、またいつものように折り紙を兄ちゃんに教えてもらって折っていると、そう言われた。


「でも難しそう・・・」

「大丈夫。サッカーと同じで練習したらその分必ず上手くなるから。例えば折り紙の基本の折り鶴でもいろんな種類が存在するんだ。」


そうやって嬉しそうに話す兄ちゃんに俺は興味深そうに尋ねる。


「どんなのがあるの?」

「そうだな。一枚の折り紙で二羽鶴を折ることだってできるんだぜ。」


子供ながらに驚いた。そんなマジックがあるものか、と。

今まで折り紙をしてきて、そんなことは聞いたことがなかった。

でも本当にそれを折ることができたら、楽しいだろうな、そう思って兄ちゃんに教えてもらうことにした。

二匹の鶴を同時に折ることができるその折り方は思った以上に難しくて、一つ折り終えるのに想像の何倍も時間がかかった。

兄ちゃんの手際を模倣しながら、折り紙を折って、鋏まで使って、そしてやっと一つ折り終えた時、その達成感と言ったら言葉では表せなかった。

二羽の鶴が羽を境にくっついていて、その様はとても仲睦まじそうだ。

最初はどこか破れていたり、変な折り目がついていたり、だったけれども、でも完成形を見た時、兄ちゃんはとても嬉しそうに言った。


「最初にしては上出来だよ。妹背山っていうんだ、それ。」

「い、もせやま・・・?」

「うん、二匹の鶴はオスとメスで、仲のいい男性と女性、つまり夫婦や姉と弟、兄と妹、とかを表すんだってさ。」

「へぇ〜 僕たちは兄と弟だから、妹背山じゃないね。」

「残念ながらそうだな(笑)」


兄ちゃんとするそんな他愛のない会話が俺は大好きだった。


その日から、今まで普通の折り鶴しか折ってこなかった俺は兄ちゃんに教えてもらった一枚から二羽の鶴を生み出すことできる妹背山の魅力に惹かれていき、毎日のように練習した。

最初のうちは本当に一つ折るのにかなりの時間を要したが、でもその分兄ちゃんのおかげで折り紙が一段と楽しくなったし、何かを達成することの素晴らしさがわかるようになった。そんな気がした。


中学生に上がる頃には、吹奏楽部に入ったことで部活と勉強の両立に精一杯で、折り紙を折る時間は小学生の時と比べ格段に減った。

兄ちゃんも社会人になって一人暮らしを始め、兄ちゃんに折り紙を教えてもらって、他愛のないことで一緒に笑い合う、そんな楽しい時間も徐々に減っていった。

でもそれでも休日や放課後のちょっとした空き時間に、俺は折り紙を折った。

その頃には、妹背山もとても早く綺麗に折ることができるようになっていた。


そして、皮膚に癌が発覚して入院することになったのは、高校に進学するタイミングだった。

高校生になったら、恋愛もしたいし、友達もたくさん作って旅行とか行ってみたい。それが俺の願いだった。

大学生になったら、サークルをして、バイトを初めて、社会人になったら、好きな仕事をして、結婚をして、お父さんになったら子供を幸せにして、いろんなところに連れて行ってあげて、おじいちゃんになったら孫といっぱい遊んで。

長生きをして、おじいちゃんになっても誰もがしている人生を歩む。小学生の頃から誰もがしている当たり前の生活ができなかった俺はその思いが他の人よりもより一層強かった。高校に進学したら、進学を境に、もう当たり前の人生を歩んでいきたい。長生きして死ぬまで自分らしく好きな人生を全うしていきたい。これ以上何かを制限されるのは限界だった。そんな時に癌が発覚したのだった。

今から思えば、小さい頃から体調をよく崩していたのも、もうその時から癌が体を侵し始めていたからかもしれない。


入院が決まった日はバタバタしていたので遠くに住んでいる兄ちゃんも駆けつけてくれた。

俺はお母さんと兄ちゃんに見られないよう、病院のトイレの個室に籠って一人で泣いた。

そんな時、子供の時の俺が脳裏を過ぎる。

いつも笑顔で、明るく振る舞おう。それが脆弱な子供の俺のモットーでもあったはずだ。


「絶対負けない・・・」


それは自らに対する言葉でも、そして病気に対する言葉でもあった。

それからというもの、もう一切病院の中でも、どこであっても涙を見せない、そう誓った。


看護師の人に案内されて入った二階の癌の患者専用の病室は閑散としていた。

しかし、一番奥のベッドに一人でずっと寂しそうに窓の外を見上げている二五歳くらいのお姉さんがいた。


入院生活が始まってからの俺はずっと退屈で、時々兄ちゃんがお見舞いに来てくれたが、同室のお姉さんと話すことで、自らの気を紛らわすことが多かった。

お姉さんの名前は「高島美香」さん。年齢は教えてくれなかったが、でも兄ちゃんとあまり変わらないはずだ。聞けば、パーソナルカラーアナリストという仕事をしていたらしい。


俺にはそれがどんな仕事なのかあまりわからなかったから尋ねると、

その仕事と出会ったきっかけも含めて、お姉さんは自らの過去を教えてくれた。

聞くと、お姉さんは高校で激しくいじめられていたらしい。


「そんな時ね、メイクやファッションが私を明るく笑顔にしてくれたの。

だから次は私がみんなを笑顔にしたいなって。でももう病気になった今はそんなこと叶わないんだけどね。」


そう語るお姉さんはどこかすごく寂しそうに思えた。


でも、お姉さんと話していると、自分が癌に侵されている残酷な時間を忘れられる。それがとても心地が良かった。


お姉さんとは本当にいろんな話をして、兄ちゃんしかいなかった自分にとって、そして兄ちゃんと関わる時間が減った俺にとって、いつしか本当のお姉ちゃんのような存在になっていった。


