14. 新しい場所への帰り道
「わがままにお付き合いさせてしまって、申し訳ありません」
サロンを出て門へと向かう途中、ロゼリエッタは傍らのダヴィッドを見上げた。
あれだけ場の空気が凍りついた後だと言うのに、やはり隣国の王太子と、その護衛を務める素性を隠した騎士の存在は好奇心を煽るのだろうか。否、騎士に関してはスタンレー公爵に扇動され、あわよくば自分が正体を暴いてやろうと隙を伺う者もいるのかもしれない。
その流れを受けてなのか、今はサロンを後にする招待客も、逆にサロンへ向かう招待客もいないようだ。等間隔に灯りの並ぶ通路には巡回の衛兵と、忙しなく働く王城の人々が行き交うだけだった。
もしかしたら、ダヴィッドは友人と話をしたり、あるいは普段のように過ごしたかったかもしれない。会いたい人がいるならアイリもいるから大丈夫と伝えると、ダヴィッドは優しく笑みを浮かべた。
「夜会でなければ会えないような友人もいないし、問題ないよ。今までの相手探しだって、心配性な両親を安心させる為の表向きの理由でしかないしね」
ロゼリエッタとダヴィッドが婚約したという話は、まだ発表していない。
先程の令嬢たちの反応を見るに、クロードが隣国で行方不明になったことも未だ隠されているようだった。だから世間的にはロゼリエッタの婚約者がクロードであることにも変わりはないのだ。
ダヴィッドや彼の両親であるラウレンディス侯爵夫妻には、届け出が受理されたことでクロードとの婚約関係が解消されたと伝えてある。でも、それだけだ。
グランハイム家が何を思っているのか。それはロゼリエッタが知るはずもなく、カルヴァネス家も家格の高い公爵家相手に迂闊な行動は取れない。そこでラウレンディス侯爵夫妻とも顔を合わせて相談した結果、改めてグランハイム家に連絡を取ったのが数日前だ。今はその返事と動きを待つこととなっていた。
「本当にごめんなさい。ダヴィッド様やおじ様……ラウレンディス侯爵ご夫婦には何てお詫びを申し上げたら……」
「別にロゼが謝らなければいけないことは何もないよ」
もっともクロードはこの先、今日の夜会がそうであったように王女の護衛でありながら公の場に姿を見せなくなる。そんな状況でロゼリエッタがダヴィッドと共にする機会が多ければ、いずれ周りも好き勝手な勘繰りをはじめるだろう。そしてロゼリエッタに不利な憶測が飛び交うことは想像に難くなかった。
当然、そのような事態は歓迎すべきものではない。グランハイム家とて、かつて婚約者だった令嬢に悪評が立つのは困るだろう。だからダヴィッドとの婚約が正式なものとなる日も遠くないと思われた。
「迷惑なら、断れば済むだけの話だしね」
「――ありがとうございます」
「ロゼにお礼を言ってもらえるようなこともしてないけど、どう致しまして」
王城を抜け、正門へと続くエントランスに出る。昼間のように明るく華やかな城内とは打って変わって、外は時間相応の明るさだった。もちろん隣にいるダヴィッドの顔すら見えないほど暗いというわけではないものの、どうしたって寂寥感は覚えてしまう。
丸みを帯びた八角形に整備された植え込みは、月明りとほのかな照明を受けて淡く浮かび上がっていた。太陽の日差しの下では生命力に溢れた緑色に輝いている光景とは、まるで別のもののようだ。
植え込みには等分に区切るように石畳の通路が走っており、その中央では噴水が静かに水を噴き上げている。
サロンを出る時に頼んだ御者への言伝はすでに届いているはずだ。ほどなくして蹄の音が辺りに響き、優しげな黄白色の毛並みを持つ四頭の馬に引かれた立派な馬車が階段の下に到着した。
「――それにしても」
ロゼリエッタをエスコートした後で自らも馬車に乗り、ダヴィッドは口を開く。何かを思案した様子で白い手袋に包まれた人差し指を唇に押し当て、言葉を選びながらその先を続けた。
「マーガス王太子殿下の護衛を務めていた仮面の騎士殿とスタンレー公爵は、深い関わりがありそうな雰囲気だったね」
ロゼリエッタの肩がわずかに強張った。
ダヴィッドはロゼリエッタ以上に何も知らないはずだ。だから現に、あの仮面の騎士がクロードである可能性に思い至ってない。
婚約を解消した話はした。けれど、王家を納得させたその理由は未だに何一つ話してはいない。とは言え状況的にダヴィッドも察しはじめているのだと思う。
