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008.勉強は大事だということ

 葦原統一王国で定められている義務教育の期間は六歳から十六歳までの十年間。この義務教育を修了した者の内、希望者は専門的知識を学ぶために各地の大学へ進学することができる。

 もちろん義務教育とは異なり大学の学費は有償。大学によって差はあるが、教科書や食費も含めれば学費は高額なものであり、学生の家庭への負担は大きい。ただし経済的に貧しい家庭には条件付きで王家から返済不要の奨学金が支給され、現在では国民の七割から八割が義務教育後に進学を選んでいる。


 これは王家の祖が元は私塾を営む教師だったことも関係している。王家は王国成立時から若者の教育を重視する方針を採り続けており、この義務教育や奨学金の他にも数多くの教育支援制度を設けている。その成果は大きく、建国から三十年ほどで王国は大陸一の教育大国として名を馳せ、多くの優秀な若者を輩出し続けた。

 ある歴史家は語る。『教育によって実った優秀な若者達が次の世の礎となり、新しい種が成長するための土台を作る。この仕組みあってこそ、王家は自国の花を大陸全域まで広げることができたのだ』と。


 とはいえ、優秀の定義は場所と時代によって変わる。洗練された詩歌を読み上げるだけで召し上げられた時代もあれば、教科書の内容を覚えるだけで神童扱いの時代もあった。近代では専門的な知識と技術が求められることが多かったが、時代が進んだ今はそれに加え、多様な経験や論理的な対話の(コミュニケーション)能力を求める傾向が強くなっている。


 要は教えられたものだけでは足りないということだ。教わった知識を元に考え、自ら学び経験し、多くの失敗と成功を体に刻んだ人間こそが次の時代の先導者(トップランナー)候補の資格を得る。

 一方で、学ぶものは数式や歴史に限らない。文学や絵画、音楽などの芸術によって感受性や美意識を養うのも、大学にある課外団体(サークル)での活動を通して仲間達と意見を交わすのも立派な勉強だ。


 なので、あれも一種の勉強なのかなあと首をひねりながら、東馬は鳳花がナンパされている様子を窺っていた。


 場所は大学の校舎の中。人通りの少ない通路の一角。迫られている鳳花の表情はにこやかさを保ちつつ引きつっている。



「――なので、これから一緒にお食事でもいかがでしょう? いい料亭を知っていますので、ご紹介したく」

「お気持ちは嬉しいですが、この後も講義の予定があるのでお断り致します。お店の名前を教えてくだされば後日伺ってみますので」

「いえいえそれでは味気ない。この後のご予定をお聞かせくだされば、私自らご案内します」

「そうですか。では手間をお掛けしてしまうのも心苦しいので、このお話はなかったことにしましょう」



 男が押せば鳳花が引き、さらに男が押せばさらにさらに鳳花は引く。

 あまりに一方的で実りのないやり取りなので、東馬は男に嫌悪感を通り越して感心を覚えていた。護衛の職務は忘れていないが、五分以上に及ぶこの攻防が一体どこまで続くのか、一観客となって見物している。


 鳳花とて邪険に扱って問題なければ男を無視して講義に向かっていただろう。しかし目の前の男は国内有数の大企業の御曹司。財力だけで言えば皇家をも超える家の次男坊であるため、余計な波風を立たせないためにも無視はできなかった。


 しかし手を変え品を変えての誘いを断られたことに業を煮やしたのか、それとも態度から鳳花が気が弱い姫だと勘違いしたのか、軽薄そうな笑みを浮かべてさらに一歩近付いた。



「埒があかないので直截(ちょくさい)に申し上げます。皇鳳花殿、私と恋人になりましょう」

「お断りいたします。私は皇の嫡子。たとえ大資本家の一族であろうと、私の一存で婚姻を決めることは致しませんので」

「しかし即決するほど悪い話でもありますまい。特に、あなたにとっても」



 その言葉にとうとう鳳花が視線に敵意を込めた。しかし目の前の男に動じる気配はなく、堂々と立つ姿には自信と余裕が溢れている。それはあたかも「自分の思い通りにならないものはない」と信じているようにも、東馬の目には映った。



「あなたと男女のお付き合いをすることのどこが、私にとって良い話だと言うのでしょうか」

「私と共に大きな世界を見て、より豊かな生活を送ることができます。少なくとも、公爵家という身分と領地に一生を囚われる未来から抜け出すことができる」


「ぶっ」



 東馬は吹き出した。過酷な修行によって自制心を鍛えてきた東馬だったが、経験の無い角度からの()()は防ぎようがない。鳳花から目を離さぬよう気を付けながらも、覆う手の中で口元の震えはなおも続く。男の歯の浮くような言葉も同じく続く。



