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31. 許されざる恋路の果てに

 自分の出生にまつわる事実を知ったのは、十歳の頃だ。



「クロード、今から君に聞かせる話は、まだ幼い君には受け入れがたいことかもしれない。知らずに一生を終えられるのであれば、そうさせてあげたかった。けれど、そうも行かない話でね。――今すぐでなくてもいい。それでもいつか、マチルダのことを許してあげてくれたらと思う」


 わずか十歳のクロード相手にひどく真摯(しんし)な目を向け、許しを乞うような父の表情と言葉は今もよく、覚えている。




 マチルダとはかつて、屋敷の離れに住んでいた叔母の名だ。

 彼女は身体が弱く療養生活の最中(さなか)だった。しかし幼いクロードが会いに行くと、いつも笑顔で迎えてくれた。もちろん体調が悪い時はその限りではなかったが、優しい叔母だという認識はクロードの中で何ら揺らぐことはなかった。


 しかし、今はもう離れにはいない。

 クロードが四歳になった冬のある日、二十二歳という若さで亡くなった。


「マチルダは、君が生まれる少し前に大きな病を患ったことで婚約を解消したという話は知っているね?」


 父の問いかけにクロードは深く頷いた。


 一度だけ、マチルダがクロードの前で涙を見せたことがある。

 病床につきながらも明るく優しい叔母の弱々しい姿は、忘れようにも忘れられない記憶だ。


『自分勝手な行動で婚約を解消させてしまった私は、自らグランハイム家を出て贖罪の為に努めなければいけない身なのよ』


 そう言ってマチルダは、だけど……とクロードの頬を両手で包み込む。


 温かな手の感触に何故かクロードも泣きそうになった。

 理由は分からない。

 ただ子供心に胸が軋んで苦しかった。


 何を話せば良いのか分からないまま夕方になり屋敷に戻る時、マチルダは「ごめんね」と、ただ一言だけ謝罪した。


 それは幼いクロード相手に場の空気を重くしてしまったからか、あるいは他に理由があるのか。聞けずにいたクロードはその日を境に漠然と思うことがある。


 ――もしかしたら、マチルダは。


「もちろん病に(かか)ったことも理由の一つではある。だが――」


 遠い記憶を手繰っていたクロードは躊躇いがちに言葉を紡ぐ視線を向けた。

 無言のまま先を促す。

 父が言わんとしていることこそが、クロードがいちばん知りたい過去に違いない。


 同時に、グランハイム家が最も隠し通したいことでもあるのだろう。


「婚約者以外の異性との間に子供を授かってしまっては、どうしようもなかった」


 苦悩の面持ちで父が伝える事実を聞いた瞬間、クロードの中で全てが一つの線に繋がった。


 やっぱり。

 そんな思いが脳裏に浮かんだ。


「――僕は父上と母上の子ではなく、本当は叔母上の子なのですね」


 父は重々しく頷く。

 二人の兄とは違って、自分だけが両親の血を継ぐ子供ではない。隠され続けていた真実を知っても不思議と傷つきはしなかった。


 薄々と察していたのだ。

 頭を撫でてくれる叔母の優しい手が、母のそれとよく似ていたから。

 クロードの青みがかった緑色の目を見つめる叔母の目が、悲しそうなのにひどく幸せそうだったから。


『本当は許されないことでも、あなたの成長を一日でも見届けたいと願ってしまうの』


 泣きながら、そう言って笑ったから。


「私も妻も、君を実の息子のように思っている。どうかそのことも忘れずに、私の話を最後まで聞いて欲しい」

「はい」


 真実を知る頃合いだと思ったのか。

 あるいは隠し通すことに限界を感じたのか。

 どちらにしろ全てを話す気になったらしい父の言葉を、一言も聞き逃すことのないように耳を傾ける。


「マチルダは君を産むことを何よりも強く望んだ。そうでなくとも――貞節を重んじるべきはずの令嬢が不貞を働いた時点で嫁ぐのは非常に難しい。その恋が一時の気の迷いなどではなかったのなら、なおさらだ。だから重い病を患ったと偽りの理由をでっちあげ、婚約を解消する運びとなった」


