031.親友
皇家が嫌いだった。
皇家に引き取られたあの日から。『ろ』級の一の出現に巻き込まれ、身を寄せる場所も何もかもが失われ、半ば誘拐のように皇家に引き取られた時から、石動東馬は皇家のことが嫌いだった。
十六歳の今となってもそれは大して変わらない。せいぜい何とも思わなくなった程度。取り立てて嫌いな訳ではないが、さりとて好きになったというのも違う。あまり好きではない、というのが一番妥当な表現だろう。
もちろん皇家のお役目の重みは理解している。誰に命令されたのでもなくその役目を己に課している皇家のことを立派だとは思うし、命を懸けてそれに付き従う皇下十六門のことを尊敬する気持ちも確かにある。日夜鍛練に励み、皇家の剣たらんとする討ち手達を軽んじる気も毛頭ない。
それでも東馬は『皇家』が嫌いだった。いつか好きになれる日が来るかと聞かれてもはっきりした答えを返せないくらいには。
理由を辿って行き着くのはやはりあの人生最悪の日。家族も故郷も失い、石動東馬を形作ってきたあらゆるものが灰燼と帰した惨劇の日。
瞼の裏に今でもはっきりと焼き付いている、蛇とも鳥とも獣ともつかぬ異形の怪物。小さな予兆の後に突如として現れたそれは意思疎通の全てを拒絶し、ヒトという種を根絶やそうと突き動かされているかのように執拗な殺戮を繰り返した。
その地獄の中を東馬が生き残れたのは単に運が良かったからだ。生まれつき人意が使えたのももちろん大きな理由だが、相手は御伽衆三強ですら単独討滅に成功していない『ろ』級の一。まともな訓練さえ受けていなかった当時の自分が、そんな怪物を前に己の体一つだけで生き残れるはずがない。何が起きているのか分からず固まっていた自分を庇った祖父母と、自分を逃がすために囮になった両親という他の体四つが無ければ、東馬は討ち手達が到着するまでの時間を生き延びることはできなかった。
そんな犠牲の後だったから、霊獣が消えた後生き残った喜びや達成感が生じる隙間など無かった。原型を留めていない家族の亡骸を前に東馬はただ茫然と座り込み、遺体の血が乾いて朱くなっている自分の両腕を見下ろしていた。
この時に何もかもがどうでもよくなっていたのが、されるがままに皇家に連れて行かれた原因と言えば原因だ。隙を突くように皇家に来ることを頷かせた御館様には今も多少なりと思うところはある。
ただし東馬が皇家を嫌いになった発端は、威三朗に手を引かれ討ち手達に合流した後の出来事にある。
東馬を皇家に連れて行くことを威三朗が討ち手達へ理由付きで説明し、討ち手達はそれを諒解。宿木城に帰還しようと動き出した時、手を引かれていた東馬は確かに聞いた。
『こうなってしまったのは残念ですが、拾いものがあったのは喜ばしいことですね』
その声を耳にした自分は反射的に顔を上げていた。そして目にした。
そいつらは笑っていた。
血と破壊の跡が一面に広がっているのに。
犠牲者の亡骸がそこかしこに散らばっているのに。
被害に対する嘆きや憤りではなく、見所のある駒を拾った喜びの方を顔に貼り付けていた。まるで悲しむには値しない見慣れた光景だと言わんばかりに。
威三朗とあと一人はそうした討ち手達の言動を諫めていたが、程度はどうあれ威三朗達も同じ考えを持っていたのは子供心にも見て取れた。
東馬の中に“嫌悪感”という名の種が植え付けられたのはその時だ。そしてその種に栄養を与えて根を伸ばさせたのは、引き取られた後に始まった修行の日々。
辛かったことが、ではない。成長の実績を求められる重圧で精神的に追い込まれていたのは事実だが、言われた通りの鍛練をこなし、言われた以上の努力を重ねれば先生達の覚えは良くなり、粗雑には扱われなかった。同門の生徒からのやっかみはあったが、自分が強くなっているという成長の実感に確かな充実感を覚えてもいた。