「あなたは言わば籠の中の鳥だ。自由に羽ばたける素養を持っているのに、身分と環境がそれを許さない。私はそんなあなたを見ていられないのですよ」

「大きなお世話、という言葉をお返しします。少なくとも、今日お会いしたばかりの男性から哀れまれたことに不快感を覚える程度には、今の立場に満足していますので」

「ああ、嘆かわしい。お立場だけでなく、古い価値観にも囚われていらっしゃるのですね。……私はそんなあなたをお助けしたいのです。心から」


「ぶっほぉ!」



 東馬の腹筋で激痛が走る。耐えられない。笑いとひきつけが止まらない。地面に手を突いてひーひーと苦しい呼吸を繰り返す。

 男の様子に照れや恥ずかしさが欠片も見えないことが東馬の笑いに拍車をかける。過信からか陶酔からか。ともあれ詩歌(ポエム)染みた口説き文句は東馬に爆笑を、鳳花に男への軽蔑を与えた。

 加えて東馬は気付く余裕がなかったが、口説かれている主君を見ながら腹を抱えて笑っている家臣に対し、後でしばくと鳳花の感情が逆立ったことも視線に宿る不機嫌さを深めていた。



「これ以上問答を続けても話は平行線でしょう。次の講義もありますので、これで」



 そう言って男の横を通り抜ける鳳花。この素通りを許すのならここまで食い下がりはしないので、もちろん男は背を向けた鳳花に手を伸ばす。 



「全く。貴族の姫君相手に手荒な真似はしたくないんだが――」

「――そう思われるのであれば引き下がってはもらえませんか」



 しかし護衛が狼藉を許すはずもない。一瞬で鳳花と男の間に割って入り、東馬は男の腕を掴み上げる。残念ながら笑いの残滓が唇の端に残っていたため、あまり格好は付かなかったが。



「……誰かな君は?」

「姫様の護衛です」

「何の真似かな?」

「護衛をしています」

「誰の腕を掴んでいるのか分かっているのかな?」

「承知していますが護衛ですので」



 ひとまず手を離すと男は腹立たしげな感情を顔に出した。もっとも、その視線は東馬の腰の刀に向けられ、その脚は二歩後ろに下がったが。

 貴族の特権の一つ、武器携行の自由。それは貴族だけでなく、貴族の護衛をする者も対象に含まれる。一方たとえ大資本を持つ者であろうとも、平民である限り武器の所持は違法となる。


 あえて大仰に鯉口を鳴らすと男はさらに後退る。

 元より火遊び程度だったのだろう。やがて「ちっ」と舌打ちして退散していった。



「根性のない不埒者だ」

「おかげで面倒が少なくて良かったではないですか。想像力の欠けたお坊ちゃまに下手に暴走されたら後が大変ですからね」



 東馬の独り言に、前を歩く鳳花が応える。次の講義まで間がないのは本当なので自然と二人は早足になる。



「ご心労、お察し致します。ようやく周りが静かになったと思いきや、あのような権力を笠に着る輩に目を付けられるのですから」

「本当に(いたわ)っているのか疑わしいですね。口説かれている私を眺めて笑っていたくせに」

「申し訳ございません。見ていて面白かったもので」

「…………」



 大学構内に火薬が炸裂したような音が鳴り響く。音が止んだ時、東馬は中指を伸ばした鳳花の足下でうずくまり、額を手で覆っていた。



「ひ、姫様……折檻(せっかん)に御技を使うのは大人げないのでは……?」

「主を軽んじた従者への罰です。ほら、さっさと立ちなさい。講義に遅れますよ」



 撃法初伝『火花(ひばな)』。対小型霊獣用に編み出された御技だが、威力の低さ故、現在は戦闘で使われることはほぼ無い。使われる状況(ケース)としては討ち手同士の小さないざこざか、もしくは今のような“お仕置き”くらいだ。

 とはいえ腐っても撃法であり、本気になれば骨を砕くことも可能。しかし東馬の額は赤く膨らむ程度で、討ち手であれば一時間で治る怪我に収まっている。

 付き合いの長い二人だ。東馬に悪気がなかったのは鳳花にも分かり、控えめの威力で勘弁してあげたのだろう。大人げないのは変わらないが。


 鳳花は東馬を置いてスタスタと歩いて行き、東馬は額を手で押さえながらその後を追う。

 そしてすれ違う学生達は、そんな二人を遠巻きに注視していた。

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