036.参戦
焔山は呼吸を整え終えると静かに神威を練り上げる。
そうと分からぬほどに自然に、乱れなく御技は編み上げられ――前触れ無く焔山の姿が水上から消えた。
一瞬の後に現れたのは霊獣の背後。察知した霊獣は間一髪で霊核への直撃を避けたが、代わりにその片腕が焔山の槍によって斬り落とされる。
「グルルゥッ!?」
――歩法奥伝『縮地』。中伝技『替地』の上位互換にして、視認する範囲であれば前後左右上下の別なくどこにでも瞬間移動を行う技。
もちろん上下の移動には空中で身動きが取れなくなる欠点があった。とはいえそのような時のために大気を足場に変える『虚空』のような空中移動の歩法がある。焔山も当然ながら体得しており、空中での戦闘に支障はない。
しかし先に述べたように御技の展開は人意を消費する。特に『虚空』や『縮地』のような汎用的な移動技は基本的に使い切りのため使用回数も多い。
敵は自由に空を飛べ、追い付くためには歩法が必須。
足場の乏しいこの場所ではただ立つだけでも人意を消費する。
先の『稲光・白』のように、威力の高い撃法でさえ決定的な隙を作らなければ当たらない。
霊獣との戦いは言い換えるなら我慢比べだ。焔山の命脈が尽きるのが先か、霊獣が存在強度を削り取られるのが先か。どちらかの貯金が尽きた時がこの戦いの終わりになる。
今も片腕を切り落としただけで霊核を傷付けることはできなかった。当然存在強度にも変化はない。
焔山は逃げる霊獣を『虚空』で追いかけるが、切り落としたはずの片腕は視線の先であっという間に元の形を取り戻していく。
他にも滝壺から舞い上がる水煙が視界を狭め、度重なる水しぶきのせいで装束は濡れそぼっている。充満する水気は容赦なく焔山の体温を奪い、動きと思考を阻害する。
不利という言葉さえ生ぬるいこの状況。焔山ほどの討ち手でなければ戦線の維持すらままならなかっただろう。
そして焔山であっても余裕はない。戦いに回せる人意の残りはおよそ七割。対する霊獣の損耗はおそらくまだ二割程度。
勝機はある。ただし勝負に出るにはまだ早い。決めに行くのは敵の全てを知ってから。御伽衆第三席の男の辞書に“無謀”という言葉は存在しない。
そして先にしびれを切らしたのは霊獣の方だった。
「グウゥッ……アアァオオォッッ!!」
咆哮。大気を切り刻むような憤怒と圧が、漂う水煙を霧散させる。
直後、
――ピキリ。
何かが固まるような音が焔山の足元で響く。
見れば、水面に立っているはずの自分の両足が氷で覆われていた。
足だけではない。わずか一瞬の内に、焔山の見渡す範囲の川の水が全て凍り付いていた。
「……なるほど、そういう力か」
呟きは平静。しかし見上げた先の光景は焔山をして心胆寒からしめるものだった。
一面に漂っていた水煙はすでに無く、代わりにあったのは空を埋め尽くすほどの氷柱の弾幕。
一つ一つが人の胴体を貫けるほどの大きさを持ち、その全てが槍のような先端を焔山一人へと向けている。
――異能。おそらくは周囲の水分を凝集し、氷へと変えて操る能力。
氷柱が射出される。目標は忌々しい槍使い。統制の取れたその動きからは殺意さえも感じ取れた。
わずかな逡巡の後、焔山が選んだのは正面突破だった。
「はっ!」
裂帛の気合いと共に両足の氷が砕け散る。
人意の応用技術『発剄』。御技を扱うための基盤となる技術であり、人意を体外に放出することで直接人意を攻撃に転用できる。
そしてこの一事により異能の氷は神威以外でも破壊可能と判断。焔山は人意を体に漲らせ、迫り来る弾幕へと自ら飛び込む。
最小限の動きで氷柱を避け、氷柱の腹を蹴ってその上へ。隙間が無ければ槍で氷柱を弾き飛ばす。
しかし弾幕を抜けた先、綱渡りの突破を笑うように霊獣はさらに遠ざかる。それを追うべく人意を神威へと変換しようとして、
――背後から己を追ってくる、避けたはずの氷柱に気付いた。
「――くっ!」
迫る氷柱を『虚空』を使って再び躱せば、案の定氷柱も進路を変えて追ってくる。しかも真っ直ぐに追ってくるものだけでなく、枝分かれして進む先に回り込んでくるものさえあった。
