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041.それは地中より顕れ出でて

 雪子は兄の焔山を指して「飾るということを知らない人」と評している。


 良く言えば裏表のない明け透けな性格。喜怒哀楽は分かりやすく、相手の立場によって過度に威張ることも(へりくだ)ることもしない。酒癖の悪さを愚痴られてはいるものの、何だかんだで全ての隊員は焔山のことを慕っている。

 逆に言えば取り繕うこともしないので、苦手なことや情けないところを平気で他人に(さら)け出す。先日の鳳花との語らいが良い例で、相手が上司であろうと部下であろうと焔山は弱さを全く隠さないのだ。


 そのことをどちらかと言えば美徳だと考えていた東馬だが、



「東馬~……もうちょっと上下の揺れを少なくして走ってくれ~……酔う~……」

「はいはい承知しました」

「今度は速度が落ちとるぞ~。両立だ両立~……」

「……これなら文句ないですか」

「うむうむ苦しゅうない~。ついでに退避し終わったら肩揉んでくれ~……」

「それは第三隊の誰かにお願いして下さい。私はあくまで第一隊所属ですので焔山殿個人の我儘を聞く立場にはありません」

「なにぃ~? こっちは激戦を終えて疲れ果てているのだぞ~? (いたわ)りの心が足りぬのではないかお主~?」

「駄々こねてきた貴方を背負って運んでる時点で十分労ってるでしょうが! 途中参加とはいえこっちもそれなりに疲れてるんですけど!?」



 激戦を終えた直後にも関わらず子供のような我儘を耳元で言われ続ければ、東馬とてその認識を改めるべきかと思いたくもなる。


 今二人は戦場となっていた大河から落ち着ける場所へ移動していた。足場が少なく水煙が漂っている大河は休息を取るには不向きなため、重い体に鞭打って見晴らしの良い場所へと移動しなければならなかったのだ。


 そこで東馬を渋面にさせたのが「疲れた。歩きたくない。運んでいけ」という焔山の我儘だ。


 「子供か!」と思わず言いたくなったが、激戦で疲れているのは事実であろうし東馬にはまだ余力がある。整備された道などないからただ歩くだけでも疲れるだろうと考えて、東馬は渋々頷くと焔山を背負って峡谷の中を駆けることにした。


 ここで問題になったのは焔山が巨漢であることだ。背負って走ろうとすれば焔山の足は地面を擦ってしまい、ろくに道がない峡谷ではそこかしこで引っかかる。それを避けるなら飛び跳ねる形で走るしかないのだが、今度は「快適でない」と背中から文句を付けられる始末。


 途中で放置してやろうか、と一瞬考えた東馬を狭量と呼ぶ人はいないはずだ。


 とはいえ身体強化して走り続ければ大河から離れるのにさほど時間はかからない。峡谷の高地にある見晴らしの良い野原で二人はようやく腰を落ち着ける。



「っはあ~、ようやく一息ついた心地だ。ご苦労だったな東馬」



 後ろ手を付いて伸び伸びと胸を張る焔山に「ええ全くです」と返しながら、東馬は自分の刀と預かっていた槍を近くの木に立てかけた。返答にトゲが入ってしまったのは我ながら子供染みていただろう。

