23話。桜花、天翔
ルズベリーの街のほぼ真ん中に、領主の貴族が住む居館がある。ただし、居館と言っても分類的には平山城だ。居住性を重視しているので防御力はそれなりに低い。
そんな中、居館の会議室にて。ルズベリーの街の領主であるハンス・コームブルクは、集まった臣下から幾つかの報告を受けていた。上座の席に腰を降ろし、静かに耳を傾ける。
「昨日にダンジョンから帰還した調査班からの報告です。部隊は四分の一が壊滅。誰もが人型のクモの魔物に襲われたと証言しています。なお、その魔物は一つのダンジョンに限らず出没している模様です」
「出没したダンジョンと、多数の冒険者が行方不明になったダンジョンを照らし合わせた結果、クモの魔物の出没範囲がおおよそ一致しました。おそらく、大半の行方不明者はこの魔物にやられたものかと思われます」
そこまで聞いてハンスは小さく唸る。現在、ルズベリーの街は大きな問題を抱えていた。
ルズベリー地方には複数のダンジョンが存在しており、それはディルリウス大陸だけに留まらず世界中にあるとされている。ダンジョンとは、いつ頃か地下に張り巡らされた階層式とされる迷宮の事だ。
迷宮と言っても、文明的な石の迷路だけとは限らない。地下に存在する癖に森林や砂漠、荒野、挙げ句の果てには廃墟が構築されている場合もある。半ば、一種のアーコロジー空間だ。地下とは思えないほど広大で、階層ごとに環境がそれぞれ変化していく。
そして、ダンジョンは基本的に魔物の生息圏だ。一つの階層にいる魔物を絶滅させる事は限りなく不可能に近く、もし実現したとしてもダンジョン側が生態系保持のために増やす。資源や鉱物、宝も同様だ。
加えてダンジョン最大の特産品は、電気やガスなどの代わりとなるエネルギー結晶体、マナクォーツである。マナクォーツは鉱石として産出される以外にも、ダンジョンに生息する魔物限定で体内に宿される。使い道は多岐に渡り、魔法的手段によるライフラインの確立が可能だ。カンドラ王国の高水準の文明力の秘訣であり、数多く取引されている。
そのため、金銀財宝や魔物の素材、レアな食材などを求める者が後を尽きない。いわゆる冒険者たちである。カンデラ王国も富を得るために幾つかのダンジョンを植民地状態にしている。ただし、基本的にダンジョンは冒険者ギルドの管理下だ。
ルズベリーの街が直面している問題とは、未帰還となった冒険者が続出している事だ。ただの未帰還なら、元々命賭けて上等の世界なのであまり騒ぎ立てる必要もない。しかし、今回に限ってはその未帰還率が異様に高すぎた。
冒険者はまず、ダンジョン入り口前の検問所で潜る期間・目的の階層・名前を申請する。例えるのなら、空港の入国審査がわかりやすい。この時点で記録に残される上に、潜る期間を越えれば一定期間ダンジョン出禁の処分が下される。ダンジョンの難易度、その他の事情を考慮しなければ、普通は誰もが規則を守ろうとする。
また、未帰還状態とは死亡、不法滞在、行方不明のどれかに大体当てはまる。その場合はギルド員が出動して捜査が始まるのだが、今度はギルド員たちの大半が未帰還となった。死ぬ恐れが皆無な初心者向けのダンジョンも含めて。
ギルド員は主にベテラン冒険者上がりや、相当な実力を持った人で構成される。仕事の都合上、荒くれ者たちは品行の問題で決して就職する事は叶わない。実力とともに人格も問われる。ゆえに初心者向けダンジョンで命を落とす事など、不慮の事故でもない限りはあり得ない。無論、ダンジョン突入時は最低四人パーティーを編成させているので、全滅のリスクはますます低くなる。
「同一個体と考えにくいが、四つ以上のダンジョンに同時出現したのは間違いないのか……封鎖状況は?」
「現在、冒険者ギルドが地下四階以降を封鎖中です。冒険者たちにも四人以上のパーティー編成を呼び掛けています。なお、畜産ダンジョンの経営は特に問題ありません」
淡々と応答する部下にハンスはこくこくと頷く。何はともあれ、行方不明となった冒険者とギルド員たちの大半がクモの魔物にやられた事は、想像にも難くなかった。
