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28. 存在の理由

 四阿に戻る頃にはシェイドの言う通り、食事の準備は完了していた。


 白木を丹念に削って作られた丸テーブルには生成り色の綿糸でレースを編んだクロスがかけられ、庭園から摘んだ花たちが中央で鮮やかな彩りを添えている。テーブルとお揃いの椅子も可愛らしく、ダイニングと同じようにささやかでも幸せな時間を過ごせるよう、細やかな気配りがそこにあった。


 二人が席に着くとオードリーがワゴンを押してやって来た。

 野菜や燻製肉を挟んだバケットの乗った平皿、サラダを盛ったガラスのボウル、果物のバスケット、果実水の注がれたグラス……と、一通りの食器をロゼリエッタの目の前で手際良く並べて行く。最後に良く磨かれたナイフとフォークを置いて一礼し、今度は空になったワゴンを押して場を後にした。


 そういえばと気がつく。


 シェイドと笑顔で食卓を囲んだことは一度もない。

 この昼食が最初で最後の機会になったかもしれないけれど、ロゼリエッタ自身の手で壊してしまった。


(せめて昼食が終わるまで、心に秘めていたら)


 選ばなかった行動の方が良い結果に繋がっていたのではないか。

 未練がましく迷ってしまうのも、仕方のないことなのだろう。


 けれど、ごく小さな当たり前のことさえ共にすることが出来ない。

 ロゼリエッタが上手く振る舞えていたら、この昼食では庭園の感想や、カルヴァネス家の庭もそれは見事に管理されていると伝えたり、楽しく過ごせていただろうか。


 だけどやっぱり知らないふりをしたところで心は痛み続けるに違いない。

 ならばもう完全に二人の時間は別々の方向へ進んでいるのだ。

 改めてその事実を強く実感させられ、受け入れるしかない。


 一緒に庭園を散策してくれると、お昼もそこで一緒に摂ろうと言ってくれた時は本当に嬉しかった。

 でも結局はいつもと同じようにまともな会話もないまま、せっかく用意されたおいしいはずの料理もどこか味気ないまま食事を終えた。

 食器を片付け、代わりに食後のお茶の準備が進められて行く様を無言で眺める。


 林檎の香りがする湯気を立ち昇らせる、白地に淡い色で花の絵を描いたティーカップ。

 純銀のケーキスタンドに乗った、飾りつけも可愛らしい一口大の焼き菓子たち。

 テーブルの上の世界だけが夢のように甘く、ロゼリエッタは一人、何もない外の世界に取り残されている。


 もしかしたら手が届いていたかもしれないそれらを羨ましく思いながら、欲しいくせに言葉を飲み込んで見つめているのだ。


(それは、人形とは何が違うの)


 腕に抱き、愛でてくれる存在が現れる日を待つだけの人形と変わらない。

 いや、語らずとも傍にいるだけで心の慰めになる人形の方が、ずっとましだ。


 ロゼリエッタは顔を上げた。


「――あの、シェイド様」

「何でしょうか」


 返してくれる視線も声も感情が窺えず、数刻前の優しさの面影すらどこにも見えない。

 あの穏やかな時間はロゼリエッタの願望が生み出した幻だったのだ。

 そう自分に言い聞かせ、最後に得た幸せなひとときを目を閉じて焼きつける。けれどあまり浸っていると泣いてしまうから無理やり目を開けた。


 息を深く吸い込み、問いかける。


「お恥ずかしいことに不勉強な私は隣国で何故王位継承権を巡る争いが起きているのか、マーガス殿下が現在どのような状況に置かれているのか、まるで分からないのです。お話出来る範囲内で構いません。どうか、お聞かせ願えませんか」


 婚約が解消されたいちばん大きな原因は、やはりそれなのだろうと思う。


 自分のことだけで手一杯だったロゼリエッタが、少しでも隣国の情勢に目を向けられたなら未来は変わっていただろうか。

 ――否。ロゼリエッタはレミリアじゃない。

 だからどうすることも、出来なかった。


 レミリアへの劣等感だってそうだ。

 比較したところで彼女にはなれない。敵うはずもない。

 でもクロードの心にいるのは彼女だから、どうしたって醜い感情を抱いてしまう。


 クロードに想われるレミリアに、なりたかった。


「――王位継承にまつわるいざこざは」


 俯きかけたロゼリエッタの顔を、シェイドの声が引き上げた。

 どこまで話して良いのか確認しているのだろう。何かを探っているような様子で言葉を紡ぐ。


「現国王のグスタフ陛下がまだ王太子殿下であられた頃から、すでにその兆候は散見されていたようです。陛下は幼少の頃、他のご兄弟と比べてお身体が丈夫ではなく、二人の弟君フランツ殿下とアーネスト殿下のどちらかに王位をと望む声も決して少なくはなかった。マーガス殿下からはそう聞いています」


