表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/51

006.龍は降りて

 神威(かむい)は皇の血を引く者だけが扱える超常の力。霊獣を滅する唯一の手段。

 その特徴は“変質”と“干渉”。火や水を生み出すことも、動植物の成長を促進・退行させることもできる、“万物介入能力”とも呼べるものだ。


 皇の一族以外に神威を持つ人間はいない。他に神威とは異なる霊獣を討滅する手段を持つ人間も、この大陸にはいない。

 御伽衆の討ち手達は皆、皇の一族から神威を扱う力を与えられて霊獣を滅する手段を得る。しかしそれは皇の一族と同じになるという訳ではない。


 人には『人意(じんい)』と呼ばれる力が備わっている。これは人の潜在的な生命力を意識的に引き出して発揮するもの。習得した者は超一流の運動選手を凌駕する身体能力を得、文字通りの超人となる。

 しかしこの人意は何ら特別な素質ではない。扱うには特殊な修行を積まなければならないが、一部の例外を除いて人間なら誰しもが持っている普遍的なものだ。


 そしてその例外こそ、“人の意”を超越した“神の威”を持つ皇の一族。皇が神の血を引いていると信じられている理由の一つはここにある。

 他にも骨折程度なら一日で治る回復力や病気とは無縁の体など、皇の一族は人の身を持つ人を超えた規格の存在と言うことができる。御伽衆の討ち手達は、この皇の一族の規格に合わせて体を“作り替える”ことにより、人意を神威に“変換する”機能を持つことができるのだ。


 しかし規格を変えるというのは本来有り得ざる事。犬が狼ではないように、猫が虎ではないように、己の全てを“分解して再構成”でもしない限り違う存在になることなどできはしない。


 結論から言えば、それこそが『洗礼(せんれい)』という儀式の正体。皇の一族が神威を用いて執り行う“人体の再構成”こそが、常人に神威を与える唯一の方法だった。


 その苦しみは人語に落ちない。全身の肌は張り直され、肉の繊維は編み直され、細胞は死滅と誕生を繰り返し、血という血が入れ替えられる。

 どれ一つをとっても只人が耐えられるものではない。成功と失敗を繰り返して効率的な方法が考案されたが、最悪の結果が死と結ばれているのは今も同じ。

 時代が進むと共に人の命も重みを増した。洗礼に挑むそもそもの人の数が少なくなり、討ち手の数も年々減少を続けている。


 そんな状況の中で七年前、一人の少年が洗礼を越えた。


 少年の(よわい)は十に満たず、もちろん心身は未成熟。加えて神威の施主は洗礼を施した経験がなく、どんな事態が起きるか分かったものではなかった。

 そうしなければいけない理由が少年にあったとはいえ、ほとんどの家臣は乗り越えられないと思っていた。無謀な挑戦だと冷めた目で見る者もいた。少年の出自故に、失敗してしまえばいいと考える者さえいた。

 しかし少年は生き残った。皇に仕えてきた家の人間すら逃げ出さずにはいられない洗礼を乗り越え、覚悟と忠義を示してみせた。


 その少年は、名を石動東馬といった。





 (たつみ)裕弥(ゆうや)は目の前の光景を信じられない目で見つめていた。


 出現した霊獣は『ろ』級の三。『い』級が四十年前を最後に出現していないことを考えると、出現の可能性がある霊獣の中でも高い脅威を誇る怪物と言える。

 御伽衆の『一にて獣、十にて伝説、神話に挑むは百をもて』という言葉が示しているように、『ろ』級と『は』級では格が違う。力の強さ、堅さ、生命力、そして何より“異能”の存在。『ろ』級を相手に“予想通り”という言葉はありえない。

 たとえ神威であろうとも簡単には傷を付けられず、未熟な討ち手では護法を破られて殺されるだけ。御伽衆各隊の上席が集まってようやく討滅ができる。『ろ』級の三とはそれほどの脅威なのだ。


 そんな怪物が裕弥の目の前でたった一人の討ち手に追い詰められていた。

 若く、少年とさえ呼べる男によって。



『キイィィィィィィィ!!』



 牡鹿の形を取った霊獣が(いなな)きを発して姿を消す。いや、あまりの速さに裕弥の目で捉えきることができなくなる。

 それは鹿だけではない。一人対峙していた討ち手――東馬もまた裕弥の目からかき消える。


 次いで耳を打つ激突の音と、一拍遅れて上がる土埃。繰り返し起こるそのたびに一瞬だけ両者の姿が目に映る。災害に喩えられる霊獣と討ち手の少年による、一対一の互角の攻防が。