 父は大きく息を吐く。

 それから中空へとその目を向けた。

 遠く過ぎ去った出来事を懐かしむような様に、名門貴族の主たる威厳はない。たった一人の妹を失って悲しむ兄の姿だけが、そこにあった。


 クロードは視線を落とし、膝の上で組んだ両の指を見つめる。

 何も言わず、何と言えばいいのかも分からずに父の次の言葉を待った。

 しばらくの沈黙の後で先程より深く息を吐く音が聞こえた。

 クロードは顔を上げる。目が合った父の顔はすでに公爵家当主のそれに戻っていた。


「余計な時間を取らせてすまないね、クロード」

「――いえ」


 クロードは静かに首を振った。

 正直に言えば、どんな反応をしたらいいのか分からない。

 実の両親がいると知らされたところで、母は親子として触れ合うことのないまま六年前に他界している。父ともきっと、会う機会はない。


 子供心に察していたとは言え、悲観するにはクロードはあまりにも人の優しさに触れすぎていた。この十年の間に目の前の"父親"をはじめ、家族と言う形で過ごして来た人々が実の家族ではないからと言って、それが何だと言うのだろう。自分に関する重大なことであるはずなのに、どこか他人事のように思った。


 クロードの様子に父は一瞬だけ表情を歪める。だがクロードは再び首を振ってみせた。事実を知ることよりもグランハイム公爵家の人々の接し方が同情的なそれに変わる方がずっと、クロードを打ちのめすだろう。

 だからこのまま、できることなら実の息子として接し続けて欲しい。


「クロード、君はやっぱり……」


 父は何かに合点が行ったように独り言ち、苦笑いを浮かべた。もしかしたらクロードの反応は、実の父譲りなのかもしれない。そう思えば腑に落ちた。


「いや、すまない。話を進めようか」


 一度伏せられた目が次に開かれた時、そこには厳しい当主としての色だけが残った。


「こちらとしては、何せ深く探られると痛い腹がある。だから出来る限り穏便に、かつ手早く婚約解消の手続きを終えたい。それが本音だった」


 今度はその話し合いを思い出しているのだろう。妹を偲ぶ時とは違い、さすがに良い思い出ではないらしく眉間にわずかなしわが寄せられた。


「しかし相手が家格の同等な公爵家でね。一筋縄では行かなかった。彼らとて公爵家としての矜持がある以上は当然のことだろう。とは言え、私やマチルダの父に当たる当時のグランハイム公爵に深く頭を下げられては、どこかで手打ちにする必要があることも理解はしていた。最終的には王家に仲裁に入ってもらうという異例の事態でようやく、収拾を迎えるに至った」


 だが、と父は声をさらに低くする。

 それで終わったと言い切れない事態があったのだろう。


 十歳のクロードとて、だんだんと状況を察して来る。

 数刻前まで父親だと信じて疑わなかった目の前の人物が伯父である以上、マチルダと恋に落ちた人物が実の父親であることは間違いない。

 ところがクロードはマチルダの子ではなく、グランハイム公爵夫妻の三男として育てられている。つまり、公には出来ない相手なのだ。


「マチルダが隣国に留学していた時期があることも知っているね?」


 父の言葉にクロードは頷き返す。

 マチルダの元を訪ねた際、留学時の出来事を何度か聞いたことがあった。

 それらは時が経っても彼女の心に深く刻み込まれているのだろう。いつだって楽しそうに話し、最後にクロードの目をのぞきこんで寂しげな笑みを浮かべていた。


 今ならマチルダの行動と表情の意味も分かる気がする。

 きっと、家族の誰とも微妙に違うクロードの瞳の色は実の父親譲りの色なのだ。

 だから彼女はクロードの目の中に、添い遂げられなかった恋人の面影を見ていたのだろう。


「隣国の第三王子アーネスト殿下……かの御方が、君の本当の父君だ」


 クロードは目を見開く。

 頭を強く殴られでもしたかのような強い衝撃に、心ごと激しく揺さぶられた。


 まさか隣国の王家の血が流れているなど、一度だって考えたこともない。考える理由がないからだ。

 だが父がこんな嘘をつく必要はもっとなかった。

 クロードがいくら否定したところで覆ることのない事実を、ほとんど無理やりに飲み込んで父を見やる。


 父はクロードの様子を窺いつつ、慎重に言葉を選びながら続けた。


「アーネスト殿下にも婚約者がいたが第三王子殿下という立場上、政略的な思惑が絡みすぎている。不貞を働き、子供まで出来たことは決して些末な問題ではないが、マチルダは他国の貴族の娘だ。自国の有力貴族の令嬢との婚約を解消してまで娶るわけにはいかなかった」


