004.王都到着、そして
皇家が秩序と安寧を守っている人々が住む大陸の名は『豊葦原大陸』。
そして大陸をおよそ百年前から統一支配している国の名を『葦原統一王国』と言う。
現在の皇家の立場は王国の一臣下であり、王家から『公爵』の位を与えられた貴族ということになっていた。四つの公爵家が王国貴族の全てであることを考えれば、王国の中でも破格の地位と言えるだろう。
一方でその地位の“低さ”を不思議に思う者も、事情を知る人々の中にいる。皇家の絶大な武力と神話の時代から続く長い歴史。王家とは文字通り桁が違うそれらがあって、なぜ至尊の冠を戴こうとしなかったのか、と。
その疑問に対する皇家の答えは一言で表せる。
『そんなことをしている暇はない』
大陸は広く発生する霊獣は数多い。討ち手はいつの時代も不足しており、とても侵略や支配などの“余計なこと”をしている暇はない。また皇の血を次代へ繋いでいくためには、煩わしい介入が当たり前の“君主”の立場は邪魔でしかなかったのだ。
そのため皇家は古代より、その時代で最も有力な権力者を支援し続けることで、霊獣討滅による障害を可能な限り減らし、霊獣の存在並びに皇の特異性を秘匿し続けてきた。それは葦原統一王国の場合もまた同じ。
しかし影に徹する方針であっても、皇の力は多くの人の目を引き寄せて止まない。
ある者は皇の存在を頼りにし。
ある者は皇の力を疎ましく思い。
ある者は皇の血を己のものにしたいと願う。
時は人統暦一八七九年。新王国暦九八年。
数多の思惑をはね除けながら皇は今日も在り続ける。誰も肩代わりできない役目を果たしながら。
※
「ん~! ようやく着いた~二年ぶりの王都! 本当に長かった~!」
駅舎から出るなり鳳花は両腕を上げて伸びをした。その声と仕草には解放感による喜びが満ち溢れており、後ろで荷物を持っている東馬はつい苦笑してしまう。
ただそれも無理はないだろう。皇の領地は大陸南西部にあるのに対し、王都があるのは大陸中央部北東寄り。加えて領地と王都の間には大陸最大を誇る霊峰『高天山』がそびえ立っているため、どうしても迂回していかなければならない。
到着までに電車を三回乗り継いで半日。軽装の時などは『歩法』を使って領内を移動しているだけに、移動のために閉塞した場所で長い時間を過ごすのは苦痛とさえ感じる。
御伽衆の任務で電車を利用することが多い東馬でさえこれなのだ。鳳花の鬱憤は溜まりに溜まっていたことだろう。
「それにしても……ここって本当に王都なの? 二年前に来た時はあんな建物はなかったし、すっかり見覚えのない景色になっているけど」
「私はおおよそ一年ぶりですが、その時の記憶よりも明らかに建物の数が増えていますね。……かつては宮殿よりも高い建物は建てられなかったことを思えば、王国も随分変わったものです」
鳳花が(帽子を被っているのに)手でひさしを作りながら見上げたのは巨大なビル。皇家の城郭や国王の御座す宮殿とは種類の異なる高層建築物で、十年ほど前から都市部などで見かけるようになったものだ。
ビルの中には宮殿や四公爵家の城より高いものもあるが、見上げたビルには何と映像を映す画面も付いていた。それも建物二階分の大きさと高さを備えており、天気の予報や事件の報道をこれ見よがしに流している。
視線を下げれば、敷設された道路を走る車の数々。街を歩く人の数は目に見えて増え、その服装も多様化している。着流しと袴姿の自分達の方が少数派だというのだから、東馬は時代の移り変わりを感じずにはいられない。
そうしてお上りさんらしく周りをきょろきょろと見渡していると、ふと鳳花がこちらを睨んでいることに気付く。
「……どうされました?」
「どうされましたじゃありません。け・い・ご! ここでは目立つからと言ったのに、あなたはもう忘れたの?」
「あー……申し訳、じゃない。えっと、すまない」
「しっかりしなさい。私はちゃんとこうして言葉遣いを崩しているのに、これでは私の方が品がないみたいじゃない」
「……俺たちの関係を鑑みれば、むしろそっちの方が正しいと思うけどな」
専属の主従関係を抜きにしても、一家来に過ぎない東馬が嫡子の鳳花よりも身分が低いことは変わらない。上下関係をはっきりさせるのであれば高圧的な言葉遣いをしても良いくらいなのだが、鳳花はこれが普通なのだと言わんばかりに、屋敷の中でも丁寧な言葉遣いのままでいる。
それが今、こうして砕けた話し方に変えているのは、ひとえに鳳花の悪目立ちを避けるためだ。
