005.責任の所在
霊獣の発生には『霊脈』の存在が密接に関わっている。
霊脈は大地を巡る力の流れであり、力の流れる道筋そのものを指す。目に見える形で確認することはできないが、それは確かに存在し、人々の生活に害と益をもたらしている。
霊脈は大陸全域に張り巡らされており、その様相は人体で言う血管に似ている。血管は人の体に取り込まれた栄養を全身に運ぶ役目を持つが、霊脈もまた大地に住まう生物から力を受け取り、大陸中に運んでいた。
しかし血管は人の健康状態によって質が変わり、流れが速くなることもあれば滞ることもある。そして霊脈も同じように、大地に住まう生物の活動如何で力の流れに『澱み』が生じる。この澱みが一定の水準を超えることによって霊獣は発生してしまうのだ。
皇家では「澱みの他に何か別の要因があるのでは」と推測が成されているが、その推測が正しいかどうかを東馬は知らない。確かめようがないからだ。
しかし霊脈の澱みが霊獣の発生に関わっていることは間違いない。御伽衆の討ち手達は常に霊脈の動きに目を光らせ、流れが滞った箇所を正常化することで霊獣の発生を防いでいた。
「だというのにどうして、よりによってこの王都で、霊獣の発生を未然に防げなかったのですか?」
鳳花の問いただす声が屋敷に響く。すでにその格好は袴から戦闘装束に変わっており、東馬もまた藍色の戦闘装束に身を包んでいる。
屋敷に詰めていた人々はほとんどが周辺の根回しに追われており、鳳花の疑問を受け止めたのは目の前にいる女性一人。鳳花の怒気が抑え気味なのは、その女性が鳳花にも馴染み深い人物であるためだろう。
篝都木子。御伽衆の一人にして鳳花の母の乳姉妹でもある女性だった。
「人手不足。それに尽きます」
都木子は淡々と端的に理由を述べる。その鉄面皮は鳳花の世話係だった頃から変わらない。
「人手不足? まさか、この王都でですか?」
「むしろ王都だからこそ、とも言えるでしょう。元より王都は面積が広く人の数も多い。ここ十年で人の数は倍増し、経済活動はより活発化しています。そのため霊脈が受ける影響も加速度的に増えているのです」
霊脈に影響を及ぼすものの筆頭は人間だ。動き、考え、人が人として活動するだけでも大なり小なり霊脈はうねる。より多くの人が集まればどうなるか。それは今の状況が証明している。
そしてうねりが大きければ大きいほど流れは滞り、澱みが生まれる。
「しかし一方で我々御伽衆は代を重ねるごとに減少傾向にあります。……失礼ながら、姫様は現在の御伽衆全体の討ち手の数をご存じでしょうか」
「……百五十七名。それが全てだと聞き及んでいます」
「姫様もお加わりになったことで百五十八名。この百五十八名で現在、大陸“全域”の霊脈を監視しなければならない。重要な土地は王都だけではありません。他の地域にも人員を割く必要がある以上、王都に駐在できる討ち手は三人が限度。加えて姫様もご存じの通り、今王都にいる討ち手は私ともう一人のみで、我ら二人だけでは処理しきれなかった。つまりはそういうことです」
「…………」
鳳花は俯いた。後ろに控えている東馬からその表情は窺い知れなかったが、おそらく唇を噛みしめているのだろう。怒りでも悲しさでもない。よしんば怒りの感情があったとしても、向いている方向は外ではない。
都木子が霊脈の対応のために席を外すと、鳳花は東馬にだけ聞こえる声でぽつりと呟いた。
「私が王都に来た事による空隙。それがこの手落ちの原因だと、東馬は思いますか」
「……姫様が希望された討ち手の入れ替えにより、王都の霊脈を熟知した人が欠けたことがこの事態に繋がった。姫様はそうお考えなのですね」
東馬以外の従者を拒んでいることからも分かる通り、鳳花は信頼できない家臣を近付けたがらない傾向がある。今回の王都滞在において、鳳花は可能な限り信頼する者を傍に付けたいと当主に願い出、その結果以前から王都に詰めていた討ち手三人の内二人が抜け、新たに鳳花・東馬・都木子の三人が王都の担当に加わることとなった。
しかし人を入れ替えた直後は大なり小なり混乱が生じるもの。要員の撤退に先んじて都木子は王都に入っていたが、引き継いですぐに以前と変わらない成果を出せる訳もない。
都木子とて当主と並ぶ御伽衆の古参であり、紛れもない精鋭だ。しかし人の数も総面積の広さも、皇家の領地と王都では全く違う。全く違う土地の把握にかける時間として一日二日は少なすぎたのだ。
「私の責任です」
「いいえ違います。駐在する人員を定期的に入れ替えるのは王都に限らず行っていること。姫様の要望とて事前に予定されていた入れ替えを前倒しし、交代の人員を変えただけ。姫様の責任ではございません」
