ヒロイン(仮)関石嶺華
素晴らしき青空に清々しい風、神様が門出を祝ってくれているんじゃなかろうか。
黄金に輝く朝の空を見てそう思う。
――私立十波羅高校への登校。
始まりの季節、出会いの季節、また何か。去年の俺なら一寸足りとも関係ないことだったけれど今は違う。
桜色の空も、極彩の世界も信じられないくらいに美しく見えた。
今年度から二年生に進級するにあたって。
漠然と高校生活頑張るとは言ったもののどうすればいいのかは鋭意検討中だ。
とりあえず、高校一年生時の怠惰を解消して健康的かつ、活動的な人生を送ることにしよう。
ありきたりな始業式とありきたりなホームルームの後、担任の先生に放課後雑用を頼まれて職員室へ行くこととなっていた。
別に先生と因縁があったりする訳ではなく出席番号一番の俺が都合が良かっただけの理由で。最悪だ。
職員室の扉を開ける。
「失礼します、二年五組、天風です………――先生に用があって来ました」
用事を言うにも担任の名前を言わなければならないがわからないから名前の部分を濁した。人の名前を覚えることに慣れていないのでなかなか記憶できない。
正面入口に張り付けてある教員座席を適当に確認してから、指定の席にいる黒髪を下ろしている後ろ姿を見つけた。
座席に近づくと、先生は俺のことに気づく。
「ごめんね天風、ちょっと忙しくて」
担任、女教師、なかなか若い、性格は割かし緩く取っつきやすいタイプの先生。これといった特徴も無い普通の人、むしろ嘗められがち―――って何様だよ俺。
いつも癖で見下して気味になってしまう。この癖も直さなければ。
「どうしたの? 項垂れて」
「あ、いえ、自分の駄目さ加減に嫌気がさしていただけです。で、手伝いって何すればいいんですか?」
「ああ、とりあえずこの束を教室に運んで欲しいんだけど」
先生が指差したのは一抱えはある紙束をさらに積み上げたタワー。視界を大幅に狭める空間面積。確かにこれを運ぶには女性には大変かもしれないけれど、それは男でも同じ。二回に分けて運び込む必要がある。
「わかりました」
「ありがとね」
「二回に分けて運びますからまた来ます」
「ごめんね」
先生は微笑みながらそんなことを言った。その表情は存外可愛いと思った―――って何様だよ俺。
脈絡もない少しの雑談を終えて紙束を半分ほどを抱えて職員室を出た。
「意外と重い」
先生に気づかれない程度におもいっきりため息を吐いてから歩き出す。
教室に到着した頃にはクラスメイトは一人もいなかった。それはそれで好都合。雑用しているのを不憫な目で見られずに済むし、偽善者と思われるのはもっと嫌だ。
そしてまた往復。教室にタワー移転させた。試しに一部を見てみると『転校』という言葉を多く見かけた。
もしかしたらこのクラスに転校生が来るのかもしれない。初日のタイミングで来いよ。
暇を持て余していたので、その後、教室で自学自習をすることにした。人間、本当に暇だと勉強でもしてしまう。退屈とはそんな恐ろしい感情なのだ――あんなのはもう御免だ。
こういう意味でも一人なのは好都合である。
「もしも『高校授業は難しいか?』と問われたら」
席に座り数学Ⅱの教科書を開きながら呟いた。
教科書レベルは簡単だろう。理由は単純そういう風にできているから。文部科学省の素晴らしき知恵の結晶だ、わからないはずはない。
例えば、今さら中学生レベルの問題を解いたら簡単! という感じで前もってやっていれば後で簡単となる寸法。考えるまでもないくだらないことだった。
「まぁ、当たり前か。どうでもいいけど。ええと……」
数学であっても紙に書く派ではなく、見て覚える派だ。脳を無理矢理使うことが活性化に繋がるらしいから実践している。
と、いうのは建前で文字を書くのが面倒臭いだけ。つらつらと教科書を読む。覚えようと読めば、かなり神経を使うから直ぐに眠くなる。
しばらくしてページを捲れば、嫌な単元に差し掛かった。
その時――廊下から足音が一つ。
軽い、ゆっくり、一定間隔――の三拍子。メトロノームのような足取り。
なんとなく近づいてきているように聞こえるが気のせいだろう。集中力が切れ始めているみたいだ。
縦横無尽にペン回しをしていると教室の扉が開いたかのような音がした気がする。どうせドッペルゲンガー的なあれだろう。
「それを言うならポルターガイストか」
という訳で誰かがこの教室に入ってきた。不思議なことに全て気のせいではなかった。
けれどここで振り返るとおもいっきり反応してるように見えてなんか癪だ。心が狭いなと自分でも思うが、譲れないこともある。下らない下らないプライドだ。
黙々と勉強すると見せかけてペン回しをしながら気配を探っていると「あれ?」と入ってきた人が呟いた。
俺のことに気づいた模様。
けど、誰?
