従姉(最低)が転校生として学校に来ました
学校まで歩きながら涼歌と他愛のない会話をしていた。電車の吊り革を盗んだらどうなるか、とか、死海なら水の上を走れるのか、とか。
端々から滲み出る最低発言に嫌悪を感じつつも円滑に会話を繰り広げようと努力する。
なんかやってる内に『これ意味あんのか?』と思うが、そんなんじゃ駄目だと毎度自分を律していた。
「それにしても変わったよね。最後に会ったのは二年前だけど一瞬誰かわからなかったよ」
「見た目以外変わってないし。それを言うなら涼歌のほうこそ変わったよ。何か武術でも始めたのか?」
昨日玄関前で無意味はっ倒された時にふと思ったことだ。なんというか重心が円軌道に動いたような気がした。
「うん、合気道を少々。友達に誘われたから中学三年にやってた」
「やっぱりな。どうせ俺を転ばせようとして始めたんだろうけど……」
「そんな不純な理由で始めてたらぶん殴られてたよ」
どちらにしろ随分と物騒なやつがいたもんだ。友達を合気道に誘うやつもやつだが。変わり者の周りには変わり者が集まるのかね。
あくまで涼歌が本当のことを言ったのならという制約付きではあるけれど。
「護身というよりも利便性かな」
「武術を利便性でやるとは……実際そういうもんなのかな」
何の意味もない会話を続けようとしていたが、後ろから「あっ」という声が聞こえて涼歌は振り返った。
涼歌の背中に誰かがぶつかってきたらしい。本を立ち読みしている危ないやつだった。
背低めの眼鏡女子。
彼女は伏せ目がちで真っ赤に謝る。
「す、すみませんっ」
涼歌は愛想よく「大丈夫」と答えた。俺にもこれくらい優しくなって欲しいが文句は言えまい。
関係ない俺は眼鏡少女が右手に持っている読んでいた本を好奇心で覗いてみた。
『ニコマコス倫理学』
何読んでんだこいつ。
勤勉とかじゃないだろ最早。
「な、涼歌」
「は? 突然同意を求めないでくれる。そういうの面倒なんだけど」
「……俺に当たりが強い」
何を言っても罵倒されそうなのでこれっきり喋らないことにした。眼鏡の彼女には人間失格でも読んどけと言いたかった感はあるけど。
俺と違って基本コミュ力が高い涼歌は流れるように会話を紡ぎだす。
「んっ? えっと、私も二年だから運が良ければ一緒にクラスになるね。転校生だから友達いなくて、だから友達になってくれたら嬉しいな」
友達になってくれたら嬉しいな、だと?
別に普通だけど、地味に断りにくい言い方ではある。質問しているようでしていないというか『そっか』と答えるしかない。
「は、はい、その時はよろしくお願いします……」
ほらな。表情からして全然そう思ってないのに言ったよ。
そしてそれを嬉々として眺める筑波音涼歌はやはり性悪でしかない。本心と演技での笑顔はどことなく違うものだ。
涼歌を無理矢理引っ張るようにしてこの眼鏡少女との距離を取った。「じゃあ、またね」という台詞も忘れずに言っていた。
本当によくやる。
変わりたいと思ったけれどここまでの面を作りたい訳ではない。
「……そんな楽しかったですか」
「とりあえず今日はこれくらいで満足しておくよ」
「サディスティックエンプレスが板についてきてるじゃないか」
「キラッちがそれ言う?」
「キラッちってな……確かに昔そんな風に呼ばれてた時代はあったけどさ……涼華にだけ」
さりげなく後ろを振り返ってみると眼鏡の彼女はゆっくりとした足取りで歩を進めていた。流石に読み歩きは止めたようだ。あんな化け物がでる可能性があるのなら俺もやめる。
「意外と顔に出るタイプだよね。そんなに私のこと嫌いなんだ」
俺が涼歌の悪意に気づくように、涼歌も俺の悪意に気づく。付き合いが長いだけになんとなくわかってしまう。遊びの範疇ではあるけど。
「そろそろ学校に着くな。とりあえず職員室まで行けばいいんだっけ?」
「案内してくれるの?」
「まぁ、なんとかの船―――壊れかかった宇宙船だっけか?」
