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15. 閉ざしたその奥にあるもの

「君にはとても、つらい任務を負わせてしまっているな」


 夜も更け、華やかな場もそろそろ閉幕を迎えようというタイミングで一足先に客室へ戻るなり、若き主は口を開いた。


「いいえ。全て最初から分かっていたことです」


 煌々とした灯りに照らされた室内には彼ら二人以外には誰もいない。身の回りの世話をする為の侍女も全員引き揚げさせていた。それでも騎士はなお、移動で生じたわずかな仮面のずれを指先で直しながら感情のこもらない声で答える。


 そう。全て分かっていたことだ。

 にも拘わらず目を背け、自分のエゴを貫いた。余計に悲しませる未来も起こり得ると知っていながら、その細い指を無理やり自分のそれと無理やりに繋いだ。そうして束の間の幸せと安らぎに浸り――結果、一方的に切り捨てた。


「だが」


 マーガスは端正な顔を歪める。

 主である彼が従者である騎士に許しを乞うように言葉を紡いだ。


「本来なら君はすでに――いや、叔父上の手で元より我が王家との一切の繋がりを断った存在だ。それが、私に力がないばかりに」

「殿下」


 自らを責めるマーガスの言葉を静かに遮る。

 許されざる不敬な行為だが、騎士はそれも(いと)わなかった。

 誰が悪いという話なら、悪いのは自分だけだ。自分が我慢出来ていたら、あの子が傷つくことなど何もなかった。


「及ばずながら殿下に協力すると決めたのは僕の意思です。そして殿下が御心を砕いて下さっていることは――僕の子供じみた浅慮が招いた結果に他なりません」

「クロー……シェイド」


 "クロード"と呼びかけ、マーガスは他の名を重ねた。

 "シェイド"は心すら覆う仮面の下で、感情のこもらない視線を返す。


 先に折れたのはマーガスだった。諦めた表情で濃紺のソファーに腰を下ろす。緻密な彫り細工で飾られた肘かけに右肘をもたせかけ、息を一つついた。


 もっとも、今ここで責任の所在の確認をしたって意味のないことだ。マーガスにはマーガスの事情がある。何を護り、何を犠牲にするか、彼の中でもとうに線引きされていた。

 だが、まだ若い王太子は非情には徹しきれず、今度は罪悪感の滲むため息と共に言葉を紡ぐ。


ずいぶんと(・・・・・)愛国心に溢れた(・・・・・・・)――スタンレー公爵か。彼は、君の正体に気がついているようだが」

「そうですね。公爵には子供の頃から何かと面倒を見ていただきましたから。騙し通せるとは僕も最初から思ってはおりません」

「大丈夫か」

「――おそらくは」


 仮にスタンレー公爵から"シェイド"の素性が広まったとして、さしたる影響はないはずだ。

 クロードが隣国の王位継承争いに関わっていると示されたところで、彼が属しているのは正統なる継承権第一位を持つ王太子マーガスの派閥と分かる。マーガスの元にレミリアが正妻として嫁ぐ以上、彼が王位に就けばこの国の益に繋がることは間違いない。だからクロードの立場としては、むしろマーガス派だと一目で分かる方がありがたかった。


 何よりクロードがマーガス派であることをいちばん良く知るのは、この国の貴族階級にありながら隣国の王位継承問題に私欲から首を突っ込み、あまつさえ反する王弟派に就く貴族たちだ。

 万が一にでも王弟がマーガスを蹴落として玉座を得た後、さらに私腹を肥やす為に彼らがこの国を食い散らかそうとする可能性がないわけではない。母国に仇なす国賊と言える存在は、少数ではあるが確かに国内にいるのだ。そして彼らを炙り出すことがレミリアから受けた命であり、クロードが正体を偽る理由でもある。


「殿下御自ら囮になって下さる以上、僕の身の安全など些末なことです」

「そうだな。君は一人の少女の身の安全の為だけに王太子たる私さえ囮にするのだからな」

「申し訳ありませんが、何のお話をなさっていらっしゃるのか分かりかねます」

「私は金曜の午後、客人が訪ねて来るから庭園で茶を飲みたいと言って準備をさせれば良いのだろう?」


 はぐらかしているのも意に介さないマーガスの言葉に、シェイドも観念して頷いた。


「実際には飲まずに、上手くこぼすなりして下さい」

「それはもちろん分かっているよ。私とてむざむざ毒を飲んでやる趣味はない。カップを自然に倒す練習でもしておこうか」

「ご自由に」


 シェイドは軽い冗談も取り合わずに無表情で答える。マーガスは肩をすくめ、しかし長引かせる話でもない為に話題を変えた。


「あの手紙の意図は何だと思う」


 仮面の奥の青みがかった緑色の目が初めて揺れる。

 ごく小さな感情のさざめきだ。それに気づく人物は多くはない。だが、残念ながらマーガスはその数少ない人物の一人だった。


 一通の手紙が、夜会に出席する為に支度をするマーガスに届けられたのは夕刻前のことだ。

 線が細く、若干の丸みを帯びた筆跡は女性が書いた文字と思われる。差出人は書かれてはおらず、女性からの手紙だと印象づける為か封蝋は桃色だった。


 見るからに疑わしい手紙だ。

 だが、何故か間に入っているはずの検閲を(くぐ)り抜け、それは未開封の状態でマーガスに届けられた。夜会に顔を見せるまで、マーガスがこの国を訪れていることは伏せられているにも拘わらず、だ。

