83・兄からの命令書がなかなか届かないんだが
気温が上がりだしたと思ったらシヤマムも勢いよく成長を始めたようだ。移植からほぼ一月、そろそろ中干を始めようかという頃には、随分と大きくなった。
ここから比較のために、水を抜く田とこれまで通りの灌水を続ける田に分けようと思ったのだが、土壌の問題だろうか、思った通りにはいかなかった。
粘土質なのか不透水層が出来ているのか、なかなか乾かない田が見られたので、中干する田を少なくしてしまった。
ただ、中干の間にも完全に乾いてしまわないように水をたまに入れるのだが、あっという間に引いていく田がある。
米の場合、品種によって水はけの適性が変わってくる。灌水をした方がおいしい米になるモノと水はけがよい田の方がおいしい米になるモノと出て来るのだが、シヤマムはどうなんだろうか?
中干は根腐れ防止と分げつ抑制の効果が見込まれるのだが、分げつ数の制御は実入りもだが、味も求めての事。
単位収量のためにとにかく過密になるほど植えることを昔は行っていたらしい。同じような事は90年代に某半島へ行った農協関係者が向こうでは未だにやっていたと話していたそうだ。
確かに、植えた量が多いので密植の見かけ収量は多くなるだろう。しかし、一株当たりの結実数では、粗植えの方が優る。当然ながら、養分がどれだけいきわたるか、生育に必要な水や根張りの環境といった面では、粗植えが優ることで、実の数が変わってくる。
ただし、そもそもの結実数が少ない品種で粗植をしたのでは、収量が減るのであまりよろしくない場合も出ては来るだろう。
耐病性なんかも問題になる。風通しが悪いと病気になる可能性も上がる。そして、耐寒性。移植直後の霜害は当然だが、生育途中での気温低下、特に開花以後の気温は非常に重要になってくる。あまり低くなりすぎると実らない、熟さないといった心配もあるのだ。
そもそもが気温が辺境北部より低いナンションナーで上手く収穫出来るのか?という心配は解消されていたい。
気温の上昇が遅く、夏の短いナンションナーでは、開花以後の気温の状況がしアマムに与える影響が実は分かっていないのだ。
とはいえ、今のところ、うまく育っている。と思う・・・
今年はこれだけだが、来年はさらに広範囲から新たな品種のシヤマムも取り寄せるつもりだ。
当然、実らないのも出て来るだろうし、もしかしたら、ナンションナーの方が良く育ったり品質が良くなるものが出てくるかもしれない。
これから何年もかけて、収量、食味、成長速度などがナンションナーに適した品種を探して、更に何年もかけて、それらを掛け合わせてナンションナーにあった、餅だけでなく、フェンに適した品種を作り出していく必要があるだろう。こればっかりは俺の知識も、ルヤンペやミケエムシのチートも役には立たない。
兄からの手紙が来て以降、特に変わった事もなく、昨年同様に農作業をして過ごす日々を送っていたのだが、とうとうウゴルがゼロの谷に現れたという知らせが入った。
「とうとう来たか。兄の正式な命令まで僕は動けないが、カヤーニの所から弓隊を送っておいてくれ、ホッコにも連絡して協力してもらおう」
ヘンナが行きたそうにしていたが、さすがに乳飲み子を抱えてはいけないので留守番をしてもらう。ケッコナは既に動いてもらっている。多分、ホッコもすぐに動いてくれるだろう。
「私と山の戦士もいつでも動けるよ」
そう言うイアンバヌたちは俺が率いることになっている。兄の命令書待ちになる。
しかし、兄からの命令書はなかなか届かない。
そうこうするうちにカヤーニに命じた援軍は既にゼロの谷に着いたという知らせが入ってきた。
アホカス家の軍勢もかなり強力らしいので、俺はコンパウンドボウ部隊を優先した援軍に出している。一般の弓の2倍から3倍の射程を持った弓に、ウゴル騎兵の鎧を確実に貫通する矢を使っているので、長距離支援に役立っているらしい。たった100でしかない弓兵隊だが、その活躍は華々しい様だ。
「さすが、山の魔弓の威力は凄いとの評価です。弓を二段構えにできるので、ゼロの防御は格段に上がっている様です」
森の民による連絡網を使って数日で情報は入るのだが、クフモの騎士が直々に伝令にやって来ると彼らの実感というのが聞けるので、それはそれで大いに助かっている。
「谷の砦は持つんだな?」
そう聞いてみたが、どうも、事は巧く運んではいないらしい。
「いえ、万に上る騎馬と歩兵で攻めてきているので、いくつもの砦を使って遅滞戦を行うのがやっとです。確実に一か所に踏みとどまれるほどの力はありません」
どうやら状況はそこまで芳しくないという。それでも兄からの命令書が届かない。どうなっているんだろうか?
そのうち、アホカス家からも救援要請が来た。そろそろ出て行った方が良いと思うのだが、ヘンナが止める。
「まだです。陛下からの命令書が届くまでお待ちください」
実家が危機に瀕しているというのに、なぜそこまで律義に命令書を待とうとしているのかよく分からなかった。
「しかし、王都は王都で大変だろう。ゼロの事態にまで構っている余裕がないのではないか?」
俺がそう言うが、ヘンナは違うという。
「そうだよ。今は動くときじゃない」
イアンバヌもあれだけ張り切っていたのに、まだ動くなという。
さらに10日が過ぎ、ゼロの谷では苦戦が続いているという。すでに最終ライン近くまで戦線が後退しているとさえ言ってきた。のんびりしているとスッコゼロが陥落するんじゃないのか?
ヘンナも俺に行くなと言いながら、どんどん表情が暗くなる一方だ。
そんなころになってようやく命令書を携えた使者がやって来た。
「陛下の勅である。縁辺公は軍を率いてアホカス家の救援に迎え」
俺の前でそれを読み上げるのは、以前のアホカス家に近い貴族ではなく、宰相の近習だったと記憶している貴族だった。
「ようやくだね。今から向かっても砦は落ちた後だし、スッコゼロだって危ないと思うよ?」
ケッコナが帰って来ていたようで、使者が帰ると現れた。
そんな事を言いながらも、ケッコナはまるで切羽詰まっていない。
ここから普通にゼロの谷へ向かうとなると、クフモを経由して最低15日程度の旅程だろうか。軍勢を率いて、クフモでさらに再編成してとなると、一月掛かるかもしれない。つまり、間に合うはずがない。
「ホッコはすぐに出られるのか?」
そう聞くと、ケッコナは頷く。
「ホッコ直属は全員出るそうだよ。私が道案内するから、ナンションナーの山の戦士とウルホもこれから出発して、5日後にはゼロの谷かな。伝令出すから、明後日にはホッコたちはゼロの谷周辺に出ていけるよ」
クフモへも森の民の伝令を出す。カヤーニが騎兵を率いてスッコゼロに着くころには、俺たちは最前線ってわけだ。
「頼む。ケッコナ」
翌朝には山の戦士たちも準備を終え、出発することになった。