56話。クモ怪人
よし、アイツの事はクモ怪人と呼ぼう。まずは落ち着かないと。
クモ怪人は重なった亡骸たちから足をどけず、ふるふると全身を振るわしては俺たち――特にナサリオさんを見つめる。横に並ぶ顔の六眼が何とも不気味で、容姿は整っているのにクモらしさが全開で気持ち悪い。名も知らない人の遺体が無下に放られた現場を目撃し、恐怖が込み上げてくる。
足が震えそうになるが堪えろ、俺。剣の柄を両手でしっかり握って、クモ怪人から一瞬たりとも目を離すな。
クモ怪人は首を回し、のびのびと背伸びする。対してナサリオさんは俺より一歩前に出て、相手の様子を見る。この時、辺りに流れる沈黙がどうしても堪え難くて、俺は静かに気持ちを吐露する。
「ナサリオさん。その、すっごく……逃げたい」
「正直だな。だが、コイツに私の部下が殺られている。目を外さずにゆっくり下がれ」
「え?」
彼の唐突なカミングアウトに、俺は全身の血が引いたような気がした。曲がりなりにも、人の死が告げられたのだから。目の前に転がる遺体だけに飽きたらず。
すると、クモ怪人はニヤリと笑いながら俺たちに話し掛ける。
「ようやく会えたな、ローザリー。それと……ニグラムか。未熟っぽいが、殺し合えば楽しくなりそうだ」
口振りは、まさしく純粋そのもの。ニタニタする様は腹が立ち、何よりクモ怪人にカエル怪人の影を重ねてしまう。コイツも殺しに愉悦や快楽などを抱いている。俺がもっとも嫌いな最低野郎の部類だ。
ニグラムと呼ばれた事については、今気にするべき事ではない。それよりも、クモ怪人の発言の内容に我慢できそうになかった。命はいつだって一つなのに、それを大切にしようとも、尊重する事もしない。少なくとも俺はそう受け取った。単純に命の尊さに気づいていないかどうかは知らないが。
そして、クモ怪人は山を下る。その際、既に事切れている男の人の頭を遠慮なく踏み潰し――
「――うおおぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ラタルの背を足場にし、大きな叫び声で己の恐怖心を誤魔化しながらクモ怪人へと飛び掛かる。ソードは上段に構え、思いきり振り落とす。
だが、そんな俺の一撃は容易く受け止められた。片手の指二本で。クモ怪人の白刃取りは強固で、拍子で着地してしまった後になっても引き抜けない。
「flow rednuht 【狼雷】!!」
間髪入れずにナサリオさんが割って入り、雷を纏わせた槍をクモ怪人に繰り出す。眼前まで迫る激しい雷光に、クモ怪人はばっとソードを放して大きくサイドステップした。
次いで、雷光は穂先から分離してクモ怪人を追う。相手が着地した瞬間を狙うように飛んでいくが、あっさりと片手で払われてしまった。すかさずナサリオさんは俺とクモ怪人の間に立つ。彼が乗る馬も、心なしか怒っていた。
「君は逃げろ!! 流石に死んでしまう!」
それはきっと戦力外通告も意味しているのだろう。彼なりの心配も伝わってくるが、沸々と怒りをたぎらせた頭には染み渡らない。余計な感情が合理性をかなぐり捨てていた。
「逃がさねぇ! うおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
一方でクモ怪人は俺の逃走を許そうとはしなかった。アイツが雄叫びを上げると同時に青い旋風を全身から生み出し、近くにあったもの全てを吹き飛ばさんとする。亡骸は問答無用で彼方まで飛ばされ、俺は咄嗟に地面に刺したソードを頼りに踏ん張る。
「クゥゥゥゥゥゥン!?」
「ラタル!」
ラタルの叫び声が聞こえたかと思えば、俺と違って森へと簡単に飛ばされていた。名前を呼ぶが、返事は来ない。
ナサリオさんの方は、彼自身はともかく馬が後ろへとずるずる下がっていた。遂には騎手が手早く転げ落ち、重みのなくなった馬はラタルと同様、森の奥へと消えていく。ナサリオさんも地面に刺した槍を持って、この凄まじい突風に耐えていた。