 焔山の方は特に気にする様子もなかったが、間を置かずに現れた人物はそうではなかった。



「失礼いたしますお二方。まずは『ろ』級の二討滅、誠にお疲れ様でした」



 現れたその人物は二人へ丁重に頭を下げたが、殊勝な物言いの一方で表情には険があり、東馬を見る目には明らかな隔意(かくい)が宿っている。

 こちらの戦いと他の戦いの境界線を守るために付いていた監視役(オブザーバー)。東馬の記憶の通りなら、確か皇下十六門の一つ華金(けごん)家に属する討ち手だったはず。


 東馬は彼個人にも華金家にも特に接点は無いので、はて自分の態度はそこまで目に余ったのだろうか、と内心で首を捻る。



「お主も監視役の務めご苦労であった。戦いに参加できず見守っているだけという役割はさぞ歯がゆかったことだろう。貧乏くじを引かせたな」

「いえその程度、命懸けの戦いをしていた隊長に比べれば取るに足らないものでしょう。しかしその疲弊されたご様子では、やはり副長達に合流するのは難しそうでしょうか?」

「向こうに死者が出ていない状況であれば、しばし時間を貰いたいところだな」

「先ほど確認いたしましたが死者は出ていないとのことでした。もちろん怪我人は出ておりますが、発生した霊獣の数を思えば十分に善戦していると考えます」



 怪我人は出ている。その言葉を聞き東馬は反射的に会話へ割り込んだ。



「姫様は。華金殿、姫様にお怪我はございませんか?」

「……ええ、ご健勝だと聞いています。副長の(げん)では討ち手の回復役として多大な貢献をしているとのことです」

「そうですか。よかった……」

「……石動殿は余力がお有りでしょうか。有るのなら戦線に加わるべきだと具申いたしますが」

「分かりました。では――」

「華金」



 東馬の言葉を遮るように焔山の声が飛んでくる。

 声音にはどことなく、咎めるような気配がにじんでいた。



「『ろ』級霊獣の討滅は完遂し、現状死者も出ていない。姫様のご助力という望外の幸運も得られているのだ。休息の時間ぐらい与えてやれぬのか?」

「そ……れはそうかもしれませんが、しかし死傷者の出る確率をできる限り下げるのは討ち手としての義務だと考えます」

「拙者一人ではあの獅子面の霊獣に後れを取っていた。それを防いだことだけでも十分に義務を果たしているであろう。もしもまだ数多くの霊獣が残っているのであれば引き留める理由たり得んが、そうではないのであろう?」

「……はい。すでに総数の三分の二は討滅が完了したとの報告を受けています」

「無論、素知らぬ顔を決め込もうとは思わん。が、今から日暮れにはまだ時間がある。『は』級が相手であれば人員を半数に減らし、交代しつつ時間をかけて討滅しても問題ない。東馬が後詰めに控えていることで心理的余裕も生まれる。我らには休息の時間が与えられ、応援に来てくれた此奴(こやつ)に無いというのは道理が通らぬであろう」

「……承知しました。隊長がそう仰るのであれば私からこれ以上申し上げることはございません」



 不承(ふしょう)不承(ぶしょう)を形にしたような表情ではあったが、華厳はそれ以上圭角を見せることはなく、向こうの戦線に加わるべくその場を後にした。


 残されたのは大の字になって草むらに寝転がる焔山と、木に背を預けて座る東馬。



「よろしかったのですか?」

「構わん。お主も少しはくつろげ。ほぐせる時に緊張をほぐしておかんといざという時に足元を掬われかねんぞ」

「……承知しました」



 焔山は携帯食を腹に入れると目を閉じて完全に脱力する。東馬は周囲への警戒を保ちつつ、静かに深呼吸をして体の空気を入れ替えていく。

 しばしの間広がる静寂。しかし内心の落ち着かなさを見抜かれたのか、



「姫様のことが心配か」



 焔山が首だけ動かしてこちらを見てきた。休み始めてから四半刻(三十分)ほどが経った頃合いで、隠すことでもないので東馬は正直に頷いた。



「その心配は何に対してだ? 純粋に姫様がお怪我をされることへの心配か、それとも身の丈に合わぬ行動により被害を出してしまうことへの心配か」

「……前者ですね。後者については今の姫様であれば杞憂でしょうから」

「ほう。先日姫様とお会いした時のご様子ではそちらも可能性も割と高いと思ったのだがな」

「先日というと……姫様が天領に里帰りした時でしょうか?」

「うむ。あの時の姫様はあからさまに思い悩んでおられた。そのせいもあり、この戦いの前に青葉の奴から姫様のご意向を伝えられた時は内心不安だったのだが……」



 焔山はごろんと寝返りを打ち、体の正面を東馬に向ける。その表情は何やら楽しげだ。



「お主がそう断言するのであれば姫様のお悩みはいくらか解消なされたようだな。姫様へ旅行への参加を進言した甲斐があったというものだが、具体的に何があったのだ?」

「…………特に何も?」

「お主、相変わらず誤魔化すのだけは下手よなあ」



 焔山はくっくっと軽く喉を鳴らしたが、その目がやがて安堵したように細められる。



「そう警戒せずとも仔細(しさい)は聞かんさ。だが姫様のお心が安定を取り戻されたのなら何よりだ。あのままではお主との間に溝ができかねんかったのでな、ただでさえ孤立しがちなお主が姫様にまで距離を置かれてはと、これでも心配していたのだぞ?」