「和成君っていつも笑顔だからこっちまでなんか元気もらえるな。」


だからお姉さんにそう言われた時はとても嬉しかった。


そんなある日のこと、俺は自らの癌がさらに一段と進行していることを知らされる。

そしてそれと同時にもう自らがどれだけ病気に負けまいと笑顔になったところで、自分の力ではどうにもならない限界を知った。


最近全く手をつけていなかった折り紙。それをふと見て俺は兄ちゃんに教えてもらっていた小学生の頃を懐かしく思い出す。

千羽鶴を折ろう、と。


千羽鶴に願いを託そう。千羽折ったら願いが叶う。たとえそれが迷信であろうが、俺が今もうできるものはこういった神頼みのようなもののほかなかった。


【千羽鶴を折って病気を治すことができますように。健康でいつまでも長生きできますように。】


その思いだけがただただ今の俺を躍起にしてくれた。


千羽鶴は、いつか兄ちゃんに教えてもらった妹背山で折ろうと思う。

隣のベッドで俺と同じように癌に戦ってるお姉さん・・美香姉ちゃんの分まで、二匹、だ。


【二匹の鶴はオスとメスで、仲のいい男性と女性、つまり夫婦や姉と弟、兄と妹、とかを表すんだってさ。】


姉と弟。まるで今の俺と美香姉ちゃんだった。


「千羽鶴を折って病気を治すことができますように。健康でいつまでも長生きできますように。美香姉ちゃんの分までそう願っているよ。」


美香姉ちゃんにどんな願いを込めているのか不意に尋ねられた時、俺はそう答えた。


「ありがとう、じゃあ私も折るの手伝いたい(笑)」

「でもこれ、普通の鶴じゃないから折り方難しいよ?」

「確かに、なんか二羽くっついているよね。これもしかして、和成君と私?(笑)」


美香姉ちゃんとそんな会話ができるのが、今は何よりも楽しかった。


「俺、美香姉ちゃんが、本当のお姉ちゃんだったらな、って思うんだ。」


ずっと前から思っていたことを、俺は思い切って美香姉ちゃんにぶつけてみた。


「ありがとう。私も、和成君が弟でいてくれたらな。・・・千羽鶴もうすぐ完成だね。完成してお互い病気治ったら近所のショッピングモールに一緒に遊びに行こうね。」


そう返してくれる美香姉ちゃんが俺は本当に大好きだった


それから1週間後、千羽鶴の完成を待たずして、美香姉ちゃんは死んだ。


もう一切病院の中でも、どこであっても涙を見せない。そう決めていたはずなのに、この時ばかりはお母さんに見られようが、看護師さんに見られようが、自然と涙がこみあげてきて、俺は構わず一日中泣き崩れた。


それから一人ぼっちの病室生活が始まった。

しかし美香姉ちゃんが死のうが、俺は妹背山で鶴を折ることをやめなかった。


俺に折り紙の楽しさを教えてくれた兄ちゃんとの思い出の折り方。

美香姉ちゃんと病室で一緒に過ごした思い出もそこに蘇る。

だからずっと妹背山で折ろう、そう思った。


しかし、一ヶ月後、ちょうど春の桜が芽吹く季節だった。とうとう俺の体ももう限界まで押し寄せていた。

折った千羽鶴は九九八羽。

あと一つ妹背山を折ったら、ちょうど千羽鶴も完成だった。

そう思って、最後の力を振り絞る思いで、折り紙を手に取る。

でも、そんな俺が最後の一枚を折り終えることは、なかった。


2021年4月21日、恵比寿和成、俺は永眠した。


気がついたら大きなショッピングモールにいて、目の前には死んだはずの美香姉ちゃんが立っていた。

美香姉ちゃんは、俺を見つけては号泣しながら、力強く抱きしめてくれた。


「頑張ったね。」


そう言って力一杯抱きしめてくれた。


美香姉ちゃんから、この世界の仕組みを聞いて、そして二人で暮らそう。そう約束した。


俺の墓には、生前俺が折った九九八羽の折り鶴と兄ちゃんからの手紙が添えられていた。

兄ちゃんからのその手紙を俺はくしゃくしゃになるまで何度も読み返し、何度も泣いた。


残り二羽をちゃんと折って、未練が残らないように千羽鶴を完成させよう、俺の墓石に供えられた千羽鶴を見た美香姉ちゃんがそう話してくれたところで、俺はハッとする。

お兄ちゃんに教えてもらって、家でも病室でも折っていた、思い出の妹背山。

その記憶だけは鮮明に思い出せるのに、折り方は全く思い出せなかった。

死んだと同時に忘れてしまっていたに違いなかった。

死ぬ。それは家族や兄弟、恋人、未練、そんな大切なことは覚えているはずなのに、その人たちとの思い出のものまでをあっさりと捨て去ってしまう、それほど残酷なことを俺は思い知った。


美香姉ちゃんは、この世界で生前の元気だった頃のようにパーソナルカラーサロンを営んでいた。

生前病室で話してもらったパーソナルカラー診断。

俺はこの世界に来てまず美香姉ちゃんに勧められ、そのパーソナルカラー診断を受けた。

結果は、ビビッドスプリングで、お姉さんと同じスプリングのパーソナルカラーだった。


「私がここでまたパーソナルカラー診断、始められたのも和成君のおかげだよ。どんな時でも笑顔で負けずにいる大切さを教えてくれたから、死んでしまってもこの世界でまた新たな人生が始まる、だから負けない。そう前向きに考えることができたの。たくさんの人に新たな人生の名前をつけてあげたいと思えるようになったの。ありがとう。」


