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19. 見せずに隠していたもの

 機動力を優先としているのか。先程まで乗っていた馬車と比べると、かなり小型で内部も狭い。素っ気ないと表現してもいいほどに内装は簡素なもので、窓もなかった。

 そのせいだろうか。四方から押し潰すような圧迫感があるような気がする。


(まるで、小さな監獄みたい)


 でもその認識は(あなが)ち間違いではないのだろう。

 少なくとも彼らにとってのロゼリエッタは重罪人に他ならない。それでも馬車を用意してくれただけ、丁重な扱いを受けているのかもしれなかった。


 一列しかないシートはロゼリエッタと騎士が乗っただけで余裕がなくなっている。甲冑を纏うでもない細身の騎士とでもこの様子では、いかに小さいのか良く分かるというものだ。あるいは本来は一人用だと考えた方がまだ説明がつく。


 クロードともこんなに近く隣り合って座ったこともない。ひどく密接した距離に、ロゼリエッタは思わず身を縮こませた。

 やはり飾り気はないけれど、座り心地は悪くないのは幸いだと言って良いのだろうか。上質の皮を使っているのか白い光沢を放つ表面は柔らかくなめらかで、肌触りも良かった。


 騎士がドアを閉めると、彼の言いつけ通りに馬車が走り出した。思っていたよりもスピードが速い。同じだけの速度でロゼリエッタの心に不安が広がりはじめて行く。


(この先どうなってしまうのかしら)


 アイリとも引き離されてしまった。自分はこれから一体、どこへ連れて行かれると言うのだろう。

 でも尋ねたところで、どうせ教えてはもらえないに決まっている。騎士と話したいことだって特になかったし、それは彼にしても同様だろう。


「狭いですか」


 だから、その声が自分に向けられたものだと気がつかなかった。ロゼリエッタは目をしばたたかせ、緩慢な仕草で騎士を見やる。

 再び青緑色の目と視線が重なり、ロゼリエッタは咄嗟に俯いてしまう。


「狭いですか」


 もう一度同じ言葉で問いかけられ、ゆるゆると首を振った。

 久し振りに聞く声に涙が溢れそうになる。声色を変えたりすることもなく、ロゼリエッタの知るクロードの声だった。


「クロード様、なのでしょう……?」


 たまらずに疑問が口をつく。

 夜会でのスタンレー公爵の言及には明確な答えは示されなかった。けれど今なら、二人しかいない今なら答えてくれるかもしれない。


「あなたの婚約者だったクロード・グランハイムは隣国で亡くなっています。もう二度と帰ることはありません」


 その淡い希望もたやすく裏切られた。

 クロードの瞳と声で、騎士はクロードではないと否定する。


 ロゼリエッタは顔を上げた。

 やはり夜会では目の色を見せたくなかったのか、今はあの時とは違って前髪が短く切り揃えられている。ロゼリエッタは勇気を出し、その目をのぞきこんだ。仮面越しに見つめる緑色の目は良く知るものと同じはずなのに、見たことがない色に見えた。