「……そうなんですか?」

「おいおいそんな意外な顔をせんでもよかろう。戦友を心配するのがそんなにおかしいか」



 部隊は異なるが東馬と焔山の付き合いはそれなりに長い。御伽衆加入前から妹の雪子共々何かと目をかけてくれており、鳳花と並んで稽古を付けて貰うことも度々あった。今でも会えば先達として腕前を見てくれるくらいには関係性は良好だ。


 ただし今となっては共に皇家の最高戦力。頼りにはすれど心配し合うような間柄でもないだろうと東馬は何となしに思っていたのだ。


 そのことを伝えると焔山は何故か呆れたように深々とため息をついた。



「以前から思っていたが、お主はあれだな。“自分が誰かから心配される”という発想が頭から抜けているのかもしれぬな。皇家の最高戦力とは言えども――いや、だからこそ逆に得難い人材として気にかけられているとは考えぬのか?」

「……そういう扱いをされたことがあったなら考えるでしょうがね」



 東馬は立てた片膝に顎を乗せてため息をつく。



「でも残念ながらそんな経験は無いですから。逆にお尋ねしますが、焔山殿は姫様以外の誰かが()の身を案じているのを見たことがありますか? 俺が担っている役割への不平や不満などではない、純粋な心配の声を耳にしたことがありますか?」

「…………いや、無いな」

「俺も無いです。そりゃあこうもなりますって。俺にとっては()()()()()()()()()()なんですから」

「優秀なお主を信頼しているが故だとは思うが……」

「八割方は反感が理由だと俺は考えてますけどね。先ほどの華金殿が良い例でしょう」



 華金が東馬に休憩を挟ませようとしなかったのは「あなたなら休憩なんていらないだろう」という投げやりな信頼があったせいもあるだろうが、理由が好意的であったとしても最終的な結論は「東馬なら大丈夫」で一致する。これでは心配の言葉など出てこようはずがない。


 討ち手ではない一個人として東馬を心配してくれるのは今も昔もただ一人、鳳花だけだ。


 焔山は体を起こすと自分の荷物の中から携帯食を取り出し、ばつの悪そうな顔で東馬に投げ渡してくる。



「華金家は天見家とも近しい。明夜の妻も現当主の姉にあたる人物であるしな。明夜個人は特段お主に隔意を抱いていないが、他の人間から何ぞ悪影響を受けているのは十分有り得る。お主には申し訳ないことであるが」

「焔山殿が謝ることではないでしょう。原因が原因ですし、今更好かれる努力をしたところで徒労に終わるだけです。霊獣討滅の邪魔をせず実害を及ぼさないのならどうでもいいです」

「……先の大会での、公衆の面前で土下座を強要された一件は実害とは言わんのか」

「ええ」



 東馬は本心から頷いて糧食を噛み砕く。そんな東馬に焔山はますます顔を渋くする。



「拙者が言えた義理ではないのかもしれぬが、お主は自分を粗雑に扱いすぎではないか? 姫様を優先し、任務を優先し、人の好悪よりも実利を重んじる。それは皇家の討ち手として大変結構なことではあるが、人としては偏っておろう。少なくとも姫様が聞けばお嘆きになられるであろうな」

「……別に辛いとか無理してるとかはないんですが」

「尚更に問題であろう。誇りや名誉や自尊心。そういったものへの執着をお主からは欠片も感じない。姫様の傍付きのお役目にも天武八達の立場にも、付随する利益を重んじていても“それ自体の栄誉”をお主はどうでもいいと思っておる。周囲のお主への反感の根は案外そこにあるのかもしれんぞ」

「…………」



 東馬は何となしに空を見上げて振り返り、そして思う。焔山の言葉はある意味正しいのかもしれない、と。


 初めて鳳花の傍付きに任じられた時、全体席次を初めて得た時、第八席に登り詰めて天武八達の称号を受け取った時。いずれもその立場を得たこと自体に嬉しさは覚えなかった。東馬が喜んだのは鳳花に近くに居られる理由がまた一つ増えた、ただそれだけだった。