やがて、俺は自分の墓をブティックにしてオープンすることにした。

店名は「笑顔工房」

美香姉ちゃんのサロンで、パーソナルカラー診断を受け、新たな名前で人生を歩み始めた人たち。次は俺の店でそんな名前に負けないくらい似合う服を纏って欲しい。

そして生前の美香姉ちゃんみたいに笑顔になってほしい。

それに俺の笑顔は誰かの笑顔や勇気を生み出すことができる。その事実が嬉しかった。


そんな矢先だった。

美香姉ちゃんが一人ぼっちの寂しげな男の子を連れて現れたのは。


__________

最後まで話してくれたお兄さんにゆうすけはお礼を言う。

かなり夢中になって聴いていたから、フードコートの周りの音が遠ざかっていたのが、よくわかった。

話が終わったタイミングで、また耳のそばにだんだん近づいて、耳が正常に戻る。


お兄さんの未練。

【千羽鶴を折って病気を治すことができますように。健康でいつまでも長生きできますように。】

それが叶わなかったこと。


折り方は忘れて、今も千羽鶴を完成させることはできず、死後の世界を彷徨っている。


お兄さんの未練もやはり、お姉さんやゆうすけと同じく、この世界では叶いようのない未練だった。


みんな、それぞれの人生を歩んできた。

精一杯に歩んできた。


ゆうすけは特に聞かれてもいないけど、自分の未練もお兄さんお姉さんに話そうとそう思った。

お兄さんお姉さんに話して、わかってほしかった。お兄さんお姉さんに話して、慰めてほしかった。


いつか生まれる弟や妹に、いっぱい絵本読んであげて、いろんなことを教えてあげて、自分がおった服をいっぱい着せてあげて。そして一緒に鶴野家の服屋さんをすること。


そんな子供ながらの未練を全て話した時、ゆうすけの目から涙が溢れていた。


「弟と妹と会う前に死んでしまったんだね。」


涙目でゆうすけは頷くと、お兄さん、お姉さんはゆうすけの頭を優しくさすってくれた。




その日からというもの、ゆうすけはお兄さんにプレゼントしてもらった、ライトスプリングのロングTシャツとハーフパンツを毎日着るほど、とても愛用した。

当初は死んでしまって絶望の方が優っていたゆうすけもやがてそういった自分に似合う服を着ることによって、明るく優しい性格に育っていった。

ショッピングモールではゆうすけも含め3人で行動するようになった。

3人はいつもショッピングモール内で家族のように一番輝いていた。

家族のように楽しかった。


これでもうゆうすけは安心だ。だって万が一迷子の店内放送で呼び出されてもゆうすけのお連れ様はモール内に二人もいるからだ。


お兄さんお姉さんの仕事が休みの日には、ショッピングモールのブティックをしているお墓以外にも、ゲームセンターやフードコート、映画館などをしているお墓にも行って3人で兄弟のように買い物を楽しんだり、遊んだり。

ゆうすけはショッピングモールでお兄さんお姉さんたちと遊ぶたびに毎回服を含め、いろんなものを買ってもらった。

夜は閉めたお店の中で3人で輪になってトランプをしたりゲームをしたり、モールの共用スペースのナイトプールやジムやカラオケに足を運んで、運動したり、歌ったり。


生前一人っこだったゆうすけにとってはお兄さんお姉さんは兄弟のようであり、その楽しかったことと言ったらもう言葉では表せなかった。

あの時に惜しくも死んでいなかったら、ゆうすけを待っていた兄弟の暮らしそのものだった。




今日はショッピングモールのフェスティバルだ。

どういったフェスティバルなのかと言うと、その月にこの世界から未練を無くし成仏して、生まれ変わりの準備段階に入った人たちを祝って送り届ける、生前の言葉でいうとお葬式みたいなものだった。


みんなそれぞれのパーソナルカラーのバッジをつけて、スプリング、サマー、オータム、ウィンター、とそれぞれのパーソナルカラーごとに集まって、自分と同じパーソナルカラーの人の門出を祝する。


フェスティバルはフードコートで行われた。


フードコートにはいつもと違い、たくさんの料理がすでにもうテーブルの上に並んでいる。

全てどの料理もこの日のためにショッピングモール中、というかお墓中から、お供物を集めて、作られたものだ。


スプリングでは、その月で五名が、未練を無くし成仏したそうだった。

まずその人の名前と、未練、店名、どんな形態の店を開いていたか。生前どんな人物だったか。が発表されて、みんなその人を名残惜しみながら、その人について懐かしい思い出などを語らいながら、食事をする。

ゆうすけは思った。

生前どんな人だったか、や、死後の世界でどんな人だったか、という分かりきったことは発表されるのにもかかわらず、成仏した後、つまりどういうふうになるのか、例えば誰のもとに生まれ変わるのか、男の子と女の子どっちに生まれ変わるのか、と言った誰もが一番気になるはずの肝心なことは発表されない、ということに。


「なんで死ぬ前のことや死んだ後のことは詳しく発表されるのに、一番大事な成仏した後のことは発表されないの?」


その疑問をお兄さんお姉さんにぶつけてみる。


「確かに、でも言われてみればそうよね。成仏した当人だって生前のことやこの世界でのことはもう終わったからどうでもいいはずで、知りたいのはどんな人に生まれ変わるか、なのにね。」


お姉さんが言った。

そこでお兄さんが何か思いついたような顔をして、ゆうすけに教えてくれる。


「あ、でも俺、噂で聴いたことあるんだけど、どこの家に生まれ変わるか、だけはなんとなくわかるらしいよ。未練がなくなって成仏する瞬間に身に纏っていた服のブランドの家みたいなこと聴いたよ。本当かどうかわからないんだけど。」


お兄さん、お姉さんもゆうすけの疑問はあまりよくわからないようだった。


「いつか私もこうやって祝われる時が来るのかなぁ」

そうやって門出を祝われる五人の祝祭を見ながら、他人事のように言ったお姉さんのあの時の言葉が今も忘れられない。




そうやってゆうすけは立派に成長していった。

肉体のない死後の世界ではあるため、体はずっと死んだ当時の九歳のままだったが、心だけはどんどん成長していった。


そしていつしか、ゆうすけにはこんな思いが芽生えていた。


いつかのお母さんの手紙を思い出す。


【ゆうすけへ。あの世でも織り方をたくさん練習して、いつか本当に鶴野家の服屋さんのお兄さんになる夢を叶えてくれたら、お母さんは嬉しいです。ゆうすけならきっと大丈夫よ。お母さんより。】


ゆうすけは、生前叶わなかった未練の一つでもある、【鶴野家の服屋さんをすること。】

その未練だけでも叶えようと思いたったのだ。


生前お母さんから教えてもらった先祖代々鶴野家に伝わるおり方で服をおる。この世界で自分のブティックをオープンする。

そして、家族にしてくれたお兄さんお姉さんに今度はゆうすけがそのおり方でおった服をたくさんプレゼントして鶴野家の家紋を身に纏ってもらい家族に任命しようと言うこと。

後者はサプライズだ。

最後の最後までお兄さんやお姉さんには何も言わないつもりでいる。

でも、一つだけ、服をおって自らのブティックをやがて開くこと、それだけをお兄さんお姉さんにそっと伝えた。


「約束してほしい。僕が服をおっている間は決して中を覗かないでね。」


「何それ、鶴の恩返しみたい(笑)」

「企業秘密だもんね(笑) でもわかった、覗かないでおくよ。」


鶴野家に代々伝わる特別なおり方。

お母さんに棺に一緒に入れてもらったそれが記載された本を参考に、自分の墓の中で服をおる。

その様子はお兄さんやお姉さんには見せないでおく。

ゆうすけがもしお兄さんお姉さんの立場だったら、心配になって気になって覗いてしまうかもしれない。だってあの時お母さんに鶴の恩返しを読んでもらった時、自分がおばあさんだったら心配になって覗いちゃうって答えたから。


