2-1(i)
「原因不明の怪奇現象……具体的にはラップ音、金縛り、物が勝手に動く……のはポルターガイストとか言うんでしたっけ? といった具合で……過去数名、入居後いずれも短期間で退去されていますね」
内見から数時間後、私は山下に連れられてやってきた不動産屋の応接室で、山下の上司らしい男性社員から例の曰くつき物件について説明を受けていた。
「事故物件ではないんですよね」
あの女(?)があの場で亡くなった何者かだと思うとさすがに気色が悪いが
「ではありませんので、ご安心を」
そちらは杞憂だった。
賃貸入居時の長たらしい説明が書かれた堅苦しい書類(重要事項説明書というらしい。呼称がまんまだな。)を片手に、物件について粗方の説明を受けた最後の備考欄で、例の“曰く”についての説明があった。
聞いた限りではそれだけで飛び出すほどえげつない怪奇現象とも、命に危険が及びそうな性質のものとも思えないが、普段視えない人からすればそれでも一大事なのだろうか。
そう思いはしたものの、せっかく破格の割引で入居が叶いそうなのに敢えてつっこんで水を差すわけにはいかないので黙っておこう。
「今回は以上の事情をご理解いただいた上で、また寺田様のご事情も鑑み特別にこちらの物件をご紹介させていただきます その他重要事項については今ほどご説明した通りになります 何かご不明な点などございますか?」
「いえ、特に」
『ねぇ』
不意に鈴の鳴るような凜とした声が頭の中に反響すると、次の瞬間それまで居た応接室が突如暗闇に覆われる。
……なんだ、またこの夢か。
後ろから延びた冷たい手が私の二の腕を掴むと、後ろからあの“曰く”が私の顔を覗き込む。
『本当にいいの?』
………
ビキッ
「うっ……」
ゾゾゾ……と、背筋を逆撫でされたかのような悪寒の直後、体全体が強烈に痺れ自由がきかなくなった。
ここに越して来て三日連夜になる金縛りだ。慣れているとはいえ、体の自由を強引に奪われるこの感覚は雨に降られるよりも遥かに不快だ。
視線だけ時計に向けると、時刻は夜中の三時を指している。
……このクソ“曰く”は毎度毎度真夜中に人が気持ちよく眠っているところを邪魔してくれる。
『ねぇ、寝てるの? もしもし~~……』
黙って受けに回っていては奴も付け上がる。ここは一つお灸を据えてやろう。
体を覆う殻を頭から抜け出すように体をよじると、全身を縛っていた痺れから解放される。ちょうどミノムシが殻から出てくるようなイメージで、どういう理屈かは分からないがとりあえず金縛りは簡単に解くことができる。
『え……』
それを見て驚いた様子の“曰く”の顔面めがけて
ドンッ
『ひっ』
起き上がりざまに思いっきり拳を振るった。
……そして、まぁ分かってはいたが私の拳は彼女の左頬の端のあたりをすり抜け空を殴り、思いっきり壁に激突した。
慣れていないから余計にだろう。変に力んでしまったせいで拳に鈍い痛みが響く。
何で私がこんな踏んだり蹴ったりな目に遭わないといけないんだ……
睡眠を邪魔されたイライラと拳の痛みでみるみる頭に血が上るのが分かる。だがせっかく寝付けていたのに、こんなことで興奮して目が覚めてしまっては台無しだ。
何とか怒りを収めようと目を瞑っていると、面食らって固まっていた“曰く”が再度話しかけてくる。
『あ……の~……』
「……何」
『え……っとぉ かなしばり、効いてない~……?』
おどおどしいというか何というか、この間延びした舌足らずな話し方がまた絶妙に私の気を逆撫でする。
「……今、夜中の3時」
『はい』
「私、寝てた」
『……』
「邪魔するな」
『はひぃ』
さすがにこう連日連夜睡眠妨害が続いていては、その元凶にイライラをぶつけずには居られない。
物理的にどうこうできる相手ではないし、今更無視したところで敵う相手でもないので、あとは通じる手段で威圧するしかない。
不幸中の幸い、この“曰く”は対話ができるタイプのようなので言葉で詰めるのは思いがけず有効だったようだ。……思いの外語気が強くなってしまったが。
一方の“曰く”は、暗くてよく視えないが怯えているのか小刻みに震えている。
彼女はそんなに小さい方でもない私よりいくらか背が大きい――猫背なので正確には分からないが――くらいの長身の癖に、挙動の節々に幼さが垣間見える。
そんな彼女をこう毎夜詰めるのは微かに心苦しいものがあるが、今は何より眠い。それにこんな茶番をこれから毎晩続けてはいられない。
「おやすみ」
『……お、おやすみなさい~』
明日は朝から大学でガイダンスもあるので、いい加減夜更かししてはいられない。
何か用があったのかもしれないが今は眠るとしよう。
次回分は15日更新予定です。