女子の声だが。クラスで集まるのは今日が初だから名前聞いたってわからないだろうけど。
心地良い静寂を切り裂く足音が俺の後方へやって来る。何故かそこで立ち止まっている。振り返ろうか迷ったが、後ろを向くのはやはり嫌なので、シャーペンをわざと落としてみた。
「シャ、シャーペンが落ちたー」
わざとらしく困った声を出した。勿論棒読みだ。
すると視界内に女子制服が映り込む。腰を折って床に落ちたシャーペンを拾っている。
自然とスカートに目がいく。短くはない。
その少女はペンを手に持って上体を起こした。綺麗な流線を描くように滑らかな動きだった。
そして「はい」とシャーペンを手渡される。ここでようやく顔を見ることができた。
当たり前だけど女の子。
とりあえずお礼だけは気持ち程度に言っておく。俺がわざと落としただけだし、あちらが勝手に拾っただけだから別に恩を感じるのはおかしいかもしれないが。
「ああ、ありがとう」
「どういたしまして」
彼女は微笑んだ。
完璧な笑顔。こんな完璧な笑顔は初めて見たのに、それが完璧だと直感できるくらい完璧だった。
丁度顔を合わせられたので尋ねることにした。
「どうして俺の背後に立ってたんだ? 背後に立たれるとと反射的に攻撃をしてしまいそうになるんだが?」
と、長々しいことを言う訳も度胸もないので簡潔に「何か用?」と訊いた。
簡素、故に刺を感じなくもない言い方だっけれど彼女は気にすることなく答えた。
「勉強やっててすごいと思ってさ」
「…………」
今までの俺ならやはり「別に用が無いなら、わざわざくるなよ」と言っていただろうがグッ、と飲み込んだ。
きっと仲良くなる切っ掛け作りだ。そう思えば意味もあるはず。当たり障りなく答える。
「頭良くないからこうでもしないと着いていけないんだよ」
本当のことは言っていない。切っ掛け作りでも本当のことを言う必要はない。意味なく嘘を吐くのがおかしいなら、意味なく本当のことを言うのもおかしいはずなのだ。
それにこういう謙虚さがないと感じが悪く見えるらしいし。
対して反応としては「―――そっか」と素っ気なく彼女は言う。
一瞬だけ。俺と彼女は初対面の筈なのに既視感を覚えた。まるで長年慣れ親しんだ『どうでもいい』と言わんばかりの表情。それくらい明らかな落胆が見てとれた……ような気がする。
けれど、あまりにも何気なく、さりげなく元の表情に戻った。だからの気のせいだということにした。
「真面目なんだね」先程とは裏腹に笑顔でそう続けた。今度も完璧な笑顔だった。
一旦疑った目でその完璧な笑みを見てみれば不気味さが伝わってくる。
「心外だな、俺は決して真面目じゃない。そんな大層な理由ではないよ」
「そうなの?」
「ところで君の名前は?」
「名前? 自己紹介したけど忘れたの?」と、言いながら特段不機嫌になることもなく黒板前まで歩いていく。
チョークをまるで書道で筆を構えるように持ち上げ、書き始める。一文字書く度にチョークが鑢にかけられてるように削れていく。
最後の直線を書き終わる頃には計算したかのように彼女の手からチョークは消えていた。
「私の名前は関石嶺華。よろしく」
言うが否や指を鳴らして人差し指を俺の額へ向けた。指先からは硝煙かのようにチョークの粉が揺らめいている。
素直にカッコいい。どこぞの大佐か。
関石、嶺華――。
「で、君は天風君だよね?」
「よく覚えてるな」
「変わった名前だからね。あまつかぜ、百人一首にあったよね」
「天津風 雲の通ひ路吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ、か。えっと、関石さんは学があるんだなー」
「そんなことないよ」
「百人一首全部覚えたりしてな」
「流石にそこまではできないよ」と言いながら満更でも無さそうだった。天才肌ってやつなのかもしれない。
才色兼備、成績優秀ですか……ありきたりな誉め言葉だがそれだけの能力と容姿はありそうだ。
そんなの俺にとってはどうでもいいけど。
その後どちらからも話題を出すことはなかった。コミュニケーションが苦手な俺は話の切り上げ方がわからず――というか、話を膨らます気などさらさらなかったが。
「じゃあ俺そろそろ帰るから」
「そっか、またね」手を振ってきたのでこちらも軽く返しておいた。
どうやら彼女、関石さんは教室に残るらしい。実に好都合。一緒に帰るなんて冗談じゃない。
それに仲良くできるタイプではなさそうだし。長々するつもりも毛頭ない。
窓から見える景色を眺めながら廊下を歩いているとふと思う。校庭では部活動が行われており、運動部の皆様はせっとせと走っている。
彼らは何を思って部活なんかしているのか。俺にはわからない、完膚なきまでに理解できない。だからこそわかりたいけど、わかったところで別に部活動に目覚めるなんてことは火星が地球に衝突するくらい得ない。
まぁ、好奇心みたいものか。
猫を殺しても、人間の場合は後悔させるだけのあれ。
「ま、それもどうでもいいけどさ」
全て明日には忘れる些事だ。