お兄さんお姉さんにも、自分が鶴の恩返しのおばあさんだったらどうするのか、考えてもらうのだ。

と言うより、覗かれてはいけないほどこれは秘密のおり方なんだってことをもうすぐ鶴野家の家族になるであろうお兄さんやお姉さんだからこそ、覚えておいてほしかった。


覗かれてしまったらもうお兄さんお姉さんと家族でいることができなくなってしまうかもしれない。

もし覗かれなかったら、約束をちゃんと守ってくれたお兄さんお姉さんだからこそまた、誰にも言わないと言う約束のもと、鶴野家の特別なおり方を受け継ぐことができる。と言うよりなぜだか受け継がないといけない、そういう使命感すら感じていた。


鶴野家の家族としてみんなで一緒に暮らしたい。いや、もしかしたらこの先もずっと永遠に一緒に暮らせるのかもしれない。なぜかそう思えてきたのだった。


だからお願い、今は覗かないでね。心の中でそう懇願する。


しばらくはお兄さんお姉さんと顔をも合わせずミシンに向かって集中した。ゆうすけのことで世話を焼いてきてくれたお兄さんやお姉さんは気になって致し方なかっただろうと思ったが、・・・最後の最後まで中は覗かれなかった。

ゆうすけとの約束を、ちゃんと守ってくれたのだ。


「ゆうすけ、約束、ちゃんと守ったよ。」


それがゆうすけにはとても嬉しかった。


そして全ての服をおり終えたその日、ついにゆうすけは自らのブティックをモール内の自分の墓がある六階にオープンした。

店の名前は「Return the favor」

日本語に訳すと「恩返し」だ。

ロゴマークは鶴が二匹向かい合った向かいむかいづるという鶴野家の立派な家紋だ。

お兄さんが自分のブランドの服を着ながら店頭に立つように、ゆうすけだって大好きな自分のブランドの「Return the favor」の服を着て店頭に立つ。


「お兄ちゃんお姉ちゃんとあの時出会ってなければ、僕はずっと一人だった。もしそうなっていたら、ここまで成長していなかったし、このブランドも誕生していなかった。

でも、あの時助けてくれたから、僕は今この店に立っていられるんだよ。だから次は僕のブランドをたくさん身に纏ってほしい。」


そして、


「今度はお兄ちゃんお姉ちゃんが鶴野家の大切な家族だよ。」と。



ゆうすけはお兄さんやお姉さんに新ブランド「Return the favor」の服をたくさんコーディネートしてあげた。


お兄さんには青色のグラデーションが縦に入った無地のパーカーをコーディネートしてあげた。

上に行くにつれて青が濃くなっていく空のような模様だ。

チャックの持ち手が家紋になっていて、チャックを上下させるとまるで二匹の鶴が空を飛びまわって何かを描いているかのように見えてとても美しく縁起が良い。


生前、弟や妹のお兄ちゃんになる夢は叶わなかった。でもお母さんが手紙で願っていたように、叶わずにいた未練でもある、鶴野家の服屋さんのお兄さんになるという夢だけでも叶えることができた。

だから、未練の一部は叶えることができたんだ。

ゆうすけはそう思えるようになった。


お姉さんにはオリジナルのファーをコーディネートしてあげた。このファーはゆうすけがとてもデザインにこだわったもので後ろの毛皮に直接ロゴマークが描かれている。そのロゴマークの一本一本の毛に2色の色を細かく施したので、毛並みを左に整えるか右に整えるかでロゴマークの色が変わり、2色楽しめる究極の一品だ。

色がついた毛皮がまるで雪の華のようでお姉さんにとてもお似合いだった。


そしてゆうすけも着ている「Return the favor」の服のロゴマークを見てお姉さんが言った。


「このお揃いのマークかっこいい。私たちって本当に家族なんだね。」


【私たちって本当に家族なんだね】


本当に、その通りなのだ。お兄さんお姉さんはもう鶴野家の大切な一員だ。これからもずっと、ずっと、そうでありますように。


お兄さんお姉さんはそれからと言うものほぼ毎日ゆうすけがコーディネートしてあげた服を身に纏ってくれていた。

ゆうすけがお姉さんのパーソナルカラーのバッジとお兄さんのブランドの服を肌身離さず身に纏っているように。

そんなに気に入ってくれたんだと思うと、ゆうすけも、とても嬉しかった。




「こんな素敵な服、どうやっておったの?」


鶴野家に先祖代々伝わる特別なおり方でおった服はやはりお兄さんお姉さんもその品質に大層驚いた。

でも今となってはもう、お兄さんお姉さんたちは鶴野家の大切な家族だ。

先祖代々受け継いできたように、新しく家族になったお兄さんお姉さんにも受け継がなければ、そう思った。


「一つ約束してね。鶴野家以外の人に教えちゃダメだよ。」


教えてあげるとお兄さんお姉さんは目を見開いて驚いていた。でも何よりも、とても嬉しそうだった。

そんな姿を眺めていたゆうすけの方こそ、とても嬉しい気持ちになったのだった。




ゆうすけは、まだ初めたての頃は自分一人でお店を回すことが難しかった。

接客、服織り、商品管理、その全てをこなさないといけないからだ。

だから、同じ鶴野家の誰かに手伝ってもらわなければならない。

もちろん、このショッピングモールであの特別な服のおり方を知っている鶴野家の家族はお兄さんお姉さんだけだ。

だからもちろんお兄さんお姉さんにお店を手伝ってもらうことにした。


「いらっしゃいませぇ!店内開店セール全品50%オフでーす!」


お兄さんお姉さんとそうやってお店を経営する、そんな毎日がゆうすけにとっては夢のような毎日だった。どこかでうっすらとこの時を待っていたかのような。そんな気がした。




そんな日が続いたある日のこと。

オープンでここ最近忙しかったゆうすけは久しぶりに休みを取って、その日はお兄さんとお姉さんと三人で遊びに出かけた。

お兄さんはあの時、コーディネートしてあげたパーカーを、そしてお姉さんはあの時コーディネートしてあげたファーを、そしてゆうすけもまた自分のブランドの服を着て。三人「Return the favor」でお揃いにして。


「私、高校生がよくやってる友達や恋人とお揃いコーデ着て、放課後や休日、ショッピングモールではっちゃけるような青春できなかったから、なんか今それが叶ったみたいで嬉しいな。」