現在王国に領地貴族は四公爵家しか存在しない。他は服務貴族か一代限りの叙爵のみ。当然、公爵家の当主達は国王に次ぐ知名度を誇っており、その跡継ぎ達に注がれる視線も多くならざるを得ない。
そこにきて鳳花である。古来より民衆は『姫』という存在に憧れを抱くが、加えて若く見目麗しい女人ともなれば、国の内外を問わず広く顔と名前が出回ってしまう。普段は領内に引きこもっているため実感は薄いが、二年前に嫡子のお役目で王都に出向いた時などは、鳳花の姿を一目見ようと民衆が津波のように押し寄せたものだ。
霊獣討滅に重きを置いている鳳花は人前に出ることを忌避しているが、だからといって人々の注目が薄れる訳ではない。ビルの大きな画面を見れば、『皇公爵のご令嬢、今春に御柱大学にご入学予定』との帯が映像の下段で流れていた。
今騒ぎになっていないのは鳳花が今日王都を訪れることを公にしていないため。そして目立たないように変装しているためだ。その苦労を台無しにしないためにも、敬語などという些細なことで目を付けられる訳にはいかなかった。
「おかしなものだな。普段は敬語で外ではタメ口。普通は逆だろうに」
「あら、今更それを言う? 私達の家が普通でないのは昔からでしょうに」
それに、と変装用の伊達眼鏡を下にずらし、鳳花は上目遣いでいたずらっぽく東馬を見上げてくる。
「たまにはこうやって砕けて話をするのも新鮮で悪くないじゃない。今風に言えばギャップというやつかしら。昔に戻ったみたいで懐かしいでしょう?」
「……あまり褒められたことではない、とだけ申しておきます」
顔を背けて言うと、「あら、照れてる」と視界の端で鳳花が笑う。無邪気に笑うその様子は、鳳花から言われるまでもなくかつての自分達を想起させる。
しかしかつてと違うのは東馬も鳳花も成長しているということ。年齢だけではなく、立場も考え方も能力も、もちろん容姿も変化している。
無骨そのものの自分とは違い、数多の華に喩えられる鳳花の美貌は、目立たないよう変装していても人の目を引いてしまう。それは電車の中だけでない。駅から出て歩いている今も、すれ違う人の視線はたびたび鳳花の姿に引き寄せられている。
だから本当は王都に駐在している家臣達に迎えに来てもらい、騒ぎになる可能性をできるだけ潰した方がいいのだが、鳳花の答えはにべもない。
「嫌よ。ようやく窮屈な空間から解放されたのだから、しばらくは外を歩きたいわ。こうして自由に出歩くなんてそうできることじゃないのだから、買い物とか食べ歩きくらいしても罰は当たらないでしょ?」
「罰は当たらないだろうけど、王都の屋敷に詰めている人達が心配するんじゃないか?」
「心配させておけばいいじゃない。未だにあなたのことを悪し様に言う連中に、配慮なんてするだけ無駄よ」
「……口調だけでなく行動も俗になっているのは気のせいだろうか」
「気のせい気のせい。ほら行くわよ。あそこの串焼きなんて美味しそうだと思わない?」
明らかに気のせいではなく、見るからに解放感から浮かれているのだが、根元にある理由が理由だけに東馬は制止の言葉に少し迷った。
思い返すのは王都行きが決定する前、もっと言えば鳳花が御柱大学へ進学する許可を当主に求めた時のことだ。
皇家は国内で無二の役目を持つ一族ではあるが、同時に国内で四家のみが存在を許された領地貴族でもある。領地貴族は王家に忠誠を誓い、与えられた土地と民を統治し、国を富ませる役目を持つ。もちろん皇家の第一の役目が霊獣の討滅であるのは論を待たないが、かといって表向きの役割を放棄する訳にもいかない。
加えて領地貴族の義務であること以前に、皇家には今の領地を保有しなければならない様々な理由があった。王家から“下賜された”ことになってはいるが、皇家は王国成立の遙か前から今の領地を治めており、代々領地と領民を外敵から守り続けてきた。
そのため皇家の当主は討ち手としての実力に加え、領地を経営していく手腕も求められていた。特に国家間の争いが途絶えかつてない平和な時代を迎えた現在、公爵家よりも財のある資産家や、匹敵する権力を握っている平民も生まれている。鳳花が王都の大学に進んだのは、そんな複雑化した時代でも領地を守れるよう見聞を広めるためだった。
しかし、従者の東馬も進学させて欲しいと鳳花が話を持ち出した時、家臣達から異論が噴出した。
先に述べた通り鳳花は紛れもない公爵家の姫君。その玉体を巡って良からぬことを考える輩は多く存在する。また皇家のお役目を知る者であっても、だからこそと策謀を巡らせる者はいつの時代にもいる。次期当主が領地の外に出る危険性を皇家は身を以て知っているのだ。