 淡々と事実だけが伝えられる。

 それ故に逆に、事態の大きさを連想させた。


「しかし我がグランハイム家の判断だけで、マチルダの腹の子の処遇は決められない。マチルダは産むことを強く望んだのだからなおさらだ。我々にも、せめてその願いくらいは叶えてやりたいという思いもあった」


 クロードの組んだ指に知らず知らずのうちに力がこもった。

 気遣わしげな表情を浮かべた父と目が合う。

 大丈夫だと答える代わりに首を振った。

 隣国の王家が関わっているのなら、確かに出来る限り早めに真実を打ち明けたいと思うのは当然だろう。父は間違っていない。


 そして、しっかりしているように見えて子供のクロードがそれを受けて心を揺らすことも普通の反応だった。


「隣国の国王陛下も交えた話し合いの末に、アーネスト殿下とマチルダとの間にあったことは全て伏せられる方向に取り決められた。王族の血を引くことにより発生する王位継承権も当然、放棄することと相成った。それが互いに出来る最大限の譲歩であり、陛下の恩赦でもある」


 おそらく、隣国の王家側としてはマチルダの出産は避けたいものだったに違いない。

 相手が隣国の大貴族だとは言え恩赦の余地を与えられたのは、アーネストが第三王子だからだ。彼が王太子だったなら隣国の王家は冷酷な措置を下していただろう。

 そして父いわく、王太子夫妻に男児が生まれたばかりという状況も良い方向に作用した。


「アーネスト殿下と添い遂げさせることも叶わず、別れた後にマチルダは身重のままグランハイム家に戻った。そうして生まれたのがクロード、君だ。予定通り私の妻が身籠(みごも)ったように偽装し、グランハイム公爵家の三男として育てられることになった」


 幸いなことにクロードの目元はマチルダに、グランハイム公爵に少し似ている。公爵家の血が入っていること自体は事実なのだから、当然と言えば当然だ。

 それでも両親のどちらとも違う目の色ばかりは誤魔化しようがないが、公爵夫人が母方の祖父と同じ色だと公言すれば、誰も異論を唱えることは出来なかった。


「大事件が起きたのは、その矢先だ」

「大事件とは?」

「アーネスト殿下が馬車の事故で亡くなったとの報せがもたらされたのだよ」


 ほんの一瞬、クロードの呼吸が詰まった。

 彼の置かれている立場を思えば、その疑いが出るのは当然だろう。父も苦々しい色を目に宿して先を続ける。


「本当に事故だったのか。それは誰も知らない。グスタフ王太子殿下やアーネスト殿下と対立していた第二王子フランツ殿下が疑われはしたものの、彼が働きかけたという証拠も何一つ挙がらなかった。それっきり――殿下の葬儀に参列を許されることもなく、隣国の王家と我がグランハイム公爵家は一切の繋がりを持たずにいる」


 真実を知っても、クロードはやはりグランハイム公爵家の三男だということに変わりない。もちろん隣国との接点も持ってはいなかった。


 そして大人になるにつれ思うのだ。マチルダは誰にも悟られることなくゆっくりと、けれども着実にアーネストの後追いをしたのではないかと。

 もちろんそれは結ばれないままに儚くなった実の両親に対し、クロードが感じているだけに過ぎない。だが曾祖父や父もそう思っているような節はところどころ窺えたのも事実だった。


 誰かに言われたわけではない。

 両親の、ある意味とても純粋で幼い恋がもたらした顛末を聞いた時から、ただ考えていた。


 自分は誰かを好きになってはいけないのだと。



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