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20. もう一つの名

 どこをどう移動したのかは分からないまま、目的地らしい場所へ到着したのは明るい陽の光がまだ差し込む昼間のことだった。もっとも、太陽は天頂よりは西側に傾きはじめているから、それなりの時間は経過しているらしい。


「ここは……?」


 馬車から降ろされ、自然と疑問がロゼリエッタの口をついた。


 やってもいない罪ではあるけれど、あの衛兵の言い分によればロゼリエッタはマーガス暗殺を(くわだ)てた重罪人のはずだ。てっきり牢に入れられるものだと覚悟を決めかけていたのに、連れて行かれた場所は小さな屋敷の前だった。


 小さいと言っても、外装はかなり手が込んでいるのが一目で見て取れる。馬車が通って来たと思しき石畳の先にある門扉は頑丈そうなものだったし、レンガ塀も侵入者を防ぐ為だろう。ロゼリエッタの背丈より遥か高く積み上げられている。それなりに身分の高い人物が所有する屋敷なのだと一目で分かる造りだった。


「母が、生前住んでいた屋敷です。あなたにはしばらくここでおとなしくしていてもらいます」

「騎士様のお母様が……」


 クロードの母であるグランハイム公爵夫人は、もちろん今もまだ健在している。ならばクロードと騎士はやはり別人だということだ。――その言葉が真実であるのだとしたら、の話ではあるけれど。


 ロゼリエッタが真偽を知る術はない。だからどうとでも説明出来た。

 そう考えて、クロードかもしれないと思っている人物の言葉を疑っている自分に気がつく。

 結局のところ、自分にとって都合の良い事実が欲しいだけなのだ。この場所を彼がグランハイム家の所有物だと説明していたら、同一人物なのだと確信を持ったに違いない。


「もし逃げ出したいのなら実行に移したとて止めはしません。お嬢様育ちのあなたが誰の手も借りず、知らない場所から無事に家まで戻れると思うのならご自由になされば良いでしょう」


 ロゼリエッタは俯いた。

 逃げ出すなんてことはまだ考えてもみなかった。

 だけど、逃走を試みたところでどうなるのか。世間知らずなロゼリエッタ一人では騎士の言う通り――あるいはもっとひどい現状になるのだろう。それこそ、あの衛兵が並べ立てた"筋書き"のようなことだって普通に起こり得るかもしれない。


 貴族のお嬢様が見くびって甘い考えを抱かないよう、先に現実を突きつけたのはきっと、正しいのだろう。


「――こちらへ」


 さすがにきつく言いすぎたと思ったのか、騎士は一瞬だけロゼリエッタを見やった。すぐさまきびすを返し、門から玄関に至る小径(こみち)を先立って歩きはじめる。このまま一人で立ち尽くしているわけにも行かない。ロゼリエッタはその背を追った。


 手を伸ばせば簡単に届く距離なのに、けれど騎士は触れることを拒んでいる。

 泣いたら、また手を差し伸べてくれるのだろうか。


 ただ触れて欲しいが為だけの未熟な考えが脳裏をよぎった。

 本当のロゼリエッタはまだ子供だ。

 それが精一杯背伸びしても、手を伸ばしても、クロードに届かなかった。だけど子供であることを隠さずにいたら、逆にクロードが手の届く高さにしゃがんでくれていただろうか。


「代わりに、この屋敷の敷地内なら自由に振る舞って下さって結構です。ただし庭の散策はお一人ではなさいませんよう」

「お庭を見たい時は、どうしたら良いのですか」


 小径の両側には綺麗に手入れされた庭が広がっている。遠目にも色とりどりの花々が咲いているのが見えた。おそらく白詰草は植えられていないだろうけれど、それでも綺麗な花を鑑賞したら少しは気分も明るくなる気がした。


「僕に言って下されば時間のある時にお付き合いします」


 ロゼリエッタは目を(みは)った。

 これではまるで、客人のような扱いではないか。もちろん咎人(とがびと)と決められて手酷い扱いを受けたいわけではない。けれど連れて来られた経緯からは信じられないほどの好待遇だった。


「よろしいのですか?」

「週に一度くらいなら構いません」


 さらなる願いが沸き出て来る。

 言ったら嫌われるかもしれない。

 でも、そんなことは今さらだと思い直して躊躇(ためら)いがちに口を開いた。


「それは、あの、一日だけなら毎週でも?」

「ロゼリエッタ嬢がそのように望まれるのでしたら」


 望むことが叶えられる。

 ささやかな事実は、けれどロゼリエッタの心に大きな光をもたらした。次の願いが当然のように湧いて出る。そんな自分が浅ましいと恥じる気持ちがないわけではなかったけれど、止められなかった。


「騎士様のお名前をお教えいただくことは叶わないのでしょうか」

「シェイドと。そうお呼び下さい」

「分かりました」


 ロゼリエッタは頷いた。そうして、精一杯の勇気を振り絞って言葉を紡ぐ。


「――シェイド様」

「はい」


 名前を呼び、返事がある。

 目の前の人物がクロードと分かっているのにクロードと呼べない。クロードの名でなければ呼ぶことを許してもらえる。相反する二つの感情が胸の中を強くせめぎあった。


 嬉しさと寂しさ、どちらから来るものなのか。あるいは両方を含んでいるのか。分からないままに涙がこぼれそうになる。

 騎士――シェイドは重たげなドアを簡単に開き、ロゼリエッタを促した。


「移動でお疲れでしょうから部屋にご案内致します」


 ゆったりと余裕のある内部は、外から見るより遥かに広々として見える。品良く落ち着いた色合いでまとめられ、通路に時折置かれた調度品も派手さはないけれど手が込んでいる。


