047.自信
大変長らくお待たせしました。
4話連続投稿の1話目です。
「実のところを言うとな、うちにもそれほど人意の余裕がある訳ではないんよ」
東馬と合流する直前、雪子は鳳花に厳しい内情を明かしていた。
「さすがのうちでも大陸のほっとんど反対側からここまで来るのは大分手間がかかってな。奥義とかその他もろもろを使て無理矢理間に合わせたものやから、もうすでに半分くらいは人意を消耗してもうとるんよ」
雪子はそう言って不甲斐なさそうに苦笑いしていた。鳳花は無理もないと納得し、第三隊が居る場では明かさなかった理由も理解した。
しかしそうであるのなら何故あえて自分には明かしたのか。そして自分だけに付いてくるよう命じたのか。
そう尋ねる鳳花に対し、雪子は言った。
「あの戦場から離れても影響が少なくて、今向かっている戦場に連れて行く上で最も意味があるのが鳳花ちゃんだからや」
言っていることの意味はよく分からなかったが、自分の力が必要とされているのなら断る理由は無い。雪子が「東馬くんを連れてくる」と言い残して先に行った後、鳳花は強張っていた体をほぐしつつその時を待ち構えていた。
――しかし連れてこられた東馬を見た瞬間、溜めていた意気はそっくりそのまま不安へ裏返ってしまった。
さらに「片腕を失った東馬をまた戦えるように治せ」という無茶な命令まで出されては、いかに敬愛する雪子と言えど正気を疑わずにはいられなかった。
「わ、私には……無理です。できっこないです」
「それは何で? 今は襲われる心配ないし、概念昇華だってきちんと教え込んだやろ?」
「無くなった腕を元通りにするなんてやったことないですし…………それに、仲間の一人も助けられなかった私にできるとも思わないです」
「うちはそうは思わなかったから、こうして命令してはるんやけど」
「何の根拠があってそんなこと……」
「根拠なんて今はどうでもええ。あんな鳳花ちゃん。うちは今お願いしとるんやない、上役として命令しとるんや。上役から命令されれば部下はまず従うべき。できるできないは後で論じればええ」
そう言うとなおも言い縋ろうとする鳳花から視線を外し、雪子は東馬の名を呼んだ。
東馬は滝のような汗を垂らして苦痛に顔を歪めていた。それでも雪子を見上げる目には篝火のような戦意が残っていた。
「東馬くんは腕を治し次第、『人柱』で人意を回復させて戻ってくること。時間稼ぎと足止めは引き受けとくけど急いでな」
「……焔山殿もそうですが、よりによってあなた方兄妹からそんな命令を受ける日が来るとは思いもしませんでした」
「こんな状況で出し惜しむなんてしたらそれこそ日輪姉やんに叱られてまうからなあ。それに他の人ならともかく、東馬くんなら大丈夫やろ?」
「ご期待に添えるよう最善を尽くします」
「うん。ほな、また」
そして雪子はあっさりと姿を消した。不安に震える鳳花とは逆に、最後まで不安そうな顔を見せないまま。
残された二人は互いを見る。
片や左腕を失い砂埃にまみれて傷だらけ。片や血と汗と泥に汚れたみすぼらしい様相。長い付き合いでも見たことがないほど互いの状態はズタボロだ。
それでも程度で言えば東馬の方が間違いなく深刻。東馬の存在が戦いの趨勢を左右するとなれば鳳花は今すぐにでも治療に動くべきだ。
だから問題は東馬の腕を元に戻せるかどうか。神威の量と時間の残りを考えれば術を使えるのは一度きり。仲間を救えず見送ったばかりの自分にはあまりにも高い壁。
「できますよ、姫様なら」
それなのに雪子も東馬も、鳳花なら可能だと何の疑いもなく言ってのける。
「お前も先生も、どうしてそんなにはっきりと……」
「私達はこれまでの姫様の努力を見てきました。そして今の姫様を知っています。理由はそれで十分ではないでしょうか」
「…………」
「姫様」
地面に突いていた自分の手に、東馬が残った己の右手を被せてくる。疲労によって震えた、けれどいつも通りの優しい手。
伏せていた目を上げれば、そこにあったのは自分に向けられた信頼の笑み。
「私の全てを貴方様にお預けします。どうか私を助けていただけないでしょうか」