「ですが」
「姫様」
東馬は語気を強めた。鳳花はびくりと肩を震わせ、叱られた時の子供のような目を向けてくる。
「御伽衆の先達として申し上げましょう。姫様。あなたは確かに次期当主ですが、今はまだ御伽衆の若輩者でしかありません。対し我々はあなたの介入程度でお役目に瑕疵が出るほど未熟者の集まりではない。何より今回の入れ替えはご当主様の決定によるもの。責任感があるのは美徳でしょうが、それも過ぎれば我々への侮りです」
「…………はい」
「主家の嫡子に言うべきことではありませんが……自分に全ての責任があるなどと思い上がらないで頂きたい。今すべきは悔やんで立ち止まることではなく、霊獣出現に備えて動くことでしょう」
霊脈は地上の影響を受けることで“うねり”が発生する。そのうねりに力が流れ続けることで澱みが発生し、澱みが凝り固まって霊核が形作られる。そして霊核を中心にして霊獣は形を成し、地上へと出現するのだ。
御伽衆は澱みが固まる前に霊脈を正常化させ、霊獣の発生を未然に防いでいる。しかし固定化が進んだ澱みに下手に干渉し、正常化に失敗してしまうと、霊脈に長く甚大な影響を残してしまう。そのため澱みがある程度まで進行した場合、澱みに力が注がれるのを防いだ上で霊獣の出現を待ち、討滅するのが御伽衆の方針となっていた。
確かに霊脈の中で霊獣は“発生”した。しかし地上に“出現”するにはまだ間がある。霊脈の流れに干渉して出現位置を変えることもある程度可能であり、残る一人の討ち手がその調整を行っているところだった。
それから一時間後、王都郊外の山にて霊獣の出現が確認された。しかしその詳細を聞いた時、東馬は眉を寄せ、鳳花は息を呑んだ。
「『ろ』級の三……確かですか?」
「ええ。誤差はあるかもしれませんが、霊脈から感じる霊核の種類と強さは間違いなく『ろ』級のそれだった、と。もう少し早く気付いていれば手の打ちようもあったのでしょうが……」
「王都は霊脈の結節点の一つ。話には聞いていましたが、澱みに力が供給される早さも他とは違うということですか」
歩法で建物の屋根を飛び越えながら東馬は街を見下ろした。すでに夕方を越え薄闇が周囲を包んでいるというのに、人の行き交いも街の明かりも絶えることがない。
平和な時代を迎えた現在、大陸に住む人の数は爆発的に増加している。人の多さに霊脈の状態が左右されるのであれば、大陸最大の人口密集地である王都ではどうなるか。まさに語るに及ばずだろう。
東馬は眼下の光景に目を細めつつ、並行して走る都木子に問いかける。
「現地の状況はどうなっているのですか?」
「人的な意味ではまだ被害は出ていないようです。裕弥殿の報告によれば、出現した周囲を荒らすに留まっている、と」
「霊獣の姿や保持している“異能”についてはお聞きしていますか?」
「姿は鋭い角を持った大型の牡鹿。異能については、私達が屋敷を出た段階では未確認だったようです」
「なるほど。姫様からは何かございませんか?」
「……他の地域からの応援は来られそうですか?」
「連絡は入れておきましたが厳しい状況です。隣の区域でも霊獣発生の兆候が見られたとのことで、来るとしても時間がかかるでしょう。早くとも夜明けまでは増援はないと考えてください」
「そう、ですか……」
鳳花の表情が曇った。その表情と萎んだ声には、待ち受けるものへの不安が広がっている。
しかし無理もないだろう。鳳花が初めての霊獣討滅を終えたのがつい先日。対象は単独討滅が前提の『は』級であり、本人も語ったように余裕のない結果だったというのに、次がいきなり『ろ』級の三。熟練の討ち手でも苦戦を免れず、最悪死者すら出かねない相手に、自分の力が通用するか不安に思うのは当然のことだ。
「『ろ』級ともなれば、この場にいる者だけでは対処は難しいでしょう。現地に到着した後は、増援が駆けつけるまで霊獣を押し留めることに専念――」
「いえ、増援の到着を待つ必要はありません」
だから東馬は、その不安が十分に拭い取れるものだと証明する。
「石動殿、今何と?」
「必要ないと申し上げました。霊獣の討滅には私一人で十分です」
虚勢ではなく、驕りでもなく、根拠のある自信を背景に東馬は言い切る。
そして東馬は隣を振り返って、目を見開いている主君に笑いかけた。
「姫様、よくご覧になっていてください。あなたのわがまま程度を受け止めきれない我々ではなく、あなたが頼りにできないほど弱くもないということを、私が目の前で証明して見せます」
御伽衆第一当主直属遊撃隊、第五席兼次期当主補佐、石動東馬。
当主威三朗より『降龍』の名を賜った天才が、主の不安を拭うために出陣する。