29話。急がば回れにもほどがある
人がたくさん往来する大通りをハイペースで駆け抜け、時には路地裏を何の躊躇もなく進む。土地勘がなくとも、直感が成せる力業だった。階段の十段飛びなんて何のその。素の身体能力は、ニグラムに何度も変身してからは随分上がっていた。
徐々に人並外れていく事に泣きやしない。俺は強く平穏に生きる。
「何度痛め付けても懲りねぇんだなぁ、この女顔が!」
「うぐっ!」
「ガキの使いじゃねぇんだ、冒険者は。ホントにイライラするぜぇ、お前みたいな奴が増えるのは!」
もちろん聴力とかも上がっているので、遠くからの会話も聞こえる。心なしか、人を殴った音もしたような……。
その人たちの話し声がぐんぐんと近づいてくる。トの字の狭い通路をそのまま直進しようとした時、曲がり角の向こう側でとんでもない現場を目撃してしまった。急いで角の裏側に身を隠し、恐る恐る覗いてみる。
「なんでさ……」
そこには、三人組の男たち――モヒカン、スキンヘッド、角刈り――が一人の少年を囲んで暴行している様子が繰り広げられていた。しかもその少年、見覚えがあるかと思えばアレックスだった。
誰か嘘だと言ってくれ。本命の急用があるのに、どうしてこうも用事が立て込んでくるんだ。どうして虐められている、アレックス。顔立ちのせいか? だとすれば胸糞悪い話だ。
「ん? おい、見世物じゃねぇぞコラァ!!」
すると、ちょうど一番奥の方にいたモヒカンの男に運悪く見つかってしまった。法も秩序もない、純粋な力のみが支配する核戦争後の荒廃した世紀末世界の住人みたいな風貌だった。
モヒカンの怒鳴り声で、残り二人の視線が俺に集中する。俺は観念して彼らの前に現れた。完全に目をつけられたせいで、冷や汗が全然止まらない。
三人共、おっかない目付きで俺を睨む。ベクターさんと比べるとまだ大した事ないのが救いか。それでも怖いものは怖い。目を合わせるのは辛いので、彼らの顎の辺りをじっと見る。
よし、少し気が楽になった。まずはアレックスを助けよう。暴行だって、度が過ぎれば人を殴り殺せるのだから。
俺は意を決して三人組に告げる。
「その人、俺の知り合いなんです。暴力はやめてください」
しかし三人組には俺の言葉を真摯に受け止めた感じはせず、ニヤニヤと笑っているだけだ。ポキポキと指を鳴らす音も聞こえる。
嘘だろ、お前ら。お前らも人の話を聞いてくれない口か? ほら、俺はどこからどう見ても人間だろ? ニグラムのような異形の存在ではないだろ? 頼むから話を真面目に聞いてくれ。
「それじゃお前も仲間に入れてやんよ」
荒々しくモヒカンがそう返すと、ぐったりと倒れているアレックスの腹にスキンヘッドの人が容赦なく蹴りを入れた。低く生々しい打突音が鳴り、アレックスは小さく呻き声を漏らす。挙げ句の果てには、角刈りの人が棍棒を持ち出してくる。
おい、その棍棒で何するつもりだ? 棍棒で人を殴ればどうなるぐらい、大人なら理解しているはずだろ? 良識ぐらいの一つや二つは持てよ、バカ野郎ども。
「やめろ、寄って集って!! そんなになぶり殺したいかよ!?」
もう大人しくはしていられなかった。俺が叫んだ瞬間、三人組の動きが止まる。そして、モヒカンがのしのしと俺に近づいてきた。
遂に俺の目の前にモヒカンが立ち塞がる。俺の背が低いせいで、相手から見下ろされる形だ。遠くで見るよりも威圧感が凄まじい。
「コイツがこんなんで死ぬ訳ねぇだろ。――オラァ!!」
バキィッ!!