 結局、耐えきれずに顔を背ける。


「どうして、そんな嘘を仰るのですか。だって」


 今、私の目の前には。


 言葉を最後まで告げることは叶わなかった。

 騎士の手が伸ばされ、反射的に身を(すく)ませる。優しく触れてくれることを願い続けていたその手が、何の感情も読み取れない動作で髪飾りを外した。

 途端に緩やかな巻き髪がはらはらと頬を滑り落ちて行く。騎士はマントを外して髪飾りを包み、ロゼリエッタの手が届かないよう自らの身体の向こうに置いた。


「何故、勝手に外したのですか」

「髪飾りと言えど武器となりうるものです。今のあなたの手元に置くことは出来ません」


 疑われていることに胸が軋む。

 婚約者でなくなれば――他人になれば、ひとかけらの優しさも与えられない。


 彼にとってロゼリエッタは何の関係もない他人だ。それどころか主の命を狙った罪人である。優しく接する理由など、どこにもない。

 でもロゼリエッタはマーガスに危害をくわえようなんて考えたこともなかった。信じてもらう余地さえないことはとても苦しく、何よりも悲しい。


「騎士様に危害を与えるつもりなどありません」

「僕に何かをされるのが困るのではなく、あなたがご自分に何かをされては困るのです」

「マーガス王太子殿下に害を成そうとした罪深い身であってもですか」


 生まれて初めて皮肉が口をついた。

 騎士の目がわずかに細められる。ロゼリエッタの唇を、自嘲気味な乾いた笑みが彩っていることに気がついたのだろう。


 以前なら醜い姿を見せたら嫌われると思っていた。だからどんな時だって必死に押し殺し続けていた。

 でも、もう愛されることはない。その事実を受け入れてしまえば気持ちはずいぶん楽になった。ましてや目の前にいるのはクロードではないと、彼本人が明言したのだ。どれだけ本当のロゼリエッタを見せたって、何がどうなるわけでもない。


 愛されることも、嫌われることも、もうないのだ。

 ロゼリエッタを目的の地に連れて行けば最後、会うことだって二度とない。


「些細なものであってもあなたに傷を負わせたくない、それだけです」


 それは身体の弱いロゼリエッタが体調を崩して、尋問に支障が出ることを問題視しているのか。

 一応、丁重に扱う意思はあるらしい。そう思うと何だかおかしくなって、ロゼリエッタは笑みを深めた。


「私がここで傷を負わずとも、マーガス王太子殿下暗殺の罪を問われて投獄されるのではありませんか? そして処刑されて死んだとして、騎士様が何を心を痛めることがありましょう。私の命など、騎士様には何の価値もないものではありませんか」

「ロゼリエッタ嬢」


 騎士の声が険しさを増す。怒っているのだと分かった。だけどロゼリエッタだって、怒っている。


 クロードを忘れる為に領地へ行き、心の傷が癒えたらダヴィッドと幸せになると決めた。クロードの方もそれを望んでいたはずだ。


 なのに何故、再びロゼリエッタの前に姿を現したりなどしたのか。

 行方をくらまさなければいけない理由があったのかもしれない。だけどそれなら離れたままで良かったではないか。


 姿を見せるから、助けてくれたりなんてするから――ロゼリエッタはたやすく、心を揺らしてしまっている。

 クロードを忘れようと自分なりに努力して来た。でもそれらは全て、努力でも何でもない、ただの悪足掻(わるあが)きだと思い知らされているに等しい。


 ロゼリエッタ自身が忘れられるはずがないと分かったうえで、時間による解決を(はか)ろうとしていたのだ。

 なのに――傷が癒えきる前に会ってしまっては、どうしようもなかった。


「それ以上、心にもないことを仰ってご自分の心を傷つけてはいけません」


 騎士は今度は静かな声で言い含めるように告げた。白い手袋を外し、ロゼリエッタの頬に触れる。


 指先で目尻を拭う仕草に、自分が泣いていると初めて気がついた。

 でも、この涙の理由は覚えのない大罪を背負わされ、アイリたちと引き離されたせいだ。クロードかもしれない騎士は関係ない。

 だけど温かい手に、もっと泣きそうになる。


「――それが、本当の君の姿なのかな」


 小さな呟きが聞こえた。

 躊躇(ためら)いがちにそっと視線を向ければ、何故か騎士がひどくつらそうな表情をしている。


 どうしてそんな顔を見せるのか。

 ならば逆にロゼリエッタの方が聞きたい。


(あなたの本当の姿は、どのようなものなのですか。一度でも、それを私に見せて下さったことはあるのでしょうか)


 けれどその疑問もまた飲み込んだ。

 そうして、先に視線を外したのはロゼリエッタだった。騎士の手も、ゆっくりと離れて行く。最後に会ったあの日、クロードに「行かないで」とは言えなかったように、その手を引き留める言葉も言えなかった。


 ロゼリエッタは膝の上で指を組み俯く。


 馬車の車輪が立てる音は、ロゼリエッタの運命の歯車が回る音のようにも聞こえた。



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