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4. 束の間の慰め

 ホールやサロンを見て回るなんて言ったけれど、気になるものが特にあるわけでもない。ましてや、アイリもついてくれているとは言え、人の多い場所に一人でいるのは考えただけで苦痛を伴う。


 一人で先に帰ると言ってしまえば良かった。

 そうしたら、少しくらいは困ってくれただろうか。引き留めてくれただろうか。それとも、これ幸いとばかりに「気をつけて」の一言で終わってしまうだろうか。


「お嬢様、どちらへ向かわれるのですか?」

「どうしようかしらね。何も考えてないわ」


 相変わらず後ろに控えながらも話しかけて来たアイリに、弱々しい笑みを浮かべて答える。


 華やかな場が苦手だから、夜会用に美しく飾られたホールやサロンにも心惹かれない。ただクロードと一緒にお喋りをして、踊れたらそれだけで良かった。

 夜会が色とりどりの花々が咲き乱れる庭園で開かれていたら、競い合うように咲く花たちが慰めになったかもしれない。でも庭園に行けば、ホールとサロンを出ないという約束を破ることになる。そうしたら異性として好かれていないだけではなく、かろうじて残されている妹としての信頼すら失ってしまうだろう。


 ロゼリエッタにだって、仲の良い令嬢がいないわけではない。けれど彼女たちを探し出そうという気も、仮に偶然会ったとしても話しかけるだけの社交性もなかった。


「ロゼ?」


 ホールに繋がる通路の端で、壁にかけられた大きな風景がを眺めるふりをして立ち尽くしていると名前を呼ばれた。

 ロゼという愛称で呼ぶ人物はさほど多くない。すぐにごく限られた人々の記憶の中から聞き覚えのある声の持ち主を見つけ、ロゼリエッタは顔を向けた。


 予想通り、こげ茶色の柔らかな髪を短めに切った青年が立っていた。

 母方の従兄弟のダヴィッドだ。ロゼリエッタより四歳年上で、彼もまた実の妹のように可愛がってくれている。良く見知った相手にロゼリエッタは安堵を覚え、心が少し軽くなった。


「ごきげんよう、ダヴィッド様」


 ドレスの裾をつまんで挨拶をすると、ダヴィッドも軽く腰を折って応えた。それから、親しみのこもった褐色の目でロゼリエッタを見つめる。


「珍しいねロゼ。一人で来たの?」


 当然の疑問に、けれどロゼリエッタの胸がちくりと痛んだ。ダヴィッドから見たらロゼリエッタが一人佇んでいるようにしか見えないのだから無理もない。

 何もクロードと仲違いをして別行動を取っているわけではないからと、ふとした弾みで傷つきそうになる心を懸命に守りながら笑顔で答える。


「いいえ。今日はクロード様と参りました」

「今は?」

「クロード様は、レミリア王女殿下と大切なお話があるそうです」


 脳裏に、決して結ばれることはないけれど、並ぶだけで絵になる二人の姿がまざまざと浮かんだ。

 美しい王女と忠実な騎士は恋物語の題材として、とても人気がある。レミリアに婚約者がいなければ、お似合いの二人だと口々に称賛を受けていたに違いない。


「ああ、西門で何か騒ぎがあったらしいから、それでかな」

「殿下もそのようなことを仰っていました」


 ダヴィッドの耳にも入っているのなら、よほど大きな騒ぎだったのだろうか。危険な状態になっていなければいいけれど、と今さらながらクロードの身が心配になった。

 自分の気持ちばかりを優先させようとしていたことに自己嫌悪が沸き上がる。どんどん心が醜くなって行っているのを実感するのは、とてもつらいことだった。


「騎士だから仕方ないとは言え、せっかく一緒に来たのに寂しいね」

「そう、ですね」


 言葉の意味を噛みしめるように呟けば、胸にすとんと何かが落ちた。

 寂しいと思うこと自体は許されることなのだ。ロゼリエッタは自分の気持ちを正当化してもらえた気がして、初めて嬉しい気持ちになった。


「ダヴィッド様はお一人なのですか?」

「俺はこの手の場はお嫁さん探しに来てるからね」


 成人を迎えた侯爵家の跡取りだと言うのに、ダヴィッドは未だ婚約者を決めてすらいなかった。女性と全く縁がないようには見えない。以前の夜会ではどこかの令嬢をエスコートしていた姿を見た覚えがある。

 でも、その女性とのその後に関しては、少なくともロゼリエッタは知らない。よく分からないけれど誰とも婚約関係を結んでいないということは、そういうことではあるのだろう。


 一途な恋に悩んでいたり、遊び歩いていたりするそぶりも見受けられない。そもそも侯爵家を継ぐつもり自体がないようだった。

 もちろん跡を継ぐに相応しくないほど出来が悪いわけではない。彼の両親がやる気のなさをロゼリエッタの両親に嘆く姿も何度か見ていた。


「そんなこと仰って、本当は探す気なんてないのでしょう?」

「まあね。一人が気楽でいいよ」

「ダヴィッド様ったら」


 悪びれもせず言い放つダヴィッドに、ロゼリエッタの唇が自然と笑みの形を描く。そこでダヴィッドは給仕係を呼び留め、赤ワインの入ったグラスを受け取った。飲み物の入ったグラスが並んだトレイを指し示し、ロゼリエッタに尋ねる。