モヒカンが怒鳴るのも束の間、俺は左頬を思いっきり殴られる。その衝撃でよろけそうになるが、頑張って踏ん張りを利かした。それから負けじとモヒカンに睨み返す。
死ぬ訳ない? そんな事はあり得ない。どんな生き物だって死ぬ時はあっさり死ぬのだから。おかしいのはお前らの方だ。
もういい。そんなに人の痛みがわからないなら、その痛みをお前たちの身体に植え付けてやる。なんでもかんでも暴力で済ますつもりなら、俺もそれに則ろう。聞く耳持たなかった事を深く後悔しろ。
ふと湧いてきた怒りで自然と俺は殴り返す準備をする。しかし、モヒカンは何故か顔を深く俯かせたまま動かなかったので、反撃の手はうっかり中断してしまう。彼は右拳を大事そうに抱えていた。
「テッちゃん?」
スキンヘッドが呼び掛けるが反応もない。モヒカンの名前――と言うよりも愛称はテッちゃんとの事。
ちなみに俺は、鍛えようがない顔を殴られたはずなのに全然痛くなかった事に遅れて気がついた。
「くそイテぇ……イテぇ……」
「はぁ!?」
テッちゃんから悲痛な声が漏れ、スキンヘッドが驚く。その隙に俺はテッちゃんの横を通り抜けて、アレックスの元に駆け寄った。
「アレックス?」
しゃがんで呼び掛けてみるが、アレックスは力なく横たわるだけで返事をしない。息はある。素人目で見ても、急いで手当てをすれば大事にならなそうだ。
「お前……!」
背後から角刈りの人の声がしたので振り返ってみると、頭上から棍棒が勢い良く落とされた。だが、頭と激突する瞬間に棍棒はポッキリと折れてしまう。これも大して痛くなかった。
改めて角刈りの人を見てみると、彼は俺と手元の棍棒の柄を交互に見ては目を白黒させていた。そして棍棒をポイ捨てし、何も言わずに帰っていった。スキンヘッドの人も後に続いて姿を消す。
「あ、おい待てよ。治癒魔法使ってくれぇ! めちゃくちゃ痛いんだよぉ!!」
唯一残されたモヒカンはその風体に似合わず、すっかり醜態を晒していた。目尻に涙を溜めながら、先に帰った二人の後を急いで追い掛ける。
こうして、俺とアレックス以外に人はいなくなった。アレックスの方を見れば、彼はこちらをじっと見ていた。
「スズト、さん?」
「うん。……痣が酷い。動ける?」
「あ、待ってください。……tsrif dia【応急治癒】」
アレックスが何やら魔法を唱え出すと、彼の身体が暖かくて淡い光に包まれる。秒刻みで時間が経つごとに、怪我がなくなっていく。
「嘘だろ……」
普通だと考えられない治癒速度に、俺は思わず感嘆の声を上げた。黒魔法はリエから幾つか目にしているが、治癒系統は空っきしだ。
怪我が完全に治ると光は消えて、アレックスはゆっくりと立ち上がり始める。
「殴られただけなら問題ないッス。治癒魔法で治るんで。おっと……」
そう言うアレックスだが足元がおぼつかない。俺は慌てて彼の身体を支える。
「本当に大丈夫?」
「はい。体力減ったの、ちょっとだけッスから」
「良かった。でも、何でこんな場所で……」
「うだつの上がらない先輩から絡まれるの、よくあるんです。リンチされても治癒魔法で治せるから、こんなの闇に葬られるッスけど。もう慣れてるッス」
何だそれは。どう考えても陰湿で深刻な問題なのに、アレックスは苦笑するだけだ。まるで諦めているようにも思える。
それに、こんなにも闇深い業は今すぐ解決できる問題ではなさそうだ。遠くに気配を感じている魔物をこうして放置している時間も惜しい。物凄く気まずいが――
「そう、か……。じゃあ俺、急用あるから。いじめられそうになったら逃げろよ。見てらんないから――」
「ギャアアアアアアア!?」
その時、すぐ近くの方でテッちゃんの悲鳴が上がった。この際だから、ついでに確かめてくる。何故かアレックスも黙って静かについてきた。
「てめぇ!!」
「テッちゃん、待ってろぉ!! gnileeh【治癒】!」
大急ぎで角を曲がれば、身体中に酷い大火傷を負ったまま倒れるモヒカンに、角刈りが治癒魔法を使う様子が目に写った。奥の方では、スキンヘッドと見知らぬ細身の男が対峙している。
また、細身の男の手には香水瓶があった。その特徴的な形状からして、俺が以前に見たデビルアロマそのもので間違いなかった。キャップは外され、ノズルは男自身に向いている。
「は……はは、やっちまった……でも、仕方ないよな。散々お前らにやられてきたお返しだもんな。文句言うなよ」
細身の男は薄ら笑いを浮かべながら、何かと自分のおこないを正当化する。だが、そんな彼の身体は震えていた。モヒカンに大火傷を負わせたのも彼だろうか。
