35話。火事場の馬鹿力って、常に発揮できるようになったら反則だと思う。
今日、俺はリエと一緒にルズベリーの街の外へ来ていた。時刻は午前。城壁の外側にはのどかな畑と村が点在し、人々の生活圏が完全に城壁都市の内側からはみ出している。まるで溢れ返っているようだ。
その村と畑まで石の壁で囲おうとすれば、莫大な費用が掛かるのは間違いない。村の周りには防壁となるものが見当たらず、あるのはせいぜい魔除け効果があるらしい大量のウンディーネの像ぐらいだ。
物理的な防御をしなくて平気なのか、と最初は思ったが、物流や農業を担当している数多のゴーレムを見て考えが変わった。巨体ゆえの威嚇効果がすごいのである。しかも強そう。これならば、地球上に存在する野性動物の大半はビビって逃げ出す事だろう。
流石は異世界。四つ足でホバー走行するゴーレムをトラクターや馬車代わりにしているとは。搭乗席が剥き出しで、ハンドルやクラッチなど見当たらなかったのが少し恐ろしいが、無視しておこう。この程度で気にしたり、驚いたりしてはダメだ。
あっ、築城修道院みたいなのを発見。いざという時の避難場所かな?
ゴーレムの説明は以前にリエから聞いている。設計・組み立てに必要な素材は石、粘土、木などと幅広く、魔法の技量が高く要求されるらしい。ゴーレムを乗り物にしている操術士は、言い換えるならば大型自動車、重機の免許を持った人たちだと言っても過言ではない。事故を起こせば運転過失で罰せられるだろう。
ちなみに、自動車顔負けの速度で荷台を引っ張る赤兎馬の群れを見たのはここだけの話だ。荷台の車輪がイカれそうだなと思っていたら、その外周には何か青いゼリー状の物質が塗られていた。リエ曰く、家畜化されたスライムが素材であり、とても弾力性に優れているらしい。タイヤの代わりかよ。
しばらく歩き、適当な河原へと到着する。周りにはウンディーネの像以外には何もなく、例え黒魔法を乱射したとしても人的被害は出ないだろう。川も底が浅く、ふとしたきっかけで溺れる事はなさそうだ。
そうして、リエから蛇光剣を借りる。改めて見ると、ナイフ程度のリーチしかないのに剣身が両手剣のように分厚い武器だ。何か内蔵されていそう。
「ほうほう。……ちょっとおっかないな」
手に取ればわかる重量感。包丁とは次元が違い、想定される使用用途が広がると理解しているからこそ、持ち手が震えそうになる。
……よし、少し落ち着こう。深呼吸だ。今回は別に、誰かを傷付けるのが目的じゃない。
「魔力を込めるのは黒魔法と同じ感じ。スズト、意外と上手になってるからすぐできると思うよ?」
「よし」
リエの指示を受けて、誰もいない方向に蛇光剣の先端を向けてから魔力を使い始める。魔力の操作ぐらいはもはや楽勝だ。
まずは自身に宿る魔力を感じ取り、その流れを自分の意図した通りに変えていく。そして流れを一ヶ所――蛇光剣を握る手に集中させる。
そこまでできれば、後は溜めた魔力を蛇光剣に浸透させるだけ。火球を無詠唱で放つよりも難しいが、気合いで乗り切る。
「おっ」
すると間もなくして、切っ先から光の刃が伸びた。熱は感じられず、発振された光は桃色だった。
……ピンク?
