048.好きだと言ってくれた人のために
4話連続投稿の2話目です。
「石動東馬、お主を姫様の傍付きに命ずる。これは姫様たってのご希望だ、よく励むがいい」
その訓示が従者としての日々の始まりだった。
最初は情けなさや気恥ずかしさでろくな会話もできなかった。どの面を下げれば泣いて縋った相手を御守りするなどと言えるのだろうか、と悩んだのを覚えている。元はいち平民の自分に、正真正銘のお姫様の護衛ができるのかという不安もあった。
そんな壁を力尽くでぶち壊すかのように、鳳花は勉強にも稽古にも遊びにも、その他あらゆる場へと東馬を自由奔放傍若無人に連れ回した。
いや、正確にはお姫様の我儘に振り回されたと言うべきか。
中でも、
「ブルブルブルブルブルブル……」
「あっはははははははは!!」
と着ぐるみを着て創作の生物の鳴きマネまでさせられた時などは、泣きながら笑い転げる鳳花へ向ける目に「しばき倒してぇ……」と怒りの炎を宿したものだ。
そんな日々に孤独の寂しさを覚える方が無理だった。それこそが鳳花の狙いだった――のかは未だに疑わしいが、真意はどうであれ自分の悲しみに寄り添ってくれた可愛い女の子との日々は東馬の心の穴を埋めてくれた。
独りではなくなったというのは何も心理的な話だけではない。まず鳳花との繋がりのおかげで都木子や雪子と関わりを持った。次に都木子の姪の青葉と友誼を結び、共に雪子の兄の焔山から教えを受けた。青葉の父の星牙や他の天武八達とも知己となり、鳳花に振り回される東馬を哀れんで世話を焼く大人も現れた。
気付けば東馬は皇家の人々の輪の中にいた。
もちろん鳳花のお気に入りであることに不満を持つ人間は消えなかったが、東馬はいつの間にか皇家の中に自分の居場所を築いていたのだ。
ただ幼い東馬は最初、居場所を作ることができた理由を自分の努力のおかげだと勘違いしていた。そんなものは一因でしかないと、あの誘拐事件が起きるまで考えもしなかったのだ。
あの誘拐事件で東馬の信用には疵が生まれた。結果として鳳花を守った東馬に近しい人間はむしろ信用を高めていたのだが、そうでない人間にとっては格好の攻撃材料たり得るものだった。
そもそも鳳花の従者になる前の東馬に皇家での居場所はほとんど無かった。天見家御曹司の顔に泥を塗った後はさらに拍車が掛かり、会話をする相手など指南役の継道を除いて皆無という有様。東馬が亡き家族への思いに引きずられていたのも、話しかけようとする人のほぼ全てに無視されるような環境だったのが大きかった。
鳳花の従者という肩書きが覆い隠していた立場の弱さ。それが誘拐事件によって白日の下に晒されたことで、自分が鳳花の傘の下で守られていたことに東馬は気付かされた。
「資格が無く、実力も不足していると仰るのであれば、私に『洗礼』を受けさせて下さい。それを乗り越えることによって、私が従者に相応しい者である証明とさせて頂きたい」
譜代の家臣達への啖呵を切ったのは何も根拠や自信があったからではない。単に死ぬことよりもまた独りになることの方が怖かっただけ。
鳳花の優しさに包まれながら鳳花のために生きる日々。それを失うなら死んだ方がマシだと考えただけだ。
そんな後ろ向きな覚悟で挑んだ『洗礼』で、しかし東馬は自分の弱さと浅ましさを突きつけられる。
片腕を失う痛みなど生やさしいと思うほどの激痛と苦しみ。あらゆる上っ面の覚悟を灰にするあの儀式にて、東馬の感情は自分自身の範囲で閉じていた。
生きたいという願いと楽になりたいという諦め。その隙間に当初、鳳花という女性は挟まっていなかったのだ。
『洗礼』は皇家への献身の心があって初めて乗り越えられる。もしあの時鳳花が手を握ってくれなければ、そのまま東馬は命を落としていたことだろう。
この『洗礼』で東馬は自分という人間の浅さを思い知らされた。『洗礼』を乗り越えられたのも鳳花への忠誠心が増したからではなく、ただ「鳳花の泣き顔が見たくない」という我欲が理由だ。そんな人間を上等などとどうして言えよう。
「人が命を懸けるのは自分より大切なもののためでしょう? 何で姫様以外のことで命を懸けなきゃいけないんですか?」
鳳花が照れていた台詞の背景なんてそんなものだ。我が身の下らなさを知った男からすれば、人生に意味をくれる女性を前に惜しむ命などありはしない。
