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17. 静かな眠りの果ての悪夢

「向こうに着いたら手紙をおくれ」

「身体を冷やさないようにするのよ」

「休みの日に遊びに行くからね」


 一週間にも満たない日々は準備に追われたこともあって、あっという間に過ぎ去って行った。支度自体はアイリにほとんどを任せてはいたものの、時が経つにつれて新しい生活がはじまる、はじめなければいけないのだと気持ちに整理をつけるのに必死だった為だ。


 王都を離れることは家族とダヴィッド、ラウレンディス侯爵夫妻にだけ話した。

 色々と気にかけてくれていたダヴィッドには、週末に経つとの手紙を月曜日の午前中に送っていたし、昨日改めて事情の説明をする為に家へと足を運んだ。急な話ではあったけれどダヴィッドは何も言わず、それどころかたまに顔を見せてくれるという。


 後で問題になるのを避ける為、二度と王都には戻らないかもしれないこともちゃんと打ち明けた。

 婚約はあくまでもクロードからの手紙一つで頼まれただけだ。だからロゼリエッタの身勝手な行動を理由に、解消となっても仕方ないと思っていた。けれどダヴィッドは、いずれ自分も移り住めば良いだけだと笑った。

 やはり家を継ぐつもりは全くないらしい。ラウレンディス侯爵夫妻が複雑そうな顔でお互いを見合わせたことに関しては申し訳なさが募った。


「行って来ます」


 精一杯明るい声で告げ、アイリと一緒に馬車に乗る。不思議と涙は出なかった。笑顔で窓を開け、家族に向けてそっと手を振る。視線を上げれば、屋敷で働く人々の姿も離れた場所にたくさん見えた。見送りに出て来てくれているようだ。


 温かなものが胸を満たして行く。

 彼らに見えるよう大きく手を振って、別れの寂しさに泣きたくなる前に窓を閉めた。それを合図にして馬車がゆっくりと走り出す。


「まだ先は長いですから、お休みになられますか?」

「そうね。少し眠るわ」


 アイリの言葉に頷き、靴を脱いで広い座席に横たわる。長距離移動用の馬車は小柄なロゼリエッタが足を曲げて寝られる程度には幅広い。

 目を伏せると、ごゆっくりとお休み下さいませ、そんな優しい言葉が聞こえた。柔らかな布が頬に触れる。おそらくは膝掛けをかけてくれたのだ。


 ありがとう、おやすみなさい。

 そう答えたつもりが、ロゼリエッタの意識はすぐさま心地良い眠りの世界へと落ちて行った。




「お目覚めになられましたか」


 目を開けるとアイリの優しい笑顔がそこにあった。


「到着にはもうしばらくかかるようです」


 ずいぶん長い時間眠っていたような気がするけれど、そうでもないらしい。それでも同じ姿勢を取り続けていた疲労は少なからずあって、ロゼリエッタは掌を外側にして指を組むと伸びをした。


 眠っている間に光が差し込まないようにアイリが気遣ってくれたのだろう。馬車の中は仄かに薄暗い。しばらくは見ることのない風景を目に焼きつけようとふいに思い立ち、窓にかけられたカーテンを半分だけ開ける。

 次にこの風景を見るのはいつなのだろう。そんな感傷に浸りかけた心が違和感を覚え、ロゼリエッタは窓越しに通って来た道を振り返った。


「どうかなさいましたか?」


 隣に座るアイリが不思議そうに声をかける。ロゼリエッタは答えず、記憶の中の景色と実際の景色とを頭の中で重ね合わせた。


 領地に向かう道と違う。

 馬車の外を、全く見覚えのない風景が流れている。


 御者がいつもと違う道をあえて選んでいるのだろうか。いや、何らかの事情で予定を変えることになったのなら出発の際に伝えるはずだ。


(どういうこと?)


 いやな予感に背筋を冷ややかな汗が伝う。でも御者はカルヴァネス家で長く働いてくれている、信用のおける人物だ。十年以上も誠実に仕える彼が、ロゼリエッタをよからぬ場所へ連れて行こうとしているとはとても思えない。


 それに護衛だって二人、馬車の両側にそれぞれいるのだ。彼らも行き先は当然知っている。そこから外れたのを看過するなんてあるだろうか。


 だけど、胸騒ぎが治まらない。根拠もなく漠然とした、冷たい不安が奥底から込み上げる。


「大丈夫です、お嬢様」


 ロゼリエッタの不安を感じ取ったらしいアイリが、しっかりと手を握った。

 アイリの手を握り返し、目を伏せる。温かな感触に心がいくぶんか冷静さを取り戻して行く。でも芯の部分は未だ冷えたままだ。

 状況が分からないことにはロゼリエッタではどうしようもない。その為には目を開ける必要がある。おそるおそる目を開け、けれど自分の手元を見つめるのが今は精一杯だった。


「彼らは、そしてもちろん私も、どんな時もお嬢様の幸せを心から願っております」

「アイリ……?」


 どういうことなのか尋ねようとすると馬車が速度を落としはじめた。この状況で、領地に着いたからだとは素直に思えない。窓の外も相変わらず見知らぬ景色が続いていた。


 馬車が止まるのに合わせてアイリの指に力がこもり、すぐに抜けて行った。人気のない場所である為に周囲はとても静かだ。ひどく大きく伝わる心臓の鼓動は自分とアイリ、どちらのものなのだろうか。

