007.姫の憂鬱
『ろ』級霊獣討滅から一夜が明けた。
後始末を他の家人に任せ、東馬と鳳花は王都の街へと買い物に繰り出していた。日を変えることにはなってしまったが、昨日屋敷に到着する前に交わした約束の通りに。
王都は昨日と同じような人の数と賑わいぶりだった。霊獣に殺された者はおらず、霊獣に怯えた人もいない。同じような平穏の元、昨日とは違う一日が広がっている。
昨日串焼きを買った店は同じ場所・同じ店主の元で営業されており、昨日使った電車は時刻通りに運行している。
「世は全て事も無し。昨日の夜、あんな怪物が出たことなんて誰も知らない」
一見何でもないように見えるこの景色こそ皇家の守り続けているもの。感謝を贈られることこそ少ないが、胸の誇りは日々積み重なっている。これは東馬が日頃から鳳花より聞かされていることだ。
東馬はそう思いながら、辟易した目を前に座る鳳花に向ける。
「そんな訳で姫様……いい加減立ち直られてはいかがですか?」
しかし今、当の鳳花はひたすら落ち込んでいた。個室のある洋食屋で、見るからにどんよりとテーブルに顔を伏せている。その様子は鳳花を知る者ほど目を見張るもの。
東馬が霊獣討滅を完遂した直後は特に変わった様子を見せなかった。今日屋敷を出てからも凜とした態度を貫いていた。しかし店に入り、周囲の目がなくなった途端にこの有様となってしまった。
ここまで態度を取り繕っていたのは、おそらく東馬以外にこんな姿を見られたくなかったためだろう。次期当主として家臣に弱みを見られる訳にはいかないからと。
鳳花は顔を伏せたまま暗い声で言う。
「……お前って、あんなに強かったのですね」
「……まあ、頑張って修行しましたし」
というより頑張って修行をしなければいけない立場だった。よそ者の身で屋根を借りて禄を食んでいる以上、追い出されないためには相応の成果を出さねばならない。
「私は『は』級で四苦八苦していたのに、お前は『ろ』級さえ一人で討滅した」
「姫様は初陣でしたし、比べるものではないと思います」
経験は時に実力以上の重みを持つ。昨日の立ち回りは数々の霊獣討滅戦を経験していたからこそできたもの。東馬とて初めから“あれ”をやれと命じられたら死刑宣告か何かかと思うだろう。
「私とお前は同い年だというのに」
「姫様にはお立場があります。修行と討滅にだけかまけていればいい私とは違うのですから」
「でも悔しいのですよぉ!」
外に聞こえそうな声を突然上げるものだから、東馬は反射的に周囲を確認してしまった。神威を使って防音しているため音が漏れることはないと分かってはいたが。
このように、鳳花は東馬との圧倒的なまでの力の差が明らかになったため落ち込んでいるのである。原因となっている東馬としてはどう慰めればいいのか分からない。
「そう言われましても、私は腕を期待されて皇家に招き入れられた身ですし、まだ試しを終えたばかりの主より弱かったらその方が問題では?」
「確かにその通りですが、何もここまで引き離さなくたっていいではありませんか。ほどほどの距離を保ってくれていれば、私もここまで落ち込むことは無かったのに」
「理不尽でしょうそれは」
例えるなら自転車の速度に合わせて自動車を併走させろと言われているようなものだ。燃料の無駄だし、意味が無い。強いに越したことはないのだから修行を自重しろと言われても困る。
そもそも東馬が強くなる理由は全て鳳花に由来しているので、強くならなければ鳳花の力になれない以上、立ち止まるという選択肢はない。
「ですがえーっと……ほら! 私より姫様の方が勝っているものだってあるじゃないですか」
「……例えば?」
「私の負傷を治してくださったのは姫様でしょう? 私を見てください。昨日の今日だというのに体にはもう何の不自由もありません。教養の浅い私ではできないことですよ、これは」
東馬はそう言って傷一つ無い腕を振って笑ってみせる。
護法には身を守る技や敵を拘束する技の他に、人を治す癒やしの技もある。東馬は戦いの直後に鳳花から体を治してもらったため、疲労以外の激戦の跡はもう残っていない。戦闘装束は新調が必要だろうが、『ろ』級霊獣相手であれば無いに等しい損害だろう。
そして言葉通り、東馬は体の負傷を治すのはあまり得意ではなかった。というのも、撃法や守りの護法と異なり、癒やしの護法が干渉するのは人体。自然界における最も難解な構造体であり、壊すのは簡単でも治すのは容易ではない。高効率の治療には体の仕組みに関する深い理解が必要であり、つまり使用者の頭に大きく左右されるのだ。
もちろん、深い知識・理解がなくとも癒やしの護法は使用できるのだが、それは具材の特徴を知らずに料理をするようなもの。戦いにかまけていた東馬と広く教養を深めている鳳花では、治療の腕の差は歴然だった。
