40. 王女の償い
「どうかこれらの物的証拠が、我らが聡明な主君の公正なご判断の助けとなれば光栄に存じます」
スタンレー公爵は王に一礼すると、結果を聞かずとも確信した面持ちで元に座っていた席に戻って行く。
ロゼリエッタは顔を青ざめさせ、頽れるように椅子にへたり込んだ。
(私は、どうしたら)
クロードはこの場では有罪とされても、すぐに嫌疑が晴れる筋書きだっただろう。
それがロゼリエッタも有罪となれば、マーガスにはどうしようも出来ない。
貴族たちもどう対処すべきか困惑気味に王の指示を待っていた。しかし当の王は"証拠"の手紙を見ながら思案に耽っている様子だ。
余計なことをしてしまった。
ロゼリエッタの行動が、逆にクロードを追い詰める結果になってしまった。
「ロゼ」
膝の上で震えるだけの手にレミリアのそれが重ねられた。安心させるようにぎゅっと包み込まれ、レミリアを見つめる。
自分の無力さに涙がこぼれた。
まともな策も持たない浅慮のまま先走っただけだ。正しいと思って行動したことのはずなのに、本当に正しいのか分からなくなった。
「ありがとう、ロゼ」
レミリアは柔らかく微笑んだ。
お礼を言われるようなことなど何もしていない。
ロゼリエッタは首を振り、俯いた。
一雫の涙が手の甲に落ちて弾け散る。
それはまるで、最後に残されていた希望が砕けてしまったかのように見えた。
「私は、何も」
「いいえ。だから泣かずに顔を上げていてちょうだい。あなたやクロードの無実は私たちが知っているわ」
レミリアが自らのハンカチで、そっと涙を拭ってくれる。
姉が親しみや慈しみを込めて妹にするような優しい手つきだ。ロゼリエッタがゆっくりと顔を上げると同時に、凛とした声が耳に届いた。
「――なるほど。それが公爵の切り札だったというわけですか」
それまで頑なに沈黙を守っていたクロードが初めて口を開いたのだ。
クロードが視線を向けると、レミリアは心得ていると言わんばかりに立ち上がった。
「スタンレー公爵に、わたくしからお聞きしたいことがあります。もちろんお答え下さいますね」
「何なりと、王女殿下」
公爵は位は上でも、年齢は親子ほど離れたレミリア相手には芝居がかった礼をする。
王女に対して不敬極まりない態度だが、マーガスの後ろに従う仮面の騎士の正体について尋ねた時と同じだ。スタンレー公爵は未だレミリアをたかが王女と軽んじている節があった。
「ではお言葉に甘えて。公爵は先程、ハンカチが落ちていたと、マーガス殿下がお命を狙われた場にいた侍女から渡されたと証言しましたね」
「ええ、そう申し上げました」
「それならおかしくはありません?」
レミリアは愛らしく首を傾げた。
けれどその目は笑ってなどいない。目の前にいるのは国に忠誠を誓う臣下などではなく、愛する婚約者に敵対する者だと認識している。
「何か疑問点でも?」
公爵とて、敵意をぶつけられた程度で怯むわけでもない。
レミリアは「もちろん」と肯定しながら追及を続けた。
「あの場にいたのは、わたくしが信用する侍女たちだけです。そんな彼女たちが何故、主であるわたくしではなく公爵にロゼリエッタ嬢のハンカチを渡したのか――疑問に思うのは当然でしょう?」
「それは確かに、こちらの言葉が足りませんでした。謹んでお詫び申し上げます。正確には騒ぎの後、掃除を済ませに来た侍女より受け取ったのです」
「その侍女の顔か名前は覚えていて?」
「申し訳ございません。あいにく」
公爵はやはり芝居でもしているかのように大仰な仕草で肩をすくめる。
「では次の質問をしましょう。公爵はどうして、そのハンカチがロゼリエッタ嬢のものだと判断なさったのかお聞かせ下さる?」
「陛下に提出致しました、ロゼリエッタ嬢の署名の入った封筒と一緒でしたので。どちらも彼女の持ち物だと捉えることは妥当な流れかと存じます」
「そのような物が二つも落ちていたことを疑問には思わなかったのかしら。我が国をとても強く憂いて下さっている公爵ですもの。偶然会った侍女から渡されたのなら、公爵がわたくしや陛下に知らせるべきではなくて?」
すると公爵はさも悲しげな表情をロゼリエッタに向けた。