なんてタイミングで因果応報を食らっているんだ、テッちゃん。早すぎる。生きてるよな? 角刈りから治癒魔法を受けているから大丈夫だと思うけど。生きているのなら心配は掛けてやらない。それよりもデビルアロマだ。
「ぶっ殺す!」
スキンヘッドが腰のベルトに提げた剣を抜いて振りかぶる。だがそれよりも早く、細身の男がデビルアロマを自身に使った。
「っ、よせ!!」
俺の咄嗟の制止も虚しく、細身の男がデビルアロマから噴射される大量の紫色の霧に包まれる。その直後に、スキンヘッドの持つ剣が霧を斬り裂いた。
あっという間に霧が晴れる。そこには、肩口に剣が食い込んでいる細身の男の姿があった。一刀両断されておらず、肌が紫色に染まっているにも関わらず傷口から流れる血は赤い。
それから細身の男は悶え、スキンヘッドは剣を彼から引き抜こうとする。しかし、どんなに力を込めているようでも一向に抜ける気配はなかった。
「あ……あ……あぁ……アァ!」
程なくして細身の男が奇声を発する。身震いしたスキンヘッドは剣を捨ててその場から飛び退くと、突如として沸き上がった紫の霧が細身の男を再び中へ包み込んだ。
「ちくしょう!!」
デジャヴを覚えた俺はスキンヘッドの脇をするりと抜けて、紫の霧へと体当たりを仕掛ける。霧の中の何かに勢い良くぶつかった。
確かに相手を吹き飛ばした手応えはあった。体当たりを終えては否や、俺はすぐに前を確認する。
霧が空気の流れで徐々に散っていき、視界が良好になる。そんな中、怪しげな黄色の眼光が二つ浮かんだ。ゆっくり動き始めると思いきや、唐突に加速して俺の頭上を飛び越えた。
その動きは、どうにか目では追えていた。正体は人型の魔物――要するに怪人だ。両生類を連想させる水気を含んだ緑色の肌の上に、深緑の薄い鎧を纏っている。両手両足の指足は丸っこく、被っている仮面はカエルとしか思えないデザインだ。
カエル怪人はペタリと壁に張りつき、得物のナイフを一本構えて急降下。理由のわからない一撃がスキンヘッドを襲う。
「ぎゃっ!?」
辛うじて反応できたスキンヘッドは避けようとしたが、ナイフが腕に掠った。うっすらと血が流れ、一滴一滴が地へと零れ落ちる。
「こんの!」
それから間髪入れず、俺は背後からカエル怪人に組み付いた。身長はカエル怪人の方が高いので、そこまで押し込める自信はない。今にも振り回されそうだが、気合いで時間を稼ぐ。
「スズトさん!?」
「早く逃げろ! コイツヤバい!」
あたふたしているアレックスたちに、大声で逃走を促す。人前でニグラムへの変身はなるべくしたくない。ゴキブリの怪物だと見えるらしいから。正体バレは最後の手段にしたい。
その時、カエル怪人は空いた手のひらに水玉を作っていた。とにかく今は相手に何もさせてはならないので首を締めてみるが、カエル怪人は意にも介していない。水玉を地面に素早く投げた。
「ひぃ!?」
「テッちゃん! テッちゃんがテッちゃん!」
地面にぶつかった拍子で水玉が弾け、真っ白な濃い霧を広範囲で瞬時に生成する。それと同時にカエル怪人は、背中にいる俺ごと垂直に高く跳躍した。
そして、平衡感覚をもみくちゃにされながら振り落とされる。視界が上下左右に揺れまくったせいで、赤い屋根の上に落ちている事しか把握できなかった。
「natravira【変身】! ……うっ!」
素早くがむしゃらに変身を完了させた直後、背中から屋根へとぶつかる。その衝撃で一瞬だけ呼吸ができなくなった。
しかし、いつまでも寝転がっている場合ではない。即座に起き上がって辺りを見回す。すると――
「誰かと思えばニグラムか。コイツは上等な獲物だ。雑魚狩りなんて飽きるしな。やっぱりスリルとカタルシスは大事だと思うんだ」
俺と同じ屋根の上にて、カエル怪人が腕組みをしながら立っていた。忍者さながらのポーズだ。背後からは、路地裏より霧が昇っている。
「すぐ倒せば元に戻る……その身体、持ち主に返してもらうぞ」
カエル怪人の発言は敢えて無視。助けられる以上は見捨てる選択肢なんて浮かび上がらない。いつでも殴り掛かれるように、俺は拳を構えた。
一方のカエル怪人はわざとらしく肩をすくめる。片手でナイフを回しながら、舐めるような視線を向けてきた。
「やなこった。せっかく依代見つけて生まれ変われたんだ。後はじっくり魔物から進化するだけなんだぜ?」
「知らないよ!」
何言ってんだ、お前。よし、殴り倒そう。
ずっとナイフ回しをしているカエル怪人に構わず、俺は右拳を奴の顔に吸い込ませる。