「……何なんだ、あいつは……」



 裕弥はそう呟くのがやっとだった。この段になってもまだ、裕弥は目の前の光景が現実だと認めることができない。御伽衆に参加して十年以上。今年で三十を数える中堅の討ち手だからこそ、目の前の異常さがよく分かる。


 裕弥はこれまでに二回、『ろ』級霊獣の討滅戦に参加したことがある。その時の人員はどちらも十二。裕弥の所属する第二大陸中央(たいりくちゅうおう)統轄隊(とうかつたい)は、上席をも動員して当たったが、どちらも死者すら出かねないほど激しい戦いとなった。

 あの時の、全身の血が凍るかのような恐怖は忘れられない。故に今回出現した霊獣が『ろ』級だと判明した時点で、裕弥は決死の覚悟を固めていた。

 それなのに合流した時、あの男は「手出し不要」と言ってのけた。まるで裕弥の覚悟を取るに足らないと言っているようで、裕弥は怒りから反射的に送り出した。できる訳がないと高をくくり、すぐに聞こえてくるはずの助けを呼ぶ声を待った。


 しかし助けを求める声は今も聞こえず、霊獣の悲鳴だけが鳴り響く。



『キュゥゥゥゥゥゥウ!!』



 牡鹿が雄叫びを上げ、同時に目の前の光景がたわんでいく。まるで大気が水たまりになったかのように波紋が生まれ、像が歪む。

 光が屈折するほどの風の凝集。それが牡鹿を守りつつ渦巻いていき――解き放たれて爆発した。



「ぐっ!」



 東馬以外の三人は護法によって結界を敷き、即席の閉鎖空間を作っている。結界の維持に全力を注いでいるため直撃でなければ防ぎきれるが、伝わってくる振動の大きさは裕弥を呻かせるには十分なもの。


 この“異能”こそ『ろ』級が『ろ』級たる所以(ゆえん)であり最大の脅威。個体それぞれが持っている、神威に由来しない超常能力。


 かつて裕弥は加わった討滅戦で炎を操る個体に出会った。そこで見たのは地面から吹き上がる炎の柱に、大津波と見紛う炎の濁流。あの時、この世のものとは思えない光景を前に、討ち手は一人、また一人と全身を焼かれて倒れていった。

 だから東馬も同じように戦闘不能になっていると考えた。護法によって命を拾っていたとしても、もはや戦う力は奪われていることだろうと。



 ――まさか()()で回避した挙げ句、牡鹿を殴り飛ばしているとは全く、欠片も思いはしなかったのだ。



「ギィィイッ!?」



 宙を舞う牡鹿から漏れる苦悶の声が、霊核への衝撃の重さを物語る。


 撃法中伝『抜山(ばつざん)』。体の内部へと神威の衝撃を伝播させ、時には貫通・破裂させる打撃技。相手が『ろ』級ともなれば体に穴を開けるのはまず無理だが、ひるませるには十分な霊核への痛みを与えられる。


 ひるんだ牡鹿は逃げ惑いつつ異能を展開。周囲の大気が集まっていき、いくつもの風の爆弾が練り上げられていく。

 しかしその異能は既に見た。初見ですら通じなかった攻撃など対応策すら準備できる。その準備とてわずかな隙さえあればよく、ひるんだ相手の一瞬を突くなど東馬にとっては造作もない。



「『稲光(いなびかり)(みだれ)』」



 討滅の試しで鳳花が用いた初伝の撃法、その発展型である中伝技は、神威で作った光の槍を複数展開して射出する。風の爆弾は槍に貫かれて破裂し、爆発の余波で牡鹿の体が吹き飛ばされる。


 その光景に瞠目したのは鳳花だった。初伝だけでなく、同じ中伝の技も習得しているからこそ、東馬が複数の槍を同時に、媒介を用いず神威だけで形成してのけたことが信じられなかった。

 御技に高い威力を持たせるためには、神威に指向性を与えて相応しい形で収束させることが重要となる。その際に求められるのは想像力と制御力。討滅の試しで鳳花が用いた『稲光』と『焔・一文字』のように、中・遠距離を想定した御技にはそれらが特に求められる。

