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29. 王位継承権を持つもう一人

「嘘とは一体、何でしょうか」

「一つは――この屋敷は、僕の母が住んでいた屋敷ではありません」


 ああ、やっぱり。


 数日前から漠然と抱き、庭園を散策して強まるばかりの違和感の答えをシェイドから教えてくれるとは思わなかった。

 薄々とではあったがすでに察していたからなのか。真実を明かされて驚いたり、騙されていた怒りやショックを覚えるよりも、納得する気持ちの方が上回った。

 告げられた言葉は心にも表情にも一切の波風を立てることなく、ただ奥へと落ちて行く。


「あなたが庭園から見える尖塔の姿に気がつき、場所について問われた時は正直にお話ししようと最初から決めていました。ですが、王家が所有する離宮の一つだと知れば、あなたはきっとすぐにでもここを出たいと思うでしょう。それを避けたくて場所は出来る限り伏せていたのです」


 手配のしやすさや警備の頑強さからしても、この屋敷は最高の立地だった。

 だけどシェイドの言うように、離宮だと知っていたらロゼリエッタは家に戻ることを強く願っていたかもしれない。


 この屋敷に(とど)まったのは、どことも知れない場所からお嬢様育ちのロゼリエッタがどこへ逃げるのか、最初に突きつけられたからだ。

 一人では何も出来ない。

 だから、逃げることを諦めてその後考えることすらしなかった。


 でもそれ以上にシェイドの――クロードの母親が住んでいたという屋敷で誰にも邪魔されることなく共に過ごしたいと、浅ましい願望も抱いた。婚約の解消を思い直してもらえるかもしれない。そんな期待もあった。


 帰れるのなら、帰りたい。

 シェイドの手を振り払うことは簡単に出来るのだ。

 ただ離宮を出れば、マーガス暗殺のあらぬ罪を着せようとする人々に見つかって今度こそ捕らえられる。アイリにだって二度と会えないかもしれない。その可能性があるというだけで。


「――もう一つは」


 ロゼリエッタに一人で帰る方法を模索させまいとするかのように、シェイドは話を進めた。

 強引に感じたのは、引き留めて欲しい気持ちがあるせいなのかもしれない。けれど帰る帰らないは押し問答になるだけなのも事実で、何も反論しなかった。


「あなたがここへ初めて来た日、あなたが利用されたのはレミリア王女殿下に近い存在だからだとお伝えしたことを覚えていらっしゃいますか」

「はい」

「あの言葉には、足りなかった言葉があります。レミリア王女殿下に近しいこと以上に――あなたが"クロード・グランハイム"の婚約者だったからです」

「それは――どういう、意味でしょうか」


 初めて声が震えた。

 シェイドは組んだ指先から血の気が失せるほど、さらに力をこめる。テーブルの一点を見つめてはいるものの、果たしてそのままの景色が見えているのか分からない。


 青みがかった緑色の目は見た事もないほど思いつめた色を(たた)えていた。

 どこか不安げに揺れ惑う色は、けれどとても綺麗だ。ロゼリエッタは魅入られたようにその目を見つめる。


 自分の姿だけが映っていたらいいのに。

 自分だけが安息を与えてあげられたらいいのに。

 そんなことを、思った。


 ひどく長く感じる沈黙の後、シェイドはようやく口を開いた。


「クロード・グランハイムには隣国の王位継承権を得る資格があります」


 ロゼリエッタは目を(みは)った。

 それは、つまり。


「クロード様には隣国の王家の血が流れていると……?」

「その通りです。アーネスト第三王子殿下と、現グランハイム公爵の妹・マチルダの間に生まれた子供なのです」


 予想はしていたけれど、当たって欲しくはなかった答えに心臓を直接揺さぶられた。

 ほんの一瞬、息が詰まる。

 胸に手を押し当ててシェイドを見つめた。


 ロゼリエッタにそんな嘘をつく理由がない。だから彼の言ったことは真実に違いないのだろう。


「もっとも、第三王子の婚外子ですから継承順位はさほど高くはありません。それでも万が一のことを考え、余計な火種にならないように生まれてすぐにグランハイム公爵と養子縁組を完了させ、王位を放棄させています。ですから実際の権利としての資格はありません」


