表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/43

33. 二度目の別離

 最後の四日間は、瞬く間に過ぎて行った。


 その間ロゼリエッタは自室から一歩も出ずに過ごした。

 食事はシェイドと一緒にダイニングで摂るよう、オードリーが何度も勧めてくれたけれど頑なに拒んだ。そうして、何も口にしないよりは……と折れさせた挙句、食事の度に部屋へと運ばせてしまった。

 オードリーに迷惑をかけていると自覚はあっても、どうしようもない。最後のわがままとして押し通し続けた。


 再び別れが待っているのに顔を合わせたってつらくなるだけだ。シェイドだって、会わずに済むのならその方がいいに決まっている。


 それを裏づけるよう、シェイドも同様に部屋を訪ねて来ることもなかった。

 もっとも、彼がこの部屋に足を踏み入れたのは二回しかない。最初に案内してくれた時と、ロゼリエッタが熱を出した時。熱を出してから一週間も経っていないのに、もうずいぶんと前の出来事に思えた。


「短い間だったけれど、傍にいてくれてありがとう。オードリーがいてくれて本当に良かった」


 そろそろダヴィッドが迎えに来る頃合いだ。

 お礼を言うことしかオードリーに報いることは出来ないけれど、それでも思いのまま伝えるとオードリーは両目を涙で潤ませながら首を振った。


「滅相もございません。ロゼリエッタ様のお世話が出来て、私もとても幸せでした」

「ありがとう、オードリー」


 ロゼリエッタは精一杯の笑みを浮かべ、静かにオードリーを促した。

 このままでは別れがたくなってしまう。

 クロードの傍にいたいと、聞き分けのない子供のように泣き叫びながらここに(うずくま)ってしまう。


 我慢せず、心のまま自由に振る舞えば良いと、何度思ったか分からない。

 本当に、これで最後なのだ。ロゼリエッタの心を伝えられる機会はもう二度と訪れることはない。


 でもだからこそ何も言えなくなった。

 想いが届くことなどないのだとしても、記憶の中でまで困らせたくない。


 オードリーは口を開きかけ、けれどすぐに噤んだ。恋人を死地に送るかのような顔で頷くだけに留め、部屋のドアを開ける。

 最後に部屋を見渡し、ロゼリエッタも後を続く。


(さようなら、クロード様)


 持って行くものは何もない。

 ロゼリエッタが家から持って来た数少ない荷物は、アイリと共にレミリアに預けられたと聞いている。

 この部屋から持ち出すものもない。


 ささやかな思い出が胸の内にあるだけだ。


(でも、それでもいいの。本来なら手に入れられなかったものだから)


 ロゼリエッタは毅然とした表情で顔を上げ、振り返らなかった。




 階段を下りたオードリーは、玄関には向かわずに屋敷の奥へと歩いて行く。

 この先にあるのはダイニングと図書室のはずだ。


「オードリー……?」


 不安に駆られて声をかける。

 返事はない。オードリーはただ無言で先を歩くだけだ。

 もう世話をする必要がなくなった。だから話すこともないと決めたのだろうか。

 それなら、寂しいけれど仕方がない。元々オードリーは違う人物を主に持つメイドなのだから。


 返事を諦めて視線を落としかけ、ふとオードリーの頬が小さく光を反射していることに気がついた。

 ほんの小さな一滴が、けれど確かに彼女の頬を伝っている。

 オードリーは口元を引き締め、声もなく涙を流していた。


 その事実にロゼリエッタの瞳も潤む。

 でも唇を噛みしめて泣かなかった。

 代わりにオードリーの姿を、屋敷の様子を懸命に脳裏に焼きつける。


 屋敷を出るよう一方的に言われてから、ロゼリエッタはずっと、いつだってクロードに簡単に切り捨てられる存在だと思っていた。

 だけど、ふと思ったのだ。


(もしかしたら私はずっと、大切に守られていたのかもしれない)


 婚約の解消を告げられてすぐ、クロードは生死不明になった。

 マーガス暗殺の濡れ衣を着せられそうになった時、助けに来てくれた。その後ここに連れて来られたのも全て、隣国の王位継承問題とは無関係なロゼリエッタを匿う為ではないのか。


 守り続けていてくれる理由は分からない。

 聞いたとしても教えてはくれないことの一つだろう。

 他に想い人がいながら婚約を申し込んだことへの贖罪なのかもしれない。

 あるいは、親しい友人の妹だからよくしてくれるのかもしれない。

 なおもまだ聞き分けの良い存在でありたいから、そう信じたいだけなのかもしれない。


 それでも今のロゼリエッタには断言できる。


(クロード様は婚約を解消した後も、私の為に行動してくれていた)


 ここに来た最初の夜、守ると言ってくれたシェイドの言葉に、その想いに嘘はない。振り返れば、彼の行動がはっきりと物語っていたのだ。

 そうして、ロゼリエッタが彼の力になることはできないのだとしても、彼の為にたった一つ、ロゼリエッタだけがしてあげられることがある。


(私はやっと決めたの。だからもう、迷わない)


