035.開戦
霊獣には三つの階級と五つの等級がある。
階級は上から順に『い』と『ろ』と『は』。別地方の呼び名を使えば『神話級』と『災害級』と『怪物級』。心臓となる霊核の規模や種類によって区分けされ、下位階級よりも上位階級の霊獣の方が脅威度は高い。
では等級とは何を表すものか。大まかに言えばそれぞれの階級における霊獣の格を表すもの。当然ながら等級が上になるほど霊獣はより強力な個体ということになる。
これはこれで間違いではない。しかしより正確には、霊核の持つ力と密度――霊獣の『存在強度』の高さをこの等級は表している。
存在強度が高ければ高いほど霊獣はその身に秘める力の“保有量”が多くなり、また霊核そのものの“耐久性”も高くなる。霊獣の強さはこれらによってもたらされる結果に過ぎない。そしてこの存在強度を全て“削りきる”ことをこそ、皇家は霊獣討滅と呼んでいるのだ。
霊獣の討滅難易度はこの存在強度――等級の高さに大きく左右される。低ければ力も手間も少なくすむが、高ければ削り取るために必要な力も手間も加速度的に増えていく。
ここで一つ疑問が生じる。では上位階級の霊獣であっても、等級が低ければ討滅難易度は下位階級よりも低くなるのか。例えば『は』級の一よりも『ろ』級の五の方が楽に討滅ができるのか。
否である。
階級を分ける基準の一つである霊核の規模は、“その霊獣が霊脈の力をどれだけ蓄えることができるか”に直結する。すなわち『は』級よりも『ろ』級の方が、『ろ』級よりも『い』級の方が、存在強度の上限値は高くなるのだ。
付け加えれば、霊核の発生は霊脈の中に発生した“澱み”が固定化して起こるもの。そして『ろ』級や『い』級の規模の霊核はほとんどの場合、生じた霊核に流れ込む力が限界を超え、それを受け入れるための“脱皮”によって誕生する。つまり上位階級の霊核の存在強度は、必ず下位階級の存在強度を上回ったものになるのだ。
そして今回出現した霊獣は『ろ』級の二。“伝説”を飛び越え“神話”へ手を伸ばさんとしていた災害の申し子。
討滅の過酷さは、それこそ“天災”を相手にするようなものと言えた。
※
鋼鉄のように冷たい爪が浅く脇腹を抉った。
焔山の唇がわずかに歪む。しかし心が恐れを感じる前に染み付いた動きを体が実行。脇を通り抜けようとする霊獣の横っ腹へ全力の蹴りを叩き込んだ。
「グギイィッ!!」
常人であれば打撲どころか内臓さえ破裂させていた一撃を見舞われ、霊獣は悲鳴を上げて宙を舞う。当然こんなもので滅せる相手ではない。焔山は水面を踏みしめ、握る槍へと濃密な神威を注ぎ込む。
神威は転じて雷となり、鉄槍を白く染め上げていく。上位中伝技にして篝青葉が切り札とする撃法、『稲光・白』。それが御伽衆三強の手で遙かに早く、より精密に編み上げられ――稲妻の如き振り抜きで霊獣を穿たんと射出される。
しかし雷槍を放った瞬間焔山は見た。獅子面の霊獣の顔が嘲るように歪んだのを。
「くっ……!」
そして目にした光景に喉が唸る。霊獣は右手を犠牲にしながら鉤爪で雷槍を掴み取っていた。しかも手の平を槍で貫かれているのに、迸る稲妻にも宿る熱にも意に介す様子は全くない。
焔山は反射的に右手を引いた。槍は霊獣の手を抜け、焔山の元へ引き寄せられる。
その槍を追い越し、霊獣は鉤爪を伸ばして迫り来る。日の光を背に焔山へと落ちていく姿はまるで閃光。
しかし焔山の動きもまた神速。人意の神威への変換、撃法の練り上げ、両腕への展開。その全てを一呼吸でやってのけ。
両者は水上で交差した。
大気が軋む。水面がひしゃげる。水流が行き場を失い津波となって両者を呑み込む。
霊獣の鉤爪と焔山の拳がぶつかり合うたび、刀と刀が激突したような金属音が響き渡る。姿勢を変え、位置を変え、殺意の連撃は津波さえ押し返して両者の間を染め上げた。