もちろん御技の中伝に至った鳳花を害せる者などそうはいない。しかし不測の事態が起きないとも限らない。幼い頃から鳳花の傍に侍っている東馬は、その不測の事態にも対応できる実力と実績を兼ね備えていた。
ただ、その決定を快く思わない人間は家臣の中に少なくなかった。
『あのようなどこの馬の骨とも知らぬ輩を、姫様はいつまで傍に侍らせておくおつもりか!』
言葉はもう少し婉曲な表現だったが、意図を要約すればこのようになる。
声を上げたのは代々皇家に仕えてきた家の者達。古くから皇家に忠誠を誓い、数多くの討ち手を御伽衆に排出してきた、言うなれば譜代の家臣団だ。これまで皇家を支え、霊獣を屠り、人と世の安寧を守ってきた誇りがあるだけに、彼らは次期当主の信頼を独占されていることを腹に据えかねていた。
これが同じく譜代の家の誰かであれば異論も出なかっただろう。問題は東馬が当主に拾われた孤児だったことにある。
元々東馬はただの平民出身で、皇家とは縁もゆかりもない場所と親の元で育った。それが子供の頃に霊獣の襲来によって家族や知り合いを失い、一人だけ生き残ってしまったのだ。
本来であればその後は孤児院にでも預けられる予定だったが、その時駆けつけた鳳花の父ーー皇威三朗は、霊獣から逃れる際に東馬が見せた資質に着目。討ち手となり得る可能性を感じ、皇家で引き取ることを決めた。
そんな東馬が鳳花の従者ないし護衛になったのは、やはり鳳花の希望によるところが大きい。
以前、鳳花は言っていた。
『あの取り入るような媚びた目が、嫌で嫌で仕方ありませんでした』
その時の鳳花には弟妹がおらず、現当主の年齢からも鳳花が次期当主であるという見方が一際強かった。そのため勢力拡大を狙う一部の譜代から鳳花の元に、連日のように息子孫弟甥――“比較的”歳の近い男性の紹介が届けられ、対応の忙しさに嫡子としての教育も滞るまでになっていたのだそうだ。
そこに皇家や霊獣のことを何も知らない同い年の少年が現れた。当たり前だが、東馬の鳳花を見る目には何の打算もない。そのことが鳳花の気に入ったらしく、一人娘の懇願に折れた当主の鶴の一声で東馬は鳳花の従者となった。
当然譜代の家臣達は面白くない。これまでもあの手この手で家臣達は鳳花の元に別の人間を入れようとしてきた。ただしその思惑が叶うことはなく、今回もまた東馬は鳳花の傍に付くことを認められた。
「原因が俺にあるだけになぁ……」
強くは言えない、と目の前で串焼きの値札を見て首を傾げている鳳花を見ながら、東馬は密かに頭を掻いた。
そして実際問題、どこの馬の骨、と譜代の人々が言いたくなる気持ちも分からないでもないのだ。片や共に戦場を駆け忠義を示し続けてきた家の者達、片や正しい由緒も何もないぽっと出の若造。信頼性では天と地ほどの差がそこにある。
加えて、反対している家臣の全員が皇家での勢力拡大を狙っている訳ではない。純粋に鳳花の身を案じ、他にも従者を加えるべきだと主張する方がいることを東馬は知っている。
その人のためにも、そして何より鳳花のためにも、ここは臣下として主君を諫める時だった。
「やっぱり、これ以上の寄り道は控えた方が良い。それを食べ終えたらすぐに屋敷に向かわないか?」
「…………どうして?」
「言わなきゃ分からないあなたでもないだろう?」
「…………はあ。あなたは本当に心配性ね」
「大切な主君のことですから」
東馬が臆面も無くそう言うと、今度は鳳花が頬を赤らめてそっぽを向く。
東馬の家臣からの扱いに鳳花が不満を持っていることは、従者としても個人としても嬉しく思う。しかしそれに対して感情的に反発していては、いざ当主となった時に小さくない軋轢を生んでしまうかもしれない。
現状ただでさえ『洗礼』を越えた者の数が減ってきているのだ。主君として忠誠を集めることができなければ、皇家はますます弱体化していき、霊獣討滅に甚大な支障を来す。東馬は自分が原因で主君が茨の道を歩くことなど望んでいない。
「清も濁も飲み込んでこその名君だ。あなたならそれができると俺は信じる」
「……せっかく周りの目を気にせず物を見られると思ったのに」
「ひとまず我慢してくれ。その代わり屋敷で必要なことを終えたら、今度こそ食べ歩きでも買い物でも気の済むまで参りましょう」
「約束よ?」
鳳花はそう言って満足そうに笑った。東馬も笑い返し、鳳花から差し出された串焼きを頬張った。
――しかし結論から言えば、その約束が果たされるのは翌日まで持ち越すことになる。
屋敷で二人を待ち受けていた、霊獣出現の報によって。