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11. 王女の使者

 父と同年代と思しき文官は表情を全く変えることなく、ロゼリエッタの提出した封筒を受け取った。中の書類をざっと検め、やはり感情の窺えない声で一言のみを告げる。


「確かに受理致しました」


 このような事態が頻繁にあることだとは言えないまでも、制度が存在する以上は婚約の解消の申し立ては何度かあるのだろう。見ず知らずの相手からの同情や憐憫(れんびん)ほどつらくなるものもない。だから文官の事務的な対応は逆にありがたかった。


 それでも、人生に大きく関わる事柄だ。もう少し――上手く説明は出来ないけれど何らかの波風なり煩雑(はんざつ)な手続きなりがあると思っていた。


 でも、こんな簡単なやり取りで終わってしまうものらしい。

 それはクロードの中でロゼリエッタの存在など"こんな簡単に終わらせられる"程度だと告げられているようで、散々傷ついて疲れ果てたはずの胸をなおも軋ませた。


 いつまでもこの場に残っていたところで文官の仕事の邪魔になるだけだろう。ロゼリエッタは一礼すると部屋を出た。事務的な態度の文官は、机に積み上げられた書類の束に目線を向けている。ロゼリエッタから同意書を受け取ったことももう忘れたかのように、反応はなかった。


「お疲れ、ロゼ」


 廊下に出ると父と兄、そしてアイリが待っていた。父が仕事の為に登城する際、一緒に連れて来てもらったのだ。自分用の馬車で登城しているレオニールも、城内で落ち合って付き添ってくれた。


「頑張ったね。家に戻って、ゆっくりおやすみ」

「はい」


 優しく頭を撫でながら告げる兄の言葉にロゼリエッタは頷く。

 これから王城内での仕事がある父や兄とは違い、ロゼリエッタが王城に留まる理由もない。

 もう、全てが終わったのだ。父の馬車を借りる手配も整っているし、兄の言うように家に戻って、何も考えずにゆっくりしよう。


「恐れ入ります。ロゼリエッタ・カルヴァネス様であらせますでしょうか」


 父と兄に別れを済ませたロゼリエッタに、一人の女性が声をかけて来た。濃紺のお仕着せに身を包む彼女は、おそらくは王城に勤める侍女だろう。


 けれどロゼリエッタが声をかけられる覚えはまるでない。侍女からの問いかけを肯定はしたものの、その後どう言葉を続けたら良いのか分からずに次の動きを待つ。


 行儀見習いとして勤めているのか、侍女はとても綺麗な所作で礼をするとロゼリエッタを真っすぐに見つめた。


「レミリア王女殿下が、ロゼリエッタ様にご用があるとのことです。急なお話ではありますがどうぞ足をお運び下さい」


 ロゼリエッタは咄嗟に彼女の纏うお仕着せの袖口に目を向ける。そこには赤いバラの飾りボタンが縫いつけられていた。レミリア付きであるという証だ。


「もちろんお帰りの際には王女殿下の名誉にかけ、カルヴァネス侯爵邸まで責任を持ってお送り致します。よろしいでしょうか」


 後半はどちらかと言えばロゼリエッタではなく、父や兄に向けた確認のようだった。二人はお互いに顔を見合わせ、ロゼリエッタを見やる。判断を一任するということらしい。


 ロゼリエッタは軽く唇を引き結び、「分かりました」と頷く。

 今日は体調が優れないとでも言って断れば良かっただろうか。でも、日を改めたところで事態はロゼリエッタに都合の良い方へと好転はしないのだろう。それならば、つらい思いをする日は少ない方がいい。