ショッピングモールの廊下を歩いている時、お姉さんがそう言った。


「確かに。俺も高校生の時はずっと病室生活だったし、そういう青春できなかった。悪くないな、こういうのも。」


お兄さんも、お姉さんに共感するように言った。


まず、お姉さんの提案でゲームセンターでプリクラを撮ることにした。


「ねぇ、私たち全員鶴野家の家族になったことだし、3人で我ら鶴野ファミリーってことでゲーセン行ってプリクラ撮ろ!」


そうやって三人、笑いながら、プリクラの暖簾を潜っていく。


「それでは撮るよー!かわいいポーズを決めてね!ハイポーズ!」


そんな若い女の人の大げさな自動音声を合図に、ゆうすけたちはポーズを咄嗟に決める。


「ねぇ和成君、何そのポーズ! ゆうすけも!」


プリクラはどの世界のプリクラであっても不意打ちのように撮るのがすこぶる早い。

あまりにも不意に撮られたから、ポーズを決められずお兄さんがした変なポーズをゆうすけも真似して、お姉さんに大爆笑された。

プリクラ機のお墓になっていて、完成した写真は香炉の中に現れるらしい。

香炉の扉を開けて、写真を手に取ってみる。

そして出来上がった写真を見て、そのあまりの面白さと三人でプリクラを撮ったことの新鮮さにゆうすけも、お兄さんも、お姉さん、ずっと笑った。


「ゆうすけにあげる!預かっておいて!」


プリクラの写真はどうやら預かっておくという名目でゆうすけが貰うことになった。


他にもゲームセンターには、お墓が元となったショッピングモールならではゲームがたくさんあった。でもそのゲームの数々をプレイしてゆうすけたちは少し苦笑する。

モグラ叩きならぬゾンビ叩き。大層皮肉めいたゲームだ。

お供物を景品にしたUFOキャッチャー。墓参りに来た家族の気持ちを踏み躙る大層罰当たりなゲームだ。


そんな楽しいひと時をゲームセンタ―で過ごしたあとはお兄さんの提案で、本屋さんに行こう、という話になった。


「ゆうすけ、何か本を一冊買ってあげるよ。」


お兄さんがそう言ってくれたので、ゆうすけは遠慮なく気に入った本を買ってもらうことにした。


本屋さんはたくさんの雑誌や本が陳列されていた。

大方は、この世界で作られた本で、生まれ変わる前にしておきたいこと十選という表紙の雑誌や、海外に生まれ変わった時のための外国語講座本、ショッピングモールが発行しているファッション雑誌。

そのファッション雑誌を手に取って、お姉さんは自身のお店が載ったページを見つけ、思わず感嘆する。


「ほら、パーソナルカラーサロンGod Mother、十七ページに載ってる!

まぁこんな無限にあるお店の中でパーソナルカラーサロンしてるの私の店だけだからね!そりゃ紹介してもらわないと!・・・あ、和成君の店も五十四ページに載ってるよ。」


そう言ってお兄さんが、お姉さんの持っている雑誌を覗き込む。

二人はお互いに自身の店が載っているのが嬉しくて、それぞれ一冊ずつ購入した。


そうやって漫画コーナー、童話コーナー、小説コーナーとたくさんのコーナーに足を運ぶ。一番最後が、絵本のコーナーだ。

いろんな絵本があるな、そう思ってゆうすけは隅々から、並べられたいろんな色で彩られた絵本をまじまじと眺める。

どれも知っている絵本ばかりだ。

小説や童話は八歳の時一度読んでもみようと挑戦したことがあった。

でもほとんどが文字でゆうすけにはまだ読むのが難しかったから挫折した。

と、その時、とある見覚えのある表紙がゆうすけの目に留まった。

既視感のあまり、咄嗟に手に取ってみる。

【鶴の恩返し】

表紙には大きな文字でそう書かれていた。

その瞬間、お母さんに生前よく読み聞かせてもらっていたいつかの記憶が蘇る。


「・・・・お兄ちゃん、これ買って欲しい。」


気づけばゆうすけはそう言っていた。

この世界に来てからもう二度と会うことができなくなったお母さんだけれども、ゆうすけはまた鶴の恩返しを再読することでその思い出に浸りたかったのだ。お母さんにもう一度会いたかったのだ。


「お母さんとの思い出の絵本なんだ。」


そう言ってお兄さん、お姉さんに生前よくお母さんに鶴の恩返しを読み聞かせしてもらっていた思い出を話す。

お兄さんは快く「お母さんとまた会えたらいいな。」と鶴の恩返しを買ってくれた。


そして次は、ゆうすけの提案で、楽器屋さんに行くことになった。


「ゆうすけ、何か楽器できるのか?」


楽器屋さんに着いたと同時に、お兄さんにそう尋ねられる。

楽器屋さんには大きな楽器や小さな楽器まで本当にいろんな種類の楽器がショーケースの中で並べられている。こんな大きな楽器まで演奏できたら楽しんだろうな、そう思うけれども、ゆうすけはオカリナしか吹くことができない。