 元々皇家の人間ではない東馬は家中の序列に興味が無いし、当主の近くで権力を振るいたいという欲も無い。天武八達が栄誉ある地位だと知っていてもその実感は未だに湧かない。従者の立場についても同じことが言える。


 譜代の家臣の目に映るのは自分が望んでも手に入らないものが路傍の石のように扱われている光景だ。言われてみればさぞ勘に障る行いだろう。詫びる気持ちも少しは湧く。


 それでもいまいち深刻に捉えられていないのを感じ取ったのか、焔山は小さく息を吐いた。



「限られた者のみが座れる場所に座っており、羨望や嫉妬の目を向けられている。普通はそれだけで名誉の実感は湧くと思うのだがな」

「……だってどうでもいいですし、そういうの」

「間違ってもそれを他の人間には言うでないぞ。お主が『洗礼』を受ける直前のように反対派が団結する事態になりかねん」

「言いませんし、そうなっても実力と実績で叩き潰しますよ。姫様からお墨付きを頂いてもいますしね」

「おおう、凄い自信だな。まあ確かに、姫様からそっぽを向かれて役目を外される可能性の方がよっぽど高いであろうが」

「それも大丈夫でしょう。俺が姫様の従者として相応しくあれば杞憂で終わる不安ですから」



 実際は主従以上の関係を望まれているのでそっちの方向で不安はあるのだが――とそこまで考えたところで、東馬は自分のおかしさに気付いて苦笑する。


 つい今朝方、自分は紫水に「鳳花が望むなら潔く役目を辞する」と宣言した。その時は確かにそう考えていた。一家臣としてそうあるべきだと認識していた。

 だというのに今の発言はどうしたことか。まるで鳳花の傍から離れることなど想像だにしないと言わんばかりではないか。


 そもそも将来鳳花が当主となり婿を迎えた時、自分の立場はどうなるのか考えたことがあっただろうか。夫を迎えた後も異性の従者が(はべ)るなど風聞を考えれば有り得ないし、まず間違いなく自分は従者の役目を解かれるだろう。そしてその未来は確実に数年以内に訪れる。


 鳳花は拒むだろう。自惚れでなくそう言える。

 では自分はどうか。拒むのか、受け入れるのか。みっともなく足掻くのか、潔く諦めるのか。


 いいやそれ以前に、



 ――貴方が好きよ、東馬。



 甘く甘く染み込んできたあの声を、石動東馬は忘れられるのか。


 こういうのを自分が分からなくなるというのだろうか、と不思議な思いで顔を上げ――何故かニヤニヤ笑っている焔山と視線が被る。



「……何ですか」

「前言撤回させてもらおう。お主、姫様と何があったのだ? どうも根掘り葉掘り聞くべきだと拙者の第六感が囁いておるのだが」

「…………黙秘します」

「いいや許さぬ。上席として命ずる、話せ」

「拒否します。私は第一隊、焔山殿は第三隊。命令を受ける立場にございません」

「ええい往生際の悪い。キリキリ話せい!」

「断固として拒否します。十分な休憩を取ったのでこれより私は向こうの戦いに加勢します。では失礼」



 東馬は素早く立ち上がり、おい! と追いすがる声を無視して歩き出す。焔山が立ち上がるのを背後で感じたがすでに遅い。

 東馬と鳳花は『洗礼』の縁で互いの存在を感じ取れる。よって鳳花がどの方向のどの位置に居るのかはとっくのとうに把握済みだ。


 そして今もなお行われている戦いに加勢すべく東馬が歩法を発動させようとした――しかしその時。


 足元が大きく揺れた。



「これはっ……!?」

「むっ……?」



 記憶に新しい地震の揺れの感触。二人は反射的に体を(かが)め、瞬時に視線を交わし合う。


 屋外でも感じるほどの揺れの大きさは、否が応でも先の地震を思い起こさせる。そしてその後に発生した異常こそ、東馬が峡谷に来たそもそもの理由であるのなら。


 討滅したばかりの霊獣の獅子面が二人の脳裏で瞬いた。





 同時刻、大地が再び震え始めたのを鳳花達もまた感じ取っていた。



「これは……余震?」



 余震とは大きな地震の後に連鎖発生する小規模の地震だ。小規模といっても本震に比べての話であり、本震の強さに比例して規模と回数は増す。実際この時起きた余震の規模は、先の本震に指先をかけていると鳳花に錯覚させるほどだった。


