028.童心
合宿初日からの二日間は、鳳花にとって久しぶりの何も責任を感じる必要がない時間になった。
一日目は夕食の時間に間に合う範囲で周辺の散策をした。一応の目的地を飲食店の建ち並ぶ商店街に設定して、部員達は道中にてそれぞれ興味のある物品を探しては買い食いをした。
そんなことをして夕飯も入るのかという心配もしたが、このサークルに入ろうという人間の胃袋が一般人と同じのはずがなく、広間で揃って食事をした際は部員の半分ほどがご飯をおかわりしていた。
時間も体力も十全に使える二日目は、事前の班分けで一緒になった部員達と行動した。道中では大陸北東部出身で実家が農家だという米井の地元の話を聞いたり、鳳花へ乱暴なナンパをしてきた男性を運動選手一家の生まれだという砂山が撃退したり、何気なく入った料理道具店で目を血走らせた生方から包丁の研ぎ方を指導されたりと、色々なことがあった。
まともな友達や学友がいなかった鳳花にとってはどれもが新鮮で、夕方に宿に帰ってきた時には、鍛練でも滅多に言わない「疲れた」をついこぼしてしまう程くたくたになっていた。
「う~わ何この肌。傷一つないしめっちゃスベスベしてる。何食ってたらこんな風になるのさ」
「髪もまったく癖がないな。まるでおろしたての着物のようだ」
「まるで同じ人間じゃないみた~い。羨まし~い」
「……あの皆さん、そろそろ解放してもらってもよろしいでしょうか」
そして今、宿の温泉で女子部員三人に寄って集って玩具にされている現状もまた、鳳花が経験したことがないものだった。
昨日はまだ少し距離があって風呂の時間をずらしていたが、二日間でそれなりに仲良くなったからと一緒に温泉に浸かろうとしたらこれである。面白くもなんともなく、新鮮さによる感動など露天の湯気のように消え失せている。
「というかこうして見ると皇さんて結構着痩せする人なんだな。体の線が分かりにくい服しか着てなかったから分からなかったけど、随分なものをお持ちでいらっしゃる」
「ちょっ!? 山森さんどこ触ってるんですか!」
「ふっふっふ、よいではないかよいではないか。……うわスゴ、手で持つと重量感半端ないぞこれ。しかももっちりしてて適度に張りもあるとか最強じゃないか」
「何を論評してるんですか! ああもう、いい加減にして下さい!」
好き勝手に触ってくる腕を掴み上げ、体を引き剥がして突き飛ばす。突き飛ばされた山森はドボンと湯の中に倒れ込み、水面に気泡がまき散らされる。
「ぶっは! 凄いな、何だ今の。まるで相撲取りにぶつかられたのかと思ったよ」
「あっ。えっと……ごめんなさい、つい」
「あぁいいいい。調子乗ったのはこっちだし。それより初日にも思ったが、皇さんて線の細い見た目の割にとても力が強いんだな。私はもちろん甘菜よりも強いんじゃないか?」
「その話題でうちを引き合いに出すのはなんか釈然としないけど~、でも昨日と今日とで皇さんの印象が九十度くらい変わりはしたかな~」
「そうよねえ。見た目に似合わない力の強さもそうだし、小食かと思ってたらしっかりと食べる方だし、何より身のこなしに隙がない。やっぱり生まれが違うからかしら? それとも石動くんと同じように武道とか護身術とか嗜んでいるの?」
鳳花は湯着を直し、三人と少しだけ距離を取りながら答える。露天の空気がふわりと肌を撫でた。
「……武道というか、それに似たものを学んではいます。東馬と同じ先生の元で指導を受けたこともあれば、東馬に稽古を付けてもらうこともありますね」
「やっぱりそうだよね~。立ったり歩いたりする姿がとても綺麗だから、何かしらやってるんだろうな~と思ってたんだ~」
「あれだけの剛力を持っていて何も嗜んでいないというのも変な話だからな。……ああそうだそうだ、忘れてた。合宿のこととは関係なく皇さんにかねてから一度聞いてみたいことがあったんだ」
「何でしょうか」
「石動ってさ、一体何者?」
「……東馬のことですか? 私のことでも家のことでもなく?」
羽海からの質問に鳳花は虚を突かれる。立場上、一度聞いてみたかったという前置きは初対面の平民達と話をする際に必ずと言って良いほど出てくるものだ。それはきっと己とは違う世界に対しての憧れや単純な好奇心故の疑問に端を発しているのだろう。
こういった場合は普段の食生活だとか貴族の生活の中身だとかどんな服を持っているのか等が聞かれるのが定番だ。自意識過剰という訳ではないが自分ではなく東馬のことを質問されたのはこれが初めてだった。
「一体何者と尋ねられましても、皇家の家臣であり、私の従者兼護衛であるとしか申せませんが……」
「それだけ? 皇家の抱える特殊部隊の隊員とかだったりしない?」
鳳花は全霊で動揺を抑え込んだ。