 適当な言葉で誤魔化されなかった。

 ロゼリエッタは安堵し、告げられた事実を懸命に自分の中で噛み砕いて行く。

 シェイドの、クロードの見ている景色と全く同じものを見ることは出来ないと分かっている。それでも少しでもいいから理解したい。強くそう思った。


「でもグスタフ王太子殿下がご即位なされたということは、お二人の弟君も最終的にはご納得されたからではないのですか?」

「そうであれば良かったのですが」


 考え抜いた末に湧き出た疑問を訪ねるとシェイドは力なく笑う。

 困ったように目線を逸らし、再びロゼリエッタを見つめた。


「お二人おられる弟君のうち、ことフランツ殿下と彼を次期国王にと尽力していた貴族たちはやはり納得はしていなかったように思います。御年も一歳しか変わりませんし、ご兄弟でフランツ殿下だけ母君が王妃殿下ではないことも大きな要因でした」

「ご兄弟の仲はよろしくなかったと?」


 他の家、ましてや隣国の王家に関する話だ。

 無神経に詮索することのないよう、注意深く言葉を選んで尋ねるとシェイドは軽く頷いた。


「少なくともグスタフ陛下とフランツ殿下の仲は良好とは言い難かったようです。グスタフ陛下ご自身は、たとえフランツ殿下と母君が違えどアーネスト殿下と分け(へだ)てなく接していらしたとのことですが……マーガス殿下からの伝聞による情報ですから、お二人は非常に険悪な間柄だったと見る立場からの証言もあるかもしれません」


 それもそうだろうと思う。

 友好的な関係を築けているのなら王位を巡って争った末、クーデターなど起こしたりしない。

 一方では正義とされることが別の視点から見たら悪であることもまた、主義主張や立場が違えば普通に起こり得る認識だ。世間知らずなロゼリエッタでも、それくらいは分かるつもりだった。


「その後、グスタフ王太子殿下は大きな病に罹ることもなく無事にご成人され、やはり王太子である殿下を国王に推す勢力が優勢だった為、継承権の序列に従ってグスタフ殿下が戴冠(たいかん)なさりました。しかし、話はそこで終わらなかったのです」

「フランツ王弟殿下は王位を諦めきれずにいたのですね」

「――はい」


 ロゼリエッタには、王位という地位の魅力は分からない。

 それでも古今東西、国を問わずそれを巡っての争いの記録がいくつもあるくらいには他人の、親兄弟の血を流してでも欲するほどに魅力を感じる人々もいるということだ。


 一歳しか違わない、母を(こと)にする兄王子が王を務めるには不十分だと周囲に思われるほど身体が弱かったのなら。第二王子の周囲の人々の期待は彼に強く向けられたのではないだろうか。

 そこに母からの想いもあればなおさら、いつしか自らが望むようになったとしても不思議ではない。そうして継承権の順位を覆そうと努力も重ねた末に、手に入れられる兆しの見えたものが諦めきれなくなることもあるだろう。


 ただ、やはりそれが一国を治める立場となれば、個人が強く願うからと簡単に与えるわけにも行かないのも事実だった。

 ならばどうするか。


 ――力づくで、奪えばいい。


 きっとそう結論づけられた後だから、クーデターが起こったのだろう。


(でも)


 ふとロゼリエッタは気がついた。

 

 シェイドの口ぶりだと、継承争いは主にグスタフとフランツの間に起こっていたことのように思う。仮にフランツが王位を諦められずにいたとしても、王位を得たグスタフと血の繋がりのあるというアーネストはどうしているのだろう。王太子と第三王子が相手となれば、フランツは些か分が悪いように見える。


「もうお一人の弟君のアーネスト殿下は……」


 シェイドから語られていないその名を、自分から切り出すのはわずかな抵抗があった。

 何をどう聞けばいいのかも分からずに結果、中途半端な形で尋ねてしまう。


「――アーネスト殿下は、若くしてお隠れになられています」

「え……」


 それはつまり、すでに亡くなっているということだ。ロゼリエッタは思いもしなかった答えに目を見開き、深入りしすぎたことに項垂(うなだ)れた。

 やはりシェイドが話すまで待つべきだったのだ。

 顔を上げられないまま謝罪の言葉を口にする。


「あの、知らなかったとは言え……無神経でごめんなさい」

「伏せられていることでもありませんし、重要なこととして僕から先にお話するべきでした。アーネスト殿下は十九年ほど前、孤児院を視察した帰りに馬車の事故で亡くなっておられるのです」


 シェイドの声は静かだった。

 けれどその言葉は決して穏やかなものではない。ロゼリエッタは弾かれたように顔を上げた。


「ロゼリエッタ嬢」


 ふいに名前を呼ばれ、目線を合わせる。

 目が合ったのも束の間、呼んだ側のシェイドがすぐに視線を逸らし、よりいっそうと苦渋の色を浮かべた。

 テーブルの上で両手の指を強く組んで一際大きく息を吐く。


「僕はあなたに嘘を二つ、ついていました」



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