また、未帰還となった冒険者の中には、ソロでも危険な上級ダンジョンを踏破できる凄腕の猛者たちも含まれている。件のクモの魔物の討伐も、並み半端な事では実現しないのは確実だった。
「そうか。マナクォーツの産出量が減るのも致し方ないか……。しかし、調査班は仮にも私配下の騎士団で構成されていたんだぞ? 討伐できなかったのか?」
「はい、残念ながら。副団長も戦死されましては、慎重策を取っていくほかありません。件の魔物は非常に賢く、手強いかと」
「本能で暴れるだけのデカブツなら、どれだけ楽だったか……」
組んだ両手に顎を乗せて、事態を深刻に捉えるハンス。その様子を臣下たちは、じっと見守るばかりだ。
彼が持つ騎士団の名は桜花。ルズベリーの街を拠点とし、用意できる戦力の中では一番の精鋭だった。それが返り討ちにあったのなら、冒険者ギルドが独自に依頼を出して討伐を目指すなど、現実的ではなかった。戦争を想定されていない、国内の治安維持を重きに置く王国剣士団も然りだ。
その時、外から会議室の扉が開かれた。中へ入ってきたのはハンスの執事だ。全員の視線がそちらに集まる。
「会議中のところ失礼します。ハンス様、至急の知らせです」
そう言って執事は皆に一礼し、ハンスの元へ駆け寄る。そして、他の誰にも聞かれないよう小さな声で耳元を囁く。
すると、ハンスの表情が一気に強張った。視線も少しだけ泳ぎ、指先が震えだす。それから本当かどうかを執事に確認して、「はい」と答えられる。ハンスはそのまま天を仰いだ。
しばらくして顔の向きを正面に直す。今度は達観したかのような面持ちで、臣下の一人に尋ねた。
「ここ最近、デビルアロマ系列の魔物の案件は?」
「少々お待ちを……はい。先月中旬では期間を置かず立て続けに二件。先週に遺体のみが確認されたのが一件。デビルアロマ押収は五件です。最初の二件は民間人の協力もあったようですが、剣士団もよく頑張っています。ただし、最新の未解決事件が――」
「いや、そこまでで構わない」
途中で臣下の発言を手で制した後、ハンスは席を立って窓の前へと移動した。何の事情を知らない臣下たちは、彼の突然の行動を訝しむ。
窓から見えるのは、ルズベリーの街を見下ろした景色だ。一番奥の城壁が湾曲しながら横に伸びる様子が映し出され、空は雲一つも見かけない晴天ぶりだった。特に大気汚染がある訳ではないので、どこまでも青く澄み渡っている。とても悪い事が起きそうな雰囲気ではない。
だが現実は非情である。事なかれ主義を貫き通す事も儘ならない。と言うよりも、既にそれが許される状況ではなくなった。ハンスはついに決心して、執事から聞いた知らせを皆に言い放った。
「陛下直属の精鋭、天翔騎士団。彼らが動いた。今週中にもこの街にやって来るそうだ」
※
カンドラ王国の王都には、国王直属の騎士団が三つ存在している。討伐部門の天翔騎士団、防衛部門の空翔騎士団、後衛部門の飛翔騎士団だ。
その中でも天翔騎士団は、主に突然変異を起こした強力な魔物の討伐を任されている。王都近辺は魔物の乱獲が原因で突然変異種のオンパレードとなり、恐ろしく強くなった魔物と相対するのが日常茶飯事だった。常日頃から戦っているため、どの地域の騎士団と比べても対魔物の実戦経験は豊富である。ちなみに決して、ヒトをやめている訳ではない。
今回ルズベリーの街に向かう人数は、団長を含めて三十人程度である。身体能力を向上させる宝珠鎧を駿馬に纏わせているので、王都からルズベリーの街までの移動はとんでもなく速い。その上、騎士たちの鎧は総じて軽量型なので機動力はより稼げる。
今日のカンドラ王国にて、全身鎧は既に廃れていた。度々強くなる魔物に対して重装化しても、やられる時はあっさりやられるので雀の涙にも等しかった。
また、全身鎧を調達する費用が掛かりすぎるのも拍車となっていた。全身鎧は言わば、個人個人の身体にフィットしたオーダーメイド品。替えが利かず、誰かが代わりに使う事も叶わない。重装備で挑んでも機動力が落ちて、尚且つすぐに負けるのであれば、戦いの方針が変わるのは自然の成り行きだった。