旋風が吹き荒れるのは数秒だけだった。それからは、クモ怪人が俺に向かってダッシュをしてくる。正直、息もつかぬ間だから回避はできない。新形態の緑でいつもより身体が重いのも拍車に掛けていた。
そこに、ナサリオさんが素早くやって来た。両手で扱う槍を荒ぶらせ、クモ怪人を牽制。クモ怪人は淡々と腕で刃を捌きながら、一度距離を取る。
《drows》
合わせて槍を剣へと高速変形させるナサリオさん。それを見たクモ怪人は一言呟く。
「槍はおしまいか。名残惜しいなぁ!」
次の瞬間、激突した両者は釘付けになるほどの攻防を繰り広げた。剣を受け止めるクモ怪人の拳は硬く、金属をぶつけたような音が鳴る。ナサリオさんはひたすら相手の拳や蹴りをかわし続け、少しの被弾すら許さない。はっきり言って、次元の違いに痛感した。
それでも、俺は何もしないでコイツを放置する事はできない。ナサリオさんとの件もあるが、それ以前にこの怒りをぶつけないで何とするのだろうか。
《edoc eruza》
気がつけば青のニグラムになった俺は、ブルーナイフ片手に乱入する。先制疾駆のスピードを以てして、クモ怪人のがら空きな背中側へ回る。
「ハン!」
鼻で笑うクモ怪人。単純に二対一となったので優勢になるかと思えたが、片手だけで俺のナイフ術を終始あしらわれるだけだった。正面にはナサリオさんがいるのに、この様だ。
そして、クモ怪人の背中に折り畳まれていた巨大な四本脚がとうとう動き始めた。四本脚は俺に襲い掛かり、槍よりも長いリーチを活かして俺を近づけさせない。その傍らで、クモ怪人はナサリオさんとの戦いに集中する。
「くそっ! くそっ!」
「スズト君、もういい! 無茶はよせ!」
ナサリオさんの言葉は聞けなかった。バーストアンテナを展開し、紅裂刃を発動して四本脚を切断。即座にクモ怪人の背後ぴったりまで接近し、首筋を狙う。
しかし、クモ怪人が盾として左腕を差し出した事でせっかくの必殺技が防がれた。ナイフは突き刺さったまま抜けない。いつの間にか、ナサリオさんの剣も右腕で掴まれている。
マズイ。そう思った頃には、瞬時に再生していた四本脚の殴打をナサリオさんが食らう。胴体にもらい、大きく吹き飛ばされていった。ただ、剣とナイフはとっくに拘束から解き放たれており、それぞれはしっかりと持ち主の手の中にある。クモ怪人のターゲットは、背後に立つ俺へと自然に変わる。
「ふざけんな! そっちから襲ってきて、簡単に誰かを殺して! お前らが何もしなければ平和なんだ! 帰れ! 消えろ! 出てくんなぁ!」
「ハッハッハッ! ナイフ捌きが止まってるように見えるぞぉ! そんなものかぁ!!」
懐へと潜るのは簡単だった。ただ、俺が高速でナイフを振り続ける度にクモ怪人は勢いよく後ろへ下がっていく。もはや後ろ走りで俺から逃げているものなのに、苦労している様子はない。必死に食い下がる俺を相手に、完全に楽しんでいる。
ここまで来ると、俺の中の怒りはごちゃ混ぜになっていた。訳も分からずに怪人が刺客として何度もやって来て、俺を勝手にニグラムと呼んで、放置しようとすれば身近な人が預かり知らぬところで傷ついたり。平穏な日常を理不尽がことごとく邪魔してきて、とりわけ目の前にいる奴には殺意の衝動が芽生える。はっきりと自分の意思で本気で殺したいと思うなんて、人生で初めてだった。
青いニグラムのスピードにクモ怪人は余裕綽々に対応する。やがてナイフを持つ右手を掴まれてしまい、尋常ではない力で握り潰されようとする。骨と肉、甲殻ごとひしゃげるような鈍い痛覚のあまり、俺は思わず絶叫してしまう。
「ぐああぁぁぁぁぁぁ!?」
《edoc neerg》
そんな中、形態変化ができたのは幸いだった。空いた左手でホルダーデバイスを操作し、紙装甲の青から重装甲の緑へ変身する。肉体が頑丈になった事でクモ怪人の握力は平気になり、その無防備な胸を殴り付ける。