しかし鳳花はムスッとした顔で東馬を見上げる。
「教養が浅いなどと言う割には、大学の入学試験もあっさり突破していたではないですか。わずかな期間の猛勉強で国内最難関の試験を通ってのける天才から、頭を褒められても何も嬉しくありません」
「お前も付いて来いって命じられたのは姫様でしょう。最善を尽くしただけですのに、どうしろって言うんですか」
貴族の特権を使って公爵領内で試験を受けたのが、鳳花が討滅の試しを行う一ヶ月前のこと。学業に振り分けていた時間の差もあり、さすがに点数は鳳花の方が高かったが、東馬の結果も合格基準を悠々と超えていた。それを見た鳳花が何とも言えない表情をしていたのは覚えているが、まさかここで掘り返されるとは思っていなかった。
主の手前だが、思わずため息が出てしまう。拗ねる気持ちも分からなくは――いや実を言うとあまり分からないのだが、分からないだけにどう慰めても反論が返ってきそうで手が付けられない。
ただ、鳳花が子供のように拗ねていたのはそこまでだった。再び顔を伏せた鳳花が次に口を開いたとき、聞こえてくる声は重苦しいものになっていた。
「……昨日の戦い。仮にお前が一人で戦うことを選ばなかったとしたら、私は何の役にも立たなかった。……それどころか足手まといにもなりかねなかったでしょう」
「……可能性は否定しませんが、それは――」
「仕方ない、とでも言いますか? ええ確かにその通りです。私はまだまだ未熟者。加えて実戦経験も不足しているとあっては足手まといの誹りも免れないでしょう」
ですが、と鳳花は今度こそ、心からの悔しさを言葉に込める。
「私は戦うどころか逃げたいと思ってしまった。力不足だとか勝てないとか、そういった理性的な見極めをするよりも、死ぬかもしれない怯えの感情が先立ってしまった」
「それは……人として当たり前のことではないでしょうか?」
「私は皇の嫡子なのです。いずれ御伽衆を率いらねばならない人間なのです。多くの勇気ある者達を従える人間が、こんな怯懦であっていいはずがないでしょう」
「…………」
東馬は鳳花が、討ち手としての力不足を痛感したことで落ち込み、元気を失っているのだと考えていた。確かにそれは間違いではなく、実際に鳳花は力不足を知り、東馬との差が開いていることに寂しさと不甲斐なさを覚えている。
しかし元気のなかった本当の理由は、戦いを恐れて逃げようとしていた弱い自分を心の底から恥じていたこと。そして今の弱い自分では、当主としても嫡子としても相応しくないと感じていたためだったのだ。
「この悔しい気持ちだって、戦わずに済んだことへの安堵に比べたら、ずっと小さいのです。私は……自分がこんなに情けない主だとは、思いもしていませんでした」
鳳花の濡れた声に、東馬はかけるべき言葉に迷った。
――そんなことはない、あなたはまだまだこれからだ。
――責任感が強すぎる。もっと気楽にいけばいい。
――強敵を怖がるのなんて当たり前だ。それで落ち込むのは十年早い。
慰めるのは違うだろう。自らに厳しい鳳花からすれば、甘やかしているとしか思えない。
とはいえ叱咤もしたくなかった。すでに十分頑張っている主に対して、「もっと頑張れ」とか「まだまだ足りない」などの言葉は、従者の立場以前に言いたくなかった。
「では、強くなるしかありませんね」
だから東馬は単純で最も難しいことを提案することにした。
「強敵が怖いのなら恐れる必要がないくらい強くなればいい。霊獣から逃げたいと思う気持ちを恥じるなら、克服するために実力を付ければいい。今の自分が嫡子として相応しくないとお思いになられるのなら、強くなって相応しくなるのが一番でしょう」
「……簡単そうに言うのですね」
「難しそうな言い方をしたからといって楽になるものでもないでしょう。私が強くなっても姫様の不安は解消されないのですから、姫様が自分でどうにかされるしかない。もちろん、私にできることがあれば何だってするつもりですが」
方向性は少し違うが東馬にも似た経験がある。将来有望な討ち手候補として引き取られ、有望だという“価値”を示し続けなければならなかったかつての日々。いや、終わりが決められてはいないため、厳密には今も続いているのだろう。『洗礼』を越えてしまったことを加味すれば、逃げ場がない分状況は悪化しているとすら言えるかもしれない。
そんな日々を耐え抜き、こうして精神的に安定した日々を送れているのは、鳳花がずっと傍にいてくれたからだ。恩を受けた者として、悩みを抱えた先達として、今度は自分が鳳花を支える番だろう。
ややあって鳳花はふっと、少々投げやりにも見えるような表情で笑った。
「そうですね。強くなるしかないんですよね。結局のところ、それが一番の近道みたいですから。お前に相応しい主になるためにも」