「小さい頃、オカリナの練習していてさ、でも楽器はそれしか吹けないんだ。」


そう言うと、お兄さんお姉さんがとても興味深そうな顔をゆうすけに向ける。


「え、オカリナだけでも吹けるのすごいじゃん!私なんか楽器生前も今も何も吹けなかったんだよ。」

「全く俺もだ。音楽の知識はほぼないに等しい。」


ゆうすけは驚いた。

みんな小学校や中学校でリコーダーなどであれば吹き方や楽譜など基本的なことは学んでいるはずだ。本当にお兄さん、お姉さんは楽器を何も吹くことができないんだろうか。


そう思っていると、咄嗟にお兄さんお姉さんが放った言葉に驚く。

「オカリナ、私買ってあげるよ。聴いてみたいんだ、ゆうすけの音色。」

「俺も聴いて見たいな。もちろんモール内はほとんど人混みだから、こんなとこでは吹けないけど、でも誰も周りにいない時に出くわすことあると思うから。」


ゆうすけは素直に嬉しかった。できることならゆうすけも今までたくさんのものを与えてくれたお兄さんお姉さんになら、何か一曲聞かせてあげたい。

「もちろん。もう吹き方忘れてるかもしれないけど。でも、それでもよかったら。」


そしてゆうすけはお姉さんにオカリナを買ってもらった。

またいつか吹いてあげよう、そしてお兄さんお姉さんの喜ぶ顔を見よう、そんな楽しみがまた増えた。



最後にフードコートでご飯を食べて、今日という最高の日を締めくくる。

今日は今までと違って今まで以上にお兄さんお姉さんと一日中遊んだ気がする。

フードコートで晩御飯を食べている時、いつも笑顔のお兄さん、そして女の子らしい、お姉さん。

その様子は今まで通り何も変わっていなかった。

でも明らかに二人の様子がおかしかった。

お兄さん、お姉さんはもうフードコートで食事をする時にはほとんど言葉を交わさなくなった。

何かあったんだろか、今日は本当に一日中遊んだらお兄さんもお姉さんも疲れたんだろうか、そう思ったけど、直接聞くのは憚られた。


フードコートでのご飯を終えて、帰ろう、そういう話になった時、

お兄さんお姉さんはゆうすけをとあるところへ誘った。


「ゆうすけ、屋上行かない? 夜の空気吸いに行きたい。」


屋上という言葉にゆうすけはたじろぐ。

今までこの世界に来てからゆうすけはショッピングモールの屋上の存在は知っていたといえども、屋上には足を踏み入れたことがなかった。

それにお兄さんお姉さんが急に屋上に行こう、なんて、夜の空気を吸いに行きたい、なんて、そんなこと言い出したのは長く一緒に暮らしてきて、今日が初めてだ。

いつもと違う何かを感じる。

何かのサプライズかな、そう思ってワクワクする気持ちもあった。


「屋上階に到着です。」


寂しげなアナウンスと一緒に屋上階にエレベータがガタンと到着する。

無言でエレベータを降りるお兄さんお姉さんの背中に続いて、ゆうすけも続いてエレベータを降りる。

閉店間際のショッピングモールの屋上にはゆうすけたち以外に姿はなく、ただただ閑散としていて虫の鳴き声だけがこれでもかというほど響き渡っているだけだった。

そして舗装された夜の屋上の、畑とベンチ。

そしてLEDの街灯の灯が照っているだけだ。

眺めの良い景色を背景に髪を夜風にゆらせながら、お姉さんが寂しげに街灯の下で立ち止まった。

お兄さんもそんなお姉さんの後ろで、寂しげに急に立ち止まる。

ゆうすけは思った。怖い。いつもと様子の違うお兄さんとお姉さんが、素直に怖くなってきた。何かを孕んでいるような気がして。


「・・・ゆうすけ、見える?」


お姉さんがゆうすけに尋ねる。

そしてそう告げられた声が普段と違うことに、違和感を覚える。

その声は、か細い声だ。でもその中にただならぬ感じがした。

ただのか細い声ではなく、少し、籠ったどこか遠くでこだましているような声だった。

でもお姉さんは遠くにいることもなく、目の前にいる。なのになぜ。その思いが拭えなかった。


「俺たちの体が見える?」


今の言葉は一瞬どこの誰から発された言葉かよくわからないほど遠くに籠るように響いた言葉だった。

でも、それはお兄さんの声らしかった。

言われてゆうすけはハッとする。街灯に佇んでいるお兄さんとお姉さん。その姿は街灯に照らされ、はっきりと見える。

でもそこにあった違和感はすぐにわかった。

それは、ただでさえ半透明の体がより一層透明に透けているということだ。

消えかかっっている。何かの表現に当てはめるとしたら、そんな言葉が相応しいだろう。

そして先ほどから違和感を感じていた声も、消えかかっている、そんな表現が当てはまることに遅れて気づく。


「・・・ゆうすけ、私、未練なくなったからここでもうお別れなんだ・・・」


突如告げられたその言葉。ゆうすけは頭にハンマーで思いっきり殴られたかのような衝撃を覚える。

お別れ。

お別れ。

その言葉の意味が完全に理解できるまで二十秒くらいかかった。

お姉さんは今日一日そんな素振りを全くと言っていいほど見せなかった。

今日一日をもう一回思い出す。

今日はいつも以上に今まで以上にたくさん遊んだ。

でも言われてみれば、それはお兄さんお姉さんとの最後の思い出作りだったのかもしれない。

お兄さんお姉さんは今日夜にお別れだということをわかっていたのかもしれない。

しかし、寂しそうな眼差しでそう告げるお姉さんを見ていると、その言葉はドッキリでも嘘でも何でもない、本当のことなんだと、それがゆうすけには痛いほどわかった。


【新たな人生を歩む子供を産んで、名付け親として名前負けしないくらいに育ててあげれる日が来ますように。】


お姉さんの叶わなかった未練を思い出す。

「新たな人生を歩む子供を産むこと。」

それはお姉さんが悲しげに語っていたように、死後のこの世界ではいくらもがいても叶いようのない未練だった。

「名付け親として名前負けしないくらいに育ててあげること。」

だから、お姉さんはパーソナルカラーサロン【God Mother】に、子供に託すような思いを、託した。


なぜお姉さんの未練がなくなったのかゆうすけは改めてお姉さんの未練を思い出しても、何もわからなかった。

黙っていると、お姉さんがまたゆうすけに語りかける。

突然の告白に衝撃のあまり何も話せないでいても、その返事を待つような素振りを見せず、お姉さんはゆうすけに伝えなければならないこと、それを話してくれた。


「名付け親として名前負けしないくらいに育ててあげること。その未練が叶ったみたい。ありがとう、ゆうすけ。」


最後に自分の名前が不意に呼ばれて、ゆうすけは驚きのあまりその場から動けなくなる。

ありがとう、ゆうすけ。

その言葉が脳内で繰り返し再生される。

突如告げられたお礼。今のだとまるでゆうすけがお姉さんの未練を叶えてありがとうと言われているみたいだ。


咄嗟にゆうすけは初めてお姉さんに会ったあの日を思い出す。

ぶつかって、お墓までついてきてくれて、インフォメンションカウンターで一緒に家族を待っていてくれて。

そしてライトスプリングと名付けてられたも同然、お兄さんのお店のライトスプリングの服を毎日着ながら、春のように明るくて、元気で、笑顔で、名前負けしない子に育ててくれた。


そこまで回想してゆうすけは今まで自分が気づかなかったことに気づかされる。

「名付け親として名前負けしないくらいに育ててあげること。」


お姉さんは今までゆうすけと時間を共にし、自らの未練を叶えていたのではないだろうか、ということだ。


そのことに気づいた時には、ゆうすけの目に数多の涙が浮かんでいた。


「お別れ、なんだね・・・今まで、ありがとう。お姉ちゃん」


やっと出てきたその言葉をお姉さんは笑顔で受け止めてくれる。その笑顔がどういたしましてと語っているかのように。


「いくらもがいても叶わなかった子供を産むこと。でもそれは来世で絶対叶えられるような気がしてるの。だから、もしゆうすけが生まれ変わったら私のところに生まれてきてね。子供のように育てたあんたを来世は本当の子供として、最高の名前を名付けて、育ててあげたい。」


