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26. 忘れなくてもいい

 ロゼリエッタが再び目を覚ました時、室内は薄暗かった。

 光が入らないよう、カーテンは閉められたままなのだろう。室内の灯りも全て落とされており、部屋が広いことも相俟って辺りはしんと静まり返っている。

 どれくらい眠っていたかは分からないけれど、張り詰めた空気の様子から夜明け前のような気がした。


 解熱剤のおかげで熱も下がっているのが分かる。

 熱が引いた直後独特の倦怠感(けんたいかん)があった。でもオードリーが夜中もずっと献身的に世話を焼いてくれていたのだろう。コットンの夜着は汗で濡れることなく、さらりと心地良い。


 ふいに人の寝息らしきものが聞こえた。

 看病疲れから眠ってしまったオードリーだろうか。お礼を言わなくてはと視線を巡らせ、ベッド脇の椅子に座る人物に目を見開く。


 薄闇にぼんやりと浮かぶ、腕を組んだ状態で俯いたシルエットはオードリーのそれではなかった。

 でもどうして、ここに彼が――シェイドがいるのか分からない。


 最後の着替えという大仕事を終えたオードリーと代わって、それから(そば)にいてくれたのだろうか。ロゼリエッタが見つめていることに全く気がついた様子もなく、よく眠っている。


 そういえば寝顔なんてものを見るのはこれが初めてだ。

 三歳年上のクロードは、自分よりずっと年上だと思っていた。だけど穏やかな寝顔は年齢よりも幼く見える。こんな時なのに、新しく知った一面に新しい恋心を覚えてしまう。

 熱と共に恋心が溶け、どこかに流れて消えてしまうなんてことはなかった。


(やっぱり、忘れるなんて無理だったの)


 ようやく気がついた。

 無理に忘れようとするから心が拒絶して痛むのだ。

 それならばいっそ、クロードへの恋心を秘めたままダヴィッドの元へと嫁げばいい。ダヴィッドも最初からそう言ってくれていたではないか。


 もう一人のロゼリエッタが忘れたくないと泣くから、忘れられないのは甘えだと思っていた。

 否、実際に甘えではあるのだろう。

 だけど、忘れられなくていつまでも引き摺り続けるよりは、開き直って心の片隅に置く方がまだ前向きに思えた。周りの人たちだって、簡単に忘れられることではないと理解しているから妥協案を出してくれているのだ。


 クロードを忘れないことは、ダヴィッドへの裏切りじゃない。


 ロゼリエッタはゆっくりと上半身を起こした。

 人が動く気配を察してシェイドが目を開けてしまうかもしれない。

 でも、その時はその時だ。シェイドが起きた時に苦しい言い訳を並べたらいい。


 手を伸ばし、黒い髪にそっと触れる。

 やっぱり金色の髪の方が似合っていて好きだけれど、過去を切り捨てる為に彼自身が黒く塗りつぶすことを選んだのならロゼリエッタは受け入れるしかない。だけどロゼリエッタの心は、ロゼリエッタのものだ。


 ロゼリエッタは胸元に手を引き戻した。

 触れた髪の感触をずっと忘れないように握り込む。

 そうして小さなエメラルドのように輝く初恋の思い出を大切に胸にしまい込み、かけられずにいた鍵をかけた。





「お身体の具合は大丈夫ですか?」

「はい。ご迷惑とご心配をおかけしましたが、おかげで一晩でよくなりました」


 さらに大事を取ってベッドの上で過ごし、ロゼリエッタが朝食の席に着く為に食堂へ向かったのは熱の出た翌々日のことだ。三度(みたび)目を覚ました時にはすでに部屋におらず、昨日は一度も顔を合わせなかったシェイドの姿がそこにあった。

 もっとも、婚約者のいる年頃の女性の部屋に家族でもない男性がいるのは褒められたことではない。不純な不貞目的ではなくとも、夜更けに看病してくれたらしいことは異端なのだ。


