人類最低の従姉、筑波音涼歌
教室に関石とか言う乱入者が入ってきたので、放課後自習を早々に終わらせて学校を出た訳だが。
青空に当てられて良い気分で帰途についていると視界に人影が映り込む。こんなところに人がいるとは。
「っと…………」
帰り道というか、家の目の前に誰かがいた。
目を閉じて格好良く外壁に寄りかかって腕を組んでいる、またしても女の子。
それにポニーテールだ。
「……ん? あれ?」
見覚えがあると思ったら――従姉だった。学校にも行ってなさそうな私服で佇んでいる。何故こんなところにいるのかは勿論わからない。
むしろどうでもいいけれど。
すると、従姉は目を開けて俺のことに気づいた。
「…………」
「…………」
眼中にいれずに鍵を取り出す。
無視して家に入ろうとしたら――。
制服の襟を掴まれて、足をかけられ、流れるように玄関前に座らされていた。
一秒にも満たないような時間で完全に制圧される。なんだかおかしい。
「あー……あ? 地味に痛い……ていうか何でいるんだよ涼歌!?」
「勝手に無視しといてその台詞?」
従姉の――筑波音涼歌、同い年だから今年度は高校二年生のはず(留年してなかったら)。どこかの女子高の寮暮らしだったと記憶しているが。
ちなみに女子にはっ倒されたことに関しては気にしない。よくあることだ。
しかし何でこんなところにいるんだ?
上から俺を見下ろすのに満足したのか一変笑顔を見せた。
「久しぶり、きせ君」
第一声。眉がピクリと反応してしまう。
「その呼び方はやめろ。理由はともかくチャラい感じがするんだよ」
「えっ? じゃあキー君とか? 何か変だなぁ」
「それもやめてくれ。変ならそもそも呼ぶな」
「じゃあ何て?」
文句を言ったものの何て呼ばれたいのか自分ではわからない。
しっくり来る呼び名が見当たらない。流石にこんなくだらないことで時間を割くのは馬鹿らしいしな。
「……昔の呼び方でいいよ」
すると涼歌は驚いたような表情を浮かべた。決して驚きはしていない。さも意外そう、とでも言った方が正鵠を射てるような感じ。
「……あんなに嫌がってたのに……?」
「ガキだったんだよあの頃は。今さらそんなこと気にしないから」
「折角色々渾名を考えてあげたのに。勿体ないから使い切るまで名前は呼ばない」
「そういう所拘るよな筑波音家って」
こんな感じで二年ぶりに従姉と再会した。
なんだかんだあって、リビングのソファーで向かい合う形になっている。テーブルを挟んでお互い足を組んでいると、組んだ足が鏡合わせになっていたので逆にしてから話を切り出した。
「で、何でここにいるんだよ?」
さっきは、はっ倒されて答えを聞けなかった。
既に我が家気分の涼歌は自分で準備したコーヒーを一口啜ってから答える。
「別に従弟の家に行くのに理由なんているの?」
「相手が人類最低じゃなかったらそう思ったよ」
「まったくもって酷い言い草! 人類最低なんてなかなか出る言葉じゃないよ?」
「とにかく――兎にも角にも、何でここにいるんだよ?」
最近の若者がテキトーに『それな』というノリで「ここに住むことにしたから。つまり転校」と言った。
「えっと……なるほどそういうことか」
ここで、俺の担任先生の手伝いがリンクする訳だ。教室へ運んだ書類と任された訳、職員室での雑談の意味はこういうこと。
先生は俺の従姉が転校生だということを知ってる前提で喋っていたようだ。だから噛み合わなくて愛想笑いばかりするはめになったのか。
しかし、こいつと関わるのはすこぶるまずい。それと同棲って鬼畜過ぎる。
しかし、父親が納得したのなら俺にはどうすることもできない。
転校は既に決定していることだ。本格的にどうしようもない。高校生に社会的地位も何もないから自由性は親に寄ってしまう。
諦めよう。だが言わせて欲しい、本人に。
「マジで憂鬱だ。涼歌……そんなに俺のこと嫌いなのか?」
「ホント酷いなぁ、大好きだよ。どれくらいかと訊かれたら卵焼きくらいだけど」
「人類最低が何言ってんだ」
「その渾名がセンスないこと気づいてる?」
目頭を押さえる。ここまでの悲劇がこのタイミングで現れるというのはやっぱり悪意しか感じない。
昔の俺ならいざ知らず『今』の俺には辛いものがある。変わろうとしているのに、過去に引きずられてしまうというか。
「いつからここに住むんだ?」
「えっと、明後日から。登校は明日からだけどね」
「そっか……」
涼歌をリビングに取り残して二階の奥の自分の部屋に向かった。
従姉だから放っておいてもいい。
精神安定の時間。
とりあえず頭を空っぽにしないと狂ってしまいそうだった。ベッドに仰向けで倒れる。
暫くすると遠くの方から玄関の扉が開けられる音、続いて閉まる音が届いてきた。
「ああ、最悪だ……いや最低か」
ため息混じりに呟いていた。
俺が、誰よりも筑波音涼歌のことが嫌いな理由は単純。
自己投影。
最も醜く、最も忌み嫌われる人間の行為の1つ。
涼歌の見せかけの欠点、つまりは最低さを見せつけられることで俺の精神は揺さぶられる。
善意も悪意も分けることもできない昔の自分が思い出される。
質の悪い偽善で偽悪な人間が。
だから嫌いで。
そして、昔はそんなやつじゃなかった涼歌にすがっている俺はさらに気持ち悪くて、最低なんだろう。
人は変わる。
だから過去を押し付けるのは傲慢で。それは七つの死罪の一つ。いつの日からも敬遠されていた感情。
昔のほうが良かったからって今を否定していい理由にはならない。
自己投影の末の自己嫌悪。
「受け入れる、か。できる自信はないな」
それでも、俺は変わろうと思っている。
だからそれでいいはずだ。涼歌の存在くらいで揺らぐようならその程度だってことだし。
ならそれはそれでいい。とるに足らない問題ってやつだ。
それにいつかはどうでもよくなる日が来るのだから。時間が解決してくれることの一つが人間関係だから。
そんな決心をしている内にいつの間にか夢に没入していた。
世界は確実に変わっている、そう心から思った。
人が変われば世界も変わって見える。
翌日朝、家の前には涼歌がいた。
制服、ブレザー姿で肩には学校制定のバッグがかかっている。
いつものように、まるでいつものことかのように「おはよう」と言ってきた。
だから俺も何事もないただの従姉として挨拶を返す。
「おはよう」
できるだけ平静を装った。多分これ以上なく自然だっただろう。
まずは第一歩。
こいつのことを好きになることから始めようか。これくらい頑張らないと目標に全然釣り合わない。