霊獣自ら操作しているのか、それとも自動追尾させられる能力なのか。どちらにせよこの氷柱を先に片付けなければまともな撃法など当てられない。
焔山は上空に飛び上がり己を追尾する全ての氷柱を眼下に置く。
注ぎ込んだ神威は槍を中心に熱風へと変わり、地上目掛けて振り抜かれた。
「はあっ!」
薙ぎ払うように、あるいは押し潰すように、朱い熱風が周囲一帯に吹き荒れる。氷柱は風に触れると同時に原形を留めず蒸発し、凍った川は蒸気を上げながら元の姿を取り戻した。
この撃法初伝『火枯らし』は炎を孕んだ竜巻によって敵を焼き払う技だ。精密な神威の操作を必要としないため位置付けとしては初伝に留まるが、効果範囲を絞ることで中伝技に匹敵する破壊力を出すこともできる。
範囲を広げての『火枯らし』では『ろ』級へのまともな攻撃にはならない。しかし追ってくる氷柱が消え、漂っていた水煙も一時的に晴れたこの瞬間、両者を遮るものもまた無くなる。
異能も含めた敵の能力はこれで全て把握した。
応援への期待はあれど、当てにしていては機会を逃す。
焔山は腹を決め、息を吸い、己が想像を形にすべく濃密に神威を練り上げる。
霊獣は何かしらの危険を感じ取ったのか、唸り声を上げて川へと落下していく焔山を追う。
しかし遅い。すでに想像から現実へと御技を吐き出す準備は終わっている。後はそれを強固にすべく、口からその名を叫ぶのみ。
「撃法奥伝――……っ!?」
唐突に身動きが取れなくなった。
目は動く。口も開ける。耳も聞こえる。だというのに四肢が思うように動かせない。
まるで体が凍ったように――
「――しまっ……!」
接近する霊獣の顔が歪み、その口から禍々しい犬歯を覗かせる。
焔山達が居るのは大瀑布のすぐ近く。戦闘の中で水煙や川の水を被ったために焔山の装束は濡れそぼっている。周囲の水分は『火枯らし』で燃やし飛ばしたが、装束にはまだ滴るほどの水が残っていた。
そして敵は水を凍らせる異能持ち。一瞬で川の水を凍らせたのだ、服の一つ凍らせることなど造作も無い。
これまでそれをしなかったのはおそらく、ここぞという時に決定的な隙を作るため。その証拠に霊獣は撃法の射線から退避した上で焔山の死角へと回り込んでくる。
「ぐっ……!」
練り上げていた御技を一旦停止。服を凍らせたまま応戦できるほど『ろ』級霊獣は甘くない。
しかし力や発剄で氷を砕くには時間がかかる。よって必要なのは瞬時に氷を溶かす炎熱系護法。そして迫る脅威からの緊急回避。
焔山は人意を絞り出し神威へ変換。
霊獣は速度を上げてこちらに迫る。
神威を出力して御技を編み上げ
腕を振りかぶり鉤爪を突き出す
間に合うか――
その爪は――
――展開――
――凍った装束を――
――護法中伝――
――貫いて
そこで、止まった。
「ガッ……ググルァッ!?」
霊獣が水面に叩き付けられる。
無防備な背中を羽ごと蹴り落とされ、霊獣は為す術もなく川に沈み大きな水しぶきを立てた。
それを行った焔山は体を覆っていた赤い光を収め、霊獣が沈んだ位置から離れた所にある川中の小島に着地する。焔山は息を切らしながら膝を突くが、それでもその顔には笑みが浮かんでいた。
その訳が、焔山のすぐ隣に着水する。
「『朧の腕』か。立体的に動き回っている『ろ』級を止めるとは、少し会わない内にまた腕を上げたものだ」
「お褒めに与り光栄です。……ですがこうして遅参してしまいましたこと、誠に申し訳ございません」
「詫びる必要はない。こちらこそ、来て早々に世話をかけてしまったな」
視界の端に映るのは焔山と同じ藍の装束と、右の肩袖に縫い付けられた『捌』の文字。
左腰には一本の刀。後頭部には雑にまとめられた一房の髪。
青年は小揺るぎもせず水面に立ち、静かに戦意を滾らせる。
焔山が立ち上がると同時、霊獣も川から飛び上がってこちらへ眼光を向けてくる。しかし先ほどとは異なり、その瞳の中に確かな“畏れ”がうかがえた。
さもありなん。ここに揃うは天に臨みし“武”を持つ二人。
強者揃いの御伽衆にてそれぞれの頂きに立ちし者。
「部下達が心配なのでな。可能な限り早く終わらせるぞ、東馬」
「御意」
御伽衆第八席『降龍』石動東馬、参戦。
戦いは次の段階へと突入する。