 付き添ってくれたことへのお礼を言うべきか迷い、やめる。

 ロゼリエッタが目を覚ます前にシェイドはいなくなっていた。勝手に髪に触れてしまった手前、ロゼリエッタも気がついていたとは言い出しにくい。

 そして多分、お互いに何もなかった振りを続けていた方が良いような気がした。


「快復なさったのは喜ばしい限りですが、ご無理だけはなさらないで下さい」


 昨日に限らず普段だって屋敷内を元気に歩き回ったりせず、おとなしくしている。

 そう反論してわざと波風を立て、困らせることも一瞬だけ考えた。けれどロゼリエッタはもっと良いことを思いついて笑顔でシェイドを見つめる。


「でしたら今日はシェイド様が私の話し相手になって下さいますか?」


 その要求はもっと困らせてしまうかもしれない。

 でも一緒にいられるのはこの屋敷にいる間だけの、本当に短い時間しかないと改めて知ったから。一つでも多く幸せな思い出を残してお別れをしたい。


「お庭が見たいです。シェイド様がご一緒の時しか見られないみたいですし」


 初めてここに連れて来られてから、してみたいと思っていた庭の散策は未だ叶わずにいた。シェイドがいなくてはだめだと言われたから、言い出せずにいたのだ。


 今日は幸いとても天気が良い。

 朝起きて窓を開けた時、風もそんなに吹いてはいなかった。

 熱を出した直後ではあるけれど、たくさん寝すぎて逆に少しの気怠(けだる)さを覚えるくらいだ。散歩をして、お茶をいただく程度なら気分転換にもなる。


 ただ三日前の可愛げのない態度が元で嫌われたかもしれない。

 視線を逸らしかけ、だけど耐えた。拒否されたら屋敷を出るまで部屋でおとなしく過ごせばいいだろう。ここにいられるのも、そう長くはない。体調を崩して臥せっていると思えば々ことだ。


「分かりました」


 思案によるしばしの沈黙を経てシェイドが軽く頷いた。


「え……。ほ、本当によろしいのですか?」


 ロゼリエッタは驚いて確認を取った。

 まさか受けてくれるとは思わずに心臓がドキドキしている。シェイドは今度はしっかりと頷き、具体的な提案を挙げてくれた。


「ガーデンテーブルの準備を整えますから一時間後、お部屋にお迎えにあがります。昼食をそちらで一緒に摂りましょう。ただし、もし再び熱が出たようなら正直に仰って下さい。その時は僕が絵本を読んで差し上げますので」


 散歩と昼食、それから食後のお茶を一緒に出来る。全部を終わらせられるなら、それなりに長い時間を過ごせるだろう。だったらすごく、嬉しい。

 だけど子供扱いされたことはこんな状況でも面白くなかった。いかにもわがままな令嬢のように、つんと澄まして顔を上げる。イメージは以前に読んだ、猫のように気まぐれで、それでいて魅力的な恋愛小説のヒロインだ。


「絵本だなんて子供扱いなさらないで。どうせなら王都で人気の恋愛小説にして下さいませ」


 シェイドは目を細め、申し訳ありませんと謝罪をした。その表情も声もどこか楽しそうな印象を受けるのはロゼリエッタの思い過ごしだろうか。真意を知りたい気持ちを含んだ目を奪われていると、彼は言い訳のように言葉を紡いだ。


「あいにくとこの屋敷には、年頃のご令嬢が好まれるような物語を記した本はないのです」

「でも私だって、もう絵本に瞳を輝かせる年齢ではありません」

「それは大変失礼致しました、レディ・ロゼリエッタ」


 シェイドの言葉に正体の知れない小さな引っ掛かりを覚えはしたものの、機嫌なんか全然悪くしていない。わざと「じゃあ仕方ないわね」と言わんばかりに表情を(やわ)らげた。


 他愛のないやりとりが嬉しくて、でも泣きたくなる。


 わがままな言動を受け入れてくれるのはクロードではなくてシェイドだからだ。

 彼の中に、ロゼリエッタを巻き込んでしまった負い目があるから大切に扱われる。


(それでも、いいの。何も残らないよりは、ずっと)


 ロゼリエッタは背を向けた。

 涙で声が詰まる前に自分も準備をすると告げて食堂を出る。


 ロゼリエッタが意図的に駒として選ばれているのに、シェイドはあきらかに火事の対岸に置こうとしていた。

 元よりロゼリエッタが力になれることなど何もない。だからその判断は何も間違ってはいないのだろう。


 知らない事件が知らない場所で知らない間に終わる。

 きっとシェイドは――クロードは徹底してそうしたかったのだと今なら分かる。それがひどく中途半端にロゼリエッタの前に形を見せ、やむを得ず今の状況になっているのだと思う。


 それでも。

 マーガスと共に戦える勇敢なレミリアがとても羨ましく、何も出来ない捕らわれの自分を嫌いだと思った。



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