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34. 自分だけが出来ること

 床下に設置された緩やかな階段を下り、生まれて初めて地下道に足を踏み入れる。

 道幅は二人なら並んで歩ける程度には広い。本来の用途を考えれば灯りが設置されているはずもなく、しかし壁はぼんやりと光を放つ材質で造られていて真っ暗闇というわけではなかった。それでもこのまま進むには心許ない明るさだ。ダヴィッドがカンテラを灯せば、少し先まで見通せる程度に視界が開けた。


 先に聞いていたように不衛生な場所ではないようだった。

 空気も、上と比べたら多少の淀みはあるが我慢できないほどではない。

 王家の手が入っているから、ここが特別な道としてそれなりに整備されているのだろう。


 カンテラを掲げるダヴィッドと並び、ゆっくりと歩く。

 先に地図をもらっているらしく、逆の手には横半分に折り畳んだ紙を持ち、時折それに目を向けている。先程通って来た道ということもあってか、その足取りに迷いはなかった。


 二つの足音が、ただ静かに響いている。

 振り返っても扉が見えない場所まで来た時、思い切ってロゼリエッタは声をかけた。


「やっぱり私は、まだ家へ帰ることは出来ないのでしょうか」


 ダヴィッドのことは信用している。

 この地下通路から安全な場所に連れて行ってくれるのだろう。

 それでも、目的地はどこなのかを知っておきたかった。


 ダヴィッドならすぐ答えてくれると思ったのに、どうしたわけか返事はない。


「――本当は」


 不安に駆られ重ねて問いかけようとするとダヴィッドが言葉を紡いだ。


「家に帰してあげたいけれど、全てが終わるまで何が起こるか分からない以上は帰せません。一週間もかからないと思います。だからどうか、レミリア様の私室近くに用意した部屋にいてくれるようにと」