結果、「当たらなければどうと言う事はない」風潮により、現在の騎士団が使う鎧は動きやすさと機動力、着やすさ、生産性を重視したものに変わっていき、鎧の役割はあくまで身体の保護となった。低下した分の防御力は、魔法で補助する事になる。
そんなこんなで、一部だけとは言え天翔騎士団は早くもルズベリーの街へと到着した。市街地への入り口をさっさと通り抜けて、ハンス・コームブルクが住むルズベリー城の門前に向かう。
「止まれ。身分を示すものなどは?」
ルズベリー城の門へと続く狭い坂道を登り終えると、二人の門兵が立ち塞がった。彼らの前にいる人々は明らかに騎士風と判断できるが、己に与えられた職務を全うするために威圧的な態度を崩さない。
その時、先頭にいた長身の男が馬から降りて、身分証明書と一枚の書類を門兵に見せた。
「こちらだ。そして、これが指令書だ。ちゃんと陛下の署名と印が記されている」
二人はそれらをじっくりと確認する。身分証明書の名前欄が青く光っているのは本人の証。魔力の反応だった。ナサリオ・ファーニヴァル。それが天翔騎士団団長である彼の名前だ。
指令書には、細かい文章が書かれている下の方にカンドラ王国の国王の名が署名され、王家の紋章を象った印が赤く押されていた。門兵たちは目を丸くし、姿勢を正してナサリオに敬礼する。
「はい。間違いないようです。無礼を働いて申し訳ありませんでした!」
「いや、構わない。その調子で頑張りなさい」
「「はっ!」」
それから他の騎士団員たちの身分証明もトントン拍子で進み、馬を厩舎に預けた後は天翔騎士団の代表二人がハンスの元へ挨拶に訪れた。
光沢のある上品な色に包まれた執務室の中、ソファとテーブルの前に立って三人は相対する。また、ハンスの脇には一人の騎士が控えていた。
「天翔騎士団団長、ナサリオ・ファーニヴァルです」
「同じく正騎士長、アンジェラ・ヴィンヌレットと申します」
ナサリオに続いて、隣のハーフエルフの女性――アンジェラも自己紹介を済ます。
「ハンス・コームブルクです。こちらは桜花騎士団団長のカール・アクスマン。あなたたちの活躍はよく耳にしています。遠路遥々ご苦労様でした。どうぞ、ソファへお腰を」
「いえ、お気遣いなく。我々の任務は指令書にある通り、デビルアロマの調査と魔物化を果たした者の討伐です。一つの街で、一ヶ月に三件以上の出現は異常ですから。それに、手に負えない突然変異種がダンジョンに現れたと聞きました」
屈託なくそう告げるナサリオに、ハンスは僅かに眉をひそめる。しかしそれも束の間、今度はばつの悪い表情でナサリオに答える。
「それに関しては力及ばず、お恥ずかしい限りです。お手数を掛けてしまって申し訳ありません。それでお詫びと言ってはなんですが、これを……」
そうしてハンスはカールから布包みを受け取り、それをナサリオに差し出す。ナサリオはきょとんとした様子でハンスに尋ねた。
「これは?」
「焼き菓子です」
ナサリオはおずおずと布包みをもらい受ける。布包みはナサリオの両手の中にギリギリ収まる大きさだった。
それを持った瞬間、ずっしりとした重量感を覚える。とても焼き菓子とは思えないほどの異様な重さだった。
思わず中身を確認しそうになるが、一度手を止めてハンスの方を見る。彼の目は、中身の確認を促しているようだった。ナサリオは思いきって布包みを開く。
すると、中から焼き菓子の入った小さな紙包みが三つと、その下に積まれた大金貨が現れた。
これにナサリオは一瞬、微動だにしなくなる。隣でそれを目だけ動かして見ていたアンジェラも、ピクピクと僅かに震える長い耳以外は固まっていた。
一方のハンスは笑顔を保ったまま、カールに至っては我関せずを貫き通していた。大金貨の存在に何の指摘もしない。
ナサリオが大金貨を手に取ろうとすると、ハンスのニッコリとした笑みが益々深まる。だが――
「コームブルク殿。金貨が混入しています。ぜひ、気をつけてください」
「えっ、あの……」
「何か?」
「いえ」
真顔のままカールに全ての大金貨を返却していくナサリオに、ハンスは何の反論もできなかった。額に流れる汗が、彼にどれだけの緊張感やプレッシャーがのし掛かっているのか窺える。これ以上、ハンスが差し当たりのない事以外の余計な真似をする事はなかった。