「姫様。念のため申しますが、私が姫様にお仕えすることに強さは関係していませんよ?」
「けれど今のままではお前に差をつけられるばかり、守ってもらうばかりにもなりかねません。『ろ』級の単独討滅ができるようになるくらいでなければ、私が納得できないのです」
「それはおやめください。従者としても一人の討ち手としても、それを目標にすべきではないと考えます」
「どうしてですか? お前やお父様も含め、“天武八達”の面々は全員できるではないですか。私ではその域に辿り着けないと?」
「そういう意味ではなくてですね……」
御伽衆には二種類の席次がある。一つは所属する部隊での席次、もう一つが御伽衆全体での席次だ。
前者が部隊の指揮・統率の能力も加味した上での席次なのに対し、後者は純粋な霊獣討滅能力によって席次が決まる。この全体の席次にて上位八人に数えられる討ち手のことを、皇家は代々“天武八達”と称えてきた。
東馬の全体席次は第八席。若干十六歳でこの席次となった理由としては、本人の実力もさることながら『ろ』級霊獣の単独討滅が大きい。昨夜の一件を含めれば東馬が屠った『ろ』級は二体。他の天武八達も同数以上仕留めており、筆頭の現当主に至っては五体もの『ろ』級を討滅している。
しかし他の討ち手から羨望を向けられるこの戦果も、当事者達からすれば素直に喜べるものではなかったりする。
「『は』級とは違い、異能を持つ『ろ』級は周囲にどんな被害を及ぼすか分かりません。単独での討滅を優先して一般人に大きな被害を出してしまっては本末転倒。そうならないためにも一人になるという状況自体を避けるべきであり、単独討滅とは大体の場合、その忌避すべき状況に陥ってしまったが故に“せざるを得なかった”戦果なのです」
すなわち参戦できる討ち手の数が減っているということ。単独討滅数が増えるということは、一部の実力者にかかる負担が増えていることと同義なのだ。
この問題は強敵と相対することが多い上席ほど強く意識する。第一当主直属遊撃隊として他隊の応援をしていた東馬もその例に漏れない。
「助けのない状況に陥らないよう手を打つのが本当に優秀な討ち手なのだと私は思います。ですので姫様は味方を助け、安全確実に集団で『ろ』級を討滅できることを目標にしてください。歩むべきは邪道ではなく正道。当主になるのであればなおさらです」
「一人で討滅できるお前に言われても説得力はありませんが……分かりましたよ。まずは『ろ』級討滅で戦力になることを目指します」
「それでよろしいと思います。微力ながら私も力になりますので」
東馬が笑顔で頷き返すと、鳳花は不審そうに据わった目で見つめてくる。
「振り返ってみると、お前のいいように誘導されている気がして何だか釈然としませんね。それに先ほどからお前、私のことを手の掛かる子供だと思ってませんか?」
「ははは、まさかそんな、畏れ多い。滅相もないことでございます。……ところで姫様、食後のデザートはいかがしましょう?」
「やっぱり子供扱いしてますよね!?」
もちろん頂きますけど! と鳳花はやけになったように言い、頬を膨らませながらデザートの一覧を目でなぞっていく。
だから鳳花は気付かなかった。微笑ましそうに鳳花を見つめている東馬が、内心で胸をなで下ろしていたことに。
――霊獣討滅において、無謀な挑戦は自殺と変わらない。昨日の戦いはそれに近く、加えて怯えていた鳳花であれば、最悪、命を失っていた可能性もあった。
今までは領内におり、御伽衆にも入っていなかったため危険は少なかった。けれど御伽衆に加入し、領を出た。立派な当主になりたいという願う鳳花は、これからどんどん危険な場所に身を置くことになるだろう。
いっそ籠の中の鳥のように閉じ込めることができればよかったかもしれない。実際、今でもそうしたいと思う自分がいる。
けれどそれはできなかった。鳳花は言った。「お前に相応しい主になるためにも」と。自分の献身に報いようと奮起する主を、どうして止めることができようか。
だから東馬は鳳花を止めない。守るためにと危険な場所から遠ざけたりもしない。成長のためであれば稽古で怪我さえ与えよう。
代わりに何があっても死なせない。一番近くで鳳花を助け、支える存在で在り続ける。そのために身命を賭す覚悟ならば、とっくの昔にできている。
石動東馬の全ては、皇鳳花のためにある。『洗礼』を越えたあの時に、そう魂に刻んだのだから。
ここまで読んできて面白いと思ったのであれば、評価ポイントをつけてくださるとありがたいです。
また、ご意見・ご感想もお待ちしております。
「こんな展開が見たい」「こんな主人公は見たくない」といったコメントでも構いません。貴重なご意見として受け取らせていただきます。