努力の甲斐あって荒唐無稽に取られかねないその質問が正鵠を射ていると悟られることはなく、質問返しの声が震えることもなかった。湯船に沈む右手が握りしめられたのを目にした人もいなかった。
「――中々独特なお考えですが、やや発想が飛躍しすぎてはいませんか? そもそもどうしてそのような考えをお持ちになったのでしょう」
「いやまあ、皇家にまつわる都市伝説とかを色々聞いていたのもあるんだけどさ……初めて見た時から違和感があったというか、人間の範疇からはみ出ているような雰囲気があるんだよ、あいつ。存在感とか、力の強さ的な意味で」
「あぁ~、それ何となく分かるかも~。うちも親の知り合いの凄い強い格闘家とか師範に会ったことあるけど、ひょっとしてその人達よりも強いんじゃないかってたまに思ったりするんだよね~。気のせいかもしれないけど~」
片や野生に生きる女狩猟者、片や運動選手の一家の生まれで目が肥えている女格闘家(見た目)。培った経験による二人の直感は東馬の逸脱性をわずかながらに捉えていた。
とはいえ羽海と甘菜が特別なのであって脇で話を聞いている蛍はうさんくさそうに眉をひそめている。
「それで、そんな奴が所属している皇家ってどういうところなんだろうな~って改めて調べてみたら、皇家って減封も転封も改易もされたことがないどころか、王家が生まれる遙か前からず~っと今の領地を守り続けているって話じゃないか。別に攻められにくい立地でもなく、それどころか大陸屈指の食料生産地っていう権力者垂涎の場所なのに」
「そこら辺は確かに謎なのよね。土地を切り取ったっていう話どころか、どこそこの国が攻め込んだっていう話もとんと聞いたことがないし。それこそ圧倒的戦力差で攻めたけど大敗して、あまりの汚点に記録として残せなかったっていう説が本当なんじゃないかって思うくらいに」
「私も蛍先輩と同じ考えを持ちました。だからもし仮に記録に残っていないだけで仕掛けられた戦の全てにおいて勝利してきたのだとしたら、勝利できるだけの戦力や特殊性が皇家にあったということになる。そして一つの時代に限った話でないのであれば現在の皇家もそんな戦力や特殊性を持ち続けているのではないかと考えられる」
「それが特殊部隊であり、東馬もその一人ではないかと?」
「神代から続いているとも言われるようななっが~い歴史を持つ皇家なら、普通の人間にはない特別な力とかあったりしないかな~っていう……まあ、妄想?」
最終的に自分の推測に恥ずかしくなったのか、羽海は苦笑いしつつ眉間を指で掻く。鳳花もつられたフリをして相好を崩したが、ほぼ真相を言い当てていることには内心でしっかり驚いていた。
これが噂話や又聞きに端を発した本当の“妄想”ならば気にする必要は認めなかった。しかしさすがは大陸屈指の名門大学の生徒と言うべきだろうか。気付きを得て、記録を辿り、立てた仮説を元にたぐり寄せた根拠から導いたその考えは、十分に“考察”と呼べる域に達していた。どうやって考えを否定するか鳳花が真剣に思い悩んでしまうくらいに。
そんな鳳花に助け船を出した訳ではないだろうが、蛍が長い長いため息で露天風呂の空気を切り替えさせる。
「あのねえ羽海。自分で妄想って言うくらいなら、そんな与太話を当のお姫様にするんじゃないわよ。確かにそういう都市伝説の報道もちらほら見るけど、天下の御柱大学の人間がそんな与太話を真に受けるなんてどうなの? アンタ本当に成人してる?」
「しっ、失礼な! 私はあくまで可能性としての話をしているのであって、そこまで言われる筋合いはないぞ! それに部の誰よりも地に足を付けて現実を生きているのは先輩もご存じでしょうが!」
「その現実に生きる姿勢も、今の話を聞いた後だと創作物の影響を受けたのが発端のように思えてくるから不思議よね」
「ぐっ……ぬうぅ……!」
説得力のある弁解を思いつかないのかそれとも図星なのか、羽海は獣のようにうなり声を上げて悔しそうに蛍を睨むのみ。
鳳花はそんな二人を見つつ、話の中に出てきた単語に嫌な予感を覚える。
「報道されている都市伝説、というと……?」
「ん? ああ、大した話じゃないわよ。普通の武器や重火器が通用しないような怪物が大陸の各地に居て、それを人知れず討伐している秘密組織とか特殊部隊とかがあるんじゃないか、っていう何にも根拠のない与太話」
蛍が鼻で笑うのと鳳花の喉がひゅっと音を鳴らしたのは同時だった。被ったせいで喉の音が三人の耳に届かなかったのは幸いだったが、先ほどから皇家の秘密にずかずかと踏み込んできている話題に鳳花の動悸は収まらない。
羽海はむう、と不満そうに唇を尖らせる。