「ピンク……だね」
隣で見守っていたリエがこっそり呟く。顔は片手で下半分を隠していたが、どんな表情をしているのかは簡単に察せられた。
確か、リエが使った場合は赤色だったはず。それに対して俺は桃色。よりによって女性的なイメージが強い色だ。
もう一度リエの方を見れば、彼女は何かを我慢していた。一体何を我慢しているのかは察しがついているので、敢えて言い当てる。
「笑いたければ笑えば?」
「ううん! バカにしてないよ! ただ、意外だなって」
「別にいいし。気にしないし。ビームサーベルだと思えば全然平気だし! へこたれないし!!」
清々しいほどの笑顔。あまりにも屈託のなさに俺は無性に腹が立ち、かといって怒りの度合いも低いので、リエから顔を背けるだけに留まる。
ちくしょう。なんで魔力の光が桃色なんだよ。色が交換できるものなら、すぐにでもリエと交換したい気分だ。ニグラムに変身した時は手足やナイフが真紅に光っていたのに。
「もう、いじけないでよー。ビームサーベルがよくわからないけど、上手にできてるからさ」
「……はぁ」
「溜め息つくと幸せが逃げちゃうわよ? ほら、次!」
励ましを受けながら、リエに次の行程を促される。幸せが逃げるのは嫌なので、おとなしく従う。……こんな迷信紛いの話を信じてしまうなんて、自分がどれだけのショックを受けているのかわかるな。
魔力光が桃色なんて周りに知られれば、絶対にバカにされるだろうな。もしかしたら、何も知らない方が幸せだったのかもしれない。もう遅いけど。
「よっと!」
掛け声を出しつつ、全力で蛇光剣を前に振るう。振り下ろした腕の動きから遠心力が生まれ、光の刃は鞭となって伸びていく。まずは一振りだ。
やがて光鞭は勢いよく手元まで戻ってくる。リエが使っていた時と異なって、その戻り方はゴムではなく掃除機のコンセントのようだった。俺は少しびびりながら、伸びた分の光が全て戻るのを待つ。
光鞭は縮みはせず、むしろ巻かれていく。その様子はさながら、おもちゃの吹き戻しの笛だった。蛇光剣の珍妙な格好が出来上がったところで、リエに一言告げる。
「……ピロピロ」
「ま、まだ初めてだもの。そんな事もあるよ」
これにはリエも苦笑い。ちょっと悲しくなってきた。
一旦練習を切り上げて、蛇光剣から光刃を消す。まだ大して運動していないにも関わらず、どっと疲労感が襲い掛かってきた。
「しかも、何かごっそり疲れた……」
「赤魔法は燃費が悪いからね。私だって最初は魔力がどんどん減って、てんでダメだったよ。上級者向けの魔法だもの。魔法の扱いが上手くないと」
「リエはそれを振り回してるんだよな?」
「うん! もう自分の手足のように使える」
「そっか……じゃあ練習量の差か……」
「そうだね。私の場合は使いこなすまで一ヶ月だったかしら」
「へぇー」
コロコロと表情が変わるリエと他愛のない話を交わす。それからは本当に基礎的なナイフ術と体術を教わって、午前の時間は終了した。
その帰り道。まだ青い小麦畑を視界の端に納めながら歩いていると、リエが朗らかな様子で話し掛けてきた。
「にしても意外だね。スズトが剣と戦い方を教えてほしいなんて。ダンジョン行きたくなっちゃった?」
「いや、そうじゃなくて。戦うのが下手くそだと思ったから、単に練習したくてさ……。変身すれば最初から強くて楽なんだけど、それでも下手なものは下手なんだ。人前で使うものでもないし」
そう答えると、リエの楽しそうな雰囲気が一変する。俺の回答を聞いて、少しだけ気まずそうな表情になった。
「……あー、やっぱり? でも、説明しない事には何も始まらないよ?」
そう言って横から俺の顔をじっと見つめながら、リエは首を傾げる。
「わかってる。化け物と呼ばれるのは勘弁だから」
言われるまでもない事だ。ニグラムはナサリオさんには最後まで魔物だと認定され、人通りの多い場所に出れば悲鳴を上げられ、瞬く間に騒ぎになった。何の説明もなしに理解してもらえるなんて、そんな都合の良い事が起こるはずがない。
それは政治の世界とかにだってよく言える事だ。不祥事や失態の疑いを晴らすのに、これでもかと言うぐらいの気が滅入りそうな説明が求められる。しかも、言葉だけでなく証拠なども揃えないと説明の価値をほとんど成さないのだから、その説明責任の重さは推し測れる。
