【短編】俺はお前が嫌いだ。〜「わたしを愛して」とばかり言う婚約者が「婚約破棄してほしい」と言ってきた。ふざけたことを抜かすなっ!〜
どうしたって展開が……。
いやこれで正解なはずです。
多分アレじゃないです。今回は。
昔から、嫌いな女がいた。
そいつはまっすぐ俺のことを見つめてきて、今も昔も同じことを言うのだ。
「わたしを愛して」と。
国暦364年。
国王直属機関の頂点を務める宰相を父に持つ俺パトリック・エルサイスは、昔から決められていた婚約者がいた。
相手は公爵家の娘で、国一番の美貌を持ったとされる女性を母に持つ女だった。母親にこそ劣るが、彼女もまた洗練された美しさを持っていた。そのことから、彼女が幼い頃より高度な教育を与えられてきたことも垣間見える。
彼女の名はルーシー・イザベレッタ。
そんな女は、婚約が成立した当時から冒頭の言葉を口にする。
頭がおかしい、と何度だって俺は思った。
「パトリック様、わたしを愛してください」
「断る」
何度も何度も繰り返してきたこの応答は、すでに吐き気も催している。
彼女がどんな意図でそんなことを乞うているのかは分からないが、昔から言われ続けてきたこれには嫌気しか差さない。
だから、俺は何度だって彼女に伝える。
正面から目を合わせ、憎い敵を見るように彼女を睨めば俺の口から自然と言い慣れた言葉が音となって彼女にぶつかる。
「俺はお前が嫌いだ」
「………………」
何故こんなにも彼女を嫌うのか、俺は自身でもあまり考えないように努めてきた。
昔から彼女がその言葉を繰り返すたびに、俺は反吐が出る思いだった。
そしてその度に実感するのだ。俺は彼女が嫌いなんだと。
俺もいずれ、父の補佐として仕事を始める。行く行くは父の引退を機に引き継ぎをし、俺が父の跡を継ぐだろう。
つまりは宰相という地位もまた譲り受ける未来があるのだ。父の跡継ぎ候補は俺だけではないが、一番の有力候補であるという自負はある。
今も日々父の仕事に付き添い、見て学ぶことが俺の勉強だ。
時折父は意地が悪いのか、話題を振ってきて俺にどう対処するのかを尋ねてくることがある。そこで父の望む回答ができれば合格、できなければその場を退席させられ望む回答にたどり着くまで謹慎を言い渡される。
厳しいとは思わない。一国の宰相を務める父に成り代わるためには、この方法が一番の近道であると知っているからだ。
「────パトリック様」
一日息をつく暇もない父の付き添いであっても、週に一度婚約者との対面の時間を設けなくてはならない。と言っても週に一度、ほんの数分の間だけだ。場所はその時々で異なるが大体は俺の屋敷の応接室だ。現に今もここで対面に座り茶を飲んでいる。
この週一の会合は俺の両親が決めたことだ。
俺は、彼女という存在がどれほど気に入らなくとも婚約を破棄する気は一切ない。彼女との婚姻は政略的にも必要なもので、父が進んで取り決めたからだ。
俺が知る限りこの婚姻は国にとっても、家のためにも大事なものだと理解できる。
俺の父は宰相だが、その前の代までは一貴族でしかなかった。父は縁もコネもなく、実力でその地位を手に入れた。だからか、父は俺に跡を継ぐことは強制していない。昔から、父は繰り返し俺に言った。
『パトリック、お前は自分の守りたいものを守れ。親を追い続けるより、親の顔を見るより、自分の大切なものを見つめろ』と。
父が俺に与えた唯一の枷は、この婚約者ぐらいだろう。
しかし、俺の普段からの彼女に対したの態度を察したのか、いつからか両親は週に一度婚約者と面会するように俺に命じた。
この婚約だけは、決して蔑ろにできない。
そう暗に俺に告げていた。
「パトリック様、今週末お時間をいただけませんか?」
「…………何故だ」
だから、俺が婚約相手となる彼女を憎もうと、蔑ろにしていいという理由にはならない。
