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027.兆し

 長泣川(おさながわ)は始点を大陸中心部にそびえる高天山脈に、終点を大陸北端中央部に構える黄泉迷峡谷に置き、大陸北部を両断するように流れる長大な河川だ。


 柵霜郡はその長泣川の通り道にあり、言わば黄泉迷峡谷の玄関口とも言える立地にある。柵霜(さくそう)という名にも長泣川が大きく関係しており、洪水対策などなかった大昔に長泣川の氾濫が起きた際、流れ出た大量の水が冬の冷気で凍結して峡谷を遮る柵のようになっていたことが名前の由来となっている。


 柵霜郡は王都からは北西方向に位置し、高速鉄道を使っておよそ半日の距離にある。かつては移動に数十日を要した距離だったことを考えると文明の発展は偉大だが、それでも乗車した人間は半日も狭い車内で振動に揺すられながら座りっぱなしになる。

 半日という時間を長いと取るか短いと取るかはその人次第だが、現代っ子の鳳花にとっては、



「んん~、ようやくの到着ですね。本っ当に長くて疲れました」



 と駅を出るやいなや両腕を上げて伸びをして呟くくらいには長かった。


 鳳花が自然溢れる新鮮な空気の中で心置きなく深呼吸していると、隣で荷物を持っていた東馬が何故かこちらを見ながら頬を緩めていた。



「東馬、どうして笑っているのです?」

「進学のために王都に来た日のことを思い出していました。そういえばあの時も姫様は似たようなことを仰りながら体を伸ばしていらっしゃったな、と」

「……そんな下らないことをよく覚えていましたね。再現というなら今度もお前にタメ口を強制してあげましょうか?」

「姫様だってしっかり覚えているじゃないですか。どっちもどっちだと思います」



 東馬の指摘に鳳花はあえて何も応えずそっぽを向く。お前との思い出を覚えていない訳ないでしょう、という言葉を喉の奥に押し込みながら。


 空模様は王都と同じ晴天で、違いはちらちらと薄雲が見当たる程度。それでも感じる気温は王都よりも大分涼しく、日差しもせいぜい肌を撫でる程度。夏だというのに汗すら浮かんでこないのはさすが避暑地と言ったところか。


 王都で集合した時点は早朝だった時間帯はすでに昼を大分過ぎていた。まずは宿で一息つきたいという考えは大なり小なり部員全員が持っており、一行は解放感の堪能もそこそこに宿泊先の旅館へと移動し始める。


 鳳花もその後を追おうとするが、しかしその直後に足が止まった。鳳花の荷物を持っていた東馬がその場を動こうとしなかったからだ。



「……東馬?」



 鳳花からの呼びかけにも東馬は応えない。宙を――いや眼下に広がる川と大地を、目を鋭利にして睨んでいる。


 あたかも、隠れ潜んでいる敵を探すかのように。


 あたかも、迫り来る戦いの(きざ)しを感じ取ったかのように。


 一寸前とはあまりにも違う臨戦の態勢。鳳花が思わず周りを振り返ってしまうほどにその姿は平穏を踏み抜いていた。


 それでも数秒もすると相好(そうごう)を緩め、「申し訳ございません、行きましょう」と東馬は何でもないように歩き出した。

 常にない東馬の姿に微かな不安を覚えながらも、鳳花は何も言わず隣に並ぶ。


 駅の屋根瓦に止まっていたカラスが一羽、カア、と鳴いた。





 今回合宿に参加させてもらうにあたり、鳳花は貴族の身分を隠して過ごすことを決めていた。そのため宿泊先の旅館には架空の名義を伝えており、鳳花が泊まることを従業員達は露と知らない。


 自分はあくまで部外者であり合宿に便乗させてもらっている立場。ならば自分が原因で余計な波風を立たせる訳にはいかないと、それこそ王都で集まった時から変装用の伊達眼鏡を付け、長く伸ばした髪を三つ編みにして、公の場とはうってかわった地味な見た目に変えていた。


 変装の甲斐あって旅館の人々が気付いた様子はなく、鳳花は他の部員と変わりない丁重さで一階にある二人部屋へと案内される。

 ちなみに同じ部屋に泊まるのは東馬だけだ。部員と同じ部屋に泊まらなくて良いのか、もしくは自分も部員達と同じ部屋に泊まるべきではないのかとも思ったが、



「私は何も問題ありません。姫様を護衛するには同じ部屋が一番都合が良いですから」

「むしろやめておいた方が良いですよ。うちの女どもの玩具(おもちゃ)になるのが目に見えてます」



 東馬はいつも通りに、三門は愉しげにそう言って鳳花の心配を受け流した。


 鳳花は畳の床に荷物を置いて縁側に腰を下ろす。広々とした庭には柔らかそうな芝生が敷き詰められ、途切れ途切れに置かれている石畳が奥の露天風呂への道を示している。庭の中心には瓢箪(ひょうたん)の形をした池があり、中では紅白模様の(こい)が悠々と泳いでいた。