「それってかなり絶望的だね。さらわれた豪華客船ね」
「それはタイタニックな」
ジョークはジョークだけれど、さも当然のように堂々と間違えた振りをしやがって。俺も同罪ですけどね。
正解は乗りかかった船。
しかし、始業式ではなくその翌日に学校に来るとは。面倒だからってな。
苦笑いしか出なかった。
それは突然のことだった。涼歌を職員室へ運んだ後、影のように教室へ入り込んだ時のことた。
なんか男子が盛り上がっていた。周りのことを気にせず雄叫びをあげていた。耳障り耳障り。
チャラそうなやつが「今年の一年は可愛い娘ばっかだぞー」的なことを言っている。「うおおおおおー」という大音響も続いてきた。
うん、どうでもいい茶番。反対デモをしているような感じと言うと語弊がありそうたがそんな風。傍から見れば見苦しいことこの上ない。
人を避けつつ窓際の一番前の席に腰を下ろした。孤立していてああいうやつらに囲まれる心配はない良い席だ。
一喜一憂とか恥ずかしくてできないわ。後から思い出したら黒歴史になるタイプの事柄だ。
「ちなみにターンエーは見ていないけどな……」
「今ターンエーって言った?」
「あ」
不用意な発言をしたばかりに誰かが反応してしまった。えーと。
ちなみにそちらサイドに関してはほとんど知らない。ZXがどうとかもわからない。型番とか言われても『お前を殺す』としか答えられないレベルだ。
声が聞こえたのは後ろの席からだった。勿論男。恐る恐る振り返る。「ええと…言ったけど」
「もしかしてターンエーって言ったけど実際見てない人?」
いきなり察してきた爽やかな好青年。はて、どこかで見たと思ったらさっきのチャラそうなやつだ。いつの間にか自分の席に戻ってたのか。
「まぁ、見てないね」
「俺もだけどさ。アニメとか好きなんだ」
まだそんなこと言ってないけど……あってるけどさ。
「嗜む程度には」
「俺もアニメ好きだからいつか色々な話そうぜ」
「…」
俺の返事も聞かずに教室後方へ流れていった。何だったんだあいつ。
見た感じはいいやつだけど。
「人気者ね…」
ふと教室廊下側を見ると誰だろう。女子がたむろっている。
ああ、関石さんだっけ。
彼女の周りにやっぱり沢山集まっていた。
人気者ね…。
当事者になってみないとその気持ちはわからないよな。人生このかた人気になったことはない。人気がないのはいつものことだけれど。
縁が合ったらって感じだな。
ホームルームの時間になると丁度に担任先生が現れた。その後ろには我が従姉、筑波音涼歌がいる。
転校生ね…。
クラスメイトの反応はありがちでありきたりなので耳を塞いで、俯いて時が過ぎるのを待った。
みてくれはそこそこだったはずだから俺みたいにハブられることはないだろう。あの悪意を表に出さなければの話だが。
心の中で四百秒程数えてから手を耳から外して、顔を上げた。
まだ涼歌はいた。先生もいた。
けれど静かだった。何故か静かだった。
先生が唖然とした顔でこっちの方を見ていたのが印象に残る。訳がわからず頬杖を付いていると、全体的に視線を受けているような感覚を得た。
やがて静かなざわめきが聞こえてきた。
「ええ…と」
ようやく振り返るとほとんどの生徒が本当にこちらの方を見ていた。どう頑張ってもこちらの方はというのは俺のようだ。
皆はわかってるけど自分だけわかってない系の疎外感―――久し振りで心地いい。
「そういうことか」
冷静に見回してみると涼歌はすこぶるような笑顔をしていた。それを見たら誰だって気づく。
そりゃ、俺に害ある凶悪な嘘を吐いたんだろうなぁ!
まったく勘弁して欲しい。
表情からしてそんなに大きい嘘ではないと思うけど。初見の人は度肝を抜かれるだろうな。
「よろしくお願いしま~す」
クラスメイトを他所にして気の抜けたよな台詞を言ってから涼歌は席についた。廊下側一番後ろの席なので、対角線上だ。
という訳で気まずい雰囲気の中、授業が始まった。