俺自身も彼女を嫌っているが、それは蔑もうという感情にはならない。
いずれ彼女と婚姻を成し、子を儲けることも視野に入れている。決して白い結婚を望んでいるわけではない。
「婚約を破棄してほしいのです」
だから、彼女のこの言葉が俺は理解できなかった。
普段から鋭いと評される己の眼光がさらに尖ったことすら自覚できる。
「………………は?」
「わたしとの婚約を破棄してほしいのです」
まっすぐに俺を見つめてそう言葉を繰り返す彼女に、俺は信じられない気持ちだった。
これまで散々なまでに自分を「愛して」と唱えてきた女が、何を言うのか。
「…………何を企んでいる」
「何も。ただ、この婚約を解消してほしいのです」
彼女の言葉に嘘偽りはなく、本心からそう口にしているように感じる。
しかし、これはそう簡単に頷ける問題ではない。
この婚約は両家の、ひいては国のためのものだ。
婚約を破棄したいからする、では済まされない。
「ならば時間は取らない。婚約を破棄するつもりは毛頭ない」
「…………パトリック様」
これ以上は時間の無駄だ、と俺はその場から去った。彼女を一人部屋に残して。
「…………何を考えている?」
「婚約を破棄してください」
それからというもの、婚約者は俺と会うたびに同じ言葉を繰り返した。以前までは「愛して」とそればかり口にしていたにも関わらず、今では「婚約破棄」という言葉に置き換わっている。
彼女が一体何を企んでいるのか、俺にはさっぱり理解できなかった。
「パトリック様、わたしとの婚約を破棄してください」
「ふざけるな。この婚約はそう簡単に破棄できるものではない!」
何度も同じ応酬を繰り返す俺たちに、周囲のものも違和感に気が付き始めている。使用人たちは常にこちらを気遣うように視線を向けてくる。
(これまで「愛して」とばかり言っていた女が「婚約破棄」だ。誰だって、何かしら思うところはあるだろう)
俺はこの女がもともと嫌いだった。
会うたびに自分を愛してと乞う彼女が、憎くてたまらなかった。
「何故そこまで婚約を破棄したがる?」
そこで俺は疑問を口にした。
これまでも、最後には何度も同じような質問を返してきた。何故、と。
これは、彼女が俺に愛を乞うてきたときも同様だった。
「それは……」
そのことに、この女はいつだってまともに答えたことなんかない。
理由を言わず、目的を話さず。そんな女を何故信用できようか。
「婚約は破棄しない。予定通り、3年後には式を執り行い籍を共にする」
「………………」
「異論は認めん」
俺がそう言い放てば、彼女はその端正な顔を俯かせた。
どこまでも忌々しい女だ。
「婚約を破棄してください」
「まだ言うか」
今宵は彼女の生誕祝で公爵家で大掛かりなパーティが開かれた。婚約者の俺も、彼女を祝うために会場に来たが当の本人はパーティなどそっちのけでそんなことを言ってきた。
婚約者同士だからと気を遣われ、休憩と称して人波を避けてバルコニーに出てきたとはいえ、他の誰かに聞かれたらどうするつもりなのだ。
「何度も言うように断る。婚約は破棄しない」
「………………っ」
何度だって繰り返してきた言葉に、相手はまるで傷ついたような顔をする。そのすべての意味が分からなくて、俺も更に苛立ちを感じる。
「………………どうして、破棄してくださらないのですか」
「何故、破棄する必要があるのだ」
彼女は、これまで黙るばかりだったのに初めて問い返してきた。
俺はそれに驚きを感じつつも、それを面には出さず無表情を貫いた。
「…………貴方はわたしのことを愛していないのでしょう?嫌いなのでしょう?っなら婚約を破棄してしまってもよいではないですか……!」
「この婚姻は簡単に破棄できるものではない!」
国のため、家のため。必要で重要な婚姻だ。
それを俺の一存で破棄できるわけがない。
それが何故、この女は理解できないのだ?