 どうして敬語で話すのか。

 理由はすぐに分かった。


 おそらくはクロードに伝えられた言葉をなぞっているのだ。出来るだけ正確に伝えられるよう、返事に時間がかかっていたのだろう。


「分かりました」


 まだ、守ろうとしてくれている。


 とっくに婚約者じゃないのに。

 幼馴染みのクロードでさえないのに。

 傍にいてくれないのに。


 でもだからこそ、ロゼリエッタはクロードを忘れられない。泣きそうになりながらも涙は堪え、かろうじて了承の意を込めた一言だけを発した。


 ロゼリエッタの反応が意外だったらしい。まじまじと見つめられているのが分かる。

 少しの気恥ずかしさを感じはじめた頃、ようやく視線が外された。


「久し振りじゃないってさっき言ったばかりだけど、その少し会わない間にずいぶん変わったね、ロゼ」

「そうでしょうか」


 言われても実感がなくてわずかに首を傾げる。小さく笑うような気配の後、ダヴィッドは言葉を続けた。


「うん。見違えるほど表情が強くなったと思う。ずっと迷っていた何かを決意したってことかな」

「ありがとうございます。本当に強くなれているのなら良いのですけど」


 その想いの形が異性への愛情ではないのだとしても、ロゼリエッタは自分が思うよりずっとクロードに大切にされていた。

 別れを告げられた後でさえ、優しい世界に守られ続けていた。


 ロゼリエッタに出来ることなんて何もないだろう。

 だけど、何もしないでいることとは意味が全然違う。

 舞台の上で役割を持ってクロードを幸せにすることは出来なくても、自ら舞台を下りて誰よりも彼の幸せを願って四葉を探しに行くことなら出来る。

 何度だって彼の為に四葉を探すことは、この世でいちばん彼を想うロゼリエッタしか出来ない。


 もう守ってくれなくても大丈夫だと、手を離せるのはロゼリエッタだけだ。


 強くなることは一緒に幸せになる為ではなく、別々に幸せになる為であることはやはり悲しいけれど。


「強くなりたいのは、クロード様の為?」


 ロゼリエッタは息を飲んだ。

 ダヴィッドの声色に責めるものはどこにもない。

 だけど後ろめたさから、責められている気がしてしまった。


「そ、うです」


 罪悪感で声が掠れた。


「ごめんなさい、ダヴィッド様。でも――自分の為にも、そうした方が、いいと思って」


 取り繕うような言葉を必死で続ける。

 それこそが自分の為で、保身で、そんなすぐに強くなどなれないと実証していた。


「いや、これでも俺は君の気持ちは全て理解して、そのうえで接しているつもりだよ。だから別に君が謝る必要はない」


 ダヴィッドが理解してくれていると、ロゼリエッタも分かっている。

 分かっているから、ますます弱さだけが浮き彫りになる。


 でも、強くなるにはどうしたらいいのか。

 具体的な方法が、いつまでも分からないのだ。


「困ったな。俺が泣かせようとしてるみたいだ」

「そ、そういうわけでは」

「うん。お互いに分かっていても上手く伝わらないし、分かり合えてないともっと難しいものだね」


 柔らかく笑い、ダヴィッドがカンテラの位置を上げた。

 その言葉にロゼリエッタはどきりとする。

 後半部分はクロードとロゼリエッタのことを指しているのだろう。


「もっとちゃんとした場で話したいと思ってはいたんだけど、逆に今この場の方が二人きりで話やすい気がするし、少し付き合ってもらえるかな」

「はい」


 ロゼリエッタは頷いた。

 小さな頭が隣で力強く揺れる様子に、ダヴィッドも満足そうに頷く。


「俺と結婚しても、君はきっと幸福だと思ってくれると思う。だけどね、ロゼ。正直に言えば俺はもう一人の兄として、君に幸せになって欲しいと思ってる」

「兄、として」


 近い将来に伴侶になる相手だというのに、今でもなお夫婦という関係よりも兄妹という関係の方が胸に馴染んだ。

 理由なんか探すまでもない。

 ずっと、そうやって育って来た。そして、これからもそうやって生きて行くのだ。


「ロゼ。これはね、俺が漠然と思っているだけなんだけど根拠もあるし、可能性の一つとして聞いて欲しい」

「何でしょうか?」


 ともすれば俯きがちになる顔を上げ、ダヴィッドを見上げる。

 彼は前を向いていた。

 それが何だか今はひどく羨ましい。

 眩しそうに目を細めると、ロゼリエッタも前を向いた。


「多分だけど、シェイド――クロード様は近いうちに、身柄を拘束されるのだと思う」

「え……?」

「名前も、過去も未来も全て捨ててロゼの傍にいることを選んだ彼が、事情も話さずに君を手放す理由なんてそれくらいしかないだろうからね」

「それは……ダヴィッド様の思い違いだと、思います」


 結局、視線は下がってしまった。

 でもそうだろう。

 ダヴィッドはロゼリエッタを実の妹同然に可愛がってくれているから、慰めようとしてくれているだけだ。


 クロードがその過去を捨てたのはレミリアの為に違いなかった。

 自身が隣国の第三王子アーネストの血を引くと周りに知られることなく、彼女の傍に仕える為だ。


 ロゼリエッタを巻き込みたくなかったという思いも少しはあるのかもしれない。

 だけどそれ以上に彼が優先しているのはレミリアが幸せに嫁ぐことのはずだ。


「どうして俺の思い違いだと?」

「どうしてって……私とクロード様が同じだから」

「同じ?」


 そう。同じなのだ。

 二人して相手には決して届くことのない一途な想いを抱え、諦めきれずに想いのこもった目を向ける。

 お互いの傷を慰めあう関係になれていたのなら良かったのかもしれない。でもなれなかった。なれるはずもなかった。


 ロゼリエッタはクロードに、本当に同じ想いを返して欲しかったから。


「クロード様の気持ちをはっきりと聞いて、そう結論づけた?」

「――いいえ」


 やんわりと首を振って答える。


 直接聞ける勇気があれば、逆に未練もすぐに断ち切れたのだろう。

 婚約の解消も、もっと早くに行われていたかもしれない。

 でもそれは願望の混じった仮定だとも分かっている。


 どうしてクロードに愛されているのが自分ではなくレミリアなのか。

 今と同じことを、今とは違う理由で嘆き悲しむだけだろう。


「君たちは、第三者も交えてお互いのことをしっかりと話し合うべきだった。君も、クロード様も、傍から見ていると何をやっているのかと正直思うよ」


 いつになく厳しい口調のダヴィッドに何も言うことが出来なかった。

 彼の言うことはもっともだ。


 クロードだけが悪いわけじゃない。

 ロゼリエッタだけが悪いわけでもない。

 クロードは言えなかった。

 ロゼリエッタは聞けなかった。


 方向は違えど、話し合って歩み寄るという手段を二人共が選ばなかった。

 だから婚約を解消するに至ったのだ。


「いや……。ごめん。君たちの問題なのに、踏み込みすぎだね」

「いいえ。ダヴィッド様の仰ることは事実ですから」

「うん、それでも、ごめん」


 埒が明かない雰囲気になりそうなのを、ダヴィッドは「まあ、それはさておき」と無理やりに切り替えた。

 今度は優しい声で諭すように告げる。


「君がクロード様の為に強くなろうと決めた本当の理由は分からないし、だからと言って聞かないよ。でもね、ロゼ。ほんの少し勇気を出した君だけが、彼を助けてあげられるんだ。どうかそのことには自信を持っていて欲しい」



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