クロードが手紙一つでロゼリエッタを任せるような人物ではない。特別親しくはなくともダヴィッドとて、その程度の人となりは知っているのだ。
表には出せないことが少なからずある。そう結論づけているのは間違いなかった。
「スタンレー公爵閣下は外交にも携わっておられますし、既知の方なのでしょうか」
「うん。そんな感じはした」
ダヴィッドは頷き、目を細める。
「それも――元々快く思ってはいないんだろうね」
自分では何も出来ないロゼリエッタと、ダヴィッドは違うのだ。彼なりの情報網などを使って状況を調べているかもしれない。それならば、あるいはすでにロゼリエッタよりも多くの事実を掴んでいる可能性もあった。
それを聞いてもいいのだろうか。
気にはなるけれど、聞くことは躊躇われた。
(ダヴィッド様にも、あの呪文を使われたら)
そう思うと尋ねる勇気など出るはずもなかった。
『ロゼリエッタには教えない』
だったらもう、知ろうとすること自体が意味のないことだ。
「それよりも君と婚約するにあたって、さすがに状況が分からなさすぎるから、少しクロード様の動向を調べさせてもらったんだけど」
まるで心を読んだかのような言葉に、ロゼリエッタはダヴィッドを見上げた。目が合うと、ダヴィッドはほんの少し眉尻を下げて肩をすくめる。
「王家が――まあ、立場的にレミリア殿下かな。何にしろ、王家が深く関わっていて厳しい緘口令が敷かれているみたいだね」
「そう、ですか」
「今日もレミリア殿下が公の場に出るのに、クロード様が護衛についていなかったのも関係しているのかな。あのクロード様が君との婚約を解消しようなんて思うくらいだから、それなりの裏事情があるんだろうけど。ただ、もう少し調べてみるから何か分かったら君にも伝えるよ」
「ありがとうございます」
座ったまま、ロゼリエッタは頭を下げた。
ダヴィッドは、本当は何かを知っているのかもしれない。だけど思わせぶりな態度を取られるよりは、知らないふりをされた方がずっと良かった。
ロゼリエッタは視線を彷徨わせ、再びダヴィッドを見つめる。
婚約の解消こそ一方的なものではあったけれど、誰もロゼリエッタに"こうあるべきだ"と強要はしなかった。だから後は、あくまでも自分の意思で決意するだけだ。
深く息を吸い込む。
それだけで心の奥底に重くわだかまった迷いが完全に消えることはないけれど、静かに凪いで行く気がした。
今の自分がするべきこと、出来ることは決して多くない。でも、どれも重要なことだった。
クロードを忘れること。
周りに心配をかけずに一人でもしっかりと立てるようになること。
それから――。
「ダヴィッド様、この数日間で私なりに考えていたことがあるのです。それを今お話ししてもよろしいでしょうか」
「考えていたこと?」
「はい」
ロゼリエッタは小さく、けれどはっきりと頷く。
口に出してしまったら、もう後戻りは出来ないだろう。
でもその方がいい。
いつかクロードが再び婚約を申し込んでくれる。
なんて起こりようもない奇跡に縋りついて生きて行くより、周りの人々も祝福してくれるに違いなかった。
「療養も兼ねて王都を離れようと思っています。まだ家族には何も相談していませんが、きっと――賛成してくれるかと」
「ロゼ……」
ダヴィッドは目を大きく見開いた。聡い彼のことだ。ロゼリエッタがそこに秘めた想いや覚悟に気がついたのだろう。
冷静沈着で大人なダヴィッドでもこんな表情を見せるのか。そう思うと少し楽しくなってしまった。ちょっとした悪戯が成功した時のように口元が自然に綻んで来る。
「だからもうクロード様のことは大丈夫です。もう――全て終わったことですから」
少しの沈黙の後、ダヴィッドも笑みを浮かべた。
「頑張ったね」
「ありがとうございます」
そうして、労わるようにロゼリエッタの頭を軽くぽんぽんと叩く。
優しさに満ちた手に涙がこぼれそうになるのを堪えて微笑みを返した。
彼に愛されるはずだった女性は、さぞかし幸せになれただろう。
あるいはロゼリエッタがクロードを想うように、ダヴィッドにも心に決めた女性がすでにいるのかもしれない。
だけど本来なら結ばれていたであろう二人をロゼリエッタが引き裂いた。
もしそれを言えば、選んだのは自分だと笑うダヴィッドの姿は簡単に想像がつく。でもロゼリエッタの心は変わらない。一人で立てずにいたせいでダヴィッドを犠牲にしたと、自分を責め続けて行くのだ。
それが、ただの自己満足でしかないと分かっていても。