例えニグラムの姿の説明をしたって、きっと納得ができなかったり、もしくは疑ったり、あるいは一向に信じようとしない人が出てくるはずだ。そう考えると非常にだるく、それなら楽な道……つまり隠し通す道を進みたくなる。人間関係を拗らせたくなければ尚更だ。
もちろん、いつまでもそんな道を進めない局面が訪れてくる事があり得る。そうなれば逃げ道は限定されて、結局は説明を要求されるかもしれない。後回しにして問題が自然解決する訳がなく、いずれは周囲への説明を選択しなければならないだろう。相手の理解を得られるまで、根気よく。
「そんな事ないよ。スズトは人間。間違いないんだから」
「……うん」
リエの気遣いに少しでも胸の内が空くわれる。信頼できる人が僅かでもいるのが、これほど心強く、頼もしく感じるなんて。
徹底的な理不尽に見舞われない事の素晴らしさよ。自分以外の人は全員敵、お前は世界から淘汰されるべき命だから死ね、一切の文句は許さない、個人的な感情は受け付けない、という酷い状況に置かれていないのが今更ながら不思議だった。ニグラムに変身した姿を誰かに見せた時点で、そうなってもおかしくなったはずだし。生まれた事こそが罪であり、悪でもあるなんて余程の出来事だ。
改めると、俺は周りの人に恵まれているんだな。おかげで日本にいた頃と同じように、どうにか平凡でありきたりな幸せの暮らしを過ごせている。初対面の時にリエの優しさがなければ、今頃はどうなっていたのだろうか。闇落ち? 嫌すぎる。
そして、こんな風にリエやウィリーさんも想像を膨らませているのだろうか。未来や仮定の話と同じく遠い先が見えず、世界を越える手段がない以上は訪れる事も叶わない日本の光景を。
「おーい!」
その時、遠くから誰かに呼び掛けられた気がした。声がした方へいざ振り向いてみれば、ここから右折した道に一人の少年が歩いていた。
「アレックス?」
こちらに向かって手を振っている少年は、見間違える事なくアレックスだった。灰色の装備に身を包み、腰の後ろ側には両手剣を提げている。
また、すぐ後ろでは紐でくくりつけた何かを片手で引っ張っていた。広げられた絨毯の四つの角に、謎の球体が付けられている。まるでカートみたいだ。
更に絨毯の上には、縄でしっかり固定された赤い猪の姿があった。既に息絶えているようで、ピクリとも動く気配はない。心なしか、その巨体はアレックスの身長を余裕で越えているように見える。
……あれ? 冒険者って巨大な魔物の亡骸を運ぶのが仕事だっけ? あの猪、軽自動車並みにでかいんだけど。
……ん? ん? それを軽々と運ぶアレックスって、一体どういう事なんだ?
「知り合い?」
「うん」
妙に信じられない光景に戸惑いつつ、リエの問いに素直に頷く。こうしている間にも、アレックスが大急ぎで駆けつけてくる。
「ご無沙汰っすね!」
眩しい限りの笑顔を見せては、早々に挨拶してくるアレックス。相手の性別を見抜けない人が目にすれば、きっと女の子だと間違えてしまうだろう。
対して俺は、巨体猪を軽々と運んでいたアレックスの姿に未だ動揺していた。よく確認すれば謎の絨毯が僅かに浮かんでいるのがわかるが、それを抜きにしても華奢なアレックスがこの巨体猪を運べるなんて。実演されても半信半疑だ。
それでも疑惑と動揺をぐっと胸の内に押し込みながら、アレックスに言葉を返す。
「う、うん。一週間ぶりかな? ところでそれは……」
「フレイムボアっす! ギルドの依頼で、近くの森でついさっき狩って来ました!」
「フレイム……?」
「あっ! お肉が美味しい奴じゃない! いいなー」
燃える猪とはどういう事だと思っている傍から、リエが大きな声を上げる。フレイムボアを見ているその表情は、実に羨ましそうだった。
あぁ、まただよ。この自分だけが置いてきぼりを食らう流れは。ティナもあの時はこんな気分だったろうな。会話がわからないというのは地味に辛い。
「えっと、こちらの方は……」
間に割って入ってきたリエをアレックスが気にし始める。それから、すかさずリエが最初に自己紹介を切り出してきた。
「あ、初めまして。私はリエ。リエ・クルヴェット」
「ご丁寧にどうも。アレックスって言います」
こうして二人の自己紹介は簡潔に終了した。そのタイミングを見計り、キリの良いところで俺の言葉を挟む。
「水を差して悪いんだけど、フレイムボアって?」