 クロードなのだと思い込みがあるからだろうか。

 屋敷の中も、どことなくグランハイム家と雰囲気が似ていた。


 そうして二階の最も奥の部屋へと案内される。やはり客人を迎える時と変わらないようで、自分の立場を錯覚してしまいそうだった。


「この屋敷でしばらく生活するに当たり、貴女の着替えはクローゼットにご用意しております」


 指で壁際を示され、ロゼリエッタは遠慮がちに近づいた。

 クローゼットは大きな二枚の板を横に張り合わせた折り戸が二つはめ込まれ、どちらにも銀色の細い持ち手が取りつけられている。左側の折り戸をゆっくりと開き、ロゼリエッタは驚きに息を飲み込んだ。


 着替えだというそれらは、さすがにドレスはないものの可愛らしいワンピースがたくさんハンガーにかけられていた。ロゼリエッタの為に用意されたとは思えないほどの数だ。

 ならば、シェイドの母親が少女だった時に着ていたものだろうか。個人を偲んで片付けられずにいたものなのかもしれない。


 もしそうだとしたら、ロゼリエッタが軽々と袖を通して良いものではなかった。着替えだと用意されても躊躇ってしまう。


「そこにかけられたものは、気に入りませんか」

「え?」


 ロゼリエッタは振り向いた。いつの間にか近くに寄って来ていたシェイドがハンガーを無造作に一つ手に取り、ワンピースをロゼリエッタに合わせるように身体の前に掲げてみせる。


「あの、こちらにかけられた品々はもしかして騎士様のお母様の」

「いえ、貴女の為だけにご用意したものです。お好みではありませんでしたか」

「そんなことは……」


 ロゼリエッタは口ごもりながらも小さく首を振った。

 白と淡いピンクを中心に、普段から好んで着ている色ばかりだ。フリルやレースにリボン、刺繍といったデザイン一つ取っても少女らしい要素が入っている。好みではないどころか、どれも可愛らしくて好ましい。


 だからこそ、不安と疑問が沸き上がる。

 こんなにたくさん、いつ用意したと言うのだろう。既製品を買いつけたのだろうけれど、それにしても相当な数だ。


「どうして、こんなにも親切にして下さるのですか。私の着るものなど別になくったって」

「年頃の令嬢が何日も同じ服を着たままというわけには行かないでしょう」

「お名前やお姿が変わっても、私に何もお話しして下さらないところは変わらないのですね」


 誰に会うでもないのに、おかしなことを言う。

 適当な言い訳であしらわれた気がしてしまって、ロゼリエッタは泣き笑いを浮かべるとシェイドに背を向けた。


「シェイド様が仰るように、無力な私はここから一人では家へ帰ることも出来ません。ですから何もせずおとなしくしています。王太子殿下を手にかけようとした、まるで覚えのない罪に関しても、私が話せることはいつだって全てお話し致します。だけど――」


 一度口を(つぐ)み、目を伏せる。


「今日は色々なことが起こりすぎて疲れてしまいました。叶うのなら少し休ませて下さい」

「――分かりました。すでにベッドのご用意も済ませてありますから、そちらで遠慮なくお寛ぎ下さって構いません」


 シェイドは何の感情も読み取れない声で答え、ワンピースをクローゼットに戻した。

 たくさんの服は気を遣ってのことなのかもしれない。でも、何故そのような気を遣わなければいけないのか。理由を聞かない限りは素直に喜ぶことも出来ないのも事実だ。


「何か必要とあらばお呼び下さい。すぐさま駆けつけます」

「お心遣いありがとうございます。でも大丈夫です。シェイド様のお手を(わずら)わせるようなことは決して致しません」

「では夕食はあなたの目が覚めたらにしましょう。胃に優しいものを用意させます」


 次がある。

 数時間後には果たされる約束にロゼリエッタは期待を抱いてしまった。胸の前で指を握りしめて夢ではないことの確認を取る。


「一緒に、召し上がって下さるのですか?」

「食事の席は出来るだけ一緒にします。それでは――また、後程」


 一人残されたロゼリエッタは大きく息をついた。改めて部屋の中を見回せば、確かに奥に立派なベッドが置かれている。

 それよりも手前にゆったりとしたソファーもあるけれど、そちらで眠ってしまえば体調を崩さないとも限らない。来て早々体力を失うのは得策とも思えず、騎士の言い残した言葉に甘えてベッドの中に潜り込ませてもらった。すべらかなリネンの心地良さに目を細め、額に手の甲を押し当てて天井を見つめる。


 家族もダヴィッドも、アイリもいない。

 これからどうなってしまうのだろう。どうしたら、いいのだろう。


 ロゼリエッタに出来ることなど知れている。ましてや、こんな状況で出来ることとなればさらに限られた。

 それに、ロゼリエッタが今いるのは領地ではないのだ。予定通り到着していないとあっては、みんなも心配しているに違いない。


 手紙を出すことは出来るだろうか。

 後でシェイドに聞いてみよう。

 それから――。



 疲労は思っていた以上に蓄積していたらしく、ロゼリエッタの意識はほどなくして沈み込んで行った。



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