昨夜二人きりで語り合った時にも見せてくれた、鳳花という主への誇らしさを謳うあの表情で、頼れる幼馴染みは自分へと助けを求めてきた。
「――――――――」
どくん、と心臓が跳ねた。
鼓動はそのまま加速して熱を生み、仲間の死を見送ってから冷えていた体を燃やしていく。
そうして胸に去来するのはこれまでの日々。
周りと自分を比べて覚えた不甲斐なさ。
青葉によって突きつけられた底の浅さ。
不安から逃げるように打ち込んだ修練。
この日この場所に至るまでに通り抜けた懊悩の数々。
進んで、立ち止まって、足掻いて、戦って。どれ一つとして楽なものはなく、その全てが痛みを伴うものだったけれど、鳳花は自分を奮い立たせて壁を一つずつ乗り越えてきた。
そして今日。第三隊と共に戦い、青葉と背中を預け合い、雪子に東馬を託され、東馬から助けを求められた。
自分に力があり、戦うことができ、誰かを助けられるのだと証明できた。
「――分かりました、任せて下さい」
青葉に本当の自分を暴かれるよりも前からずっと、鳳花は自分を信じることができなかった。いくら努力しても東馬に追い付くどころか力になることさえできないと、自分のことを認めてあげられなかった。
――ようやく手に入れることができた“自信”が、胸の奥で炎となってふつふつと力を沸き立たせてくる。
だったらもう迷いは要らない。尻込むことなどもっての外。
「私の全身全霊を懸けて、お前の体を元に戻してみせます」
心が奮い立ち、全身に力が漲る。
そして鳳花は勢いよく、それでいてこれまでより遙かに繊細に神威を練り上げていく。
思い出されるのはかつて稽古の時に東馬が言っていたこと。
『精神状態で御技の精度は大幅に変わる。いつ如何なる時も心の天秤を維持すること。これができてこそ、今姫様が磨いているあらゆるものが活きてくるのだと思われます』
鳳花はこれを「戦いの最中でも冷静で居続けること」だと思っていた。実戦でも十二分に力を発揮するには何よりも重要なことだと考えていた。
間違いではなかっただろう。しかし自分の力を発揮するにはまず自分を信じなければいけないという前提を見落としていた。
もちろん過信したままではいつかのように失敗する。逆に卑屈が過ぎればできることもできなくなる。
重要なのは己を知り現実を知り、世界との距離を正しく把握すること。その上で自分ができることを認めてあげること。
今の鳳花ならそれができる。否、皆のおかげでそうなることができた。
「それじゃあいくわよ、東馬」
体に充溢する歓喜、高揚、そして勇気。それらに背中を押されるがままに鳳花は東馬の体を掻き抱く。
東馬は「姫様!?」と驚いて身を固まらせるが、鳳花はかまわずさらに力を込めて東馬を抱きしめる。
もちろん感極まったから抱きついたのではない。今から使うのは鳳花の手札の中で最も難しい治癒術。足りない実力を補うため、少しでも成功の確率をあげるためにこの過程が必要だった。
それは護法の奥伝技の中で最高難度。切り傷や骨折といった“怪我”を治す技ではなく、欠けた体を元に戻す復元の技。
「――『真生』」
鳳花の体から東馬の体へと神威が伝う。
そこに激しさはない。勢いもない。ゆっくりと静かに、体の輪郭をなぞるように神威が東馬を覆っていく。
神威はやがて東馬の内側へと染み込んでいく。そして東馬の中にわずかに残っている人意と触れ合うと、
「――見つけた」
神威によって人意を掴み、そこにある歴史を神威を通じて読み取っていく。
基本的に御技の治癒術は人体の情報を読み取って自然回復を早めるか、欠けた部分と同じものを神威によって作り出して補うかのどちらかだ。両方とも人体への深い理解が求められ、神威の操作がただ上手いだけでは技としては成り立たない。
一方、護法奥伝『真生』に人体への理解は必要ない。神威の操作技術も概念昇華が使えるのなら大きな問題には至らない。
その理由は“治癒”ではなく“復元”の技であるためだ。言うなれば人を対象にした『太極図・廻』。負傷者から体の歴史を読み取り、記録されている万全の状態へと体を“巻き戻す”のが『真生』という技なのだ。