「全身から魔力由来の炎を吹き出しては発射する猪だよ。炎を纏ってから、炎を圧力噴射した時に得たスピードでの突進が怖いけど、慣れれば横からの攻撃で簡単に倒せるかな」
「何その生物兵器」
リエの説明を聞いた瞬間、無性にツッコミを入れたくなった。そんな化け物が自然界にいて堪るかよ。
少なくとも、地球に住んでいる人々が知っている猪じゃない。そもそも、軽自動車サイズの猪なんて存在していなかった。
「フレイムボア知らないんすか、兄貴?」
「知らないも何も……兄貴って?」
自然に兄貴呼ばわりされていたので、思わずアレックスに聞き返す。
その答えがやって来るのは一拍置いた後だった。数瞬モゴモゴとしたアレックスだったが、ゆっくり落ち着いてから話を始める。
「あぁ、えっと……俺、スズトさんを尊敬してるんです!! 先輩たちのリンチから助けてくれた時、眼力だけで相手を退散させるなんて凄かったッス!! 俺にはできなかった事だから、憧れました!! 兄貴と呼ばせてください!!」
「待って。俺、そんな事した覚えない」
「え?」
「え?」
「「……」」
程なくして、俺たちの元に静寂が訪れてくる。それを最初に破ったのはアレックスだった。
「やだなぁ、兄貴。俺見てたんすよ? 殴られたり棍棒で叩かれたりしても全然平気だった挙げ句に、一切の暴力は返さない。むしろ、言葉と目だけで追い返したじゃないっすか。真の漢は目で相手を倒すって感じに」
「え? スズト、そんなの私聞いてないよ?」
「ちょっと待って。何か違う気がする。脚色されてる」
朗らかに告げるアレックス。その一方でリエは眉をひそめる。そんな中、俺はどうにか冷静さを保ちながら弁明に努める。
思っていたよりもアレックスの発言は正確だ。内容の前半はまさしく百点満点。何の間違いもない。ただ、後半が完全に脚色済みな気がした。あの時の俺はもちろん、正当防衛として殴り返そうとは思っていた。
「しかも、一見して優男といった頼りない感じなのに丸腰で魔物に立ち向かって、俺たちに逃げるように叫んで……ホントに、ホントに男前で、俺の理想を体現してたみたいで!! 俺と同じで見た目の男らしさは全然ないのに!!」
「それ誉めてるの? 貶してるの?」
「誉めてるッス! あの事件以来、先輩たちは後に明らかになった暴行罪で捕まって、冒険者ギルドの居心地も少し改善されました。兄貴には感謝もしてるんす!!」
「そうなんだ。因果応報だけどさ……」
何だろう、素直に喜べない。そして、さらりとアレックスの口から語られるテッちゃんたちのその後。妥当な扱いかもしれないけど、少し可哀想だな。カエル怪人になった人から告訴されたか。
「あっ、フレイムボア新鮮な状態で納入したいんで失礼しますね! また、それじゃあ!」
「ちょっと――」
俺たちに有無を言わせない勢いでアレックスは瞬く間にその場から立ち去り、ルズベリーの街へひとっ走りする。重荷のはずのフレイムボアが重荷にすらなっておらず、陸上選手顔負けのペースだった。
いや、もういいんだ。この世界の人々の身体能力がブッ飛んでいるのは、今に始まった事じゃないから。
だから一々驚かない。だんだん遠ざかっていくアレックスの後ろ姿を見送りながら、俺は深く息を吸ってから叫ぶ。
「兄貴って呼ばれ方、好きになれないからやめてぇぇぇぇ!!」
その時、アレックスは走りながらこちらに振り向いてきた。その表情は、びっくりするぐらいに悲壮感を醸し出すものだった。
「そんな悲壮な顔するなよぉぉぉぉ!? 転ぶから前向けぇぇぇ!!」
そう叫ぶとアレックスの顔が明るくなり、数回手を振ってから改めて前を向いた。たちまち彼の背中が見えなくなる。
「ハァ……ハァ……アイツ、最後は笑顔で帰っていった。次会ったら絶対に兄貴って呼ばれるぞ……」
「フフ、面白い子だったね。女の子みたいなのに男の子っぽいなんて」
「顔はコンプレックスだって。触れてやるなよ?」
「うん、わかった」
アレックスの事でリエに一言注意してやっては、俺たちも街に向かって歩き出す。巨大猪を運べている時点でお前も立派な男だと思うよ、アレックス。俺よりも兄貴と呼ばれるにふさわしい。
ちなみに後でリエから聞いた話だと、あの謎の絨毯はポーターズと呼ばれるゴーレムとの事。単純な命令だけで誰にでも使えるように調整されているらしい。冒険者ギルド側から貸してくれるそうだ。