「……貴方の実力ならっ、この婚姻を無くしてしまってもどうにかできるのでしょう?!愛せないわたしを妻にするより、そちらのほうが良いのではないのですかっ!」
「………………お前は何を言っているんだ?」
この女は昔から訳が分からなかった。
自分を愛せと言うわりに、その努力は見せない。
俺に愛を乞う癖に、コイツは俺を愛してなどいない。
コイツはいつも俺ではない何かを見ている。
そして、コイツはいつも、何かに怯えてる。
「わたしのことが嫌いならっ、婚約を破棄してください!」
「………………」
「会うたびに愛情を求める女は嫌でしょうっ?努力もせず結果を求めるだけの女はお嫌いでしょうっ?!なら、……っなら、どうしてさっさと破棄してくださらないのですかっ!」
「………………」
俺をわかったような口ぶりをする彼女に、俺は腹立たしさを感じた。
俺が黙って言葉を募らせる彼女を見ていれば、彼女はまた何かに怯え、俯いた。
愛を求め、今度は破棄するよう促す。
わけがわからない。意味不明だ。理解不能。
俺は、これまで彼女の何一つ理解できなかった。
現ではない幻を見続けるこの女が、俺は嫌いだった。
「……お前は、何に怯えてる?」
「………………っ!」
彼女は一度驚いたように顔を上げ、それでもまたひたすらにその顔を俯かせる。
何が何でも、俺の姿を見まいとするように。
「話せ!」
「………………っ」
俺が彼女に命じれば、彼女は一度口元を引きつらせ、そして観念したかのように細々とした弱い声を出した。
「………………幼い頃から、一つの夢を見るのです」
深く息をして、己を落ち着かせようと振る舞う彼女は、端から見て酷く痛々しかった。
「どんな夢だ」
「……とある夜会で、貴方に……裏切られる夢を」
俺が続きを促せば彼女は言葉を紡ぐ。それに俺は眉をしかめた。
しかし、顔を俯かせたままの女はそれに気づくでもなく更に言葉を続ける。
「夢の中のわたしは、それまで貴方を愛し、懸命に尽くしてきました。いつの日か自分の想いは報われ、貴方から愛情という栄誉を頂けると」
「………………」
「…………けれど、夢の中のわたしは、その愛が報われることもなく、かえって貴方に裏切られてしまいました」
「…………夢の中の俺は何と言ってお前を裏切った?」
「………………」
会場の方から陽気な音楽が流れてくる。祝われる本人がいないにも関わらず、パーティは大いに盛り上がりを見せていた。
そんな中、彼女は今にも夜闇に隠れてしまえるのかと思うほど、暗い雰囲気で続く言葉を紡いだ。
「『俺にお前は必要ない』……と。そう仰られました。『お前が嫌いだ』と」
「………………っ」
彼女から聞く言葉はこれまで俺が何度だって口にしてきた言葉だった。
「…………それまで、わたしは貴方の事だけを想って生きてきました。それなのに、大勢の衆目の前で、貴方は言い放った。『俺はお前を愛せない』と」
「………………」
「わたしは、それがあまりにも耐えきれなくて、裏切られたと思って…………。だから、」
「『裏切られる前に裏切る』と?」
「………………」
俺が続きの言葉を促せば、彼女は戸惑いながらもコクリと頷いた。
…………バカバカしいっ!
「それは夢の中のだけのことであろうっ!」
昔から、この女は俺ではない誰かを見ていた。
俺ではない誰かに怯えていた。
眼の前にいる俺ではないその誰かを。
それが疎ましくて、忌々しくて仕方がなかった。
その訳が夢で見たからだ?ふざけるなっ!
「衆人の面前で、何故俺がそんなことをしなくてはならないっ!何度だって言ったはずだ、この婚約は簡単な破棄できるものではないとっ!!」
「……それでも、貴方のその実力なら、それを可能にしてしまえる。お義父様の跡を継いだ貴方なら、こんな婚姻などなくてもどうとでもなるのですっ」
「それは夢の話だろうっ!!」
「っ!」
俺はこの女が嫌いだ。
昔から嫌いだ。
疎ましくて忌々しくて仕方がない。
形だけの強請りも、気持ちにそぐわない提案も。
上っ面ばかりを見せつけてくるこの女が嫌いだ!
「わたしを愛して」
俺によその男の面影を重ねるお前がそれを言うのか?
「婚約を破棄してください」
散々こちらに愛を求めておきながらお前がそれを言うのか?
「夢を見るのです」
……ふざけるなっ!!なぜ夢一つにここまで煩わされねばならないんだ!
憎い。憎くてたまらないっ!
この女も、この女を惑わす相手も。
たとえそれが夢であろうが、この苛立ちを隠すことなど出来はしないっ!