現代の討ち手にとって概念昇華はそこまで難しくない応用技術。一方で他の治癒術では大学で学ぶような専門的な知識が求められる。概要だけ聞いたならば戦いが生業の討ち手にとっては『真生』の方が習得しやすく、効率も高いと思うだろう。
もちろん人を治すという“奇跡”にそんな甘い話がある訳がない。
「……うぅっ……!」
呻く鳳花。歯を食いしばり、眉を固く寄せる表情は苦しみに染まっている。東馬は心配そうに呼びかけるが鳳花は反応を返さない。そもそも耳から入る情報を音として読み取る余裕すら無い。
神威を通じて流れ込んでくる東馬の体の歴史は洪水のような膨大な情報で鳳花の五感を埋め尽くしていた。それこそ一瞬でも気を抜くだけで、一度でも呼吸につっかえただけで意識が奪われそうになるほどに。
これが『真生』を使う上での第一の壁。数多の物質がその人間を形作る上で重ねてきた幾多の歳月。その情報を使い手は正面から受け止め、あるいは受け流さねばならない。その膨大さは『洗礼』を乗り越えた討ち手の意識さえも刈り取るほど。治療の護法に長けた人物であってもこの時点でほとんどが脱落する。
「だい……じょぶ…………次っ……!」
そして体を万全な状態に復元するためには“万全の状態”を知悉していなければならない。失った腕を元に戻したいのなら、まだ両腕が健在だった頃の東馬を正しく把握するのは絶対条件だ。
そのために必要な情報を選び取ることが『真生』の第二の壁。復元したい相手の復元したい状態を吸い上げた情報の中から適切に繋ぎ合わせ、術の“方向性”を決めるのだ。
例えるならそれは津波に揉まれながら光る砂粒を見つけ出すようなもの。加えてめぼしいものをただ拾い上げれば良いというものでもない。『太極図・廻』とは異なり『真生』が巻き戻す対象は生物だ。ただ概念を込めた神威を刻むだけでは『かえらずの刃』のように時間によって効果は薄れ、やがては傷だらけの状態に戻ってしまう。
概念昇華は“自然”と“不自然”の距離が近いほど安定し、遠いほど不安定になる。逆に遠いほど効果は大きくなり、近いほど小さくなる。『真生』が奥伝護法の中でも最高難度とされるのは、不自然に大きい“復元”の効果を自然なものに安定させる、という矛盾に立ち向かわなければならないためだ。
この問題に討ち手達は、「巻き戻す範囲は一日以内に限定すること」と「行使するのは相手がまだ意識を保っている場合に限ること」を条件に技の難易度を現実的な高さまで引き下げた。
黄泉迷峡谷に足を踏み入れる前の東馬であれば傷一つ無い万全の状態。そして満身創痍といえど東馬の意識はまだ明瞭。つまり二つの条件を満たしている今であれば鳳花にもまだ手が届く。
「はぁっ、はぁっ……! よ……しっ……いける……!」
果たして鳳花はやってのけた。滝のような汗で東馬の装束を湿らせながら、顔を青くして全身をガクガクと震わせながら、復元すべき一日以内の東馬――最も記憶に残っている昨夜の東馬の姿を描き、そのための情報の欠片を拾い上げて体の組絵を完成させた。
ここに『真生』を使うための全ての準備は整った。
「東馬、合わせてっ……!」
「承知」
『真生』で巻き戻す状態の期限を定めたのは、“自然”と“不自然”との間の距離を近付けることで世界からの抵抗を減らすため。では残るもう一つは何のための条件か。
その答えを示すように二人は呼吸を合わせ、意識を合わせ、お互いの神威を繋ぎ合わせる。そして東馬が遠慮がちに鳳花の腕を掴むと、鳳花は高らかに始まりを告げた。
「――復元!」
鳳花の体から東馬の体へと神威が激しく流れ込んでいく。鳳花の神威は流れ込むと同時に東馬の神威と同質のもの――正確に言えばそれに近いもの――へと変換され、それでいて鳳花に操作されながら東馬の全身に“復元”の概念を行き渡らせていく。東馬の体はそこに違和感を覚えることはない。
『真生』使用の二つ目の条件は人からの抵抗を減らすためのもの。概念昇華は無茶を通して不自然を押しつける技だが、それが自分自身に対しての無茶であれば体が覚える違和感は限りなく小さいものとなるからだ。
これを実現するためには被施術者と呼吸を合わせなければならないため、気絶している人間が相手では使うことができない。加えて施術者と被施術者の相性が悪ければそれだけ違和感は増し、体の抵抗は大きくなってしまう。