「根拠がないって言いますが、私が見た報道番組では実際に撮影された写真も紹介されていましたよ。まあ像はぼやけていましたが、それでも『青い服を着た人が凄い速さで動き回りながら刀を振るっていた』って撮影者の証言もありましたし」
「あんたまさかそれを真に受けてるの? 視聴者稼ぎの作り物に決まってるじゃないそんなの」
「火のないところに煙は立たない、とも言うじゃないですか」
二人の口論染みたやり取りを苦笑しながら見ている体を装いながら、鳳花は一般人の三人がどれくらい“事実の”都市伝説を信じているのかを観察する。
実のところ羽海が言ったような写真や映像の流出は、かねてから皇家や王家の中で問題視されていた。
一昔前までは一般人の目撃者がいたとしても大した問題ではなかった。目撃者が確たる視覚的な記録を残すことはできなかったし、大勢の人間が集まるような場所では霊獣が出現しないよう配慮し続けてきたため、例え目撃者がいてもその数は少数で収まっていた。
しかしこの数十年で撮影技術が大幅に発展し、普及してしまった。今では撮影用の投影機を平民一人一人が普通に所有するまでに至っており、現場の目撃者の数自体は変わらずとも間接的に目撃情報に触れられる人の数は激増してしまっていた。
現代の社会は情報の行き交う速度がますます加速しており、いっそ皇家のお役目を公表してしまうのも手ではないか、という意見もある。
しかし衆目に晒された後に起こるであろう皇家への好悪の変化は全くの未知数だ。であれば、決定的な事態が起こるその時までに可能な限り民衆の噂話への感情を好意の方向に導くべし、というのが皇家が決定した方針だった。
「じゃあ百、いや万歩譲ってその特殊部隊が存在しているとしましょう。今度はどうして存在を公にして活動しないのかって話よ。人々を守っているのだからそれに見合った賞賛や待遇を享受するのが当然で、人としてそう考えるのが自然でしょうが」
「そこら辺はほら、公にしたことで生じる弊害を嫌ったとか? 一般に知られれば必然的に人は付いて回るでしょうし、下らないことで煩わされるくらいなら一部の人にだけ功績を評価してもらった方が合理的じゃないですか」
「う~ん、まあ、一理あるか。変な技とかあったらそれを見た人達が真似して問題になりそうだし」
「な~んだ~、そういう考えに至るってことは先輩だってそういうのに憧れていた時代があったってことじゃないですか~。口で散々怪奇話を否定していたくせに~」
「……うっさいわね。子供が考えることなんて大体一緒でしょうが」
蛍は顔の半分を湯の中に沈めてぶくぶくと泡を立て、他の二人は先輩のその様子に顔を見合わせてニヤニヤしている。
「ええとつまり、皆さんも物語で語られるような非現実的な力や登場人物などに憧れたことがあるということでしょうか?」
「うおぅ、このお姫様、恥ずかしいことを直截に言いやがりましたよ」
「逆に皇さんは漫画や小説の世界に影響を受けたりはしなかったの~?」
「……全くしてこなかった、とは言えないと思います」
鳳花は目をあさっての方向に泳がせながら答える。主に真似をするのは現実にいる先生であって空想世界の人物ではなかったが、そういうものに影響を受けなかったことが無い訳ではない。
もっとも、もしこの場に東馬がいたのなら、
「いやいやそんな程度の話じゃなかったでしょうが」
と、猛烈にツッコミが入っていただろうが。
もちろんそんなことは知らない羽海は鳳花の返答に深くうんうんと頷く。
「できないことや届かないものに憧れるのは人間の性みたいなものなんだろう。同じように脅威を打ち倒したり誰かを守ったりする行動に対しても尊敬の感情は向けられるし、いわんやその二つが揃っているものにどう思うかなんてのは、もはや語るまでもないことだよ」
「つまるところ『格好良いものは真似したくなる』ってことでしょ、もっともらしい言い方してるけど」
「……確かにその通りだけど、少しくらいカッコつけさせてくれてもいいんじゃないかなぁ……」
的確なツッコミに羽海は肩を落とし、蛍と甘菜はけらけらと笑う。鳳花はその光景に苦笑しつつ、無難な着地点に落ち着いたことに密かに細い息を吐く。
しかし安堵するにはまだ早かったようで、
「ところで話は戻るけど、結局石動って何者なの? 何か特殊な訓練でも受けてたりするの?」
「あ……」
話題の始点となった最も答えにくい質問に立ち返ってしまい、結局鳳花はそこから抜け出すのに多大な労力を支払わなければならなかった。
毎日深夜時間帯まで仕事をするような多忙な状況のため、クライマックスへ向けた書き溜めもろくにできていません。
それでも月に一回の更新は最低限守っていきたいと考えていますので、よろしければ今後ともお付き合いください。




