016.開会
皇の血を引かない者を神威を扱えるようにする儀式、『洗礼』。人体再構成の儀式とも言い換えられるほどのそれは、名前と効果の大仰さに比べ、かかる手間自体はとても少ない。
皇の一族の血を杯一つ分飲み干し、一族の人間から儀式のための神威の術を受ける。文字に起こせばたったこれだけだ。
儀式の術も一度かけてしまえば後は何もする必要が無いので、問われるのはほぼ洗礼を受ける側の資質のみ。洗礼を受ける側は生死を賭す必要があるが、超常の力を手にできるとあって挑戦者はいつの時代も絶えることはない。もちろん挑戦者自体の数は多くないが、長い年月をかけてノウハウが確立され、三百年前ほどから成功率は九割を維持するようになっていた。
しかし、いやだからこそ、安全弁というものは求められる。
神威の力は絶大だ。常人の戦場に立てば一騎当千。近代兵器すら討ち手にすれば脅威ではなく、銃弾を粉微塵にし、大砲を爆発もさせず消し去ることすら容易に可能だ。
そんな力を前にして誘惑に取り憑かれた権力者は数多い。皇家に伝わる歴史を紐解けば、討ち手への引き抜きや脅しはあちこちに出てくる。そして日陰の存在から日向の存在へと望む討ち手の記録も、やはりと言うべきか少なくなかった。
しかし皇家の外に出た討ち手の記録はない。それこそ“皆無”と言い切っていいほどに。
その理由が、洗礼にて討ち手に植え付けられる『皇一族への絶対服従』にあった。
「――『我が身に流れる血を以て、血を受け取りし者達に命じる』」
闘技場に響く主の声は討ち手に裏切りを許さない『絶対命令』。洗礼を受けた討ち手は例外なく、この託宣の前に頭を垂れる。
「『相対する者より強きことは、己が持つ心と技と体のみを以て示すべし。この命令に逆らう者は、皆等しく命での贖いを受け入れるものと戒めよ』」
鳳花の言葉が終わると同時に、波が広がるように討ち手達は次々に表情を変化させる。ある者は堪えるように目をつむり、ある者は小さく呻き声を漏らし、またある者は苦しそうに胸元を押さえた。
こうして闘技場に並ぶ大会の参加者は鳳花によって『絶対命令』を刻まれた。参加者はもう場外での取引や八百長によって腕を狂わすことはない。例え試合までの間に裏取引があったとしても、闘技場に立ってしまえば公正公平の戦いしかできなくなる。
「前回観戦した時にも思ったのだが、ここで耳を塞いでいたらその者には命令は届いていないのではないか?」
開会の儀を締めくくる『絶対命令の受領』が終わり、鳳花も含む参戦者達が待機所に戻っていく中、緊張感漂う空気を意に介さない呟きが観客席にて発せられる。
張り詰めた闘技場内にあってその声は朗々と響いたが、咎める視線を向ける者はおらず、それどころか声に振り向く者もいなかった。
それも当然だろう。声の主の名は紫水。皇家が仕える葦原統一王国の王太子殿下であり、皇家の家臣でしかない者が軽々しく声をかけられる人間ではないのだから。
しかし皇家の家臣の中にも、一人だけ紫水が特別に返答を許している者がいる。そしてこの質問はその者に対してかけられていた。
「心配はございません。『絶対命令』の本質は声ではなく神威にあります。鳳花様は観戦者の方々にも分かりやすくするためにお声を張られましたが、実のところは同時に発せられた神威によって命令を受領したのです」
「ではその神威を受け入れなかった場合はどうなるのだ?」
「討ち手が『絶対命令』の神威を拒むことは出来ません。それは私も、ここにいる千波も同様です。どれほど強くなろうとも洗礼を受けた者であればこの前提は変わらないのです」
観客席の最上段中央部。来賓用に設えられた席には、この大会の“重し”とも呼べる三人が座っている。
一人は監督役兼審判員として招かれた御伽衆前三席、千波継道。