幼馴染みの主従にとって呼吸を合わせることは壁にはならない。よって問題になるのは鳳花の力が『真生』を使うのに足るかどうかだけだ。
「ふーっ……ふーっ……!」
鳳花は目を閉じ、東馬の肩に額を押し当てながら、掻き集めた東馬の元の姿を手放さないように集中する。
その甲斐あって東馬の左腕は徐々に、本当に徐々にだが、失った部分を取り戻そうとしていた。骨から始まり、血管、神経、筋肉に肌繊維が、白い光に包まれながら本来在るはずの空間を埋めていく。
しかし肘から先が形を取り戻そうとした時だった。
「ぅ……っ……ぁっ……!」
東馬の口から苦悶の呻きが押し出される。原因は今まさに復元しようとしている左腕。元に戻ろうとしていたはずの肘の部分が、逆再生するように再び形を失いつつあった。
『真生』の壁の一つである概念昇華の巻き戻し。東馬が呻き声を隠しきれなかったのは取り戻した箇所を再び失ったことによる激痛のため。
そして鳳花の方にも余裕は無い。元より連戦続きの疲れた体で神威はさほど残っていない。このまま復元が進まなければ『真生』は二度と使えなくなる。
ここが分水嶺。そう直感した鳳花の決断は早かった。
復元が思うように進まない理由は出力不足だ。東馬の腕を完全に生やせるほどの神威の効果が出せていない。
解決方法は注ぎ込む神威の量を増やすことと、より影響を与えやすい神威の注ぎ方に変えること。
前者が無理となれば鳳花が取れるのは後者の方法。外側から神威を使うだけでなく、東馬の内側からも注ぎ込むことでより確かに“復元”の概念を固定する。
鳳花はほんのわずかな間だけ苦笑を浮かべると、バッと顔を上げて東馬を見据え、
「東馬、口開けて!」
「え――むごっ……!」
噛みつくように東馬の唇へ自分の唇を重ね合わせた。
舌の上で感じる土の味に、雰囲気もへったくれもない状況。理想の初めての口づけを彼方に放り投げ、口を通じて東馬の体内へ直に神威を流し込んだ。
神威は東馬の体を内側と外側から挟み込んだことで安定度を高め、再び進んだ“復元”によって肘が元の形を取り戻す。
そこにさらに弾みを付けるように、鳳花は東馬の後頭部に右手を当てて自分の方へと引き寄せた。
「むもぉ……!」
より密着する口と口。東馬は驚愕に目を見開いて困惑の声を上げるが、それに対して鳳花は一切頓着しない。
さらに手首にまで復元は進むが安心には程遠い。その状態で体が固定されてこそ意味がある。
復元の固定化に必要なのは完成度。東馬から事前に掻き集めて鳳花が留めている人意の組絵でどれだけ世界を“誤認”させられるかであり、この行程こそが最も大きな壁だと言う討ち手もいる。
ただ、鳳花は全く不安を感じてはいなかった。それを証明するように東馬の体は左の手指を取り戻した。肌からは傷という傷が消え、東馬の外見は正しく五体満足へと返り咲いていく。
そしてこれは鳳花にとって何も不思議なことではない。ごくごく自然で、これ以上なく当然のこと。
皇鳳花は石動東馬をこの世界の誰よりも識っている。
故に、誰よりも彼の在るべき姿を強く思い描くことができる。
人意から伝わる情報の津波に耐えて『真生』を使うことができたのもそれが理由。誰よりも識っている東馬だからこそ、鳳花は本来よりも少ない負担で準備を終えることができた。
たとえここに来る直前に言った通り『まだまだお互いのことを知らない』としても。
たとえ友人の紫水や同僚の青葉だけが知る顔があったとしても。
共に育ち、共に歩み、共に積み上げてきた十年の歳月は真に二人を繋いでいる。ならば鳳花の描く東馬の姿に違わぬものなどありはしない。
――そして神威の光が消えた後、そこにあったのは力尽きて倒れた鳳花と、その鳳花を左腕で抱きかかえている東馬の姿。
装束を除いた体の全てが元通りになった上で、曲げ伸ばす肘にも、閉じ開く五指にも違和感はない。両腕の揃った姿を東馬の“今”だと鳳花は世界に認めさせたのだ。
限界まで神威を絞り尽くし、もはや立つことすら難しい。それでも鳳花は己を抱き留める腕の温かさに微笑みを浮かべる。
それはあたかも
――どうだ見たか
そう誇るような笑みだった。
次話は19時公開です。