……そう。そこで終わっていれば余計な悩みとは無縁でいられた。
けれど石動東馬は笑ってしまうほど俗で浅ましい人間だった。
表向きは主従としての関係に留まろうとも、少年が男に、少女が女へと姿を変えていく中で男女の機微は芽生え始める。身分の壁を取り外せば二人の関係は同い年の男女でしかない。心身共に美しく成長していく鳳花に対し、恋心と独占欲が生まれるまでそう時間はかからなかった。
時を同じくして家中での東馬の価値も上がっていった。磨けば磨くほど光る戦士としての天賦の才。ついには『ろ』級単独討滅により歴代最年少で天武八達の地位を勝ち取り、東馬は皇家の最高戦力として欠けてはならない存在になった。
紫水が指摘したように皇家への貢献の度合いにおいて東馬に並ぶ者はそうはいない。同年代に至っては皆無と言ってよく、次点の人間でさえ足元に指が掛かるかどうかだろう。
東馬はこれまで慎重に鳳花への感情に整理をつけてきた。身分違いの恋が実るのは架空の物語だけだと、熱を冷ますように己に言い聞かせてきた。
しかし鳳花と結ばれる未来が現実味を帯びてきたことと、何より鳳花から想いを告げられたことで、自分を誤魔化すための言い訳は尽きてしまった。
選択肢は二つ。鳳花と結ばれるためにあらゆる障害に立ち向かうか、心を押し殺して未来の別れに備えるか。
並べてみれば選択肢など有って無いようなもの。従者の立場を守り続けてきた今までのように、反対勢力を払いのけるだけの力があればいい。
それでもためらいを覚えているのは何故かと言えば。
「何だそれは。馬鹿馬鹿しい」
震災が発生するほぼ直前、その理由を打ち明けた東馬に対して紫水はそう言った。心の底から、全力の呆れを込めて。
「浅ましい自分を知られて失望されたくないから? よもや本気でそのようなことを考えているのかお前は」
「俺の中身は殿下や姫様と違ってスッカスカなんですよ。姫様が好きと言って下さったのは『理想の従者』の皮を被った俺です。それを取っ払ってしまった俺に姫様が幻滅するのは目に見えている」
「下らん下らん下らん。それは鳳花殿だけでなくこの私への侮辱でもあるな。この私が、中身のない男を“友”と呼ぶと思うのか。鳳花殿が、ただの太鼓持ちを傍らに置くような暇人に見えるのか?」
「…………」
「お前はただ自分が好きではないだけだ。自分が好きではないから簡単に命を投げ出せる。向けられる敵意にも気分を害さず、強要される土下座にも抵抗がない。……人によってはそれを『中身がない』と言うのかも知れぬがな」
「……単なる俺の思い込みだ、と」
「お前の性質もあるのかもしれぬがな。お前は強さに大きな価値を見ていない。その才能故に困難との出会いの数は少なく、困難を乗り越えて培われる自負心も育たなかった。周囲の環境にも問題はあっただろう。能力の高さ故に心配されず、賛辞より非難の声が大きいその立場。自尊心など芽生えようはずがない」
思い込みによる自信の無さで言えば東馬と鳳花は似た者同士であったのだろう。違うのは鳳花の思い込みが“東馬の価値の高さ”にあったのに対し、東馬の思い込みが“自分の価値の低さ”にあった点か。
反論の言葉を持たない東馬に対し、紫水は手の掛かる弟へ向けるような表情で言った。
「東馬よ、まずは自分を好きになれ。それがお前を好きになってくれた相手への最低限の礼儀というものだ。答えを出すのはその後でもきっと遅くはないであろうさ」
それが震災前に紫水と交わした最後の会話。直後に起きた揺れで会話は否応なく打ち切られたが、紫水の言葉は東馬の頭に残り続けた。
そして焔山との語らいを通じて鳳花を諦めきれない自分を自覚した。自分を好きになれず、大事にできなくなった訳を理解した。
だからといってすぐに自分を好きになれるはずもない。十年間で培われた卑屈さを改めるのに半日という時間は短すぎる。物思いにふけるような時間はそもそも戦いの中に落ちていない。
答えは形にならず、自覚は変化に届かない。
しかし今はそれで十分。
「――接続開始」
鳳花のために戦う喜び。ただ一つ光る思いを胸に、東馬は己が意を大地に発する。
次話は20時公開です。