「この婚姻は国にとっても家にとっても大事なものだっ!破棄なんかできるはずがないっ!!」
「っそれでも、貴方ならばこの婚姻がなくなったところで」
「…………ふざけるのも大概にしろっ!!」
俺は一歩彼女に近づいた。
彼女はそれに驚いたのか、あるいは怯んだのか一歩後退する。しかし俺はそれに構わず距離を縮め、彼女を手すりに追い込んだ。
もう後ろに下がれない彼女は逃げ場を探しながらも、俺からは一瞬たりとも目を離さなかった。
「この婚姻なくば、俺は宰相にはなれないっ。父の跡を継ぐこともできない。お前を妻に迎えなければ、俺は爵位すら継げない!」
「っ?!」
「何度も伝えたはずだ。この婚姻は国にとっても家にとっても重要であると!お前との婚姻なくば、俺は何もできない愚者に成り果てるっ!」
そもそも、なぜ父がこの婚姻を俺に強制したのか。
父は元々伯爵の出だった。祖父の代までは一伯爵貴族でしかなく、到底国の中枢の最たる宰相になれる身分ではなかった。
しかし、そこに有無を言わさぬ父の実力があった。
父は侯爵家の娘たる母を妻に迎い入れ、侯爵家を後援とすることで宰相の地位を手に入れた。
縁もコネもなく、その地位に辿り着けたことは父最大の誉れである。
しかし、ならばその子である俺はどうなるのか。
父ほどの絶対的な才能はなく、親の七光を頼みに跡を継ぐのか。
それが許されるほど、宰相という立場は安くも軽くもない。
父は母の実家の爵位を継ぎ、今は侯爵の地位にいるがそれは一時的でしかない。
もし父が後継もなしにその命を落とすようなことがあれば、爵位はそのまま母方の実家へと移行し母の弟いわば俺の叔父に渡る。
そうなれば俺は伯爵の姓に戻るのが妥当だが、父が一度侯爵となったことで書類の都合上俺は平民にまで下ることになる。
つまりは順調に父の跡を継ぎ、爵位を引き継がなくては俺は貴族でいられなくなる。
そして父の後を継ぐには、更に大きな権威を持った侯爵家の令嬢を妻に迎えなくてはならない。
父の後援たる母の実家の侯爵家は一時しのぎでしかなく、父の代を繋げるには更に大きな権力が必要となる。
父が元々伯爵ではなく公爵や侯爵の出であれば問題はなかったが、中位貴族出身なことであらゆる柵にとらわれなくてはならない。
だからこそ、父は俺に跡を継ぐことを強制しなかった。
思いのそぐわぬ進路は破滅を引き起こす。
俺が父の跡を継ぐ意志が足りなければ、いつか絶対に自滅するからだ。
それならたとえ平民落ちしたところで、一定の財産を所持していればまだ不自由はしないはずだ。その方が幸せなことだってあるだろう。
「俺はたしかにお前が嫌いだ。努力もせず、見返りも求めず幻想ばかりに意識を向けるお前が嫌いだ!」
「……っ?」
「それでも、お前との婚姻を成立させなければ俺は貴族ですらいられなくなる」
「………………」
「見目が醜い醜女であったならともかく。国一の美貌と実家の権威を持つお前を、妻に迎えぬ道理があるかっ!!」
「…………っ!」
もっとも、国一の美貌を持つのは彼女の母であるのだが、その娘であるからに彼女もまた大層な美貌の持ち主だ。
彼女の母の顔を知らなければ、彼女こそが国一だと思っても何らおかしくはないだろう。
俺が彼女の目をまっすぐ見てそう伝えれば、彼女はどこか唖然としてこちらを見つめてきた。
「…………パトリック様は、わたしのこと、を愛してはいないのですよね?」
この女はまだ夢の中にいるのか、ぼんやりとした声でそんなことを聞いてくる。
何を当たり前のことを。
「当然だ。俺ではないよその男に誑かされ、俺に心根を見せぬ女を愛せるものかっ!」
「たぶら……っ。たとえ夢の中ですが、それは貴方ですよっ!?」
「知らんっ。俺でない男は他人と同位だっ!」
俺はこの女が嫌いだ。憎くて疎ましくて、忌々しくて仕方がない。
眼の前に立つ男を、直接見ようともしないこの女などっ────。
「──────っ〜!?な、っ何をするのですっ!」
俺がすでに間近まで迫っていた距離を更に詰め、彼女を無理やり俯いた姿勢から顎を引き上げた。そして────。
「…………やっと、俺を見たな」
無理やり引き上げた彼女の口元に顔を寄せる。
呆然とする彼女はなんの抵抗もなく、俺の行動を受け入れた。
事態が終わったときに、急に慌てだす女を見て俺は自然と口角が上がった。
「せいぜい喚け。本番はまだまだこれからだ」
再度口を開こうとする彼女を黙らせるために、俺はまたその口元に己のそれを押し付けた。
会場内の盛り上がりはバルコニーにいる俺たちの元へはすでに届かなかった。
顔を赤らめ、俺の胸を何度も押し退けようとする彼女の抵抗はそれからすぐに止むことになった。
もう、余所見などさせはしない。
最後までお付き合いくださりありがとうございます。
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……あれ?ルーシーの名前一回しか出てこなかったですね。
「誰それ」って思われた方本当にすみません。一番上までスクロールすればわかります。パトリックの名前も少ない……。いい名前なのに、勿体ない……。