026.忘れていた憧憬
第1章の前半・中盤が終わり、ここから後半に入ります。
その日の空は雲一つない晴天だった。
指定された集合時間はまだ起きている人間もまばらな早朝だったが、日照時間が長い盛夏ということもあってすでに日差しは煌々と大地を照らしている。遮るもののない日光は容赦なく肌に突き刺さり、あまりの強さに表皮を焼くじりじりという音さえ聞こえてきそうなほど。
ただ、山形帽を被る鳳花の表情は平静そのもの。生まれつき暑さに強い性質なのもそうだが、皇の一族の体質が日差しによる損傷を蓄積させず、どれだけ強い日光を浴びても鳳花の白さを損なわせるには至らないためだ。
強いて言えば止まらない汗が煩わしいといえば煩わしいが、常人に比べれば暑さによる疲れは僅少軽微。背筋を伸ばして前を見つめ、白の貫頭衣を着て荷物を引く姿は一幅の絵画のようでさえあった。
もしもこれが青々とした草原やひまわりの咲き誇る田舎道での光景ならば、東馬あたりが写真の一つでも撮っていたかもしれない。ただ、鳳花が足を踏み入れたのは多くの人々が行き交う中央駅。靴が踏みしめるのは土や草ではなく石の床で、鼓膜を震わせるのは草花のさえずりではなく人の賑わいだ。
鳳花は後ろに東馬を引き連れて賑わいの中を掻き分けていく。知らされていた待ち合わせ場所に辿り着けば、そこには見覚えのある青年達が顔にワクワクを漲らせて集まっていた。
「おお来たな石動。そして主殿もご機嫌麗しゅう」
「はい、おはようございます。今回は東馬の要望を聞き入れて下さったこと、並びに私の同行を受け入れて下さったこと、誠に感謝いたします」
「俺からも改めて、ありがとうございます部長」
「頭をお上げ下さい。石動も、今更畏まらなくていい。公爵家の姫君がご参加になるのは我がサークルにとって名誉なこと。それが我ら平民にも理解を示していただける方であればなおのことです。なあみんな?」
部長の三門が後ろに声を投げると、快い同意の言葉が返ってくる。
ただし部長と副部長を除いた七人全員が同じ考えではないようで、一団の中に唇を尖らせている二年の女性いたことを鳳花の目は見逃さなかった。
そして鳳花の目が正しかったことを証明するように、乗降場へと向かう途中でその女性が近付いてきた。
「お姫様、少々よろしいでしょうか?」
「何でしょう、山森羽海さん」
「……私のことを覚えていらっしゃったんですね。先々月に一度会っただけなのに。それとも事前に石動に顔写真付きで教えられていましたか」
「いいえ? 一度会っただけだとしても、会話をしたことがあるのなら顔と名前を覚えるのは礼儀でしょう。もちろん東馬の知り合いだからというのは否定致しませんが」
「そうですか、意外ですね。てっきり貴族のお姫様は私たち下々の人間に興味なんてないと思っていましたから」
あからさまな不敬な物言いに東馬だけでなく他の部員も一斉に目を剥く。鳳花も思わず目を瞬いていた。
「山森、さすがにそれは……」
「いいえ構いません副部長さん。お邪魔しているのはこちらなのです。不満を抱えたまま三日間を共にするくらいなら、今この場で吐き出しておいた方がお互いのためでしょう。……ですので、言いたいことがあるのなら今の内にどうぞ」
「では失礼ながら、どうしてこの合宿に参加しようと思ったのですか? 幽霊部員どころか入部すらしていない、部外者であらせられる貴方様が」
清々しいほどの慇懃無礼。部員達は後ずさり、流石にどうなのかと東馬も顔をしかめている。
一方で鳳花は腹を立てる気にならなかった。むしろ皇家の人間でも王侯貴族でもない人間に喧嘩を売られたことに新鮮な感動すら覚えていた。注目されていなければ「おお~」と感嘆のため息すら漏らしていたかもしれない。