 豪華さ、雅さでは王都の皇邸には及ばない。しかし客を癒そうという心遣いは王都の屋敷に勝るとも劣らず、長旅での疲れもあって、鳳花はしばらくの間ぼうっと庭園を眺めていた。


 東馬が隣に座ったのは柱時計の秒針が五回ほど円を描いた頃だった。



「ここに来るまでの道中でうちの部員達と楽しくお話をされておられましたが、この旅行に同行した甲斐はありましたか?」

「ええ。想像していた大学生らしいやり取りもそうですが、何の打算もない平民の方と気楽にお喋りすることが久しくなかったのでとても新鮮でした」

「あいつらは打算がないのではなく、単純に殿上人(てんじょうびと)の世界に興味がないのだと思いますが」

「だからこそですよ。王侯貴族も含め、私に話しかけてくる方の大半は何らかの打算や企みを持っていますから、そうでない平民の方というのはそれだけで貴重なのです。……あなたとは身分が違いますから」

「それはまあ……そうなのでしょうが……」



 入学してからの日々もそれ以前の日々でも、鳳花に気安く話しかけてきた同年代の平民は少ない。その数少ない人も、()()を身に付けていくにつれて話し方を敬語へと変えてしまう。望むと望まないとに関わらず、身分差というのは不可逆で埋めがたい乖離(かいり)を鳳花の周囲に生じさせる。


 仕方ないとは思う。その一方で寂しいという気持ちも拭えない。

 気安く接して欲しいと最も思う、好きな幼馴染みが傍にいるからこそ尚更に。



「それにしても、以前一回だけ集まりに顔を出した時も思いましたが……随分と個性的な方が多いのですねここは」

「はっきりと変人の集まりと言ってもいいですよ。まあ元々こだわりが強い人間の巣窟だったそうですが、ここまで悪化……もとい精鋭化したのは、話に聞いたところ部長の仕業だそうです」



 鳳花が首を傾げると、東馬は何かを思い出したようにくくっ、と喉を鳴らす。



「姫様はご存知なくて当たり前ですが、ああ見えて三門部長の人を見る目は私が知る人物の中でも五本の指に入ります。今集まっている部員達は、その部長が面白そうだと感じた中でサークルの趣旨と持っている趣味が合致した人達なんですよ」

「ということはお前も入学時に声をかけられたのですか?」

「ああ、私は違います。元々そういった集まりに興味があって、このサークルもたまたま見つけて部室に行ってみたのがキッカケです。決め手が部長の存在なのは否定いたしませんが」



 予想以上の東馬からの高評価に鳳花は三門への評価を改める。と言っても今回の合宿参加を快く受け入れてくれた段階で、鳳花の三門への反感はほとんど薄れてはいたのだが。

 ただそれはそれとして、今朝顔を合わせた時から鳳花はあの部長に若干の違和感を覚えてもいた。



「部長さんと言えば、最近どこかで似たような方と会ったような気がするのですよね。誰がそうだと聞かれれば答えに困るのですけど」

「……似たような方、ですか」

「はい。何ででしょう。先々月にお会いした際にはこんな既視感(デジャヴ)は覚えなかったのですけど……」



 別に誰と誰の顔が似ていようと大した問題ではないのだが、何故かこの既視感は鳳花の胸に強い引っかかりを生んでいた。

 致命的な何かという訳ではない。かといって放置しておくのもモヤモヤする。例えるならばそう、創作活動写真(アニメーション)にて聞き覚えのある声を聞いた時、それを他のどの作品で聞いたのかが思い出せない時のように。


 そもそも人の顔と名前を覚えるのも仕事の一つな自分が一度会話した人間のことを頭から完全忘却しているというのも不自然だ。それこそ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に会ったのでもなければこんなことはありえない。


 そんな思索を打ち切ったのは耳慣れない金属音。柱時計が鳴らす時を告げる鐘の声。



「気にはなるでしょうが、とりあえず今は一旦置いてみんなのところに行きましょう。そろそろ約束していた時間ですし」

「もうそんな時間になっていましたか。なら急がないといけませんね」



 鳳花は記憶の探索を中止して立ち上がり、東馬と並んで部屋を出る。扉を閉じればボーンボーンという柱時計の音は聞こえなくなった。


 この時の鳳花は少なからず高揚していた。良い意味で身分の垣根なく接してくれる個性的な人々との予想の付かない珍道中が待っていることに、久しぶりの期待と楽しさを覚えていた。


 だから東馬が控えめに鳳花の思索を打ち切ってきたことや、鳳花の疑問に対して東馬が“答えを知っている”とばかりに関心を寄せなかった理由について、鳳花は首を傾げつつも深く考えることはしなかった。

第1章クライマックスに向けて現在書き溜め中です。

ただ次話はもう少しだけ早く投稿できると思います。

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