しかしそれまで自分の中で忌避していた“戦うための力”が何よりも求められる場所と、孤児になったのを喜ばれさえされた人々の中、「霊獣討滅用の道具」として最適化を強制してくる『皇家』に好意を持つのはどうしてもできなかった。
「――ここに来るまでの俺なんて、ここの人達はどうだっていいんだ」
生まれつき人意を扱えたことによって周囲と生じた軋轢も。
異常な子供である自分をそれでも大切にしてくれていた両親のことも。
ここで価値を持つのはどこにでもいるような平民の東馬ではなく、有能な討ち手として育った東馬だけ。今までのお前はいらないのだと誰からも思われていると気付いた時、皇家への嫌悪感は東馬の奥底に刻みつけられた。
それでも現実問題、身寄りの無い子供が一人で生きていくことはできなかったし、内情を知る人間を途中で放り出してくれるほど皇家は甘くなかった。東馬にできたのは何とか感情を表に出さないよう修行に没頭することだけだった。
けれどそんなやせ我慢も針の一刺しで崩れ落ちるようなはりぼてでしかなく、ごく普通の風邪で寝込んだだけで涙は溢れて止まらなくなった。
皇家なんて天上の世界に来たくなかった。自分はただあの温かい家で家族に囲まれて、何でもない日常を送れればそれで良かった。痛くて辛い修行なんて物語の中だけだと、ぬるま湯の幻想を抱いていたかった。
体中の水分を涙で出し尽くしたいとさえ思った、そんな時だった。
「――よしよし」
自分の全てを受け入れてくれるような声と温もりに包まれたのは。
※
「程良い日差しに涼しげな空気と、快適な一日の始まりだというのに浮かない顔をしているな、東馬」
早朝、まだ布団から抜け出していない鳳花を部屋に残して厠で顔を洗っていた東馬に、すぐ横から聞き慣れた声がかけられる。気配を感じ取っていたので特に驚くこともなく、東馬は蛇口を閉めてから隣に立つ人物に顔を向けた。
そこに居たのはサークル部長の三門清水。ただし東馬の表情は“浮かない顔”とやらから変わらないまま。先輩への態度としては相応しくないかもしれないが、わざわざ取り繕うのもおっくうだと思うくらいには東馬の機嫌は良くなかった。
もっとも、一番の理由は誰の目も無いこの場所で清水に気を遣う必要を感じなかったためだ。これが他の先輩だったらそんなこともなかっただろうが、相手が清水であれば東馬の態度は五割増しで雑になる。
「睡眠不足だからじゃないですかね。これでも姫様の護衛ですから、不寝の番をしなければならないんですよ」
「下手な言い訳はかえって何かあったと認めるようなものだと覚えておけ。突然の襲撃にも即応できる程度に浅く眠れる睡眠法をお前が習得していることくらい知っている。そもそも来ているのだろう、お前以外にも。鳳花殿には秘密にしているようだが」
「……少なくとも貴方が気を遣うようなことは何も起きていません。さっさと用を足して部屋に戻ったらどうですか。あんまり遅いと副隊長殿に怒られますよ」
それだけ言って再び東馬は蛇口を捻って水を出し、冷水を顔に叩き付ける。
その隣で、三門清水と名乗っている男は腕を組んだまま顎に指を当てて「ふむ」と気取ったように頷いて言った。
「さては鳳花殿から告白でもされたか?」
「ぶっ……ほっ!!」
鼻の奥にまで届いた冷水で動揺を包み隠さすのに失敗する。想定外の角度の攻撃に思わず清水を見上げると、予想以上に腹の立つニヤニヤ顔がそこにあった。
「お前ほどの男が平静を失うような事態とは何かと考え当てずっぽうで言ってみたが、正解だったとはな。存分に青春しているようで何よりだ」
「勝手に決めつけないで下さい。誰もそうだとは言ってないでしょうが」
「誤魔化さずともよい。これでも喜んでいるのだぞ? あまりのもどかしさに鳳花殿を焚き付けたこともあったのでな」
「ちょっ……まさか以前集まりに連れてきた時に? 勝手に何してるんですかっ」
「親友の恋路を応援したまでのことだ。何、三門である時の私の焚き付けなど本気にはするまい。鳳花殿は自身の身分をよく理解しているからな。その上でお前との今の関係を壊す決意をしたのだと考えると……さては東馬、何か鳳花殿の勘気を煽るようなことを言ったのではあるまいな?」
