001.プロローグ
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体が燃えていた。
骨が炙られ。血が沸騰する。全身が泡立ち、肉という肉が焼け焦げる。
もちろんそれは錯覚だ。体に火は着いておらず、周囲の温度が高い訳でもない。
それでも東馬の身を焦がす苦痛は本物だった。
「あああああぁぁぁあああああ!!」
泣き叫ぶ。のたうち回る。苦痛に悶え、救いを求める。
それでも助けが入ることはない。これは洗礼。力を得るため、自力で乗り越えなければならないもの。そして変化に伴うこの苦痛を乗り越えることができなければ、待ち受けるのは最悪で死。
力を求めたのは自分。そのための試練を受け入れたのも自分。咎は誰にもなく、責は己だけにある。
けれど、決意で固めた心の中を弱い自分がかき乱す。
ーーもう十分だ。お前は頑張った。
ーーもう嫌だ。死にたい。楽になりたい。
東馬は全霊でその弱音を押し留める。強い自分と弱い自分の、その狭間で歯を噛みしめ続ける。けれど弱さは徐々に勢いを増し、時と共に拮抗が崩れていく。
しかし弱さに押し潰されそうになった時、東馬の手を小さな手が握りしめた。
枯れた喉で絶え絶えの息をつきながら、霞む視界で手の主を見る。
――そこには、今にも泣きそうな顔をした女の子がいた。
誰だ、と記憶を探ることはない。自分の手を握っている女の子こそが、東馬にこの苦しみを与えた張本人であり、東馬がこの試練に挑むと決めた理由だった。忠誠を誓ったこの小さな主君の刃となるため、東馬はこの地獄へと志願した。
女の子は自分が試練に挑むことに最後まで反対していた。幼き頃から共に育った東馬の身を案じて、何度も父と東馬を説得しようとした。だからこそ今、自分の痛々しい姿に悲痛な顔を隠せずにいる。
それでも女の子は逃げようとしなかった。女の子は優しい性格で、人が傷つく姿など見たくないはずなのに。
責任を感じる必要などないのに、東馬が苦しみ悶える姿から目を背けず、目からこぼれ落ちそうになる涙を唇を噛んでこらえている。罪悪感から目を背けることも、苦しんでいる東馬を前に泣くことも、どちらも己に許さない。
東馬の手を握るその手から伝わってくるのは、言葉にできない応援の気持ち。
生きてください、と。
頑張っている東馬に頑張れとは言えないけれど、傍らで見守っていること、東馬を信じていることを、込めた手の力と温もりを通して伝えようとしている。
東馬はそこに、犯しがたい気高さを見た。自分が忠誠を誓った理由の根源を知った。
「……あ、あああ、あああああああああ!!」
空いた右手で地面を掴む。弱い自分を振り払い、挫けかけた心に活を入れる。腹の底から押し出した叫びに負の感情はもはやない。
見守る人々に動揺が走るが東馬がそれに気付くことはない。よしんば気付けたとしても周囲の反応など東馬にとってはどうでもいい。
洗礼の前に抱いていた、支えるだの守るだのという決意はおこがましかった。自分が忠誠を誓った主とは、誰かの支えなくして一人で立てない人物では決してない。生涯の忠誠を誓うに足る御方だと、この身は確かに知っていた。
ごうごうと、未だ体を灼熱が襲う。しかしもう東馬の四肢から力が抜けることはない。
東馬が立ち上がるのは、この小さな主君を泣かせたくないという思い、唯一つ。
ただこの子の傍に居続けるために。
気高き決意を彼方に投げ捨て、東馬は我欲のみを抱えて灼熱の地獄を乗り越える。
……そして全てが終わった後、新たな戦士が誕生した。
周囲の人々は喜びに沸き、東馬を褒め称える声が広間を満たす。
けれど東馬が手に入れた一番の栄誉は、頬に涙の跡を作っている主君の、東馬を祝福する笑顔だった。