「何か口にする?」

「いえ大丈夫です。飲み物を先程いただきましたから」


 やんわりと断るとダヴィッドは大げさな身振りで肩をすくませた。この場にはもう仕事がないと判断し、給仕が一礼して立ち去るのを見届けてから口を開く。


「最近の社交界は輪をかけて華奢で食の細い貴婦人が美徳とされているけど、君の場合はもっと食べて太った方がいいんじゃない」

「そうでしょうか」


 ロゼリエッタは小首を傾げ、自分の身体を見下ろした。

 肉づきが悪い自覚はある。それが第三者にもそう見られているということは、やはり根本的な魅力がないということなのだろう。


「そうだよ」


 ダヴィッドは深く頷き、グラスの中の赤ワインを煽った。瞬く間に空になったグラスを持ったまま両腕を組んで口角を上げる。


「じゃないとほんの少し触れただけで壊れてしまいそうで、クロード様も抱きしめたくても抱きしめられないと思うよ」

「だ、抱きしめるだなんて」


 ロゼリエッタは頬を染めた。

 だけど、はしたないと思いながらもダヴィッドが差し出した甘い誘惑の果実を一口齧ってしまった。

 クロードが抱きしめてくれたら、どれだけ幸せな気持ちになれることだろう。そんな想像が脳裏をよぎる。


「今のロゼの、守ってあげたくてたまらなくなるところもとても魅力的だけどね」

「ダヴィッド様は少しお会いしない間にまた口がお上手になったのね」


 今のロゼリエッタでも魅力的だと言ってもらえるのは、たとえ嘘であっても嬉しい。

 ただその言葉をいちばん言って欲しい人に言ってもらえないことは寂しいけれど、口の上手い従兄弟の軽口にロゼリエッタは今夜初めて心から笑った。




「それでね、お兄様ったらジャムと間違えてバターを紅茶に」


 サロンへ戻り、ダヴィッドを相手に兄の失敗談を話すロゼリエッタの目にクロードが見えた。

 ロゼリエッタを探しているのか辺りを見回しながら歩いている。先に気がついた自分から近寄った方がいいのかもしれない。そう思って立ち上がったものの、ほんの二、三歩進むのが精一杯でその先は両足が竦んでしまって動いてはくれなかった。


「クロード様……」


 婚約者の元へ無邪気に駈け寄る可愛げもない。もっとも、今この場でその胸に飛び込む勇気があったとしても、素っ気なく引き離されてしまうのだろう。

 そうこうしているうちにロゼリエッタを見つけ、近くへやって来たクロードに意を決して口を開く。


「もう西門での件は解決なさったのですか?」

「いや。まだ終わってないけど、君をずっと一人にはしておけないから少し時間をもらったんだ」


 抜け出して来てくれて嬉しい反面、今のクロードにとってどちらを優先させるべき事柄なのかが改めて分かってしまった。そんなことは最初から分かってはいたけれど、事実を突きつけられることは何度経験しても胸が鈍く軋む。

 子供のロゼリエッタも駄々をこねるのに疲れたのだろうか。沈み込む気持ちを抱えてしょんぼりと項垂(うなだ)れているから、大人であろうとするロゼリエッタは取り繕う為に無理やり笑みを浮かべる。


「急な事情があったとは言え、ロゼみたいな可愛い女の子を一人にするのは感心しません。すでに婚約者がいるということを知らない若い令息たちが何人か、いつ声をかけようかタイミングを窺っていましたよ」


 割り込むようなダヴィッドの言葉に、ロゼリエッタは彼を見上げた。

 そんな気配があったとはとても感じられなかった。だから、クロードの心配を煽るつもりでわざと嘘をついたに違いない。

 でもクロードがそれで心配してくれるのだとしても婚約者としてではなく、兄としてなのだと思った。


「ご忠告ありがとうございます。今度から僕が傍にいられない時は、信頼のおける確かな人物にロゼをお預かりしていただくことにします」

「それがよろしいかと」


 クロードとダヴィッドは年齢も家の爵位も違えど面識があるし、特に仲が悪いということもなかったはずだ。なのに何故か、お互いに笑顔でやりとりをしているのにその口ぶりにはどこか刺々しい雰囲気がある。


「ロゼ、君は」

「私はもう帰ろうと思います」


 クロードの言いたいことを察してロゼリエッタは先手を打った。

 一人でいても楽しくない。だけど二人でいても、彼の心は別の女性で占められているのだと思うと苦しい。

 ダヴィッドが一緒にいてくれたのは心強かったけれど、この場にいなければいけない必要性は感じられなかった。


 多分、ダヴィッドなら助けてくれる。そんな打算を持って、彼の背中に隠れるよう一歩だけ後退(あとずさ)った。

 意図に気がついてくれたのか、ダヴィッドが一歩前に進んで言葉を継いだ。


「それなら僕が家まで送って行きますよ。パートナーを連れて来ているわけでもないから、いつでも帰れますし」


 クロードはロゼリエッタとダヴィッドを交互に見やる。何かを思案するようなそぶりを見せ、すぐに軽く首を振った。


「僕の婚約者を、よろしくお願いします。おやすみ、ロゼ」

「おやすみなさい、クロード様。お気をつけて」


 西門であったという事件が思いの外良くない状況なのだろうか。

 ダヴィッドに頭を下げたクロードの表情は、ずいぶんと険しいそれになっていた。




 ロゼリエッタがクロードから別れを告げられたのは、この日から三日後の話だ。



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