「ロゼリエッタ嬢は、彼女が幼き頃より私も見知った令嬢にございます。王太子殿下暗殺などという、恐ろしい大罪があかるみになる前に、せめてもの良心で自ら罪を認めてくれたらと。それまでは私の胸にしまっておこうと考えたのです」
そして出来の悪い子供を嘆くように首を振った。
「まさか事件の翌日に、父上の治める領地へ逃げるように向かおうとしていたとは思いもよりませんでしたが」
「そんな……」
あまりの言い草にロゼリエッタから血の気が引いた。
特別可愛がってくれていたわけではない。
それでも、血縁関係がない貴族としては十分なくらい可愛がってくれていると思っていた。
震える肩に白い指先が添えられる。
レミリアの手だ。ロゼリエッタは侮蔑の言葉を受けてもなお、スタンレー公爵から目を離さなかった。
ここで苦しさから目を逸らせば、捻じ曲がった事実こそが真実だとすり替えられてしまうかもしれない。せめてもの抵抗だった。
「質問を変えましょう」
もう大丈夫だと伝わったのか、ロゼリエッタの肩から手を離してレミリアの追及は続く。
「ロゼリエッタ嬢があの時、王城にいたと公爵は考えていらっしゃるのね」
「そうでなければハンカチが落ちていたことの説明はつきかねます」
「でも彼女が王城に来ていたと証明出来る者はおりません」
「やましい心があり、侍女にでも扮して忍び込んでいたのではありませんか」
淀みなく答え、公爵は挑むような目を向けた。
「殿下は信用のおける侍女しかいなかったと仰せになられた。しかしその内の一人ないし複数人をロゼリエッタ嬢が買収などで抱き込み、実は入れ替わっていた可能性も考えられます」
「わたくしの侍女が買収に屈するような者だと仰りたいの?」
「滅相もございません。あくまで可能性の一つを申し上げたまでですが、度を越えたことはお詫び申し上げます」
傍から聞いても何ら心のこもっていない謝罪だ。
やはり公爵の方が場慣れしている。公爵と対等かそれ以上に話し合える王たちは口を挟むことはしなかった。ここは公正な裁きを下す場だ。どちらかの理論が破綻しない限りは、彼らが尋問などをすることはないのだろう。
「それならば、わざわざ侍女に変装していたロゼリエッタ嬢がいたと報告が上がるはずよ。彼女が姿を偽って侍女に扮することこそ、何か事情があっての行動ですから。公爵は何故、ロゼリエッタ嬢を見かけたわけでもないのに彼女のハンカチだと断言出来ますの?」
「理由は先程申し上げました通りにございます」
「署名の入った手紙と一緒に渡されたから、だったわね?」
レミリアは息を大きく吸い込んだ。
「では誰がロゼリエッタ嬢の姿を見たと言うの? 侍女に扮していたという姿を見たという者でも構いません。この場において、マーガス王太子殿下暗殺を企てた犯人の特定に関する重要な証言となります。今から公爵にいくばくかの時間を与えましょう。それを持つ者を連れて来なさい」
「王女殿下からとて、そのようなご命令には従いかねます」
「何故?」
冷ややかに言い放つレミリアの声は、王女らしい傲岸さに満ちている。
誰もが平伏せんばかりのものだったが、スタンレー公爵の表情に変化はなかった。
「ハンカチ以外に確かな証拠を掴んでいるから、公爵はロゼリエッタ嬢が疑わしいと考えていらっしゃるのでしょう? それとも――証拠をでっちあげて、ロゼリエッタ嬢を冤罪に嵌めて無実の主張も聞き届けないおつもりだったのかしら」
「ロゼリエッタ嬢の行動は、暗殺に失敗したから逃亡を図ったと取られてもおかしくはない行動かと存じます」
「まあ。公爵がそう主張したいだけではありませんの? 罪を立証したいのならそれだけの物証が必要なことくらい、公爵も良くお分かりでしょう。ロゼリエッタ・カルヴァネス嬢を冤罪にかけたいのでなければ、客観的な証拠をご提出下されば結構なこと。ただ状況のみで、さも真実であるかのように弾劾することをわたくしは見過ごせないというだけです」
レミリアがロゼリエッタを必死に守ってくれている。
それは何と心強く、嬉しいことだろう。
だけどこのままでは彼女も巻き添えにされてしまうのではないか。
そんな不安が頭をもたげて来た時だった。
「国王陛下。私からもご覧になっていただきたいものがございます」
クロードの言葉が再び場の空気を変えようとしていた。