それからしばらくして。ハンスへの挨拶を済ましたナサリオとアンジェラは、自分たち天翔騎士団に宛てられた部屋へと移動していた。もらった布包みはアンジェラが持っている。
周りには誰もいない。それでもナサリオは念には念をと小さな声で、ハンスへ悪態をついた。
「愚かな人だ。賄賂など……」
「告発しますか?」
横を歩くアンジェラが素っ気なく質問する。それを聞いてナサリオは少し思案し、頭の中から消した。
「いや。大方、己の手落ちを隠し通したいだけだろう。陛下へと近づくついでに。いつもの事だ。突然変異種など誰だって対策に手こずるのに」
ナサリオの言う事はある種の真理だ。突然変異種に苦戦するだけで貴族身分の人々の役職欄が変動するのであれば、一々キリがない。とりわけ王都では日常茶飯事なのだから。
また軍事力だけではなく、並みでは歯が立たない魔物を討伐するために騎士団は存在する。
「コームブルク殿曰く、発生した魔物は人型のクモとの事ですが。ドラゴンではないだけマシでしょうか?」
「桜花騎士団の調査が入るまで、その魔物は今までろくに目撃情報がなかったらしい。おそらくドラゴンよりも面倒だぞ。目撃者の処理を徹底している。何人の冒険者が死んだかわからない」
アンジェラの意見をナサリオはやんわりと否定し、自分なりに見当をつける。どのみち予想される討伐対象は彼らにとって、いつもよりマシと呼べるものではなかった。
ちなみにドラゴンとは、翼竜や地竜などと多くの種類がカンドラ王国とその近隣国内に生息している、分類上は爬虫類の魔物だ。もちろんダンジョンにもいる。全長は小型種でも最低は三メートル。大型種はインドゾウを真正面から圧倒できる。
そんなドラゴンと天翔騎士団が戦う羽目になる機会は、平均して月に二、三回。王都近郊で迎撃もすれば、こちらから出向かう事もある。いくら相手の知能が高くとも、取れる戦術の優位性だけは揺るがない。剣と魔法だけでも十分に勝てる。
ただ、ドラゴンも件のクモの魔物以上の慎重な姿勢は見せない。目撃者をとことん無くす魔物など、二人は聞いた試しはなかった。ドラゴンですらどんなに隠密を頑張っても、偶然が重なってその巨体が度々目撃されるくらいなのだから。
さらにクモの魔物は、成人男性より一回り大きな背丈をした人型だと言われている。今までの魔物討伐と勝手が違うなど想像に容易い。大いに気をつけるべき。それはアンジェラも理解していた。しかし――
「魔導鎧……ローザリーの装着者がそんな弱気でどうするので?」
一度聞いただけではわかりにくいが、まるで相手を煽るような口調。横目でナサリオの顔を捉えるアンジェラの視線が徐々に下がり、彼の左手首を注視する。
そこには、大きい腕時計のようなブレスレットが巻かれていた。時針盤の代わりに十字状の窪みが存在し、小さなスイッチが側面に計四つ備え付けられている。騎士にしては、明らかに異色な装備品だった。
「弱気ではないさ。私には、光を厭う王を討ち滅ぼす使命がある」
アンジェラの煽りをナサリオは軽く受け流す。だが、その発言は彼女の癪に少し触った。
「眉唾物の占いと言い伝え、それと噂を信じているのですね。光を厭う王ルキフィガは、百年以上前の昔話です。甦るなど……」
そこまで言ってアンジェラは黙る。ブレスレットを見る羨ましそうな目はどこかへ消えていた。
光を厭う王とは今から百年以上前に実在し、カンドラ王国全体を脅かした魔物の名称だ。容姿はクロゴキブリやチャバネゴキブリのように気持ち悪く、さらには不快感しか与えてこない外見の魔物――特に昆虫類を司る。
ただし、それが討伐されたのも昔の話。最近では復活したなどという噂話が王都やあちこちに出ているが、アンジェラにとっては到底信じられるものではなかった。むしろ、下らないと吐き捨てるほどだった。
魔物図鑑その六。ミミズ怪人。
戦闘力はリエ以下のゴミ。脅威なのは硬質化する触手だが、当たらなければどうと言う事はない。あと、触手でキャンプファイアーができる。
防御力はそれなり。ミミズのくせして、ニグラムの仮面に優るとも劣らないカッコいい鎧を着ている。