「…………どこかで見てたんですか、貴方は」
ここまで見抜かれてしまえばもう隠しても意味は無いだろう。誰かに言いふらすような男ではないと分かってはいるが、口から出るため息の重さは変わらない。
不幸中の幸いなのは、知られたのが東馬にとって唯一と呼べる親友だったことくらいか。
「頼みますから誰にも言わないで下さいよ。何があったのかはお話し致しますから」
「ほうほうなるほど、どうしていいか分からないから相談に乗って欲しい訳だな? 良い天気だ、庭で散歩がてら話してみるがいい。色恋の悩みならば百戦錬磨のこの私にどんと任せておけ」
「……さすがに冗談でしょうけど、本当に貴方が百戦錬磨になったらその過程で国が大騒ぎになるのでやめて下さいね、殿下」
※
同じ大学に親友の王太子紫水が入学していたことを東馬が知ったのは、入学式を終えたまさにその日のこと。新入生が洗礼として受けるサークル勧誘のビラ爆撃を何とかやり過ごし、すぐさま駆けつけられるのをいいことに鳳花の傍を離れて一人大学構内を散策していた時に、架空の人物である三門清水として在籍していた紫水から勧誘を受けた。
もちろん最初は気付かなかった。王太子だとバレないように紫水が自分の肌色を化粧で変え、人前では付けている付け髪を取った上で髪色の違うカツラまで被っていたのだから無理もないだろう。その上、公式では王太子は王立出雲大学に進学したことになっているのだ。まさか影武者を立てた上で同じ大学に先に入学していた、などと予想できるはずがない。
そのため紫水の口から種明かしをされた時、東馬は御伽衆入りして以降最も無様な間抜け面を晒してしまった。ちなみにその際、間抜け面を見た紫水に腹を抱えて笑われた他、護衛として控えていた親衛隊副隊長の雨海によってその顔を写真に撮られてしまっており、「これを鳳花殿に見られたくなくばうちの会に入れ」と紫水に脅されたことが、鳳花に語っていないグルメ探索研究会に入部した本当の経緯だったりする。
なお、どうして紫水がグルメ探研に入っていたのかの理由については、
「お前が行く先々の名品・珍品をさも得意げに私に語ってくるものだから、私もお前の知らないものを見つけてどや顔したかったのだ」
と聞かされ、呆れるべきか謝るべきか、それとも親友として同好の士ができたことを喜ぶべきか、東馬が迷ったのは余談である。
そんな親友とも悪友ともつかぬ二人は今、浴衣姿のまま旅館の庭園を並んで歩いていた。
歩きながら話す内容はもちろん昨夜の鳳花との出来事。さすがに東馬が話したのは概要だけだが、それでも聞き終えた紫水は得心がいったように大きく頷く。
「なるほどそんなことが。それでいつにない萎びた顔を晒していたのか」
「……どんな顔ですか、それ」
「無論、そんな顔だな。いつもの余裕そうなすまし顔よりも可愛げが十割は増しているぞ。前のように写真に撮って飾っておきたいくらいだ」
「それをやったら殿下といえど本気で怒りますよ。というか、一度やったんですからもう十分でしょう。これ以上はおふざけの範囲を超えますからね」
入部の脅しに使われた写真は現像元と一緒に東馬の手に渡されている。実は鳳花も観覧していた雨海との大食い対決がそれを賭けての戦いで、東馬にとっては割と真剣な勝負だったりした。
東馬は元から食の分野で何かしらのサークルに入ろうかと考えていたので、紫水の脅迫により大きな狂いは生まれなかった。そもそも紫水の脅し自体がほとんど冗談のようなものだったので、その時とは状況の違う今も軽口の範囲を超えてはこない。
「まあ聞いていて経緯は分かった。それで?」
「それで、とは」
「決まっているだろう。鳳花殿への返事をどうするかだ」
「…………」
東馬は逃げるように目を背けた。視線を向けた先の池では鯉が何も考えてなさそうな暢気な顔で泳いでいる。