 初めて会った日に遊んだカードゲームがロゼリエッタの脳裏をよぎった。

 隣国の珍しいカードを持っていたのは、クロードの本当の父が隣国の王家と深く関わりのある人物だったからなのだ。


「とは言え王族にしては奔放なアーネスト殿下は民衆に人気があったようで、その死はたくさんの民に悼まれたと聞いています。正統な王位継承者であるマーガス殿下と、アーネスト殿下の唯一の子であるクロード・グランハイムが手を組むことを善しとしない勢力もまた、存在するのです」


 確かに王太子グスタフと第三王子アーネストによる協力関係ほどの脅威はなくとも、その子供同士に結託されることは第二王子フランツにとって面白くはないだろう。ましてや民衆に高い人気のあったというアーネストが早世(そうせい)しているのだからなおさらだ。


(でも、待って)


 ロゼリエッタの背筋を冷ややかなものが滑り落ちて行く。


 ただの思い過ごしや杞憂であって欲しい。

 半ば祈りながらシェイドに尋ねた。


「アーネスト殿下は、本当に事故で……?」


 それこそ部外者のロゼリエッタが軽々しく聞いていいことではない。

 だけど後から後から焦燥感が押し寄せ、無神経な質問はやめるように思い留まらせてはくれなかった。


 シェイドに向ける視線に縋るような思いがこもる。


 どうか否定して。

 どうか。


 どうか。


「状況は疑わしいですが、事故ではないと明確な証拠はあがっていません」


 顔色一つ変えずに告げるシェイドの言葉に目眩がした。


 では、クロードも事故に見せかけて殺されてしまうのではないのか。

 隣国で起きたクーデターはクロードの身を狙っていたのではないのか。


 考えていることが顔に出ているのだろう。シェイドはわずかに眉を寄せた。


「クロード・グランハイムは爆発事故に巻き込まれて行方が知れないと発表されています。ご心配には及びません」

「でも」


 ロゼリエッタは目の前にいる人物がクロードだと知っている。

 スタンレー公爵も気がついているのは明白だった。夜会でのやり取りを見て、やはり疑惑を抱いた人物もきっといるに違いない。

 そうしたらクロードが、シェイドが再び命を狙われない保証なんてどこにもないのだ。


「大丈夫です」


 安心させようとしてくれているのか。シェイドは小さく笑みを浮かべた。


「それは裏を返せば、クロード・グランハイムに生きていられると困る人物はフランツ殿下と通じている。その可能性が非常に高いということです」


 分かっている。

 クロードも実の父親であるアーネストの死の真相に疑いを持っているからこそ、名前も過去も自ら全て捨てたのだ。そうして隣国の人間としてマーガスに付き従えば、この国の貴族は彼に手出しなどまず出来ない。身の安全を図るには最善の方法なのだろう。


 ロゼリエッタに出来ることなんて何もない。

 クロードがどれだけ危険な状態に置かれ続けているのか。知ったところで何も出来ない。


 だったらどうして、いずれ切り捨てるだけの娘との婚約なんて望んだのか。


「シェイド様」


 二人の会話が聞こえないよう、離れた場所に控えるオードリーが躊躇(ためら)いがちにシェイドの名を呼んだ。シェイドが視線を向ければ、おくつろぎのところ大変失礼致します、そう言い置いて静かに近寄って来る。


「マーガス王太子殿下より封書が届けられております」


 その手には一通の封筒が握られていた。

 嫌な予感がする。

 息を潜めるロゼリエッタの前で、シェイドはペーパーナイフと共に封筒を受け取って中を改めた。オードリーは気遣わしげな目でシェイドではなくロゼリエッタを見つめ、一礼して持ち場へと戻って行く。


 心臓が早鐘を打つ。

 あの手紙には、ロゼリエッタにとって嬉しくないことが書かれている。そんな気がしてならなかった。


 それを裏づけるかのように無言で文字を追うシェイドの表情がみるみる色をなくして行く。

 一体、何が書かれているのだろう。今すぐにでもこの場を逃げ出したい気持ちを懸命に抑えつけながら、心臓を締めつけられる思いでシェイドの言葉を待った。


 シェイドは深く息をつき、目を閉じた。

 その光景に見覚えがある。

 忘れられるはずもなかった。


 あの時(・・・)、目を開けたクロードが告げた言葉は。


 ロゼリエッタはテーブルの下の両手を強く握りしめた。

 シェイドが目を開ける。


 ――そして。


「四日後、ダヴィッド様にここへ迎えに来て下さるよう使いを出します。そうしたらあなたは、ダヴィッド様と一緒に――隠し通路から王城へ逃げて下さい」


 一度ならず二度までも、自分は切り捨てられるのだ。



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