 しかし一瞬の隙が命取りになる戦場で想像に頭を働かせ続けるのは難しい。多くの討ち手は装備を媒介に使うことで想像と制御を簡略化し、実戦での実用性を確保している。同じ方法を採っている鳳花からすれば、言葉一つで形成を完了させるなど神業以外の何物でもない。


 それ以前の話として、東馬はまだ一度も刀を抜いていない。武器を使わないまま『ろ』級霊獣と渡り合い、“異能”のことごとくを突破している。



「東馬……」



 ここまで強くなっていた。

 ここまで突き放されていた。


 東馬が霊獣と戦うところを鳳花が見たのは二年前が最後だった。それ以降の華々しい戦果は聞いていたが、実戦を経験していない鳳花はその凄さが今ひとつ分かっていなかった。

 しかし討滅の試しを終え、霊獣の強さと討滅の難しさを肌で理解した今なら分かる。目の前で戦っている鳳花の従者は皇家屈指の討ち手だと。


 良く言って秀才の自分では、足下にも及ばない天才だと。



『キィッ! キィッ! キィッ!』



 結界の内部で、牡鹿は東馬から距離を取って身を(かが)める。瞬時に、幾重もの大気の壁が展開していき、目に映る牡鹿の姿が歪んでいく。

 しかし先ほどと比べ牡鹿が疲弊しているのは明らかだった。牡鹿の行動はまるで最後の悪足掻きのようで、それを見た東馬は静かに腰の刀に手を伸ばす。


 霊獣の防御の堅さは格の高さに比例している。『ろ』級の三ともなれば大技であっても一撃で霊核を砕くのは難しい。その場合、霊核を傷つけることで少しずつ霊獣の守りを剥がしていき、霊核を砕く攻撃を届くようにしていくのが基本的な戦法となる。

 異能の種類だけで言えば今回の霊獣は遠距離戦に強く、対して接近戦に弱かった。東馬はそれを見抜いたために刀を抜かず、打撃による攻撃で守りを剥がしていった。


 そんな東馬が刀に手を伸ばし柄を握った。鳳花はその姿に戦いの終わりを予感する。



「撃法」



 動作は静かに。言葉も静かに。行いの全てに“(せい)”を()き。

 しかして編まれる御技は無比無類。



奥伝(おくでん)



 御技の奥義、一歩前。

 回避不可能。防御不可能。ならば霊獣、生き残る道は既に消え。

 後はただ安らかにと見送るため、刀が鞘から解き放たれる。



「『一筆(ひとふで)』」



 振り抜いた刀。音さえ斬り裂き虚空を越え。


 左から右へ横に一線、切っ先で引いて、さあお終い。


 牡鹿の霊獣は上下でズレて、淡雪のように(ほど)けていく。両者の間で築かれていた大気の壁も、何を防ぐこともなく役目を終えて風となる。

 そして戦いの終わりを告げるかのように、シャランと刀が納まる音が響く。


 撃法奥伝『一筆』。認識した対象へ神威の斬撃を届ける御技。

 距離という空間を無いものとし、時間の隔たりをゼロにする、神速をも越えた()()の絶技。

 威力という点では初伝の技にも劣るものの、脆い霊核が相手であればご覧の通り。一撃にて必滅、訳も無し。


 戦いを終えた東馬の姿はぼろぼろと言って差し支えない。戦闘装束はあちこちに穴が空き、袖は破れて腕はむき出し。霊獣との衝突を繰り返した腕と脚は変色しており、顔のあちこちから血が流れている。


 それでも大地を踏みしめる力は確かなもの。

 体は壮健。意気は軒昂。瞳の輝きに陰り無し。



 ――皇のお役目は最重要秘匿事項。知る者は少ないほどよく、よって外の者を受け入れることはほとんどない。忠誠心のある内部の者だけで万事納まるのであれば、わざわざ忠誠定かならぬ人物を新たに加える必要はない。


 その危険を理解した上で外の人間を入れようとするのはなぜか。


 そのような定かならぬ者が嫡子の従者になっている現状を、力ずくで変えられないのはなぜか。


 答えは一つ。その人物が何人(なんぴと)にも反論を許さぬ“傑物”であるからに他ならない。


 石動東馬。生まれながらに“人意”を操り、十六にして御伽衆の“天武八達(てんむはったつ)”に数えられる天才は、五体満足のまま“伝説”の討滅を完遂した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