「だりゃあ!!」
「うおっ!?」
殴られた反動でクモ怪人は大きく後退り、俺の右手を放す。
チャンスだ。ブルーナイフをベリルソードに変えて、切っ先を前に出す。一気に踏み込んで詰め寄り、猶予すら与えない。ソードはクモ怪人の腹を貫いた。
だが――
「俺から一本取れたか。おめでとう」
クモ怪人はまるで死んでいなかった。その生命力はまさしくゴキブリ並み。俺と一緒だった。つい唖然とし、クモ怪人に頭をポンポンとされても動けなかった。
そして、お返しにと俺は頬を殴られる。そのまま地面に転がり、直後にソードが投げ捨てられる音が聞こえた。急いで見れば、クモ怪人は己の健在ぶりを知らしめていた。
ここでナサリオさんが大急ぎで復帰してきた。全身鎧の出すスピードではなく、青いニグラムと見紛うぐらいの素早さで剣を横に一閃する。それをクモ怪人は両腕で少し防御しつつも軽く回避した。
「そうだ! もっと、熱くなれよおおぉぉぉ!!」
いきなりクモ怪人が叫ぶや否や、身体中から大量の電流を周囲に放出した。電流は地面に触れると、そこから爆発を起こす。爆発の規模は、ナパームでも使っているのかと疑うレベルだった。爆発範囲内に俺とナサリオさんは逃げる間もなく飲み込まれ、かといって大ダメージは受けていない。それぞれ、小さく呻き声を上げる程度だった。
「上から来るぞ!」
未だに爆発の中に留まっている状態で、ナサリオさんからの切羽詰まった注意が飛ぶ。
上と言われても視界は爆炎に遮られたままで何も見えない。しかし、脳内に響いては止まない“虫の知らせ”のおかけで、とんでもなく恐ろしい事が起きるのだと察した。一心に立ち上がり、クモ怪人がいた場所へ意識を飛ばす。
爆炎が晴れた先から少し見上げる。すると、そこには四本脚を翼のように開いているクモ怪人の姿があった。宙に浮き、四本脚から噴出する青い光はスラスターに見えた。お前飛べるのかよ。
それも束の間、クモ怪人の両腕を覆うようにして、巨人の如き腕が具現化された。青く輝いているのは恐らく魔力の光。加えて、とんでもない高密度の塊であるためか、重圧感がひしひしと感じた。
この世界の生物は他者の魔力を感知する事はできないが、例外として超高密度・高威力・大規模の魔法が発動された場合に限っては生身でも感じられると聞く。俺には関係ない事だと思っていたが、それは違っていた。まさか、こんなところで経験する羽目になるなんて。
「smood dniwlrihw【破滅の旋風】!!」
青い風と共にクモ怪人は急下降する。さらに身体を横に回転させて、襲来する魔力の腕の迫力を目に訴えてくる。これに当たるなと言われても、鈍重な緑では無理だった。ナサリオさんも俺に構っている余裕はもはやなく、半ば背面跳びの要領でこの嵐を乗り越える。背中と巨人の腕がスレスレだ。
次は俺の番。だが、あっという間に突進してくるクモ怪人に成す術はなかった。先制疾駆で逃げるにはタイミングが遅すぎる。もう、受け止めるしかなかった。
「うぐぅっ!?」
巨人の腕に横薙ぎされ、身体が持ち上げられる。最初の衝突で吹き飛ばされこそしなかったが、そのままクモ怪人の生み出す遠心力に囚われてしまい、キリの良いところで空中に投げられた。周りの景色はめぐるましく変わり、茜雲との距離が近くなる。俺は現在、抵抗するのも敵わずに空中で無様に身を投げ出していた。
身体がぐるぐる回り、姿勢制御なんてできない。やがて俺は、島を織り成すこのダンジョンの中にそびえ立つ岩山の頂上へと激突した。それでやっと勢いが削がれるが、今度は激突の際に崩壊した頂上の土砂崩れと一緒に、力なく地上へ落ちていく。僅かな身動き一つに負傷した全身が金切り声を上げてしまい、意識がもう保てなかった。
カチン。
寸前、バーストアンテナの閉じる音が聞こえる。