そんな感動のせいか興が乗ってしまったのだろう。鳳花の口から出た返答は意地の悪いものとなる。
「東馬も言っていたかもしれませんが、気分転換です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「へぇ……つまり戯れに参加なされたとお認めになるのですね?」
「お綺麗な言葉で飾っても仕方ありません。でしょう?」
鳳花はあえて挑発するように口の端をつり上げてみせる。すると予想通り、向こうもまたニヤリと唇を曲げ、右手を差し出してきた。
鳳花は同じように右手を差し出し――神威無しの全力の力で握り返した。
「……っ! へぇ、やるじゃないか。てっきり箱入りのお嬢様と思っていたが、本当は護衛の陰から抜け出すようなおてんば姫だったってことか……!?」
「そちらこそ中々のものをお持ちで。野生に生きる狩猟者という人物評に偽りはなかったようですね」
「そんな涼しい顔してよく言ってくれる……!」
「おいコラ」
ストン、と振り下ろされる手刀。「あたっ」と頭を押さえて振り返った羽海の視線の先には、思いっきり呆れ顔をしている三門部長と困惑している部員達が。
「相互理解を深めるのは結構なことだが、電車の時間が迫ってるんだから後でやれ後で。お姫様も寛大なお心には感謝しますが悪ノリはやめてください」
「すみません。新鮮だったもので、つい」
「ほれお前らも、ボケッと突っ立ってないでさっさと行くぞ。この方とお話しされたければ歩きながらにするんだな」
事態について行けていなかった部員達は三門部長に促されて歩き出す。けれどその様子は合流したばかりの時と比べて幾分固さの取れたものになっていた。
そして鳳花と羽海のやり取りを見て距離感を掴んだのか、電車に乗り込む頃には自然と鳳花と部員達の間で会話が生まれるようになっていた。
「さっきはすみません。うちの山森がとんだご無礼を」
「お構いなく。いきなり部外者が割って入ってくることに忌避感を覚えるのは当然でしょうから」
「いやいや皇さん、こいつの場合は単に狩猟者としての矜持がとかそんなくっだらない理由だと思います」
「『人は生き物を食べて生きているからこそ、殺生から遠ざかってはいけない』、がこいつの信念らしいので、縁遠そうなお姫様が気に入らなかったんだろうな」
「だって虫も殺したことがないようなお姫様に気を遣って狩りできないとか最悪じゃないか!」
「そっちかよ! つーかお前まだ向こうで狩猟する気でいたんかい! 禁止だって言われただろうが!」
「あ、狩猟の経験はありませんが、畑を荒らす鹿や猪の解体ならやったことありますよ」
「……マジで?」
「このお姫様、見た目に反して活動的ゥ……」
「お褒めにあずかり光栄です」
実際はそれどころではないのだが、まさか「人を丸呑みできるような巨大な怪物と結構な頻度で命を懸け合ってます」などと言えるはずもない。皇家の掟なのもそうだが、この現代社会でそんなことを言っても冗談としか受け取られないだろう。
目の前のお姫様の真実を知る由もない部員達は、季節外れの転校生を囲むように鳳花の周りに集まっていく。
「一悶着ありましたが、改めまして自己紹介を。私は――」
「蜂須賀蛍さん、ですよね。三年生で、昆虫食に深い造詣があるのだとか」
「私のことも覚えていらしたんですか……」
「そりゃ先輩は食に関しては誰よりも個性的だで、当たり前では?」
「確かに真っ先に覚えたのは蜂須賀さんですが貴方も似たようなものですよ、米井穂積さん。大陸北東部特有のその訛りは記憶に残りやすいですから」
「きょ、恐縮だで……」
「じゃあ俺のことは?」
「唐井熱斗さん。私と同じ一年生で、確か激辛料理がお好きでしたよね?」
「特徴や下の名前まで覚えてるなんて凄いな。じゃあこちらの堅物二人は?」