老齢を迎えた証として髪の毛と口ひげに白いものが混じっているが、藍色の戦闘装束に身を包み、微動だにせず座っている姿は壮健そのもの。その目は瞬きの間以外はひたすら闘技場を見つめており、隣で交わされている会話にも無反応を貫いている。
その交わされている会話を投げかけているのが、二人目の重要人物である王太子紫水。
脚を組みながら肘掛けに頬杖を突いている様は粗野でさえあるが、黒髪を胸元まで伸ばし、略礼装である小直衣風の軍服を着こなす姿は、王族らしい気品と威風も纏っている。気楽に言葉を交わしている様子には臣下とはいえ他家の懐に単身乗り込んでいることへの不安や動揺は窺えない。その胆力と風格はまだ十八歳という事実を忘れさせるに十分なもの。
そんな紫水王太子に話を振られながら、もう一人の監督役として東馬は席に座っていた。
このような人目のある場所で気軽に言葉を交わすなど、皇家の一臣下に過ぎない身では畏れ多いという他ない。それでも殿下御自ら許していること、本来であれば応対する立場の鳳花が参加者側に回ってしまい代理人を立てる必要があったことなどから、咎める視線を送る人間はいなかった。
「時に東馬。お前は此度の大会、誰が栄冠の座を手にすると睨んでいる?」
「は。面識のある者の中で申し上げますれば、第四隊から出場致します長世道隆が有力かと思われます」
「ほう。その理由は?」
「まず名門の長世家の出身であり、確かな実力を持っていること。次に御伽衆入りして長く、多くの戦いを経験していること。あとは昨年の大会にて準優勝していることも大きな理由です」
「人選も理由も鉄板だな。お前なら鳳花殿を推すと私は思っていたが」
「畏れながら、こういった場だからこそ贔屓はせぬべきだと考えておりますので」
「自らの権限で出場者に推挙しておきながら、か?」
「それは……」
「冗談だ。そう困った顔をせずとも私とて分かっている。先ほども会ったが、あの頑なな様子であれば無理もなかろう。お前も難儀なことだ」
紫水は小さく鼻で笑い、視線を東馬から闘技場に戻す。ちょうど闘技場では第一戦目に出場する討ち手二人が出場口から姿を現したところだった。
ややあって、紫水を挟んで東馬の反対側に座っていた継道が立ち上がる。継道は二人の討ち手を見据えると、
『始め』
その静かな声を神威で拡散、討ち手達へと戦いの開始を告げた。
次の瞬間、轟音が響き渡り、闘技場が揺れる。
もちろん一度では終わらない。討ち手の得物同士がぶつかり合うたび、一方の腕ともう一方の脚が交差するたび、音が弾け、振動は広がる。
「おおっ!」
炎刃と氷柱がせめぎ合う幻想的な光景を前に、紫水は身を乗り出し目を丸くする。今まで何度も観戦していたこともあってか、その表情には興奮こそあれど恐怖の色はない。
そして紫水が歓声を上げている間にも状況は動く。
一方が歩法で相手の懐に潜り込めば、もう一方はそれを読んでいたかのように歩法で相手の死角に回り込み。
一方が広範囲に撃法を放って逃げ場を無くせば、もう一方が最小限の護法で受け流しつつ返し技の撃法を放つ。
攻防どころか広がる色彩でさえ目まぐるしく、映像として切り取れば創作活動写真と見紛うことさえあるかもしれない。
しかしこれは紛れもなく現実で繰り広げられている光景だ。だからこそ紫水は興奮に目を輝かせ――王太子の親衛隊は青くなった顔に汗を流している。
やがて勝負が着き、勝者の名前が継道の口から会場中に伝えられる。勝者は誇らしげに、敗者は悔しさに顔を俯かせながら握手を交わし、闘技場を後にしていった。
「見るたびに思うが、まったく凄い迫力だな討ち手同士の戦いは! こんなものを見せられれば大衆の描く小説や漫画に耽溺するなど到底できぬわ!」
紫水は頬を紅潮させ、興奮冷めやらぬまま流れる汗を拭う。子供のように顔を輝かせている親友の様子に東馬は苦笑いするしかない。