 それはきっと意味のない行為だと分かっていながら息を潜める。外の気配に意識を集中させれば、くぐもったうめき声のような音が聞こえた気がした。次いで、金属同士がぶつかる音が続く。あきらかに外の様子がおかしい。どう考えても穏便な状態にないのは確かだった。


 ロゼリエッタの身に良からぬことが差し迫っていることは疑いようもない。ロゼリエッタとて、この期に及んでなおも大丈夫だと楽観的に状況を判断したりはしなかった。頭は最悪の事態の可能性も考えはじめる。つまり――武装した何者かに馬車が襲われたかもしれない、と。


(何か、武器になるものは)


 抵抗したり逃げたりする為ではない。どちらを選んだってロゼリエッタでは簡単に取り押さえられてしまうのは目に見えている。戦ったり抗ったりする為ではなく、危機を感じた際に自害する為だ。


(そうだわ、髪飾りの先端なら)


 ロゼリエッタは武器となりうる所有物に気がつき、髪飾りへ手を伸ばそうとした。その意図を察したのか、アイリが鋭く息を飲む。咄嗟に両手でロゼリエッタの手を包み込んだ。


「いけません。お嬢様、決して早まっては」

「でも」


 左右に首を振りながら懇願するアイリの口ぶりはまるで、こうなることを知っていたかのようだった。それから助けを求めるような目を馬車の外に向ける。一連の挙動は、アイリが何者かと(あらかじ)め結託していたのではないかという疑念を抱かせるには十分すぎた。


 馬車のドアが静かにゆっくりと開けられる。日中の明るい陽射しと、ドアを開けた人物のそれと思しき影が同時に馬車の中へ差し込んだ。ロゼリエッタは恐怖に固まって視線を向けることすら叶わなかった。


 完全に車内が影に染まる。昼間のはずなのに頭上から暗い影が落ちて行く様子は絶望の訪れにも等しい。


「ロゼリエッタ・カルヴァネス嬢。あなたにはマーガス王太子殿下暗殺未遂の容疑がかけられております。ご同行下さい」


 冷ややかな声が恐ろしい罪状を告げる。

 ロゼリエッタはようやく顔を上げ、視線を向けた。


 視界に入ったのは護衛のどちらでもなかった。

 白に金の縁取りが入った甲冑を身につけている。見覚えのある意匠は、王城に勤める衛兵と同じものだ。顔は口元以外を覆う仮面に隠れて見えない。ただその口元は固く引き結ばれており、仮面の黒と相俟(あいま)って友好的であるようには見受けられなかった。


 もっとも、顔が見えたところでロゼリエッタに分かるのはクロードかそうでないか。それだけのことだ。そして目の前の衛兵はクロードではなかった。


「馬車の御者や、護衛の二人に何かしたのですか」


 震える身体と心を叱咤して尋ねる。

 もし彼らに何らかの危害をくわえた後であるのなら、自分の身も無事では済まないだろう。

 取引なんて出来る自信はない。だからと言って何もしないでいるのはいやだ。ならば自らが何とかする以外なかった。


「ほんの少しの間、邪魔立て出来ないよう眠っていただいてるだけです。ただし、あなたの出方次第によっては穏便に済ませることは難しいでしょう」


 体格も良く、甲冑を纏う身で扉に身体を差し込むのは些か窮屈なようだ。衛兵は唯一のぞく口元を不機嫌そうに歪ませた。

 この状態が長引くのは非常に好ましくない。衝動的な感情をぶつけられることは恐ろしかった。だけど、犯してもいない罪を認めたらそれこそどうなってしまうのだろう。ロゼリエッタは無実を訴えるべく首を振った。


「私は、神に誓ってそのようなことはしておりません」

「あなたが潔白かどうかはこちらが判断することです」


 衛兵は淡々と言葉を紡ぎ、ロゼリエッタの手首を掴んだ。それほど力をくわえるつもりはなかったのかもしれない。けれど華奢な手首はきつく締め上げられたかのように痛みを伴って鈍く軋んだ。


「痛……っ」


 思わず悲鳴をあげたロゼリエッタに、アイリが血相を変えて声を張り上げる。


「お待ち下さい! お嬢様に手荒なまねは一切なさらないと、それが協力するにあたって最優先されるべきお約束だったはずです!」

「アイリ……?」


 ロゼリエッタはアイリを見つめた。


 それではまるで、アイリが本当に彼らの仲間であるみたいではないか。

 ロゼリエッタの安全を保証させ、代わりに無実の罪を着せて引き渡すことを了承していた。

 そう物語っているみたいではないか。


「アイリ……。ずっと私を騙していたの?」


 問いかける声はひどく空虚なものだった。



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