接戦を制したのは焔山だった。頭を狙った一撃を首を傾けて避けてみせると、隙を晒した胴体へと渾身の『抜山』を叩き付ける。
「グッ……ギィィアッ!!」
霊獣の上げた悲鳴は偽りなく、焔山の一撃は確かに霊獣の存在強度を削り取った。
しかし怯んだのはほんの一瞬。霊獣は背中の四枚羽を振動させ素早く体勢を立て直す。
そして霊獣は様子見するように空中で一旦制止した。焔山も改めて槍を手元へ引き寄せ、宙に浮かぶ霊獣へ警戒を続ける。
その一方で、
――やりにくい。
焔山は内心で歯噛みする。すでに戦いが始まってから四半刻が経過しているが、戦況は一向に進まない。一進一退と言えば聞こえはいいが、そんな前向きな表現ができるほど焔山は手応えを感じていなかった。
そもそも相手は『ろ』級の二。現在の御伽衆で単独討滅を成し遂げたのは第二席の篝星牙一人のみ。そして今この戦場に討ち手は焔山の他にもう一人居るだけで、その討ち手も万が一にでも霊獣が逃げるのを防ぐための監視役についている。一人で“伝説”を相手にするしかないこの状況下で、焔山が攻めあぐねてしまうのは仕方のないことと言えるだろう。
しかし焔山がやりにくさを感じているのは敵の強さに対してではない。大きな原因は今居る戦場の地形と相対する霊獣の特徴が、討ち手にとって厄介な組み合わせになっていることだ。
黄泉迷峡谷は峡谷と名の付く通り、山と谷と森と河川が広がる広大な秘境。立ち入り禁止区域であるために人の手も入っておらず、反り立つような丘陵も、底の見えない断崖絶壁も、生命力溢れる大森林も、ありのままの雄大さを誇ってそこに在る。
加えて長泣川以外の大陸北部の川も流れ込んできているため、それらが合流する峡谷中央部は海と見間違うほどの水量の河川が広がっていた。さらに流れの途中には王城の全長を超える落差の大瀑布があり、水流が叩きつけられて生じる水煙が一帯を霧のように覆っている。
両者が戦っているのは峡谷中央部の、まさにその大瀑布を目前にした白霧の地。焔山は流れる川の水の上に、霊獣はさらにその上空で互いに睨み合っていた。
言うまでもないが人は普通、水面には立てない。焔山が何事もなく水の上に立てているのは、水の張力を高めることで足場に変える歩法の初伝技『水断』によるものだ。
言い換えれば水上に立つには御技を展開しなければならないということ。そして御技の展開は神威を、ひいては人意を消費する。
人意とは言わば電池のようなものだ。身体強化のように人意を体の中だけで使用するのなら、いわゆる“自然放電”程度の消費量で済む。一方で神威に変換して体の外で展開するのは電化製品へ用いるようなもので、その消費の大きさははっきりと疲労に表れる。
さらに今回の戦いで歩法を必要とするのは水上に降りた時だけではない。
滝の音と水煙が広がる只中で焔山は槍を構え直しつつ、空を飛んでいるその姿を睨み付ける。
獅子の顔と胴体を持ちながら、昆虫のような四枚羽とサソリの如き尾を振り、鷹のような鉤爪を十指に付ける異形の体。全長こそ焔山の背丈をやや上回る程度だが、内に秘める力の大きさは凡百の霊獣とは一線を画す。
明らかに自然への適応で生み出されたのではないその造形は、まるで神話にて語られる合成獣のよう。これは『ろ』級上位の霊獣に見られる傾向であり、二級以上ともなればこのように、自然の生態系から抜け出した姿形になってしまう。
あたかも、強すぎる力が生物の規格を歪めてしまったかのように。
あたかも、人を殺すためにより適した形を求めたかのように。
獅子面と不似合いな羽はその典型例だろう。そしてまともな足場のないこの流水地帯は、飛行能力を得た霊獣を戦場の主役へと押し上げていた。