「一応、この大会に王家の方や他の三公を招いているのは示威のためなのですが……いやはや、殿下の前では形無しもいいところですね。参りました」
「我が身に降りかかろうものなら脅威にも思おうが、そうでないのなら特段恐れる理由はない。弾も砲手も揃った大砲とて、砲口がこちらに向かぬと分かっていれば歩み寄れる。それが人というものだ」
「殿下はそうなのでしょう。しかし例え砲手がいなくとも、弾が込められているというだけで大砲を恐れるのが我ら凡夫の思考なのです」
「はっ、くだらん。万が一しか起こり得ぬ未来を恐れていては何もできぬ。重要なのは今であり、今をしかと見据えるには確かな過去さえあれば十分であろう」
会場にいる人間の中で最も弱く、最もふてぶてしく在る男は、会場の中で最も強き者達へと恐れの不要な理由を説く。
「お主らを恐れる者はお主らを見ず、お主らの力しか見ていない。どれだけ強い存在であろうとも、本能に従う獣ではなく理性と感情を持った人であれば、話の通じぬ相手などほんのわずかよ。そして歴史を紐解かば、皇の当主に獣がおらぬことはすぐに分かる」
「獣ではなく人であるからこそ、私達の腹が読めず不安に思うのでしょう」
「その根拠のない邪推をこそくだらんと言っておるのだ。皇に二心のないことはお主らの行状と歴史という過去が示しているのだ。先を危うくしたくないなら今この時に言葉を交わせば良いだけよ。かつて我らがそうやって友誼を結んだようにな」
語る声に震えはなく、前を見る目に揺らぎはない。王家では制御できない力を前にしても、確たる考えから“脅威ではない”と断じる姿は、御伽衆の討ち手にとっても敬服に値するものだった。
まさに王者の風格と言うべきものだろう。東馬は親友への尊敬の念を内心でさらに強めた。
「なるほど。では殿下は我らと王国との間に無用の軋轢を生まないためにこの場所に来られておいでなのですね」
「いや、単に面白いものを観戦したかったからだが?」
「…………」
次の対戦が行われるまでの短い間、気の利いた答えを返せなかった自分を誰が責められようか。
「しかし観ていて思うが、これはつくづく人外同士の戦いよな。私とて多少の人意の心得はあるがこの場に混ざるには役者が足りぬ。果たして鳳花殿はこの戦いに混じって耐えられるだけの力を持っているのか?」
二戦目が終わり、一戦目よりもいくらか興奮の度合いを落ち着かせた紫水が呟く。東馬が隣を窺うと、その憂慮する声音に沿うように紫水の眉はひそめられていた。
東馬は少し考えてから首を振った。
「難しい……とせめて申し上げたいところですが、実際はその地点にも立てておりません。一戦目を勝利することさえあの方には果たせぬでしょう」
「勝敗は時の運とも言う。先ほどの言を否定するようだが、万が一ということもありえるやもしれぬ。今の評価はそれを考慮の上でのものか、東馬?」
「はい。対戦相手が他の者であればこのような確たる物言いはしませんでした。ですが姫様の相手となるのは私の姉弟子。双方をよく知る私であれば実力差を計り間違えることはございません」
「……ふむ。東馬はこう言っているが、其方の意見も違わぬか? 東馬の師よ」
「違いませぬ。我が弟子の申したように、すでに勝負は見えております」
会話に混ざらずとも話を聞き漏らしはしなかったのだろう、継道が質問に答えを返すまでの間は無かった。
「ほう、その根拠は奈辺にありや?」
「片や半年、片や四年。その年月の差は重いということでございます」
否定の声は上がらなかった。上がるはずもなかった。
時間の価値を知らない者がこの席に座っているはずがないのだから。
話の内容を考えると次は三話くらいまとめて投稿したいので、申し訳ございませんが次の更新まで少々お時間を頂きます。