そう言われてゆうすけはとうとう泣き出してしまった。

お姉さんが来世で願っている子供を産むこと。

自分は、来世でもお姉さんに必要とされている、ということだ。

その事実が本当に、本当に、嬉しかった。

だから、お姉さんとは本当はまだお別れじゃない。

お姉さんとの思い出はこの先もずっとずっと続いていくはずだ。

泣き止もうと、寂しくなる気持ちを必死に抑えようと、自分にそう言い聞かせてみる。

そしてそれに答える言葉を自らの口から紡ぎ出す。


「うん。わかった。僕、お姉ちゃんのとこに生まれるよ。」


「ありがとう。約束ね。」


お姉さんは、大粒の涙をひとつ流して微笑んだ。


そして、お兄さんがこちらを見る。


「ゆうすけ・・・俺も未練なくなったからもうここでお別れなんだ・・・」


寂しげにお兄さんがゆうすけに語りかける


【千羽鶴を折って病気を治すことができますように。健康でいつまでも長生きできますように。】


お兄さんの叶わなかった未練をも思い出す。

【千羽鶴を折って病気を治すことができますように。】

お兄さんは、大好きな兄との思い出だった鶴の折り方を死んだと同時に忘れてしまった。

だから、この世界で千羽鶴を完成させることはずっと今も、この瞬間も、できずにいる。

そして、千羽鶴に託した病気を治すという願いも、千羽鶴が完成してない今、ずっと叶いようのない未練として、お兄さんの中にたゆたっていた。

なぜ、叶いようのない未練なのに、この世界にいるんだろう、そう言っていたお兄さんを思い出す。

【健康でいつまでも長生きできますように。】

千羽折るはずだったお兄さんが、折り鶴に託したもう一つの願い。

それも死んでしまった後では叶いようのない未練だ。

改めて思い出し、お兄さんがなぜ今この世界から旅立とうとしているのか、わからなくなってくる。


そんな時、ゆうすけを宥めるようにまたお兄さんの優しい声が降ってくる。


「ゆうすけ、泣かないでくれ。最後は笑顔でお別れだ。

俺は千羽鶴の最後の二羽を兄ちゃんに教えてもらった折り方で折れずに死んだ・・・でも、今日ゆうすけに教えてもらったもう一つのおり方で服をやっとおることができた。その服、二羽のかっこいい向かい鶴が描かれていてさ・・・だから、ゆうすけのおかげで千羽鶴の折れなかった二羽はおれたんだよ。」


そう言われた瞬間、ゆうすけ泣いてばかりの自分から急に我に引き戻される。


よく考えてみる。

「折る」と「織る」

字は違えど、同じ「おる」だ。

お兄さんはゆうすけのブティックで、一店員として、そして鶴野家の家族の一員として。

鶴野家の特別な織り方で、「Return the favor」の服を織って、生前完成できずにいた千羽鶴をようやく完成させたのだった。


そうきづいた瞬間、ゆうすけはもう目の前がぼやけるくらい涙をまくしたて、それを抑えられずにはいられなかった。


「・・・・ゆうすけは・・もう一つのおり方を教えてくれたもう一人の兄ちゃんなのかな・・」


一瞬ゆうすけにはお兄さんの今言った言葉の意味がよくわからなかった。

何か深い伏線のように思える発言でもあったそれは、どういった意味だったのだろうか。

しかし今はそんなことを深く考えている場合ではない。

お兄さんとお姉さんを笑顔で送り出さないといけない。

それがゆうすけに残された今やるべきことのように思えてくる。

そう思って少し、泣いた顔で笑顔を作ってみる。

涙で視界がぼやけているのも相まって、お兄さんの姿がどん遠ざかっていくような気がした。でも、あのこもったこだまするような声だけはかろうじて聞こえている。


「千羽鶴完成したから来世では絶対叶う気がしてるんだ・・・長生きすること。」


そうきいてゆうすけも願う。

【お兄さんが来世では、健康でいつまでもいつまでもずっと長生きできますように。】

そんな思いが言葉になったのか、


「絶対叶うよ。きっと。」


心を込めてそう呟く。


「ありがとう。俺は、どんだけ年老いても、長生きする。だからどんだけ時間が経っても会いにきてな。ゆうすけ。」


そう言ってお兄さんは涙とともに微笑んだ。


お兄さんが言った通り、最後は笑顔でお別れだ。

ゆうすけは泣きながら満面の笑顔をお兄さんお姉さんに向ける。


するとお姉さんがいたずらそうに笑った。


「ゆうすけ、めっちゃ泣いてんじゃん。」


「泣いてないよ?笑ってるよ。お兄ちゃんとお姉ちゃんが生まれ変わるんだもん。嬉しいよ。」


「本当?生まれ変わらずに、すっとこの世界にいて! なんて思ってたりして?」


お兄さんもいたずらそうに笑う。

そうやっていつもみたいに笑ってお別れできることがお兄さんもお姉さんも望んでいたことなのだろう。そしてそれはゆうすけだって同じことだった。


「最後に三人で撮ったプリクラはゆうすけのお守りがわりに。と思って。だから思い出してね。私たちのこと。」


今日撮ったプリクラの写真を思い出す。

それぞれが自由奔放なポーズで映ったあの写真だ。

思い出すと、また、笑顔になった。


「うん。絶対に。」


そして、ゆうすけはあるものをポケットから取り出した。

あるもの、それはお姉さんに買ってもらったあのオカリナだ。

オカリナを取り出して、目を瞑って、夜風に混じっていくように、ゆっくりゆっくりとゆうすけは甲高い音色を奏でていく。

生前お母さんに子守唄として歌ってもらっていたブラームスの子守唄。

それを今、奏でて、これから成仏するお兄さんお姉さんにお別れを告げる。


お兄さんお姉さんが無事に生まれ変われますように。


お兄さんお姉さんの幸せがずっと続きますように。


全て奏で終えたその瞬間だった。本当に、もし神様がいるのなら、まるでゆうすけたちを見ていたかのように、全て吹き終わったそのタイミングで、お兄さんお姉さんはパッと消えた。