 つまりその手紙は、ある程度の内情を知る者の息がかかっていることは間違いない。


「封蝋に押された印璽(いんじ)……それだけで君は、差出人を誰にしたいのか分かっただろう」

「――ええ。そうですね」


 桃色の封蝋に刻まれた図柄を思い出し、クロードは苦々しく息を吐く。

 筆跡は本人に代筆を頼まれたと言い訳がつく。しかし使用された印璽は誤魔化しが一切効かない。


 やや珍しい図柄は職人に特注したものだ。

 白詰草をあしらったそれはクロードが作らせ、ロゼリエッタにプレゼントした。同じデザインの印璽は少なくとも、クロードが知る限りでは存在していない。


「ロゼリエッタ・カルヴァネス嬢が殿下に人知れず手紙を送ったと、その事実だけが必要なのでしょう。おそらくは、僕やレミリア殿下への牽制の為に」


 手紙には少女めいた些細な憧れが綴られていた。


 諦められない恋心が叶わずとも、せめて金曜日に会いたいと。


 送り主の性格を(おもんぱか)れば、精一杯の勇気を振り絞ったのだと窺える。だがその淡い恋心は抱くのは自由であっても、抱いたのなら自らの中だけに秘めておかなければいけない類いのものだ。婚約者のいる令嬢が、やはり婚約者のいる隣国の王太子に伝えて良い想いではない。


 もちろんクロードは、手紙を認めたとされる少女の想いではないと分かっている。

 自分がいちばんに想われているという自惚れからではない。もし仮に手紙の内容が事実なのだとして、控え目な性格の彼女がこのような軽はずみな行動を取るとは思えないからだ。


「まあ、そう見るのが妥当だろうね。この印璽一つで君の動きが大きく制限されるんだ。向こうとしても手に入れるのに費やした労力を帳消しに出来る収穫だろう」


 庇護したいからこちらへ来るように言っても、事情を説明出来ないのだ。説得力のまるでない要請が拒絶されるのは目に見えている。

 しばらくはロゼリエッタの周囲の状況に目を配りながら後手に回るしかなく、そうするしか出来ない自分の選択ミスは悔やんでも悔やみきれない。


(――ロゼ)


 そこにいるはずのない、甘いミルクティー色をした長い髪が眼前に広がった。


 淡い幻想を呼び水に、一つの姿が鮮明に脳裏に浮かぶ。

 触れると心地良い髪。

 小さな白い顔。

 若草色の澄んだ大きな瞳。


 ――何かを伝えたそうに噛みしめられる桜色の小さな唇。


 いずれは手を取り合って結ばれる未来を夢見た、婚約者だった少女の姿だ。

 他ならぬ自分が、自分ではない手を取るように勧め、彼女は従った。


 それでいい。

 それで良かったはずだ。


 騎士用の正装の胸元に手をやる。

 その手の中には、まだ婚約者になる前の最愛の少女が渡してくれたお守りがあった。ずっと大切に、肌身離さず首にかけているものだ。

 少女そのものに触れる時のように、壊してしまわないようにお守りをそっと握りしめる。


 良いことがあるようにと四葉を探し、押し花にしてくれた。

 今でも彼女の純粋で温かな想いがそこに込められているようで、何度も手の中に包み込んだ。その度に彼女を抱きしめているようで満ち足りた気持ちになった。


「クロード、君は」

「その名はもう、捨てた名です」


 何よりも大切な少女の手を自ら離した日から、彼は"クロード・グランハイム"ではなくなったのだ。


 綺麗な世界だけを見せたくて。

 巻き込みたくなくて。


 自らの大部分を占めるものを切り捨てたのに躊躇う時間が長すぎた。その行動に何の意味もなくなった。

 クロードの遅すぎる行動を嘲笑うように、たった一人の大切な存在はいともたやすく利用された。彼女自身には何ら関係のない権力争いの道具にされている。本人の知らないうちに、あの可憐な花は汚い大人に踏みにじられてしまった。


 もう後戻りは出来ない。


 マーガスの言うようにクロードはロゼリエッタ一人の安全の為に、隣国の王太子の身を囮にすることを選んだのだから。



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