 ダイニングの前を通る時、自然と目がそちらへ向いた。

 陽の差し込む明るい室内には誰もいない。

 一緒に食事を摂っていたテーブルセットが佇んでいるだけだ。


 真っ白く輝くテーブルクロスは遠目にもしわ一つないのが見て取れ、今日使用された形跡もない。

 中心に置かれた、色とりどりの花が活けられた花瓶が逆に、もの悲しく見えた。


 仮面をつけて素性を隠した、元婚約者だった相手との静かな食事風景は、けれどかけがえのない時間だった。

 二度と手に入らないものだからこそ、まともな会話もなかったささやかな思い出さえ美しく思う。


「ロゼリエッタ様?」


 知らずのうちに足を止めてダイニングを見つめていたロゼリエッタに、数歩先を歩くオードリーが心配そうに振り返る。

 もう説得力などない「大丈夫」の意を込め、ロゼリエッタは頷き返すとオードリーの元へと足を速めた。


「ごめんなさい。少し感傷に浸ってしまって」

「――はい」


 今にも泣きそうな顔を隠すよう、オードリーは再び前を向いて歩き出す。

 この先には図書室がある。他にもいくつか扉があったが、入ったことも中の様子について聞いたこともないから分からなかった。

 オードリーは閉ざされた扉たちには目もくれず、廊下の最奥にある扉の前で足を止めた。


 ノックを二つ、ゆっくりとする。

 それは中に誰かいるということを示しており、ロゼリエッタの胸がわずかな期待に小さく弾んだ。


(そんなはずないでしょう、ロゼリエッタ)


 未練がましい思いを打ち消せば、中から「どうぞ」と返事がある。

 ダヴィッドの声だ。

 シェイドも、彼と逃げるよう言っていた。


「久し振り、ロゼ……というほどでもないか」


 図書室にいたのは思った通りダヴィッドだった。

 一週間ほど前に会ったばかりの従兄は、さほどの間を開けずの再会となったことに苦笑いを浮かべている。

 ロゼリエッタもまた、何と答えたら良いのか分からなくて曖昧に頷いた。


 いつの間に案内されたのか――いや、どうして客室ではなく、図書室にいるのだろう。

 それにどこかの窓が開いて風が吹き込んでいるのか、いつもより中が冷えている気がする。さりげなく図書室内を見渡してみたけれど、少なくとも見える範囲の窓はカーテンごと全て閉ざされていた。壁に備えつけられた室内灯の淡い光で、昼間の体を装っている。


「俺がどうしてここにいるのか不思議そうな顔をしているね」

「それは、もちろん」


 疑問を抱いて当然のことだ。

 ロゼリエッタは一転して楽しそうなダヴィッドに向け、種明かしを求める。あまりのんびりしている時間がないのも事実で、ダヴィッドはもったいぶることなくすぐに教えてくれた。


「王城から地下通路を通って来たんだよ」

「地下通路?」

「そう。有事の際に城から逃げ出せるよう隠し通路は、もちろんこの国の王城にもあるんだ」

「有事の際……」


 ロゼリエッタは小さく口の中で反芻した。

 それはつまり、王城に攻め込まれた時のことを想定されているということだ。

 もちろん開戦などしないに越したことはない。だけど最悪の事態に対し何も備えがないのは国家として致命的で、用意して然るべきものでもあった。


「ロゼも知っての通り、この国はそういった危機に見舞われていないからね。歴史上、止むを得ず使われた記録も特にない。だからさぞや埃やカビにまみれていることも覚悟していたけど、中はそれなりに掃除が行き届いていた。お忍びで抜け道として使われているのか――」


 そこでダヴィッドは悪戯っぽく口の端を上げた。


「あるいは、君が使うから君の為に掃除をしたのか。まあ、どちらにしろ不衛生な様子はなかったよ。安心していい」


 どう安心したら良いのか疑問は残ったものの、通っても安全な道ではあるらしい。

 ロゼリエッタはほっと息を吐き、自分でも気がつかないうちに不安で強張る肩の力を抜いた。


「だいたいの話も、レミリア王女殿下から聞いているよ」

「レミリア王女殿下、から……?」


 彼女を嫌いになったわけではない。

 それでも今はまだ聞きたくなかった名に、ロゼリエッタの表情がわずかに曇る。


「時間が惜しい。歩きながら話そうか」

「ダヴィッド様、こちらのカンテラをお持ち下さい。油を上限まで入れてあります」

「ありがとう」


 オードリーが差し出したカンテラを受け取り、ダヴィッドは代わりに手近な机の上に置いていたカンテラを渡した。

 カンテラの灯がもたないほど長い通路なのだろうか。

 果たして足手まといにならず自分の足で歩けるか心配になる。そんなロゼリエッタに、オードリーは安心させるよう笑いかけた。


「大丈夫ですよ。ロゼリエッタ様のご負担にならないペースで歩かれても灯が消えることはありません」

「ロゼ、そろそろ行こうか」


 ダヴィッドの目くばせを受け、オードリーが先を歩く。

 本棚の隙間を縫って奥の壁に向かうと、大きな額縁が立てかけてあった。

 その右側の壁に、人一人がかろうじて通れる程度の細長い縦穴が開いている。風はここから吹いているようだった。


 数は多くはないけれど、ロゼリエッタも図書室には何度か足を運んでいる。

 でも額縁の裏側なんて気にしたことはない。

 普段は隠され、固く閉ざされている扉の存在など知る由もなかった。


 扉の奥は薄暗く、そしてあまり広くはないようだ。

 目をこらしていると、灯のついたカンテラをかざしながらダヴィッドが中に入って行く。

 視線だけで追いかければ、床に四角い穴が開いているのが見えた。おそらくは隠し通路に繋がっているのだろう。

 だけど、何も知らずに見たら未知の恐怖に繋がっていると感じたに違いない。


「オードリー、最後に一つだけお願いがあるの」

「何でしょうか」

「クロード様……シェイド様に、お伝えして」

「はい」


 ロゼリエッタは胸に手を当てて目を閉じた。

 大きく息を吸い込み、吐き出しながら目を開ける。

 そしてじっと言葉を待つオードリーに、柔らかく微笑みかけた。


「もう守ってくれなくても、私は大丈夫だからと」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