残ったゆうすけの足元だけに、涙がポロポロと次々にこぼれ落ちる。

寂しいけど、今となっては未練がなくなって無事成仏できたお兄さんお姉さんに「おめでとう」とそう心の中でつぶやいた。

自分も、未練をなくすためにこの世界で頑張らないと。

そう思った。

そう思って明日からまたお店を頑張ろう、そう思ってエレベータへと向かう。まだほんの少し泣いていて、涙が頬を濡らしていて肌がゆい。

と思ったその瞬間だった。

涙でぼやけていたゆうすけの視界が計り知れないほどの大きな揺れに見舞われた。

地震かな、一瞬そう思ったのも束の間、気づいた時にはもう遅く、ゆうすけはその場で立ち尽くしたまま意識を失い完全に倒れ込んでしまったのだった。






・・・どれくらい時間が経ったのだろう。


白いモヤで視界が遮られていることを確認する。

頭が妙にくらくらする。目も開けられない。

そして耳の奥で何かがこだました。

耳を澄ますと同時にやがて真っ白の視界も、回復していく。

しかしそこにはもうゆうすけがいたはずのショッピングモールの屋上の姿は、無かった。

代わりに見えてきたのは・・・


いつかの生前の自分だ。ゆうすけは朦朧とした意識の中でそう思った。

そう思ったと同時にこだまして脳内に優しい声が響き渡る。あ、お母さんの声だ。


「・・・ゆうすけも弟や妹に、自分がおじいさんとおばあさんだったらどうするか、いっぱい考えてもらってね」


【お兄さんお姉さんにも、自分が鶴の恩返しのおじいさんおばあさんだったらどうするのか、考えてもらうのだ。】


「僕の弟や妹は困っている鶴を助けてあげれる良い子かな。」


「もし良かったら、うちの家族にならない?」

「ゆうすけ君はもうこれから恵比寿家の大切な家族の証だよ。」



「約束守れるいい子かな。」


「ゆうすけ、約束、ちゃんと守ったよ。」



「僕もお母さんみたいに服をおる人になって、僕の服をいっぱい着せてあげたい!」


【ゆうすけはお兄さんやお姉さんに新ブランド「Return the favor」の服をたくさんコーディネートしてあげた。】


「あ、あとね、いつか弟や妹と鶴野家の服屋さんをするんだ!」


【お兄さんお姉さんとそうやってお店を経営する、そんな毎日がゆうすけにとっては夢のような毎日だった。】


キーンと言った音が響き渡る。

もう無理だ。これ以上目を開くことができなかった。ゆうすけは思った。もういいか、と。

そう思うと同時に体の力が抜け、ゆうすけはゆっくりゆっくりとまた意識を朦朧とさせていったのだった。その後、もう二度と、ゆうすけが目を覚ますことは無かった。

ゆうすけは未練をこの世界で叶えていたのだから。



エピローグ

「母の日記」


あんなに元気だったゆうすけを亡くしてしまった。そのことが今でもまだ悔やんでも悔やみきれない。

いつかあの子に読み聞かせていた鶴の恩返し。その思い出が蘇ってくる。

あの子は自分が一人っこだったから、弟や妹のお兄ちゃんになることをとても楽しみにしていたのに。


でも、いつまでも楽しい家族を作りたかった私はその後二人の子供達に恵まれた。 


弟の飛描寿ひかと、お姉ちゃんの雪華ゆか


まるで前世からすでに兄弟であったのかと思うほど、仲の良い二人は、鶴の恩返しのおじいさんのように困っている人がいたらちゃんと助けてあげる優しい子。

「鶴野家だけに伝わる織り方を家族以外の人に教えちゃいけないよ」

そんな約束もちゃんと守るお利口な子。


2人ともお宮参りの時には、我が家の向かい鶴の家紋の入った着物が、生まれる前にこの日のためにコーディネートしてもらってきたのかと言うほどにとてもよく似合っていた。

その時に私は涙が溢れていた。


「生まれてきてくれてありがとう・・・」


そしてこう願った。

「この子たちがいつか自分の子供を産んで笑える日が来ますように。」

「病気にかからず健康でいつまでも、長生きできますように。」と。


向かい鶴の家紋が持つ意味は、子孫繁栄と長寿延命。

きっと、大丈夫だ。


今日は子供達の晴れ姿。二人の七五三の日。


着物は、お宮参りの時の着物をしたて直してあげる。あの日驚くほど似合っていた向かい鶴の家紋をいつまでもいつまでも誇らしげに纏っていて欲しい。

こんなことができるのも我が家が服作りを家業にしているからだろう。




七五三が終わったら、近所の墓地に向かう。

この子たちの成長ぶりを見せに、また一つお兄ちゃんになったゆうすけのところに遊びに行く。


「あなたの弟と妹はもうこんなに大きくなったのよ。」


私が飛描寿と雪華を両隣に抱き寄せて、そう呟いた。


すると、隣に居た雪華が自らの着物を掴み、ゆうすけのお墓の家紋を見つめながら、呼びかけるようにそっと言った。


「このお揃いのマークかっこいい。私たちって本当に家族なんだね。」


それはまるでお墓に眠っているゆうすけに、語りかけるようだった。


その瞬間だった_____


ゆうすけのお墓に刻まれた二羽の向かい鶴がその言葉に応えるように、一瞬だけ、まばゆい輝きを放った。そんな気がした。

_______


母の日記を読んだ私は、早速出産の準備に取り掛かる。

私が今味わっているこの子供が生まれる幸せを、母もこうやって私たちの時に感じていたのだ。


「この子たちがいつか自分の子供を産んで笑える日が来ますように。」

「病気にかからず健康でいつまでも、長生きできますように。」


ありがとう、お母さん。

お母さんが日記で願った通り、私は病気にかからず健康に、今日まで歩むことができました。そして自分の子供をこうやって産むことができて、笑えることができて、とても幸せです。

子供を産む。それはまるで前世から待ち望んでいたかのように、私には楽しみにしていたことだった。




今日は春風が芽吹き、太陽の光が明るく差し込む、そんな清々しい日だ。

窓の外に目をやってみる。

桜並木に彩られ、新しい学校での入学式を済ませた高校生たち。

真新しいスーツに袖を通し、誇らしげな表情で歩いていく大人たち。


みんなが新しい人生を歩み始めるような春という日に、この子も新たな人生を歩み始める。それはまるでこの子が自分からこの日に生まれることを選んだかのように。


そんな日に生まれる子供を、春のように明るい子供に育ってほしい。

そう願って明春あきはると名付けることにした。


明るい春。名前負けしないくらいに幸せに育ててあげる。

それが私のこの子にできることなんだ、と。


出産には、みんな駆けつけてくれた。

お母さんも、お父さんも、弟の飛描寿も。


お兄ちゃんはいないけれども、でもきっとこの春風の中で明るく優しく見守ってくれてる。そんな気がした。


                          完


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