「生方丁字さんに、練馬敏士さん。生方さんは料亭『鼓』の跡継ぎで、練馬さんは寿司屋『三木』の店主のご子息。練馬さんは確か、食べる専門を自称されておられましたが……」
「良い舌を持っているのというのにな。つくづくもったいない」
「ほっとけ。そもそも俺は寿司よりも麺料理の方が好きなんだよ」
「ねぇねぇ、だったらうちのことも覚えてくれてるんだよね?」
「砂山甘菜さん、だったと記憶しており、ますが……」
「おい、笑いを堪えられてるぞお前」
「えぇ~、皇さんひど~い」
「い、いえ、すみません。『頭は大人、心は子供、そして体は格闘家』という紹介を思い出してしまいまして……」
「唐井ぃ! さてはあんたねぇ!?」
「おーい、一応ここは公共交通機関なんだから、騒ぐのも他の客の迷惑にならない程度にしとけー」
運の良いことに鳳花達が陣取っている号車に他の乗客はおらず、鳳花の姫様呼びに目を向ける人も居ない。
ただし声が大きすぎれば当然ながら隣にも聞こえてしまう。大陸屈指の名門大学に通っている人間の集まりだけあって初歩的な良識は皆弁えており、部長からの注意で一旦は落ち着きを取り戻した。
ふと、鳳花は胸の奥から何かがこみ上げてくるのを感じた。その何かが喉のところにまで上がってきたところで、ぷっ、と鳳花は吹き出してしまう。
「おい砂山、また笑われてるぞお前」
「ちょっと皇さん、今度は本当に酷くな~いぃ?」
「いえ、違うんです。これは砂山さんではなく、普通の大学生っぽいことをやっている自分にで……私もこんな風に同じ学生の方と普通にお喋りできたんだなあって……」
大学に入って早五ヶ月目、日数にして約百五十日。鳳花が大学に入ってやったことといえば勉強と試験だけで学友と遊ぶことなど皆無だった。ましてやこうして一緒に旅行に行くなど想像したこともなかった。
理由は色々ある。学業に集中しなければならなかったのはもちろん、嫡子としての政務や御伽衆の一員としての役目もあり、東馬との稽古も大事だった。つまり遊んでいる時間の余裕がまるでなかった。
また身分の問題もあった。同じ学生の立場でも平民と貴族の身分差は変えようがなく、誰もが鳳花を遠巻きにしていた。入学からしばらく報道に追われていたこともあって、落ち着く頃には鳳花に近付いてくる同期生は誰も居なくなっていた。
今までは嫡子として、討ち手としての義務に忙殺されて振り返る余裕はなかった。けれどこうして歳の差のない同じ学生達と言葉を交わし、本当は寂しく思っていたのだという本音をようやく自覚できた。
そして同時に、憧れていた場所に自分は居るのだとも実感した。この感情に名前を付けるとすれば、それはきっと――
「……嬉しいです。こうした楽しい場に居られる皆さんのことを、私はずっと羨ましかったから……」
ああ、これだけでも東馬の誘いに乗って良かった。雪子と焔山の勧めに従って良かった。自分が忘れかけていたものに気付くことができたのだから。
ふと気付けば場が静まり返っていた。鳳花は自らの発言を振り返り、冷や水を浴びせるようなことを言ってしまったかと一瞬ひやりとしたが、突然ガシッと蛍によって両の手を掴まれた。
「……やろう、皇さん」
「はい?」
「この合宿で、失われた五ヶ月分のキャンパスライフを取り戻そう! もう私達に遠慮なんていらない、思う存分弾けちゃっていいからさ! みんなもそれでいいよね!?」
応! と再び湧き上がる部員達。部長から「だから静かにしろって言ってるだろうが」と注意されても今度ばかりは収まらない。
鳳花は騒ぎの中心で一人困惑しながらも、「はい、よろしくお願いします」と合宿への期待を新たにして蛍の手を握り返す。
優しい目をした東馬が、その様子を少し離れた席から見守っていた。