 不幸中の幸いだったのはちょうど二班合同の討滅を終え、小休憩ならぬ大休憩を取っている頃合いだったこと。焔山の指示通り消耗を避けつつ時間をかけて戦っていたことで、疲弊しきった状態で()()()を迎えなかったことだろう。


 しかしその場に居る人間がその僥倖(ぎょうこう)を実感することはなかった。



「ねえ、これ……」

「あ、ああ……もしかしなくてもまずいよな……?」



 遠雷にも似た地震の響き。百戦錬磨の第三隊の討ち手達に不似合いな(おび)えが広がっていく。


 ()()()()で地震が起きることへの危機感から、ではない。

 ()()()()()()()()()地震が起きることへの恐怖からだ。


 そしてその予感は想定し得る最悪の形で実現する。



「姫様!」



 ザッ、と草と土を踏みしめる音がやけにはっきりとその場に響いた。呼びかける声に鳳花が振り向くと、予想していた通りの東馬の姿が、予想だにしていなかった青ざめた表情を伴ってそこに在った。


 焔山までもが同じような顔で現れたのを見て、鳳花はごくりと唾を飲み込む。



「……どう、しましたか」

「申し訳ございません、()()()()()()()()。今すぐここからお逃げ下さい!」

「それは――」



 どうして、と言葉を続ける前に、それは訪れた。


 バキバキ、と一帯に響くは致命的な破砕音。振り返った先にあったのは鳳花達が日陰に使っていた谷の断層。

 宿木城にも及ぶのではという高さの崖で、砂と石が上から下へ次々に滑り落ちていく。


 班長が持つ無線通信機からは本部の呼び声が届いていたが、意味ある言葉として受け取った人間はいなかった。



「――来ます」



 その東馬の一言が皮切りだった。


 断層に亀裂が走った。


 立つこともままならない揺れが全員を襲った。


 地面がひび割れ、裂け、陥没し、隆起した。


 自然の砕け散る音を引き連れて大量の粉塵が押し寄せる。それはあたかも峡谷の悲鳴。


 先の本震をも越える異次元の震動。自然の気まぐれとは訳が違う、明確な殺意が込められた意思ある災害。


 そんなものを引き起こす存在を鳳花は確かに知っている。東馬も知っている。焔山も知っている。峡谷にいる全員が知っている。


 断層に走った亀裂がさらに大きくひび割れた。岩を引きずったような、ずずっ、という音が、それとは比較にならないほど大きく重く響き渡った。


 亀裂はやがて隙間へと変わった。もはや誤魔化しようのない異変にその場の全員の目が引きつけられ――


 ぬっ、と。


 こじ開けられた隙間から四つの手が――人と同じ五指を付けた、人では有り得ない巨大な手が現れた。


 そこから先はほとんど一瞬だった。より大きな揺れが起きたかと思えば、重苦しい音を響かせて谷の断層が(ふすま)か何かのように二つに分かたれる。


 ()()はすでにそこにいた。


 馬のような頭部と先端の折れ曲がった角。四本の腕が付いた胴体は爬虫類のように鱗で覆われ、(わに)のような尻尾が背中でうねる。大地を踏みしめるは丸太の如き二本の足と猛禽の爪が生えた五本の指。

 全長に至っては三階建ての建物にも相当する。その巨躯には禍々しい力が脈動(みゃくどう)し、腕の一本にさえ死の気配が宿って(かお)る。


 崖が崩れ、土塊が砂煙を上げて落ちていく。鳳花の喉がひっ、と引きつったのと、霊獣がその(あぎと)を開いたのは同時だった。



「ルゥオオオオオオオオオオォォォッッ!!」



 それは村を呑み、街を崩し、文明を破壊する災害の化身。


 凡百の討ち手では傷さえ付かせぬ存在強度。御伽衆が想定する最凶にして最悪の霊獣。


 『ろ』級の一がここに降誕した。

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