「ではお父様、お兄様。レミリア王女殿下の元に行って参ります」

「いってらっしゃい」

「ロゼを頼んだよアイリ」

「畏まりました」


 家族と再び別れの挨拶を交わし、ロゼリエッタは侍女の後をついて歩き出した。




 侍女は広い城内をロゼリエッタの歩く速度に合わせながらも、一切の迷いを見せずに進んで行く。

 父たちといた執務の為のフロアを出て回廊を渡り、夜会が開かれるサロンや晩餐会の開かれるバンケットホールのあるフロアも通り抜け、さらに回廊を歩いた。


「お嬢様……」


 アイリが小さな声で名前を呼ぶ。ロゼリエッタも無言で深く頷き返した。


 この先のフロアにあるのは王族が私用に使う部屋ばかりだ。ロゼリエッタも入るのは初めてだった。そして――レミリアの護衛を務めるクロードがいた場所でもある。


 廊下の両側には良く知る人物の案内なしでは戻れないような、一見しただけでは同じに見える扉が並んでいた。途中の角を何度か曲がり、侍女はようやく、一際立派な装飾の施された大きな扉の前で足を止める。

 ノックに応え、内側から扉が音もなく開いた。中央にテーブルセットの置かれただけの、内装としては簡素な部屋には三人の侍女が控えているだけだった。レミリアらしき姿はない。にわかにアイリが警戒を強める気配が背後から伝わって来る。


 奥にはさらに扉があった。ならば、あの向こうにレミリアがいるのだろう。すると侍女はアイリへとソファを指し示した。


「殿下はロゼリエッタ様とお二人での面会をご希望されております。恐れ入りますがお付きの方はこちらで待機なさって下さいませ」

「それは、」

「いいのよ、アイリ」


 アイリはいつもロゼリエッタを心配してくれている。だから今も、人払いをして会うにしても姿を先に見せるのが道理ではないのかと思っているのだろう。何度も通されたことのある場所ならまだしも、初めて案内された場所なのだからなおさらだ。

 だけど、王女付きの侍女と思しき相手にあからさまに不満を(あら)わにするのは褒められたことではない。ロゼリエッタはやんわりと宥めた。


 まがりなりにも城内である。もしレミリアの侍女を騙っているのだとしても、この場で起こせるようなことは限られているだろう。それに彼女は、父と兄の前ではっきりとレミリアの名を出した。この部屋に来るまでの間だって人目のつく場所を通って来ている。後ろ暗いところがあるようには思えなかった。


「レミリア殿下、ロゼリエッタ様をご案内致しました」

「どうぞ、入って」


 侍女はアイリの態度を気にした様子もなく、扉をノックをした。用件を伝えれば、扉越しにレミリアの声が返って来る。

 アイリもようやく警戒心を解いたようだ。けれど今度はレミリアと対面することを心配した表情でロゼリエッタを見つめる。


 ロゼリエッタは大丈夫だと頷き返した。

 正直な気持ちを言えば、レミリアには会いたくなかった。今だって何を話したらいいのか分からないし、今になって何を話したいと思われているのかも分からない。


 スタンレー公爵は、レミリアとクロードに隣国のスパイ疑惑があると言っていた。その真偽を問い質す心づもりも全くない。真実がどこにあったって、ロゼリエッタが関わることはない話だ。


 侍女の開けた扉から奥の部屋に入る。途端に覚えのある甘いバラの香りがして、確かにレミリアがいるのだと思った。


「急に呼び出してごめんなさいね」


 二人きりになるとソファに腰を下ろしていたレミリアが立ち上がり、歩み寄って来た。足元に視線を落としていたロゼリエッタは顔を上げ、淑女の礼で(もっ)て応える。だけど目が合わないように、バラ色の唇の辺りを見るのが精一杯だった。


「――ロゼ」


 レミリアは両手を伸ばし、ロゼリエッタの頬を包み込んだ。

 合わせたくなくて彷徨わせていた視線が重なる。けれどすぐにロゼリエッタの心が悲鳴をあげた。弱々しくかぶりを振り、逃れようともがく。


「ロゼ……。ごめんなさい」


 いつかクロードがそうしたように、レミリアもロゼリエッタの身体をそっと抱きしめた。そうして、やはり彼女もまた、ごめんなさいとひたすらロゼリエッタに詫び続けるのだ。


 ロゼリエッタが心を寄せる婚約者であるクロードも、そして彼が愛するレミリアも、とても優しい。でも、同じくらい残酷だった。彼らはきっと、その優しさこそがロゼリエッタを傷つける、いちばん残酷な行為であることに気がついてはいないのだろう。


 ロゼリエッタは身じろぎも出来ずに、ただぼんやりとシャンデリアを見つめた。



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